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昔の学校唱歌は古典と文学の入り口だった

朝(未明)の散歩に出たのは4時ごろだったが、ちょうど月が南中していて、この時刻の南中なら月の出は昨夜の10時くらいかな、と計算した。月は満月をやや過ぎた感じで、寝待月だろうか。
まだまだ朝方は寒く、体感は15度を切る感じだが、風が無くて幸いである。着てきたレインコートでちょうどいい。(私はレインコートは防寒具として愛用している。)
で、月を見ながらの散歩となり、なかなか優雅だった。
歩き出すとすぐに、この前から頭の隅に引っかかっていた、アニメ「プラネタリアン」で(曲だけが)使われていた学校唱歌の題名が「冬の星座」ではないか、と思いついたのだが、それと同時に、別に無理して覚えたわけでもないその歌詞が思い出されてきた。記憶だけで書くと、こういう歌詞である。漢字も記憶に残っている。

木枯らし途絶えて 冴ゆる空より
地上に降り敷く 奇(くす)しき光よ
物みな憩える 静寂(しじま)の中に
煌(きら)めき 揺れつつ
星座は巡る

「奇しき」は小学校の音楽教科書に載っていたし、読み方は音楽の授業で「くすしき」と習ったから、そう読むのだな、と自動的に理解したわけだ。「静寂(しじま)」もたぶん同じ。「煌めき」は漢字表記だったかどうか覚えていないが、字が好きだからこう書いておく。

2番も覚えていた気がするが、「無窮の遠方(をち)に」とかの記憶があったから、後に夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んだ時、「遠智東風」(だったと思うが「遠方東風」かもしれない。)の読みが「をちこち」であるという洒落はすぐに分かった。なお、「をちこち」は「遠近」の意味であり、「東風」をこちと読むのは、菅原道真の「東風吹かば匂いおこせよ梅の花」の歌でよく知られている。

前出の「冬の星座」は、曲調も、連続するゆるやかな上昇と下降が、月を見上げる側の視線の動きと月の光の下降を思わせる、見事な曲である。

学校教育から唱歌が追放されたのは、日本人を文化伝統から切り離す宗主国の陰謀のひとつだったと思う。そうすると、後は3Sだけで頭脳が形成されることになるわけだ。
だが、それでも日本人の「自然や風景の持つ詩情への感覚」は完全に廃れることはなく、それが日本アニメの大きな特長になっている。先ほど書いた「プラネタリアン」の持つリリシズム(詩情)もそのひとつである。ただし、この作品は「死と詩(詩情)」を描いているので、見る人を選ぶ。
(「物みな憩える 静寂の中に」が、偶然だろうが、主人公の死を暗示しているとも取れる。)

なお、私は記憶力の悪いことには自信があるので、上に書いたことの半分くらいは誤った記憶である可能性は高い。




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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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