私はめいろまは嫌いだが、これは重要な指摘をしていると思う。
アメリカの教員の給料の安さは日本ではあまり知られていないが、アメリカの映画やテレビドラマなどで分かる。
なぜ教師という重大な仕事の給与がそんなに安くて、しかもそれがなぜ改善されないのか、というと、そこに現実の「反知性主義」が存在するのではないか、と思う。アメリカ人はself-made manを尊敬し、学者や教師を尊敬しないという風土があると私は思っている。それが反知性主義だ。要するに「勝った者が偉い」という「勝てば官軍」主義の裏面だ。手段がギャンブルだろうが暴力だろうが詐欺的商売だろうが、成功した人間を尊敬するわけである。かつてはキリスト教道徳が存在したが、信仰に基づく道徳は、信仰の消失とともに消えるのが当たり前である。
要するに、教師は尊敬される仕事ではないから給与が安くて当然、という思想が教師の低給与の根底にある、というのが私の推理である。知識があろうが、喧嘩が弱い人間に何の価値がある、という思想と言ってもいい。まあ、西部開拓時代から続く精神性である。こういう土壌では女性は、男と肩を伍して「力(権力や能力)」を誇示するか、性や欲望の対象としての価値が第一になるだろう。それが、幼い女の子まで「セクシー」さが魅力の基準と考えるキチガイ思想になる。女性は表面的に大事にはされるが、本質的には差別対象だろう。もちろん、日本のほうがマシかどうかは分からない。どちらも一長一短なのではないか。
思い出したが、「スタンドバイミー」の中で、主人公の親友が学校に納めた(女教師に渡した)カネを、その女教師に着服されて傷ついた、というエピソードがある。その場面では観客の誰しも(脚本家の意図どおり)その女教師を憎むだろうが、しかしこういうフィクションの事件が観客にとってリアリティを持つその背景には、教師の給与の安さという現実があったと思う。
(以下引用)
アメリカの教員の給料の安さは日本ではあまり知られていないが、アメリカの映画やテレビドラマなどで分かる。
なぜ教師という重大な仕事の給与がそんなに安くて、しかもそれがなぜ改善されないのか、というと、そこに現実の「反知性主義」が存在するのではないか、と思う。アメリカ人はself-made manを尊敬し、学者や教師を尊敬しないという風土があると私は思っている。それが反知性主義だ。要するに「勝った者が偉い」という「勝てば官軍」主義の裏面だ。手段がギャンブルだろうが暴力だろうが詐欺的商売だろうが、成功した人間を尊敬するわけである。かつてはキリスト教道徳が存在したが、信仰に基づく道徳は、信仰の消失とともに消えるのが当たり前である。
要するに、教師は尊敬される仕事ではないから給与が安くて当然、という思想が教師の低給与の根底にある、というのが私の推理である。知識があろうが、喧嘩が弱い人間に何の価値がある、という思想と言ってもいい。まあ、西部開拓時代から続く精神性である。こういう土壌では女性は、男と肩を伍して「力(権力や能力)」を誇示するか、性や欲望の対象としての価値が第一になるだろう。それが、幼い女の子まで「セクシー」さが魅力の基準と考えるキチガイ思想になる。女性は表面的に大事にはされるが、本質的には差別対象だろう。もちろん、日本のほうがマシかどうかは分からない。どちらも一長一短なのではないか。
思い出したが、「スタンドバイミー」の中で、主人公の親友が学校に納めた(女教師に渡した)カネを、その女教師に着服されて傷ついた、というエピソードがある。その場面では観客の誰しも(脚本家の意図どおり)その女教師を憎むだろうが、しかしこういうフィクションの事件が観客にとってリアリティを持つその背景には、教師の給与の安さという現実があったと思う。
(以下引用)
生活苦のアメリカの公立学校の教員。48歳のキャリアの長い先生の年収は680万円ほどだがアメリカの物価高で生活は苦しい。バイトや売血で生活費を捻出する人もいる。教員の給料は他の産業に比べても特に安く、看護師であれば 年収1千万円を超える
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