少し前に私の別ブログに書いた記事だが、わりとお気に入りなので、ここにも載せておく。
ちなみに「ダンジョン飯」単行本第10巻64話の扉絵が「不思議の国のアリス」パロディであるのを(「木の下での読書(マルシルのエプロンに注意。マルシルはアリスでもあり、アリスのお姉さんでもある。)」で、ほとんどの人は即座に連想するかもしれないが、)分からない人がいるかもしれない。木の枝にいる有翼獅子がチェシャ猫である。まあ、同じネコ科だ。
下の記事に関係して言えば、福島正実氏は、(たぶん絶版である)岩崎民平訳を、名訳だ、と書いている。新訳かならずしも好訳ならず。むしろ改悪が多いと私は思っている。特に児童文学で、海外の名著を最初に軽薄、不誠実な新訳で読んで、その誤解のまま一生を送る子供が気の毒である。その手の訳(野心家の若手に多い)を世間に出すのはほとんど犯罪だろう。子供は、手にした訳書がその作品のすべてになる。価値の高い翻訳と、愚劣な翻訳の区別がつかないのである。私自身、岩崎民平訳の貴重さを知らずに、おそらく大学入学時の引っ越しの際に手持ち本の大半とともに処分したのが残念だ。
(以下引用)
ちなみに「ダンジョン飯」単行本第10巻64話の扉絵が「不思議の国のアリス」パロディであるのを(「木の下での読書(マルシルのエプロンに注意。マルシルはアリスでもあり、アリスのお姉さんでもある。)」で、ほとんどの人は即座に連想するかもしれないが、)分からない人がいるかもしれない。木の枝にいる有翼獅子がチェシャ猫である。まあ、同じネコ科だ。
下の記事に関係して言えば、福島正実氏は、(たぶん絶版である)岩崎民平訳を、名訳だ、と書いている。新訳かならずしも好訳ならず。むしろ改悪が多いと私は思っている。特に児童文学で、海外の名著を最初に軽薄、不誠実な新訳で読んで、その誤解のまま一生を送る子供が気の毒である。その手の訳(野心家の若手に多い)を世間に出すのはほとんど犯罪だろう。子供は、手にした訳書がその作品のすべてになる。価値の高い翻訳と、愚劣な翻訳の区別がつかないのである。私自身、岩崎民平訳の貴重さを知らずに、おそらく大学入学時の引っ越しの際に手持ち本の大半とともに処分したのが残念だ。
(以下引用)
dear →ears→ whiskers
あまりに暑いので、頭がぼうっとしており、まともな読書ができないので、「不思議の国のアリス」の英語原書と、その翻訳数書を、半分寝ぼけながらちらちらと眺めていると、興味深い箇所に出遇った。
話の冒頭でアリスが追っかけていた白兎が、アリスが穴に落ちた後、再度前方を駆けていくのをアリスが目撃する場面で、その時、兎は
"Oh my ears and whiskers,how late it's getting !"
と言うのだが、手持ちの翻訳はこの部分をそれぞれこう訳している。
「ああ、なんてこったい、すごく遅れちまった!」(河合祥一郎訳)
「やれやれ、どうすんだい、たいした遅刻だよなあ!」(矢川澄子訳)
「なんてことだ、よわったな!どんどん遅くなっちまう!」(福島正実訳)
ごらんのとおり、どの訳者も「my ears and whiskers」の訳から「逃げている」。
それも当然と言えば当然で、これは翻訳不可能だからだ。
勘のいい人は、白兎が最初に登場する場面で、
”Oh dear! Oh dear! I shall be too late!"
と言ったのと、この「my ears and whiskers」がつながっていることに気づくだろう。で、どの翻訳者も、それは分かっていたと思うが、ここはほとんど翻訳不可能なのである。つまり、英語の洒落なのである。
dearに感嘆詞としての用法があり、「おや、まあ」などと訳せることは、中学生でも知っている人もいるかもしれない。そして、帰国子女などは、その変化形で「dear me!」という表現があることも知っているかもしれない。これも「おや、まあ」なのだが、my dearとなると、「私の愛しい~」となるのは、それこそ中学生でも知っていることだ。そこで、「my dear」が、兎が話し手なので「my ear」となり、兎には頬髯があるので「my whiskers」と続くわけである。
つまり、英語の二重三重の連想が、洒落となっているわけで、これは翻訳不可能ということになる。
話の冒頭でアリスが追っかけていた白兎が、アリスが穴に落ちた後、再度前方を駆けていくのをアリスが目撃する場面で、その時、兎は
"Oh my ears and whiskers,how late it's getting !"
と言うのだが、手持ちの翻訳はこの部分をそれぞれこう訳している。
「ああ、なんてこったい、すごく遅れちまった!」(河合祥一郎訳)
「やれやれ、どうすんだい、たいした遅刻だよなあ!」(矢川澄子訳)
「なんてことだ、よわったな!どんどん遅くなっちまう!」(福島正実訳)
ごらんのとおり、どの訳者も「my ears and whiskers」の訳から「逃げている」。
それも当然と言えば当然で、これは翻訳不可能だからだ。
勘のいい人は、白兎が最初に登場する場面で、
”Oh dear! Oh dear! I shall be too late!"
と言ったのと、この「my ears and whiskers」がつながっていることに気づくだろう。で、どの翻訳者も、それは分かっていたと思うが、ここはほとんど翻訳不可能なのである。つまり、英語の洒落なのである。
dearに感嘆詞としての用法があり、「おや、まあ」などと訳せることは、中学生でも知っている人もいるかもしれない。そして、帰国子女などは、その変化形で「dear me!」という表現があることも知っているかもしれない。これも「おや、まあ」なのだが、my dearとなると、「私の愛しい~」となるのは、それこそ中学生でも知っていることだ。そこで、「my dear」が、兎が話し手なので「my ear」となり、兎には頬髯があるので「my whiskers」と続くわけである。
つまり、英語の二重三重の連想が、洒落となっているわけで、これは翻訳不可能ということになる。
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