メモ的に使っている私の別ブログに書いた記事だが、実村文氏のここに引用したような「革命的」な創見は、広く知らせる価値があるだろうから、少しは読者もいそうなこちらにも載せておく。
ただし、少し追記する。
(以下自己引用)
ただし、少し追記する。
(以下自己引用)
私は英語力の無さには自信があるので、下の解釈が英語的に正解かどうかは分からないが、論理的には正解だと思う。つまり、これまでの無数の「誤訳」は、問題箇所の文脈をきちんと考えてこなかったための「誤訳」だったということだ。
「このままでいいのか、だめなのか、そいつが問題だ」
これこそ、この時のハムレットが抱えていた最大の問題であるのは明白である。つまり、「生きるか死ぬか」という問題ではなく、母親の不倫(父王の生前からの関係がどうかは不明だが、父王を殺したのが叔父なら、その可能性大)と、叔父による王(ハムレットの父)の殺害に対して立ち上がるか否かという問題だ。
そして、立ち上がることは、自分の死をもたらす可能性もあり、母の不倫を世に知らしめることにもなる。だからこそ、ハムレットは悩みに悩み、オフェーリアさえも「女という、不倫予備軍」と見てしまうのである。彼のオフェーリアへのあまりに無情な態度の意味はそこにある。だから「尼寺へ行け」なのである。それは「性欲を断て」という厳しい命令なのであり、そこに母親の不倫に苦しむ息子の怨念があるわけだ。
(追記)先ほど考えたのだが、なぜシェークスピアは単純に「to do,or not to do」としなかったのか、という疑問も生じるが、それは、なぜ「to live,or not to live」としなかったのと同様に、言いたいことの「含み」が無くなるからで、かといって、すべてを言いつくすと長くて締まりのない台詞になるからだろう。つまり、このbeには、doとliveが含まれており、さらに言えば、たとえば「to be continued」のように、この「to be」は、ここでの問題が未来に関係することを示している、という屁理屈はどうだろうか。つまり、それだけ深みがあるから、多くの訳者を悩ませたわけだ。
(以下引用)
「このままでいいのか、だめなのか、そいつが問題だ」
これこそ、この時のハムレットが抱えていた最大の問題であるのは明白である。つまり、「生きるか死ぬか」という問題ではなく、母親の不倫(父王の生前からの関係がどうかは不明だが、父王を殺したのが叔父なら、その可能性大)と、叔父による王(ハムレットの父)の殺害に対して立ち上がるか否かという問題だ。
そして、立ち上がることは、自分の死をもたらす可能性もあり、母の不倫を世に知らしめることにもなる。だからこそ、ハムレットは悩みに悩み、オフェーリアさえも「女という、不倫予備軍」と見てしまうのである。彼のオフェーリアへのあまりに無情な態度の意味はそこにある。だから「尼寺へ行け」なのである。それは「性欲を断て」という厳しい命令なのであり、そこに母親の不倫に苦しむ息子の怨念があるわけだ。
(追記)先ほど考えたのだが、なぜシェークスピアは単純に「to do,or not to do」としなかったのか、という疑問も生じるが、それは、なぜ「to live,or not to live」としなかったのと同様に、言いたいことの「含み」が無くなるからで、かといって、すべてを言いつくすと長くて締まりのない台詞になるからだろう。つまり、このbeには、doとliveが含まれており、さらに言えば、たとえば「to be continued」のように、この「to be」は、ここでの問題が未来に関係することを示している、という屁理屈はどうだろうか。つまり、それだけ深みがあるから、多くの訳者を悩ませたわけだ。
(以下引用)
「生きるべきか死ぬべきか」、それは誤訳だ。『ハムレット』の"例の箇所"について(透明なシェイクスピア(1))
2020年1月28日 01:34
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