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「成功率」とコスト

市民図書館から借りて来た本のなかで、あまり期待していない本だったので最後に残っていた川端裕人の「夏のロケット」を読みだすと、案外面白い。ただ、これはサントリーミステリー大賞の優秀賞作品らしいが、ミステリーではなく、一種の「冒険小説」だろう。ただし、ミステリーとは何か、冒険とは何かの定義が必要だ。まあ、科学を題材にしているが、SF小説ではないと思う。SFの本質は科学や文明論に基礎を置いた「センスオブワンダー」にあると思うからだ。この作品のような「科学(ロケット)への興味」そのものが日常である若者たち(これも、若者とはどういう年齢層かという定義が問題だが)の、非日常的冒険(犯罪との関わり)の話はSFではなく冒険物語だろう。犯罪が問題のひとつだという点で、「ミステリー大賞」候補になったのだろうが、犯罪は別にミステリーでも何でもない。ある種の人々の日常は犯罪と同居している。
で、この作品のどこが面白いかというと、ロケットについての「常識でない常識」が分かるからだ。つまり、専門家には常識だが、一般人にはまったく未知の知識だ。
そして、その中には、一般論化してみれば浮遊思考の「思索ネタ」になるようなものが幾つも出て来る。
その中のひとつを挙げておく。

「NASAの有人ロケットは、99.999%以上成功するように設計し、パーツを管理し、組み立てがなされているんだが、これを99%に下げただけでたとえば部品のコストは五分の一になってしまう。」

これは作中人物の発言で、この発言がNASAやロケット関係者の「常識」なのか、それともこの人物の思い込みか作者の創作かは分からないが、これが専門家の「常識」ならば面白い。言うまでもないが、これまでのNASAによる有人ロケット打ち上げの成功率は9割すら切るだろうからだ。
つまり、この「常識」は、NASAが米政府に予算を申告するための便宜としての作り話である可能性が高いということである。
我々一般人は「99%の成功率」と聞いただけで凄いと思うし、「99・999%」と聞いたら、それは100%と同じとしか思わない。
ここで、確率の数字を「丸めて」考えてみる。確率の有効数字に意味があるとするなら、「99.999%の成功率」は「99%の成功率」より(桁が3桁違うのだから)1000倍高いということになる。それなら、コストが5倍くらい高くなっても仕方がないだろう、という話になるわけだ。しかし、その成功率が実にいい加減なものであることは前述したとおりである。

まあ、そのほかに、冒険とは何か、という考察もしたが、それは別記するつもりだが、忘れるかもしれない。

なお、私は米国の月への有人飛行と月への上陸も嘘だと思っているが、ここでは論じない。いずれにしても、米国が宇宙飛行に興味を失っている理由は「人類を他の惑星に出して生還させるのは不可能だ」と米政府が判断したからだろう。

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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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