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精神病の病因としての「自由」

別ブログに書いた記事だが、ここにも載せておく。
追記すると、三島由紀夫が自衛隊生活を体験したことについて、「すべて決められたように行動すればいいので、心理的に非常に爽快だった」という趣旨のことを書いている。つまり、下に書いている「精神病の原因としての自由」からの解放は、監獄や病院だけでなく、軍隊でも同様だ、ということである。
自分自身を考えても、高校まではすべてが不自由だったが、精神はさほど問題はなかったと思う。精神的に不安定になり、陰鬱化の傾向が出てきたのは、浪人時代と大学の初期のころであり、すべて自分の判断で行動する必要が出てきてからだった。
大資本家がほとんどキチガイになる(悪魔化する)のは、その巨大なカネ(権力)が彼らに与える自由のためだろうww これは王侯の類も同じである。

(以下引用)
「壺斎閑話」記事の末尾で、中村某という者が、ドストエフスキーは生涯にわたって精神病者だったという説を出していることについての文章である。まあ、その当否は別として、下の部分は面白い。

四年間の監獄生活の時期が、精神的にもっとも安定したいた

という部分である。「したいた」は「していた」のタイプミスだろう。
これは、精神病を考えるうえで、面白い話である。つまり、「自由こそが精神を病ませる」という仮説だ。監獄や病院にいる時は拘束状態だから、「自由をあきらめる」。それが精神の安定をもたらすのではないか。あるいは、「自由」の代わりに「夢」や「希望」を置いてもいいかもしれない。夢や希望を失った状態こそが精神が一番健全に働くのではないだろうか。
そこで想起するのが、「冬の散歩道」の中の

when I look about my possibility
I was so hard to please

という一節だ。この「気難しさ」が、精神の不健康さの徴候だろう。青年期が精神の危機の時であるのも、まさに夢や希望や可能性の中で迷いに迷うからではないか。つまり、カフカ的迷宮の中にいるのである。


(以下引用)

そんなドストエフスキーだが、不思議なことに、四年間の監獄生活の時期が、精神的にもっとも安定したいたと中村は言う。じっさいドストエフスキー自身も、「懲役のほうが気持ちが穏やかだった」と口癖のように言っていたそうである。なぜ彼がそんなふうに思ったのか、それについては詳しく立ち入って考えていない。監獄のなかでは、他人との関係が単純化されるので、精神的なストレスも緩和され、異常な精神状態に陥ることが少なくなった、あるいはなくなってしまった、ということだろうか。もっとも、この懲役中に癲癇の発作が始まったわけで、それをどう考えるかは、また別の問題である。
いずれにしても、ドストエフスキーが統合失調をほぼ生涯にわたって患っており、その症状を直接描写することで、かれの作品世界が形成されたとする中村の推論は、その有効性はともかく、面白い試みである。

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