眠りが浅く短いので、夜早く寝ると深夜に目が覚めるのが常である。そして、寝覚めの前には夢を見ることが多い。夢を見ているのか、朦朧状態であれこれ考えているだけかは分からない。
で、今日の夢は、自分が暴力団の結婚式に強制的に「来賓」(もちろん、ただの知人としてであり、「賓客(大事な客)」ではない。)として壇上で挨拶させられる(祝辞を述べさせられる)というもので、まるで三谷幸喜か筒井康隆が描きそうなシチュエーションである。なぜ一般人(大半は路上で拉致されてきたようだ。)にそんな演技をさせるのかというと、この結婚式は彼らの地元ではなく、観光地である当県で行われたからである。(「富豪刑事」に、それに似たシチュエーションがある。結婚式ではなく、暴力団の合併式だが。)誰も知人がいないから、挨拶(祝辞)の内容はいい加減でいい。参加者はすべて暴力団関係者で、酒と御馳走が目的であり、誰もロクに聞いていないからだ。しかし、中には、ちゃんと聞いていて、おかしなことを言ったらいじめてやろう、場合によっては半殺しにし、あるいは本当に殺してもいいと思っているサイコな奴もいるわけだ。(死体はコンクリート詰めにして海中に投棄すれば、まず永遠に出て来ない。ただの行方不明扱いである。警察が真面目に捜査するわけがない。)
私はそいつらとまったく面識がないし、新郎新婦の名前も聞いたこともない。聞かされても覚えていられる自信もない。「来賓」はすべて私と似たり寄ったりだろう。その中には、私が名前を知っている三流漫画家(ラーメン屋などに置いてある三流青年漫画雑誌に何か描いている中年か初老の男で、小太りで風采の上がらない、しかし善良そうな男だ。)などもいる。これは、暴力団の地元の人間で、実際に彼らとも少し面識があるので、連れてこられたらしい。
まあ、そういう夢で、私は実際にスピーチをし、しどろもどろだったが無事に終わったような、うっすらとした記憶がある。あるいは既にドジをして殺され、ここで記事を書いている私のほうが死んだ私の夢かもしれない。
なお、記事タイトルの「浅き夢見し」は、おそらく「浅き夢見じ」(否定文)が正しい読みだと思われる。昔の文章には濁点が無かったからだ。ここでは「浅い夢を見た」の意味で、「見し」とした。
で、今日の夢は、自分が暴力団の結婚式に強制的に「来賓」(もちろん、ただの知人としてであり、「賓客(大事な客)」ではない。)として壇上で挨拶させられる(祝辞を述べさせられる)というもので、まるで三谷幸喜か筒井康隆が描きそうなシチュエーションである。なぜ一般人(大半は路上で拉致されてきたようだ。)にそんな演技をさせるのかというと、この結婚式は彼らの地元ではなく、観光地である当県で行われたからである。(「富豪刑事」に、それに似たシチュエーションがある。結婚式ではなく、暴力団の合併式だが。)誰も知人がいないから、挨拶(祝辞)の内容はいい加減でいい。参加者はすべて暴力団関係者で、酒と御馳走が目的であり、誰もロクに聞いていないからだ。しかし、中には、ちゃんと聞いていて、おかしなことを言ったらいじめてやろう、場合によっては半殺しにし、あるいは本当に殺してもいいと思っているサイコな奴もいるわけだ。(死体はコンクリート詰めにして海中に投棄すれば、まず永遠に出て来ない。ただの行方不明扱いである。警察が真面目に捜査するわけがない。)
私はそいつらとまったく面識がないし、新郎新婦の名前も聞いたこともない。聞かされても覚えていられる自信もない。「来賓」はすべて私と似たり寄ったりだろう。その中には、私が名前を知っている三流漫画家(ラーメン屋などに置いてある三流青年漫画雑誌に何か描いている中年か初老の男で、小太りで風采の上がらない、しかし善良そうな男だ。)などもいる。これは、暴力団の地元の人間で、実際に彼らとも少し面識があるので、連れてこられたらしい。
まあ、そういう夢で、私は実際にスピーチをし、しどろもどろだったが無事に終わったような、うっすらとした記憶がある。あるいは既にドジをして殺され、ここで記事を書いている私のほうが死んだ私の夢かもしれない。
なお、記事タイトルの「浅き夢見し」は、おそらく「浅き夢見じ」(否定文)が正しい読みだと思われる。昔の文章には濁点が無かったからだ。ここでは「浅い夢を見た」の意味で、「見し」とした。
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