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常に世界につながっている息苦しさ

「ダイヤモンドオンライン」の香山リカのコラムを転載。
こういう「SNS疲れ」は、絶対に起こると私も思っていたし、実際起こっているようだ。それは当たり前の話で、SNSというのは、ある意味、映画「トゥルーマンショー」の世界、つまり、自分の日常生活の24時間の一挙一動がカメラで写され、世界に向けて放送されているのと似たようなものだからである。(私は映画「トゥルーマンショー」は見ていないが、大筋だけどこかで読んで知っているのである。)
要するに、「常に世界とつながっていて、気が休まる暇がない」ということだ。自分自身をカメラの前に露出することが好きな人間でもトイレや風呂やベッドの中までカメラに映し出されたら、たまったもんではないだろう。
SNSの場合は、自分の意思で世界とつながっているのだし、カメラで自分が映し出され、放映されることもない。写真をアップするのも自分の意思である。
そういう意味で、すべて「自分の意思」なのだが、実はそれは「無意識に強制された『自由意思』」ではないだろうか。
つまり、選択肢は与えられているし、選ぶのは本人の意思だ。しかし、そのメリットについては過大に宣伝され、デメリットはほとんど言われない。デメリットがあるにしても「本人の内向的な性格や、装置やシステムの特性をうまく使いこなせない、能力の欠如の問題だ」となっている。ならば、選ぶものはあらかじめ相手が決めているのである。手品師がカモに「好きなカードを選んでごらん」と言うのと同じで、選ぶカードは手品師が最初から決めたものになるということだ。
現代における選択というのは、実は、それ以外に選びようがない、という「あらかじめ決定済みの『自由な』選択」が大半だ。
たとえば、民主党党首選、自民党党首選で、国民が「選びたい」候補がいるだろうか。
ならば、民主党や自民党の党首に誰がなろうと、次期選挙で勝つのは、そのどちらでもない、「第三極」であるのは決まっている。そして、マスコミが小沢や「国民の生活が第一」についてまったく報道しない以上、その第三極が、マスコミが選べ選べと喚いている「日本維新の会」になるのはもはや決まったようなものである。こういうのを「仕組まれた選択」と言うのである。
SNSの話がとんだところに飛んだが、要するに若者のSNS疲れは、そういう「自分が何かに縛られている」という無意識の悲鳴でもあるのだ。
そして、それは言うまでもなく若者だけのことではない。だから日本全体に「イライラ感」が蔓延しているのである。


(以下引用)



SNSを自在に使いこなす若者が
SNSに傷つき悩んでいる


文脈は無視され単語だけが重視される時代に

 先日、ダボス会議に出席した方と話す機会がありました。この方がそこで感じた「格差」は、「南北格差」でも「民族格差」でもなく、デジタルネイティブとそうでない人との「格差」だというのです。物心ついたときからネットを使いこなし、フェイスブックなどをベースに社会活動を行なっている若きリーダーたちには、話し方に同じような特徴がある、と指摘していました。
 それは、発言が言い切り口調で、ひとつのセンテンスが短いということです。アメリカ在住か中東の人か、男性か女性か、年齢はいくつかなどにはあまり関係ないのだとか。
 私も若い世代の人は、言葉を「文脈」ではなく「単語」で捉える傾向が強くなったような気がします。この傾向が広がっているのだとすれば、単語だけで文意を受け取られるという前提に立って発言しなければならない時代になっていくのかもしれません。
 すると、次のような表現は許されなくなります。
「○○首相を馬鹿というのは言い過ぎですが、決して賢い首相ではないと思います」
 全体の文意を解釈するのではなく、「馬鹿」という単語だけがつかまえられて「○○首相を馬鹿呼ばわりした」と断定されてしまう、といったことがツイッターなどではしばしば起こります。いくら「~というのは言い過ぎですがと言っています」と否定のニュアンスを説明しても、「つまりは馬鹿ということじゃないですか」と解釈されてしまうのです。
 ニュアンスや行間に潜ませた意図を汲んでもらえなければ、電報のような最低限の単語を羅列した言葉しか通用しないことになります。上の表現を相手に誤解なく伝えるためには「○○首相はごく平均的な総理である」となってしまいます。
 これでは、何も言っていないのと同じことにはならないでしょうか。

若者は「SNS疲れ」に悩んでいる

 現代社会は情報があふれている一方、ツイッターをはじめとするソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)というシンプルに表現しなければならないメディアに若い人が集まっています。
 ツイッターなどでは字数の制限があることから、余計な言葉は極限まで削ぎ落し、目に見える形で、しかも理解しやすい表現に整理しなければなりません。この意識が過剰に働くことが、単語重視の言い切り口調に向かっている原因なのかもしれません。しかし、私には微妙なニュアンスを伝える豊かな表現方法が劣化しているようにしか思えないのです。
 その一方で、若い世代には異なる傾向も顕著になりつつあります。
 デジタルネイティブの先頭集団を走る現在の大学生は、ツイッターやフェイスブックやブログなどを自在に使いこなしています。
 ところが、彼らの内面は非常に複雑で揺れているようです。外に向けた表現とは裏腹で、はっきりと白黒つけられないような状態にいるように見えるのです。
 最近、日経ビジネスで「SNS疲れ」という特集が組まれていました。内容としては企業がツイッターなどSNSを使いこなせないという切り口ですが、雑誌の記事とは違った意味合いで、大学生に「SNS疲れ」が現れています。
 ここ数年、大学生に「若者の生きづらさの原因を述べよ」というテーマでレポートを書かせています。レポートを読むと、2人に1人はこう書いています。
「ツイッターやSNSにいちいち反応してしまう自分が苦しい」
 これが現代の学生の「SNS疲れ」です。使いこなせないのではなく、身近になりすぎて逃れられなくなってしまったのです。

他者とのつながりを求める一方で対応に苦慮する

「苦しかったら、一度やめてみたら?」
 学生にそう水を向けても、やめてしまったら自分の知らないところで勝手に悪い噂を流されてしまうのではないかという恐怖があるといいます。彼らは、見ても苦しく、見なくても苦しい自分に悩んでいるのです。
 若い世代は、SNSを介して人とつながることに意味と喜びを見出しています。
 しかし、その裏返しとして、自分がどこまでも監視されているような感覚に陥っているのかもしれません。
 メールを誰かに送った場合、返事がないときは相手が忘れているか、何らかの意図があるのだろうと、ある程度の想像を働かせることができます。ところが、ツイッターでつぶやいて誰も反応してくれなかった場合、それをどう受け止めればいいのかわからないというのです。
 必ずしも反応を返さなくていい「ゆるさ」がツイッターの特徴です。だから反応がないのか、あるいは意図的に無視されているのかがわからない。若者たちは、反応が返ってこない原因について妄想を膨らませ、考え込んでしまうのです。
 現代の若い世代の姿を見ていると、単純明快で絞り込まれた発言をする一方で、こころの中まで合理的に割り切れていないように見えます。
 もちろん、悩みが多いというのはどの時代も若者の傾向ではあります。しかし、それだけでは結論づけられないほど、彼らはソーシャルメディアとの向き合い方で葛藤しています。
 ソーシャルメディアを自在に使いこなし、一見すると軽やかに他者とつながっているように見えますが、若者の実情は必ずしもそうとは言い切れないのかもしれません。

他人と自分の生活を比較して劣等感に苛まれる若者たち

 大学生が書いたレポートには、ツイッターを見ていると劣等感が増幅されるという悩みも登場します。
 ある学生は、ツイッターで誰かが書いているものを見て、その人の1日が組み立てられるといいます。朝早くから起き出し、大学に行って勉強し、授業が終わるとアルバイトに精を出し、夜は仲間と飲みに行って楽しく過ごす。それに比べて自分は朝も起きられなかった、大学にも行かなかった、アルバイトもせず、友だちとも遊ばなかった。今日も1日ダラダラ過ごしてしまったことに、ひどく落ち込んでしまうというのです。
 そんな学生にはこう尋ねてみます。
「あなたは、ツイッターにすべて本当のことを書いているの?」
 学生は、都合の悪いことは書いていないと答えます。ほかの人も同じではないでしょうか。他人の目を惹きそうなことを選んで書き、なかには事実を脚色して書いている人もいるかもしれません。滅多にないアクティブに行動した日のことだけを書いている可能性だってあるのです。
 私たち大人は、そういう書き込みに対して「またぁ、カッコつけちゃって」と色眼鏡で見ることができます。しかし若者は、自分の場合は真実を書いていないのに、他人の記述は真実と思い込んで自分と比較して悩んでいるのです。
 若者には、他者と自分を比較して他者と同じレベルになりたいという同化願望と、他者より少しでも良い状況でありたいという個性化願望があります。
 そのせめぎ合いのなかで、「人と比較するなんてつまらない」「人は関係ない。俺は俺でいいんだ」と考えようとするほど、余計に人のことが気になってしまうという悪循環にはまりこんでいるのかもしれません。
 状況も条件も立場も違うのですから、他人との生活ぶりを比較してもあまり意味はありません。アクティブに行動することがよくて、一日家でダラダラするのが悪いと、言い切れるものではありません。
 ソーシャルメディアによって他者と四六時中つながっていることで、自分の生活を良く見せることを24時間意識しなければならない苦しみがあるような気がします。


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立て板に水よりも、こちらがいい

「横板に雨だれ」というブログから転載。
最近知ったブログだが、筆者は非常に知的で教養の深い人であるように思われる。私は、ブログ筆者のプロフィールなどほとんど読まず、その人の書いた文章だけでその人を判断するので、どういう背景を持った人かは分からないが、中野重治ファンであるようだ。
私は中野重治のような生真面目な左翼系作家(と思われる作家)は苦手な方であるが、彼らのような、庶民の幸福を心から願っていた真摯な人々を日本という国家が圧殺してきた結果が今の日本なのだろう、と思っている。
圧殺してきた、というのは小林多喜二のような本当の惨殺をも含めてはいるが、そのだいたいは「黙殺」および、「経済的圧迫」、「社会的に低い地位に置き続ける」などの手段である。文学者の場合は、人道的内容だから文学的に優れているとも限らないのだが、左翼系作家は概して社会的評価も得られず、経済的にも恵まれていなかった人が多いように思う。
しかし、それはある意味では当然で、社会改革などのテーマは小説などの文学ではなく論文やエッセイで扱うべきものだろう。そういう小説が読んで面白いはずはなく、世間で受けるはずはない。世間に受ける小説でなければ、この資本主義社会で経済的に恵まれるはずはない。まあ、彼らは一種の聖人である。

さて、下記記事は「れっきとした政治的犯罪行為がまったく罰されることがない」という世界の現状を批判した記事である。
私などもこのことについては遠く湾岸戦争の頃から何度も書いている。「9.11」のような明らかな自作自演劇をきっかけとした「テロとの戦い」がいかに欺瞞であり、欧米国家こそが殺人者である、ということも何度も書いてきた。
その過程で「欧米の犯罪」について、藤永茂博士という強力な論証者を知ったのは、私にとっては大きな出来事であった。その藤永茂博士の名は下記記事にも出てくる。
つまり、このネット世界では、同じような魂を持っている人間同士はどこかで邂逅するということだろう。
べつにそういう人々と個人的な知り合いにはならなくとも、そういう人々の書いた文章を読むだけで、「自分の考えは自分だけの思い込みではない」という自信を与えてくれるものである。
ネットはそういう精神的なつながりを通して、やがて世界そのものを変える可能性があると私は思っている。だからこそ、今の世界から利益を得ている人々はネットを恐れ、規制するのに躍起になっているのである。

*ほとんど無意識だったが、今日書いた「徽宗皇帝のブログ」の内容と、昨日書いておいた、この「酔生夢人」のテーマが一致した。まったく意図はしていなかったのだが、9.11関連記事がネット上に多かったために偶然そうなったのだ。
*「酔生夢人」の方では国際政治はあまり扱わないのが基本方針だが、今回の文章は「文学談義」と「ネット規制」というドメスティックな話題も含んでいるのでこちらに掲載した。



(以下引用)



ブッシュとブレアを国際刑事裁判所で裁くべきというツツ元大司教の主張

2003年、米英によるイラク侵攻が始まったときからブッシュとブレアを国際刑事裁判所で裁こうという呼びかけは一部に聞かれたが、米国が国際刑事裁判所規程を批准していないという事情のせいだろう、そういう声はいつしか立ち消えになっていたと思うが、先日、思いがけなく下記のニュースに接した。

「 ツツ元大主教 英元首相との同席拒否
 南アフリカのノーベル平和賞受賞者のツツ元大主教は、アメリカのブッシュ前大統領やイギリスのブレア元首相がイラク戦争を引き起こしたことで、現在の中東の混乱の原因をつくったと批判し、ブレア元首相と共に出席する予定だった国際会議を欠席しました。
 南アフリカのツツ元大主教は、かつて人種隔離政策=アパルトヘイトの撤廃に取り組み、1984年にノーベル平和賞を受賞した平和運動家です。 ツツ元大主教は、先月30日、ヨハネスブルクで世界の各界のリーダーを集めた会議に出席する予定でしたが、イギリスのブレア元首相との同席を拒否して欠席しました。 ツツ元大主教は、2日付けのイギリスの新聞「オブザーバー」に寄稿し、「イラクが大量破壊兵器を保有するといううそに基づいたイラクへの侵攻が、世界を不安定にし分裂させた」と指摘し、アメリカのブッシュ前大統領やイギリスのブレア元首相がイラク戦争を引き起こしたことで現在の中東の混乱の原因をつくり、結果としてシリアやイランを巡る緊張も招いたと批判しました。 これを受けて、ブレア元首相は声明を出し、ツツ元大主教の姿勢を「残念だ」としたうえで、イラク戦争に踏み切った経緯について、「道徳的にも政治的にも容易でない決断だった」と改めて釈明しました。」 (「NHK」9月2日 23時14分)

「 米英両元首脳の訴追求める=イラク開戦の罪で国際刑事裁へ −ツツ元大主教
 1984年にノーベル平和賞を受賞した南アフリカのツツ元大主教は2日付の英紙オブザーバー(電子版)に寄稿し、2003年のイラク戦争開戦の責任を問い、ブレア元英首相とブッシュ前米大統領をオランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)に訴追するよう呼び掛けた。「イラクで失われた人命への責任を負う者は、ハーグで現在、責任を問われているアフリカやアジアの指導者らと同じ道を歩むべきだ」と訴えている。 ツツ元大主教は、ブレア、ブッシュ両氏が「大量破壊兵器が存在する」と世界を欺いて開始したイラク戦争が現在の中東不安定化の遠因だと主張。「シリアもイランも今の窮地に世界を追い込んだのはこの二人だ」と批判した。 」(「時事通信」2012/09/03)


「ツツ元大司教」については、藤永茂氏のブログ「私の闇の奥」の『 AK-47 as WMD 』( 2007/02/07 )という記事にも「 南アフリカの大司教デスモンド・トゥトゥ 」との名でその発言が記述されている。アフリカ大陸には1億以上もの小型銃火器が分布し、とりわけコンゴにはそれが溢れていて、その中で数的にダントツなのがAK-47という小銃だそうで、この小銃は「 砂や泥水にまみれても簡単な手入れで直ぐに使え、少年少女にも容易に取り扱えるのだそうです。その「長所」がアフリカの少年少女に大きな悲劇をもたらしています。アフリカでは30万以上の少年少女たちがいたいけな「兵士」に仕立てられて内戦に狩り出され、その結果、4百万人の子供たちが殺され、8百万人が不具者となり、千五百万人が家を失ったというユニセフの報告があります。 」、「 アフリカから何が持ち出され、何がアフリカに持ち込まれているか。このトータルなマクロな収支構造にこそ私たちの視線が凝集されなければなりません。アフリカに関する世界の列強諸国のソロバン勘定は、この200年間、構造的には何も変わってはいないのです。2006年10月のロンドンのタイムズ紙に、南アフリカの大司教デスモンド・トゥトゥ(ノーベル平和賞受賞者)は、アフィリカでの小型銃火器交易の現状を“the modern day slave trade which is out of control”と書いています。彼にすれば、200年ではなく、過去500年間同じことが続いていると言いたいのでしょう。 」

NHKの記事には、ツツ氏がブッシュとブレアを国際司法裁判所に訴追する呼びかけを行なったとは出ていないが、「ロシアの声」にも「 デズモンド・ムピロ・ツツ元大主教は、 英国のブレア元首相と米国のブッシュ前大統領をイラク戦争に対する責任で法廷で裁くことを支持する意向を示唆した」とあるので、「 国際司法裁判所に訴追するよう呼び掛けた 」との時事通信の記事内容に誤りはないと思われる。実際、イラク侵攻の唯一の理由であったはずの「イラクの大量破壊兵器保有」が嘘であったにもかかわらず、攻撃の首謀者たちがその後公的に何の責任も負わず、問われず、平気で平穏な日常生活を送っていられるという法はない。イラクでは彼らの無法な決断によって何万、何十万もの人々がいわれもなく殺され、死んでいかなければならなかった 。現在イラクの街々は上下水道を始めとした各種インフラが破壊され尽くし、清潔な水を手に入れることのできる人は限られているという。その「失われた人命」や平和の破壊に対してブッシュやラムズフェルドやブレアらが実質的に具体的に罪を問われなかったことは、昨年来のリビアやシリア攻撃を見ていると感じずにいられないのだが、米英に一片の反省を促すどころか、「これで通る」という、味を占めさせる結果になっているように思える。リビア、シリアときて、その後にはイラン攻撃が米国の既定路線だという声も聞こえてくる。ツツ氏の「「大量破壊兵器が存在する」と世界を欺いて開始したイラク戦争が現在の中東不安定化の遠因」「シリアもイランも今の窮地に世界を追い込んだのはこの二人」であり、したがって「 ブレア元英首相とブッシュ前米大統領をオランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)に訴追する」べきとの今回の主張は時宜にも道理にも叶っているように思う。

米国が国際刑事裁判所規程を批准しなかった理由は、イラク攻撃に至る経緯とその結果を見れば一目瞭然だ。国連憲章などの国際法の規程は米国にとって軍事行動の基準にはならず、たまたまある法が自国の行動を正当化できる場合はその権威を利用するというに過ぎないのだ。イラク攻撃は一方的な言いがかりによる完全に不法、不公正な侵略行為で、その結果、イラクの普通の人々が無惨に殺戮され、国中の何もかもが取り返しのつかないほどに痛めつけられた。そもそも2003年当時、湾岸戦争以降の米国の経済制裁によって、イラクの乳幼児死亡者数は百万人を超え、軍事力はイラクよりはるかに小国であるカタールの十分の一にまで落ちていたという。マデレーン・オルブライトがテレビ出演で、イラク経済制裁ではこれまでに50万人の子どもが死んだと聞いている。それだけの犠牲を払う価値がある行為なのか、と問われて「思うに、それだけの価値はあるのです」と答えたのは、この間の2006年であった。こういう発言をするオルブライトという女性には子どもがいないのかと思ったら、3人の子持ちなのだという。こういう有り様では、英米のイラク攻撃が絶望的な憎悪による新たな多数のテロリストをつくり出し、テロ攻撃をそれ以前の十倍に増やしたという結果に不思議はないだろう。 もっともこのことは開戦前から多くの人が予測、懸命に警告を発していたことだったと記憶するが…。

昨年米欧の空軍はリビアで一万回近く出動し、国内のすべてのインフラを滅茶苦茶に破壊することでカダフィ政権を倒したが、その中核を担った米国と英国はそれぞれ現在自国民に対してリビア訪問を止めるように通達を出しているのだという。「リビヤのカダフィ政権が転覆させられて以来、リビヤは「民主国家」になるどころか、無秩序と暴力が蔓延する国になりつつある。このカダフィ政権転覆を主導した当のアメリカでさえ、国務省がアメリカ人の旅行者に、「リビヤには行くな」と警告を発するほどになっている。」(米国のこの警告はリビア駐在の米国大使および職員が殺害された9月11日の事件の大分前のものである。)、 「英国の外務省の公式な旅行アドバイスを見ても「余程の必要がない限り、リビアは危険だから行くな」と書いてあります。」。リビアをそういう危険きわまりない国にしたのは、一体どこの誰なのだろう?

イラク攻撃の理由、攻撃に至る経緯、攻撃の実態、結果、等々を詳細に徹底的に掘り下げて米国の戦略の実態、その本質を明らかにすることは人類の今後の健全な生存のために不可欠なことではないかと思う。これは米国に理不尽な言いがかりを付けられて攻撃の対象とされる国と人々の救いとなるだけではないと思う。米国と同盟関係を持つ国の政府は米国の思惑に沿うことが何より優先、日本政府などは米国の機嫌を損ねることを怖れて自国民を犠牲の山羊として米国に差し出して恬として恥じないことは沖縄の現状を見れば分かる。その結果、政治家の責任感と良心の磨滅はもとより、思考力、判断力、交渉力、何をとっても時とともにいよいよ低下し、稚拙・低劣になっていく。韓国にも同じことがいえるように思える。ブッシュとブレアを国際刑事裁判所で裁くべきというツツ元大司教の提言がもし国際刑事裁判所の一世一代の英断によって受け容れられるようなことになれば、おそらく世界中のあちらこちらで希望が生まれでるように思う。

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無道徳な野獣たち

「新ベンチャー革命」から一部転載。
わりと有名なブログのようだから、わざわざ転載するまでもないかもしれないが、「週刊新潮の未必の故意」という角度から松下金融相の死を取り上げたのは珍しいので、転載する。
とは言っても、マスコミなんてそんなもので、他人の尻にくっついて「お前は幾つ屁をひった、幾つ屁をひった」(©漱石)と数えてはそれを雑誌や新聞に書くのが商売のようなものだ。他人の死も「おいしい材料」の一つであり、それで雑誌が売れるなら、これから誰かが殺されるのを見殺しにするのもマスコミ人種としては普通だろう。
バルザックの『幻滅』の主人公の詩人(リュシアンと言ったか)が、マスコミの求めに応じて、今死んだばかりの恋人の死体の横で必死になってコミックソングを作るという情景が、マスコミの本質を象徴している。(これも大昔に読んだ記憶で書いているので、間違っているかもしれないが、まあ、いい加減なことばかり書くのは私の個性である、と承知してもらいたい。エヘン)
しかし、ネット上での意見の9割以上は、松下金融相の死は他殺である、というものだが、そういう状況に対して別に大声をあげるわけでもない。国民全体が国家犯罪に対して不感症になっている気配があって、そっちの方が、むしろ問題だろう。
警察も検察も犯行者やその指令者とグル、あるいはその手下なんだから、どうしようもない、というあきらめである。これほどに社会の根本的システムへの不信感が蔓延した時代、ニヒリズムに覆われた時代、というのは、私が生きている限りでは初めてのような気がする。国民の大多数は知ること、言うことだけで自己完結し、体を張った改革的行動には至らぬままで終わり、という時代だ。(それはもちろん、私も含めてだ)
つまり、人々が「偽りの現実」に気づいた結果は、革命に向わずに、あきらめとニヒリズムに向っている、というように私には見える。そういう時代には、体を張って行動する人間は、それだけでも評価される。
橋下の正体にしても、その本質的邪悪さは分かっていながら、面白いからあいつにこの社会をぶっ壊させろ、という人間が、特に若い人には多いのではないだろうか。
しかし、そういう投げやりな無責任さは、ロクな結果にはならない、と予言しておこう。モラルの無い人間を社会や組織の上位に置くことは、最悪の選択なのである。
政治家は悪人でも有能ならばいい、というのは大間違いであり、それは「悪人」の定義を矮小化した言説である。悪人とは、究極のエゴイストのことであり、そういう人間の行う政治が社会全体に奉仕するものになることはありえない。
簡単なたとえで言えば、石原慎太郎の『完全な遊戯』の強姦殺人犯の青年たちが、口がうまく、頭がいいとすれば、総理大臣や東京都知事や大阪市長にしてもいいか、ということである。
ついでに言えば、この種の人間は常に人口の3%は確実にいるもので、戦場において有能な殺し屋になるのも、そういう連中だそうである。全国のいじめ事件の中心にいるのは、たいていそういう連中だろう。生まれつきモラルの欠如した連中である。青山学院中学の例の事件の指令犯の女、実行犯の男たちもその3%だろう。あれなど、精神が腐り切っている、という点では滋賀県のいじめ自殺事件よりもひどい事件である。そして、その精神は石原慎太郎が若い頃に書いた『処刑の部屋』や『完全な遊戯』の登場人物たちによく似ているのである。すなわち、人間の皮をかぶったケダモノである。



(以下引用)


われら国民は、よほど、彼らになめられているのでしょう、だから、この事件を自殺に持っていこうとする筋書きが丸見えなわけです。手口が荒っぽすぎます。彼らはお人好し日本国民なぞ簡単にだませると内心で愚弄している証拠です。
 週刊新潮が、誰の指図で、松下スキャンダル記事を本人の不審死直後、タイミングよくスクープ掲載したのか、そのルーツを警視庁は辿るべきですが、おそらく、警視庁はしないでしょう、彼らを超越する勢力がこの事件に絡んでいるはずだからです。先の、戦場カメラウーマン・山本美香暗殺事件(注3)と同じです。
 松下氏には失礼ですが、筆者が週刊新潮の編集者であったら、何者かが持ち込んだ松下氏の女性スキャンダル・ネタを記事にするのは躊躇するでしょう、なぜなら、松下氏を知っている国民は、同氏の地元・鹿児島県民くらいのものであり、松下氏は決して、全国的に知られた政治家ではありません。普通なら、このスクープ記事を載せても、国民はその週刊誌を買ってくれないのです。われら国民は、知らない人物の女性スキャンダルには興味ありませんから。
 しかしながら、その松下氏が“いずれ自殺する”ことを週刊新潮編集者が薄々、知らされていたらどうでしょうか。筆者が編集者だったら、飛びつきます、確実にその週刊誌は売れるからです。
 したがって、松下スキャンダルを大々的に取り上げた週刊新潮は“未必の故意”で、事前に、松下氏の自殺(?)を知っていたと考えるのが自然です。同週刊誌の今週号は俄然、注目され大売れするでしょう。彼らはウハウハです。
 ところで、先日起きた戦場カメラウーマン・山本美香氏殺害事件に関しても、日本のマスコミは彼女が殺されるかもしれないことを事前に知っていて、彼女をシリアに派遣した疑惑が濃厚です(注4)。もしそうであれば、松下金融相不審死事件と山本美香さん殺害事件は両者、悪徳マスコミの“未必の故意”犯罪が成立するのではないかと疑われます。


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橋下は日本人のモラルレベルの象徴である

「暗黒夜考」から一部転載。
とにかく、橋下だけは、本物の怪物化する前に潰しておかないと日本は滅びる、と私は思っているので、橋下関連の記事がどうしても多くなる。
本当は、このブログには「医療」「雇用」「風流」の記事を中心的に書こうとは思っているのだが、最近は特に橋下の活動やそれをデカデカと報道するマスコミの姿勢があまりにウザい。それに比例してこちらも書かざるをえない。
で、「暗黒夜考」氏が、橋下のどこが危険なのかを例によって見事な筆で一刀両断しているので、それを引用した次第だ。
橋下が政治改革をする、と期待している人は多いだろうが、その政治改革が「国民搾取」「国民貧困化の増進」にならないと、なぜ能天気に信じられるのだろう。彼の独裁者体質が改革に適している、というのは確かだが、それは彼が「いい方向に」改革するという前提でのみ許容できる話だ。
だが、今よりもっと悪い状態にするのが、彼の「改革」だと私は断言しておく。
それは彼の「弱者いじめ」「強者へのごますり」「目的のためには悪事を平気で行う」「平気で嘘をつく」「恥というものを知らない」という体質そのものが丸見えであるからだ。
つまり、彼は本来ならば暴力団やサラ金お抱えの悪徳弁護士であるのが天職であった人間なのだ。
そういう人間がタレントになり、政治家になり、やがては総理になろうとしているというのが今の日本なのである。
それは今の日本人のモラルのレベルが、橋下の言動を見ても何も不快感を感じないほど最悪のレベルにある、ということだ。



(以下引用)


いずれにしろ、民主党政権がこのままのらりくらりと延命した場合でも、総選挙にて自民が与党に復帰した場合でも、財務省のパペットたる新政権が誕生するのである。

そして危惧されるのが、自民党(民主は尚更)による単独政権など望みようもない故、今、日本で最も危険な政治家と言ってもよい橋下徹率いる「日本維新の会」がその新連立政権(勿論公明党も)に合流し、究極の「独裁政権」が誕生することであろう。

「具体的に橋下徹の何が危険なのか?」について話し出すと話がえらく長くなってしまうので、要点だけを簡潔に述べると、橋下徹・維新の会は具体的数値に欠ける「維新八策」なる売国政策を掲げている上に、総選挙で勝利すれば「白紙委任」を得たと解釈・判断し、自身の独断で総てを決めると公言しているのである。

国民に向けて「いまの政治に一番重要なことは独裁」と叫び、「白紙委任」などということを平然と言ってのけるような政治家は、歴史的にみても、ナチスドイツのヒットラーぐらいなものであろう。

橋下維新の会が国政を握るようなことがあれば、「白紙委任」の下で、「TPP参加」「憲法改悪」「原子力政策の継続」をはじめとする数々の売国政策が次々に実現されることは火をみるより明らかである。

然るに、「どの党も信頼できないから、一度、橋下徹にやらせてみよう」などという安易な気持ちでこれを支持することは非常に危険であることを、我々有権者はよくよく理解する必要があるであろう。

ちなみに、財務省(官僚)・マスゴミと、橋下徹を裏側で支援する統一教会・笹川財団や朝鮮系企業が”グル”となって政党を担ぎ上げるという構図は、かつて自民党が政権与党としての基盤を築き上げた際とまったく同様の構図である。

歴史は繰り返す、まさに数十年前に日本で起きた政変劇が再び展開されようとしているのである。

今回は更にここに「幸福の科学」も加わるというのであるから、これはもう”ガチ”でアウトであろう。

最後に蛇足ながら、ネット上における支持率調査で圧倒的支持を得ている小沢一郎率いる「国民の生活が第一」が、民主・自民に変わる”第3極”としてまったく報道されることなく黙殺されているのは、当然、財務官僚や宗主国アメリカとこれに与する者どもが有権者の意識を小沢新党から逸らし、「注目度が低く、すでに終わった政治家」との印象操作をおこなう目的であることは”言わずもがな”であろう。

「何故か?」

それは、小沢一郎らが官僚機構やアメリカの言うことを聞かない”真の政敵”だからという実にシンプルな話である。



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殺人者の思想と自死の思想(追加分あり)

私はよく重病者や高齢者に自殺の便宜を与えろ、過剰な延命治療はするな、と主張しているのだが、それは要するに、「これ以上生きていたくない」と思う人間には、その希望をかなえてやればいい、ということだ。それによって医療崩壊、年金崩壊の現実も回避できるわけで、誰にも損はない。まあ、過剰医療が金儲けのネタである医療業界には損になるだろうが、その結果が医療の偏り、医師の過重労働と勤務医不足、医療崩壊の現実ではないか。
しかし、同じような事を石原ノブテルが言っているとなると、何だか自分が恥ずかしいことを言っているような気分になる。俺もあの右翼一家と同じ思想であったのか、という気持ちだ。
まあ、私は確かに生命軽視の発言が多いかもしれないが、それは偽善的ヒューマニズムで商売をする世間の風潮への皮肉と、「死にたい人間を死なせてやることで、社会全体、特に下層階級が経済的に助かる」という子供っぽい合理的思考からである。要するに、家族の中に認知症老人などの被介護者が一人いるだけで、その家族は経済的に困窮する、ということである。それでもなおかつ、そのボケ老人の生命は延々と維持しなくてはならないのか、と私は疑問に思うわけだ。そもそも、認知症になった段階で、それは人間と言えるのだろうか。私は、自分が認知症になれば、ぜひ殺処理してほしい、と前々からブログなどで言っているのである。それが家族のためだし、自分でもその方が救われる。
まあ、お前の書いている文章自体が認知症的文章だよ、と言われるかもしれないが。


(以下「ネットゲリラ」より引用)


尊厳死で社会保障費削減!自民党です
野次馬 (2012年9月11日 23:40) | コメント(5)
報道ステーションのイシハラ、おいらも見ていたんだが、実に酷かった。特に尊厳死。医療費増大について問われると、後期高齢者は社会のお荷物だから殺してしまえ、という論理。自分の親父を殺してから、そういう寝言は口にしてくれ。まぁ、自民党も「娘が東電・イシバ」と「オヤジがシンタロ・イシハラ」では、浮かぶ瀬がありませんね。つうか、自民党の議員て、なんで全員、上から目線で悪口垂れ流すヤツばかりなんだろう。捻くれた無能力者という印象しか与えないので、もうちょっと考えた方がいいよ。


石原伸晃が自民総裁じゃあダメってことは分かった /報ステ
1 セルカークレックス(公衆) 2012/09/11(火) 22:22:46.80 ID:/llH6Ydu0

自民総裁選:石原氏 「汚名」が先行、多難な選挙戦に

 自民党の石原伸晃幹事長(55)は11日、党総裁選への出馬表明で谷垣禎一総裁(67)の「後継」を強調した。
党執行部系の「本命」候補として満を持して名乗りを上げるはずが、執行部トップの谷垣氏を裏切った「汚名」が先行。
派閥の支援で国会議員票を固めつつあることも「派閥長老寄り」を印象づけ、マイナスイメージの払拭(ふっしょく)に躍起にならざるを得ない多難な選挙戦のスタートとなった。
19 ぬこ(東京都) 2012/09/11(火) 22:26:49.06 ID:t+4jJbvH0
報捨て見てたが、ノブテルは駄目だろうw
こんな奴が総理やったらマジで日本が終わる。
ポッポに勝るとも劣らない破壊力だ。
20 ウンピョウ(宮城県) 2012/09/11(火) 22:26:49.51 ID:2gvumGBo0
社会保障費削減の話題でナマポ取り締まりと尊厳死の話をする政治家って・・・
21 ヒョウ(やわらか銀行) 2012/09/11(火) 22:26:53.25 ID:7GmD7z5/0
石原の意見
原発→三年間専門家に協議してもらって再稼働とか決める
尖閣→灯台建てる
生活保護→尊厳死施設作る
29 バリニーズ(大阪府). 2012/09/11(火) 22:28:25.09 ID:TK7qnI6f0
自民党もダメ民主党もダメ公明党は宗教だから論外どうするよこれ(w

92 イエネコ(やわらか銀行) 2012/09/11(火) 22:42:05.60 ID:MM+1dsl00
こいつ尊厳死って意味を分かってないんじゃないの?
112 ハイイロネコ(兵庫県). 2012/09/11(火) 22:46:07.90 ID:ZA10hGOQ0
貧困層は尊厳をもって死ね
115 マヌルネコ(宮城県). 2012/09/11(火) 22:47:54.99 ID:lumLgR2S0
119 サビイロネコ(SB-iPhone). 2012/09/11(火) 22:49:37.72 ID:P+kuedghP
難しいが尊厳死はやってほしいな
動けなくなった寝たきり婆ちゃんが
ずっと死にたいと言いながら3年チューブで生かされて辛かった
121 ジャガーネコ(WiMAX). 2012/09/11(火) 22:50:01.62 ID:htDglsja0
尖閣で「中国は攻めて来ないですよ~w」とか言っちゃったからなw
日米同盟がただの利権だとばらしちゃった
127 ライオン(愛知県) 2012/09/11(火) 22:51:50.38 ID:wg0v1KaJ0
尊厳死の発言は評価できるでしょ
全国の医療関係者(開業医除く)はもれなく賛成すると思うよ
正直嫌いだったけど、医師会を敵にまわして本気で尊厳死法案に取り組むなら
こいつが次の総理でも良いかもしれない
129 アメリカンワイヤーヘア(東京都). 2012/09/11(火) 22:52:12.33 ID:i7MlF/u90
これだけ高飛車なら俺たちのような下々の民草のことなんぞ眼中に無いだろw
貴族院議員みたいなヤツだな
132 コーニッシュレック(公衆). 2012/09/11(火) 22:53:14.19 ID:rKxVlGKx0
本当、印象悪かった。偉そうにしかも怒ってる感じで話すし、
具体的なことは何にも言わない。
こいつが総裁になったら、自民には投票しない。
135 ジャガーネコ(WiMAX). 2012/09/11(火) 22:54:53.93 ID:htDglsja0
みてないやつは動画みたらわかるよ
焦ったのかファビョって急に脈絡のない話とかしだすし引くレベルw
137 ジャガランディ(神奈川県). 2012/09/11(火) 22:55:08.22 ID:aaQ3zuuL0
ナマポ狩に尊厳死
怖えよほんとうに
138 猫又(鳥羽) 2012/09/11(火) 22:55:14.33 ID:/7WZCRS3P
こいつを総裁にするのは自殺行為だ
わかってるな?自民の古狸ども
142 ジャガーネコ(WiMAX). 2012/09/11(火) 22:56:45.46 ID:htDglsja0
これは影響大じゃないかw
今まで石原支持に傾いてたやつ、考え変わったと思うよ
頭空っぽなんだろうな本当に
146 茶トラ(WiMAX). 2012/09/11(火) 22:58:35.04 ID:lk7boi1W0
マジかよ...
ニュー速民の意見がここまで一致するのは気持ち悪いなw
動画を見てみたいわ
あと、+民のノビテル擁護を
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(引用2)*「泉の波立ち」に引用されていた文章の孫引き引用である。こういう文章を見ても、ボケ老人や末期癌患者の延命治療が、医師不足・看護師不足で失われる「救えたはずの生命」以上に大切だと思うだろうか?



■ナースのお仕事
あたし・・・実は・・・ナースなんだ。
ずっと、黙ってて、ごめん。・・・隠してて、ごめん。
でも、どうしても言えなかったの。
あたしがナースだって知ったら、きっとみんな離れていっちゃうって思って。こわくて。
わかってる。わかってるよ。
ナースは国家試験を通った人だけがなることができる、人の命に関わる重要な任務だって。
でもね・・。
でもね、全然ちがうんだよ。
あたし、みんなが思ってるようなキレイなものじゃないんだよ。
あたしは汚れている。
あたしの手は、汚れているんだよ。
ナースになったとき、すごく嬉しかった。天使になったような気でいたの。
あたし馬鹿だから、人の命を救うんだ!なんて、本気で思ってた。
でもね、全然違ったんだよ。
国から言い渡されたナースの任務は全く別のものだった。
人の命を、まるでナイチンゲールのように平等に助けるようなものじゃなかった。
あたしたちナースに課せられた任務、・・・・それは、ふるいわけ だった。
生きるべき命と、それ以外の命のふるいわけ。
あたしたちは医師の命令が無いかぎり、何一つの医療行為もできない。
苦しいとナースコールを押し続ける人がいても、
あたしたちには薬も酸素も与えることはできないの。
ただ、ただ、走って先生を呼びに行くだけ。そして伝えるだけ。
でもね、この国の「先生」は非常に貴重な存在。
医師は稀有な存在。
夜なんかになれば、一つの病院に一人か二人とかしかいないの。
たくさんのナースたちが、一人の先生に群がっていた。
「先生、吐いている人がいます!」
「先生、胸が苦しい人がいます!」
「先生、脈が弱い人がいます!」
「先生、腹痛でもがいてる人がいます!」
懸命にナースたちが叫んでた。
でも医師は一人。
 ……
必死にあたしもふるい分けた。
今、一番いのちの危険がある人から、一番苦痛を感じている人から、手を差し伸べなきゃ。
「苦しい、苦しい、苦しい」と言う人のとこに走ったよ。
唇から色が消えていた。冷や汗をかいていた。
あたしは心臓だ!と思った。
一刻を争う病態。先生に聞いてる時間は無かったの。
あたしは医師の指示を待たずに心電図の検査をした。狭心症の波形だった。
急いで先生に連絡した。
「狭心症の波形です。ニトロ内服させていいですか?!」
「いや、波形を見ないとわからない、ただこっちの処置があるから、10分後に行く」
患者は胸を掻きむしるようにしていた。
「待てません!飲ませます!」
あたしは医師の指示無くニトロを内服させた。患者の苦しさはスッと納まった。
それは駄目なことだったけど、一人の患者を救ったことに、あたしは浮かれてたの。
貧相な正義感をぶら下げて、意気揚々とナースステーションに戻ってきたの。
ナースステーションの・・・・
ナースステーションのモニターの一台の波形が、フラットになってた。
あたしは急いで病室に飛んだよ。
でも、亡くなってた。
喋れない患者さんだった。
ナースコールも押せない人だった。
あたしは、その日、目の前の苦しい人に夢中で、モニターなんか見てなかった。
先生は患者の家族に「いつ何があってもおかしくないご年齢でしたから・・」と告げた。
患者の家族は「ありがとうございました」と涙を浮かべて頭を下げた。
そして、あたしにも「看護婦さん、ありがとね」と言ったの。
「まぁ、・・・歳だったし、家にも帰れないって言ってたからなー」
と先生があたしの背中ごしに言った。
あたしはモニターの記録を見てたの。
その記録には、波形が狭心症から心筋梗塞となり心停止するさまがしっかりと記録されていた。
歳だから死んだんじゃない、そこには心筋梗塞で死んでく命があった。
でも、そんなこと全部まるめこんで、死んじゃって仕方ないっていう命が、そこにはあったんだ。
似たようなことはざらにあった。
何人もの人が、私の手のひらから零れていったよ。
ナースって・・ほんと、なんなんだろうね・・・。
ナースなんて、なんの治療も許されていないのに、
くすり一粒すら出せないのに、
検査一つ指示できないのに、
命に関わることなんて、一つも独立してできないのに、
患者さんが持たされてるのはナースコールだけなんだよ。
どんなに辛くてもナースしか呼べないなんて。
医療が崩壊していく。
全然止められない速度で。
その砂上の城で、あたしは見てるんだ。
沈んでいく人の命を。
それがね、2008年版 ナースのお仕事。
( → はてな匿名ダイアリー )







(追加)「NAVERまとめ」より、石原発言の書き起こしと私の感想。


▼報道ステーション 今回の問題発言の書き起こし

古舘
 これぜひ具体的にお伺いしたい。社会保障もどんどん増えています。
 これはある部分で切るモノは切らなくてはならない、削るモノは削らなくては行かないというお考えでいけばですね、具体的に高齢者医療の自己負担を、例えば70歳から75歳くらいまでで上げる。
 或いはまた後期高齢者をどうするか、或いはまた色んな自己負担の在り方。
 富裕層に対しては自己負担率をお年寄りに上げてもらうとか、そのあたり具体的にお伺いしたいんですね。間に合わないのはわかっていますから、みんな。

石原(伸)
 これを今度の法律では1年かかって国民会議でどういう負担にしようか決めようという枠組みになっているんです。
 こうすれば良いという考え方は、個人的にあります。しかしそれは、個人の考え方だから。その通りなるかどうかわからない。

古舘
 だからそのお考えをお聞かせください。

石原(伸)
 私がその場所にいったら、その話をさせていただきたい。例えば。

古舘
 今言えないんですか?

石原(伸)
 言えますよ、例えば。
 40万人受給者が増えた生活保護費。
 これは生活保護ビジネスみたいなものがあって、5万円以上の家賃を払って、タコ部屋のような所に押し込まれている人たちは可哀想です。
 東京都なんかは、廉価で5,000円程度なんですけども、都営の住宅を2LDKで60平米ぐらいの所を供給している。
 こういうことで本当に困っている人たちに衣食住手を差し伸べる。

※廉価…値段が安いこと、安い値段

★問題発言★
石原(伸)
 やっぱりそういうモノに変えていけば、「ナマポ」。古舘さんもご存じだとは思いますけども。
 「ゲットしちゃった」「簡単よ」「どこどこへ行けば簡単にもらえるわよ」こういうことをですね、是正することを私はできると思う。

※生活保護を「ナマポ」と言っている点も問題視されている

古舘
 どれくらい浮くんですか、今のお話で。

石原(伸)
 私たちの試算ではマイナス8000億です。
 この他にもまだあります。
★ポイント★
 ただこれは単純に言うとね。非常に誤解を招きますんで。
 ※自分で誤解を招くことを事前に伝えている※

古舘
 でもね、これは総理を目指している・・・(石原氏がしゃべり始めフェイドアウト)

★問題発言★
石原(伸)
 一言だけ言わせていただくと、私は尊厳死協会に入ろうと思っているんです。尊厳死協会に。
 やっぱりターミナルケア。これからどうするのか。日本だけです。
★私誤解を招いたんです、この発言で。
 私はやっぱり生きる尊厳。そういうものをですね、いったいどこへ置くのか。
 こういうことも考えていく、そこに色々な答えがあるんじゃないでしょうか。


古舘
 まあ、これはそうやってある程度尊厳死を認めることで、医療費をカットするというお金の方に行くことに誤解を受ける部分があるから、非常に慎重にこれからってことなんですね。

石原(伸)
 そうです、はい。
 仰るとおりですよ。これは個人の意思ですよ。

古舘
 なるほど。

ここで話は終了



[私の感想]

根が正直で、自分のふだん考えていることをそのまま言ってしまった、という感じである。
普通の社会人ならこういう発言も(私のように)ただの変人で済むが、一言一言が社会に影響を持つ仕事である政治家にしてはいけない人間だろう。もっとも、橋下のように嘘ばかりついていてもマスコミ自体がバックにいれば、何も問題にはならないわけで、どうでもいいような一言で政治生命を奪われる政治家もいれば、明らかな民主主義否定、国民主権否定発言をしてもまったく咎められない政治家もいる。ユダヤプロトコル通り、マスコミを支配すれば、何でもやりほうだい、ということである。
石原発言については、べつに「高齢者を殺して社会保障費用を減らす」とは言ってはいないようだ。文脈からしてそういう「底意」がある、ということになっているのだろうが、そう読み取るのは、あまりにも「国語読解力」がありすぎるのではないか。古館の言葉のために、老人殺害で社会保障費削減、という文脈になったように私には見える。まあ、実際、石原もそのつもりではあるのだろうが、そう「明言」はしていない。野球の打者のハーフスィングのようなもので、彼の発言部分だけでアウトかセーフかと言えば、セーフだろう。石原嫌いの人間がそれを「アウト」にするために騒いでいる感がある。
念のために言うが、私は石原慎太郎が大嫌いであり、自民党が大嫌いなのだから、石原ノブテルも嫌いである。また、自分が「尊厳死」推進派だから、彼を擁護するという気持ちもない。
それよりも、曖昧な「空気」で一人の人間を断罪し、社会的人格を抹殺するという日本社会の在り方の方に危惧を覚えるのである。それなら、小沢一郎抹殺陰謀の一連のマスコミ・検察の行動と同じことではないか。
石原ノブテルが高齢者全員を屠殺場に送るというアイデアを持っているなら、それはそれでいいと私は思う。それが良いか悪いかを決めるのは国民の選挙行動だ。もちろん、政治家も経済人も全部含めて屠殺するのが大前提であるべきだろう。

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自分の馬鹿面やアドレスを自らネットにさらす勇敢な人々

「ヤフーニュース」から転載。
こういう記事は「社会的脅迫」と言うべきだろう。記事中にもある「同調圧力」も似た意味だが、「圧力」よりは「脅迫」であり、しかもマスコミを使って社会全体を脅迫しているのである。
私などのように社会の第一線から退いた人間ならこうした脅しに屈する必要も無いが、これから社会に出ようとする若者、社会の中で現に働いている人にはこの脅しは効く。そして、フェイスブックが社会全体を縛り付けていく。
フェイスブックの持つ「個人情報を自ら公開することの危険性」については、これまでも無数の人が警鐘を鳴らしており、一過性の流行で終わると私などは思っていたが、こうした「社会的脅迫」や「同調圧力」によって、むしろ社会全体に急速に広がり、浸透しているようだ。
自分の個人情報を知られてもデメリットなど感じない、むしろ自分を社会にアピールし、社会的地位を上昇させるのに役立つ、と思っている人も多いのだろう。いや、フェイスブック使用者の大半は多分そういう人間だ。そして、「社会が要求するから仕方なしに使っている」という人間が残りである。
フェイスブックでは、フェイスブック内の知人や読者の数が一種のステイタスになっているようだが、これも気味が悪い。
「人脈」という言葉の持つニュアンスから分かるように、知人や友人の数は個人資産の一種としてとらえられているようだ。私のような人間からすればそういう「打算的付き合い」は嫌悪感が先に立つのだが。それに、フェイスブック上の知り合いが何千人いようが、架空現実上の話でしかない。
まあ、現代は『サマーウォーズ』のように、架空現実と本物の現実の相互浸食が深まっていることは確かだが、生身の人間と架空現実上の「作られた人格」とはまったく別だろう。私の人格も当然、このブログで書かれたものと同一ではない。
フェイスブック上の知り合いも、生身の知り合いも同じレベルとフェイスブック利用者は思っているのかもしれないし、あるいは逆に、現実の友人や肉親以上に、そういう架空現実上の知り合いだからこそ、自分の秘密の内面を平気で吐露できる、ということもあるだろう。それに、お互い作ったキャラだから、生身の付き合いとは違って、それぞれの「本物の」欠点は表面化しないことも多いだろう。
そして、就職などに際しては、フェイスブックに書き込まれた「架空の人格」を根拠として会社や企業がその人物を採用する、というわけだ。
いわゆる「自分のキャラを作る」という行為は、現代ではむしろ当たり前の行為なのかもしれない。いや、大昔から人間は他者に対しては(たとえ家庭内でも)常に演技をしてきたのだが、その「仮面」や「役割演技」が近代ではどんどん意識的なものになっているのだろう。昔なら、「父親らしく」「上役らしく」「リーダーらしく」という、立場や地位についての役割演技であったのが、今では「好青年らしく」「有能らしく」という売り込み用の役割演技や仮面が中心的になってきており、その状況に対して、ま正直な人間、虚偽の嫌いな人間は死ぬほど嫌悪を感じているような気がする。
以上、私はフェイスブックなどやっていないので、事実に合わないことが多いとは思うが、直観的に見て、フェイスブックは人間の個人的部分にまで社会が入り込むものであるから、一部の、もともと内向的な人間を神経症的にする可能性が高いと私は思っている。四六時中、「人とつながっている」ことが好きな人間、露出狂の人間には向いたメディアではある。
しかし、犯罪に利用される可能性が高いのに、社会がそれを強制すること自体が犯罪的であるし、フェイスブックが人民監視や人民選別に利用されているのは確実だと思う。
ついでに言うと、引用した元記事では、その真ん中にフェイスブックのCM(フェイスブックを使いましょう)が堂々と掲載されていたのである。したがって、この記事の内容はフェイスブックに一歩を置いているようなニュアンスだが、実はフェイスブック推進CM記事でもあったのだ。



(以下引用)

フェイスブック未登録者は危ない」説に反発 「意地でもやらない!」
2012/9/ 8 10:00
ドイツの雑誌が書いた「フェイスブックをやっていない人は不審がられる」という記事が、イギリスのニュースサイトで紹介され、世界中で大きな反響を呼んでいる。
元記事によれば、アメリカやノルウェーの事件を始めとした「無差別大量殺人」の容疑者たちが、フェイスブックなどのSNSをほとんど利用していないことが、そういった見方のひとつの根拠とされている。
「同調圧力」に屈しない人材を探すべきでは

「Facebookを使うと、友達や同僚、同級生、仲間たちとつながりを深められます」
SNSはバーチャルなコミュニティとはいえ、現実社会の友人の多さなどが利用頻度に大きく関係する。心理学者は「友達がいない」ことが他の大量殺人犯にも共通しているとコメントしている。
その他にも、不適切な発言を繰り返したためにアカウントを削除されたのかもしれない、という見方もある。しかし、民間サービスのひとつに過ぎないフェイスブックが、ここまで注目されることには反発の声もある。
「そんなんで判断されてはたまったものではない」
「相互監視システムを作って楽しいのかなあ」
「そういうこと言うから、こっちは意地でもやりたくなくなるんだ」
とはいえ、利用者が増えるほど、自分は使っていないとは言いにくくなる。
「日本で例えるなら、高校生以上で携帯を持っていない奴見かけたとき、『そういう選択もありかな』と思えないのと一緒」
求人採用でも、フェイスブックに窓口を作る企業が急増しており、新卒採用をフェイスブックに限定する会社まで現れている。今の日本企業で求められているのは「同調圧力」に簡単に屈しない人材ではないか、という気もするのだが…。
人事担当者としては、協調性のあるフツーに感じのよい青年を採れれば安心なのかもしれないが、こういうご時勢にこそ「フェイスブック?使ってませんよ、意味ないですから」と堂々と答える人材を探してみてもいいのではないだろうか。

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亀井静香は元気一杯だ

「阿修羅」は、自分の意見を述べる掲示板と言うよりも、様々な政治経済情報を載せる「情報倉庫」化しているが、その中には時々珍しい情報もあるので、これはこれでいいのかもしれない。
昔の、個性的な面々が談論風発していた「阿修羅」も懐かしいのだが、あれが高級バーでの年寄りの政治談議だとすれば、今は大衆居酒屋での学生の情報交換と政治論争みたいなものだ。
で、そこに集まる情報の大半はクズ情報、とまでは言わなくても、陳腐な情報が多いのだが、中には今回載せる記事のように、私などが絶対に読まないタイプの雑誌に掲載されていた記事などもあるので、助かる。
人間はふつう、好悪の念で行動するから、どうしても情報を得る手段そのものが固定化し、視野が狭くなるのである。それを自ら自覚し、補正する必要がある。
さて、下記記事は、べつに新しい有益情報があるのではないが、亀井静香の現在の様子が分かる、というだけでも希少な情報ではある。
これを読む限りでは、亀井静香は元気なようだ。むしろ、政局の中心部から離れて、心の余裕もできたのではないか。私なんかだと、その居心地の良さに溺れて、すぐに隠居して園田の居に帰る、となりそうだが、彼はまだまだこの国を救う意欲に溢れているようで、それは日本という国にとって幸いである。
特に、石原慎太郎を見限ったらしいことには一安心した。
現実の渦中にいる人間にはかえって物事の本質が見えにくいもので、彼が石原を誤解、あるいは過大評価していたのも無理からぬところはある。

亀井静香の言う「統一戦線」は、小沢の「オリーブの木構想」と同じだろうが、さて、その「神輿」になるのは誰か。
私は、それが女性であるような気がする。少なくとも、女性が中心になって、日本の変革は起こると期待している。女性には、平和と安全と健康への本能的な希求があり、その本能性を象徴的な人物の下に集合的な力としてまとめることができれば、真の日本革命が起こるのではないだろうか。



(以下「阿修羅」より引用)



本澤二郎の「政治評論」“亀井静香が吠える”
http://www.asyura2.com/12/senkyo135/msg/539.html
投稿者 グッキー 日時 2012 年 9 月 09 日 21:32:59: Cbr3d6O9vj7Mc


本澤二郎の「政治評論」“亀井静香が吠える

<野田は狂っている!民主党は選挙前に過半数を割る、アメリカの召使はNO、ネット選挙で倒幕は成功する>

 久しぶり四谷3丁目の亀井静香事務所を訪ねた。10%消費税に突っ込む野田内閣を批判して、自ら立ち上げた国民新党さえも離脱、野党議員となった“政界再編男”の近況を聞くためだ。素浪人になった今を、本人も周辺も坂本竜馬にたとえている。石原新党工作に振り回された場面もあったが、いまや「石原は文士。狼少年」と突き放す余裕をみせる。今回のインタビューは、さしずめ「竜馬吠える」といったところか?


<先を見ない愚かな元部下たち>

 ご存知、亀井は10%NOを与党内で、連立を組む民主党と野田首相に激しく噛みついてきた。民意に反する大増税を、こともあろうに世界大不況下、しかも、大増税の前に為すべきことをしないで強行すれば、どうなるのか。警察官僚から自民党を歩いて新党を立ち上げた亀井でなくとも、その先が読める。10%引き上げても、深刻な年金福祉は変わらない。国民に新たな嘘をつく政治は許されるわけがない。
 連立解除を決断した。ところが、なんと後ろから仲間が鉄砲を打ってきた。これは彼の生涯の失敗だった。筆者が予想するに、こんな場合において血税である官房機密費が出動する。金だ。しかし、次の総選挙で100%落選する。筆者は「金に転ぶこともないだろう」と高をくくっていたのだが、実際は違った。
 政治家は金とポストで動く非理性的動物なのである。正義も正論も通用しない。今の代表・自見は元自民党中曽根派だ。沖縄の下地は、素性をみればどんな人物なのかわかりきっている。
 亀井は自ら立ち上げた国民新党を、自ら飛び出す形で決着を付けた。野田にしてやられたことになる。「仲間の教育が不十分だった。その責任を感じている。親子げんかは世間的にみっともいいものではない。まあ、(自見を)閣内に入れたりしたんだけどなあ」とやはり無念さは隠しきれない。利権で蠢く政治家を束ねる党首の座の厳しさを痛感したようだ。
 そもそも政治家の教育は不可能なのだ。政治家になる前に、とことん修業させるに尽きる。バッジを付けた後は無理なのだ。政治信条で行動する責任感のある政治家などいないのだから。
 要するに「与党にいることは居心地がいい。それだけだ」と吐き捨てる亀井である。改めて有権者は、愚か過ぎる人物が永田町を構成しているという現実を認識させられたのだ。

<アメリカの召使>

 「野田内閣はアメリカの召使」と決めつける亀井の指摘は正解である。召使にとって「アメリカ任せ」「居心地がいい」からだ。しかし、独立国の指導者が外国の召使では、国民はたまったものではない。売国奴政権はいらない。
 亀井に召使の意味を具体的に説明を求めた。
 「歴史をさかのぼる必要がある。日本はアメリカに占領されて66年、67年になる。それでいて日本は、未だに独立していない。独立のフリをしてきた。講和条約は形だけ。建て前に過ぎなかった」
 こうした正論を吐ける政治家が誕生したことを、筆者として、まずもって多くの国民と共に歓迎したい。政治記者時代に筆者は、福田赳夫側近NO1の田中龍夫から「日本は独立国ではない」と耳打ちされた時、その理由が理解できなかった。戦後教育の悪しき成果に呑み込まれていたからだ。しかし、岸内閣誕生の秘話や中曽根内閣、小泉内閣を子細に分析すると、そのことを実感として受け止めることが出来る。ロッキード事件はその悲劇の実例だろう。亀井にしても、ことによると小泉内閣のころからではないだろうか。

 田中角栄の娘婿から「首相になる時、秘密の引き継ぎ事項がある」と聞いた時、それが何なのか、すぐに理解できなかった。ほとんどの国民は「日本は独立国」と理解しているだろう。学校教育の成果だ。日本に留学した外国人も、である。隣国の外交政策の狂いも生まれて当然だろう。召使の外交と対応する隣国などは、ワシントンとの駆け引きに勝たねばならない。

<岸信介はアメリカから召使手当を>

 60年安保世代の日本人は、A級戦犯容疑者の岸信介を知っている。安倍晋三の祖父だ。余談だが、晋三の実父・晋太郎に毎日新聞社は6億円もの巨費を献金していたと言う。旧福田派ベテラン秘書の証言である。ひどい新聞社の存在に驚き、あきれるばかりだ。
 「アメリカは戦後、日本の政治経済のみならず、日本人の精神面まで握ってしまった。敗戦後の衝撃もあって、日本政府はワシントンに唯々諾々と従ってきた。岸信介などはアメリカから金をもらっていた。25人の日本の為政者が召使費用をもらっていた。そんな連中が保守本流などとほざいて、アメリカのいいなりになってきた」
 召使の手当がどれくらいか、日本国民が気になるところであろう。アメリカに雇われてきた日本の政治家・官僚の無様な正体を、しかし、現在においても国民も外国の日本研究者さえも正確にわかっていない。まともな日本研究のない隣国外交というのも、嘆かわしい限りだ。
 「今も具体的な問題が浮上すると、必ずアメリカの選択に左右される。従って、そんな場合は相当の覚悟が求められる。そのことを初めてやった総理が鳩山だ。それにしても民主党の連中はひどい。鳩山も米国との波風が立っても屈せず、普天間の県外国外を主張して引き下がるべきではなかった」

<ワシントンに屈した政経塾・自公・NHKなどマスコミ>

 ワシントンの側に着いたのが、松下政経塾の民主党だった。霞が関の官僚と自民・公明の野党も。そして何よりも、世論操作の最前線に立つNHKほかのマスコミだった。
 自立・独立しようとした鳩山内閣の足を、与野党・霞が関・マスコミが引きずり下ろしたのである。こんな無様というよりも、滑稽なことが許されていいのだろうか。
 彼ら屈米派は鳩山を退陣させる一方で、小沢を政界から追放しようとした。それにマスコミと検察を動員した。法と証拠に従うはずの正義の検察が、その原則を踏み外して、政敵潰しにまい進し、世の中を振り回してきたここ数年だった。
 正論が大好きな公明・共産までもが、このCIA工作の先陣を買って出ていたのだから、これはもうマンガの世界であろう。

<反原発官邸デモは、時代が動く前兆>

 亀井は官邸包囲の反原発デモに参加した。驚いたのは、警備を官邸から指示されていた警視庁の機動隊・警察官ではなかったろうか。自由な市民の平和デモに機動隊を投入した野田に対して、市民の怒りは増幅、反原発デモは全国へと波及している。
 7月29日、東京・日比谷公園に20万人(主催者発表)の反原発市民が集まった。すごい数である。東電と国会を包囲した。亀井はこれらを「これは時代が動く前兆だ」と予測する。その輪の中に自らを投じて、膚で感じたのであろう。
 子供連れの母親らは「野田を倒すまで続ける」と意気込む。こんなことが、これまでの日本に存在したであろうか。明白な政治目標を持った、無数の市民の反政府・不服従運動はむろん史上初めてのことだ。
 反原発・反10%消費税・反オスプレイ・反TPPは連動している。無数の市民が命と生活を守ろうとして決起したのである。時代の黎明を告げるものだ。筆者は「東京の春」と呼べる政治経済社会変革と受け止めている。
 新聞テレビに対する真っ向からの反逆なのだ。4か月前の当初から報道していた「日刊ゲンダイ」には敬意を表すべきだろう。ちなみに鳩山が官邸包囲デモに参加したことに亀井は「間違いだ」と叱った。与党議員は与党内・官邸内で行動を起こすのが筋だと。

<ネット選挙が左右・怯える民主党議員>

 毎週の官邸包囲デモと代々木公園と日比谷公園での大集会と巨大デモの渦が日本を変えようとしている。それが「次の選挙に現れる。今の政治を変えることになる」と胸を張る亀井だ。
 そういえば、前回会ったのは連立与党の時だった。必死で消費税反対を叫んでいた頃である。精神と肉体の疲労を感じたのだが、今回はやや余裕を見せている。
 市民の意識変革に自信をみなぎらせているのである。「インターネットで動く市民が選挙をリードする。全国の何万という投票所に行く有権者にネット情報が飛んでいく。誰が10%賛成したか、原発再稼働に賛成したか。オスプレイはどうだったか。みなそうした情報で投票する。もはやこれを規制できない。投票率は上がる」というのだ。ありえない予測ではない。事実上のネット選挙なのだ。
 「既に民主党議員は選挙に怯えている。今後もぼろぼろと抜け出してゆく。そのうちに50とか60議席に落ち込む。選挙後の民自公の連立などありえない」とも断言した。
 「いつも来る岡田(副総理)に言ってやった。選挙敗北後をどうするか考えておけ、とね」

<間もなく竜馬になる>

 問題は、選挙後の始末である。反原発・反大増税・反オスプレイ・反TPPで1本に束ねる作業が、さしずめ亀井の仕事になるだろう。その点を自らも指摘した。
 倒幕・維新の、時代ががった過去を紹介しながら「サムライが中心になって公武合体・薩摩と長州の手を握らせる。そうして倒幕の勢力を結集させる。その中には野田を絶賛している橋下はなれない。石原は逗子に引っ込んでいる。私の仕事は身軽な竜馬のような立場を果たす」と民自公を幕府になぞらえる。
 総選挙前の行動は、というと、統一戦線づくりだという。「今から手順を作っている」ともいうのだ。
 一時、石原新党に情熱をかけた亀井である。「評判が悪すぎる。今もやっているのか」と問い正してみた。「まあ、石原は狼少年になってしまった。そもそも文士、小説を書いても、消しゴムで消したりする。ただ、死ぬ気で世の中を変えたい、それに命をかける、というものだからそれにほだされて。つい、つい」といって言葉を濁した。

<小沢は筋通した>

 「鳩山は民主党内で、小沢は脱藩して1国1城の主になって、野田を揺さぶり続けている。なかなかの作戦だ。役割分担している。誰が考えた策略なのか。
 亀井は「小沢は筋を通した。鳩山は物笑いの種になっている。しかし、みな分かってやっていることだ。鳩山は離党のタイミングを狙っている」と解説した、統一戦線に問題なし、といわぬばかりだ。

<4人の反原発派はすごい力>

 亀井は最近、民主党を離党した3人の反原発派の主役が、側近の亀井参院議員であるという事実を明かしたうえで「4人の反原発グループは大きな役割を担うだろう」と予言した。
 反原発で決起した4人組は、官邸包囲デモの影響を受けての結成である。反原発無党派の結集を予想させる動きではある。
 「最後はみな一緒になる。鳩山も小沢も、さらに。バラバラでは倒幕はできない。結束すれば簡単に倒せる。必ず、そうしてみせる」

<狂った野田首相>

 今の野田内閣を亀井は「狂っている」といって一刀両断に切り捨てた。3・11の原発は今も収束などしていない。いい加減な原因究明でお茶を濁している。それでも再稼働に踏み切った。為すべきことをしないで、公約違反の10%消費大増税を強行している。
 危険な飛行物体であるオスプレイをワシントンに指令に屈して受け入れている野田である、どうしてなのか?国民の全てが疑問に思っている。
 吉田茂内閣はワシントンの再軍備をせよ、との厳命に「9条憲法に抵触する。第一、日本の経済復興が失敗する」といって反対を貫いた。野田は典型的なアメリカの召使になってしまった。
 そんな野田を「狂っている」と断じた。
 彼は尖閣問題に絡めて「自衛隊を出動させる」という趣旨の国会答弁を行った。これにも激しく噛みついた。「戦火を交えるなどという発言を首相は決して口にしてはならない。政治のイロハではないか。野田は完全にいかれている」
 いかれた首相を罷免する権利は主権者・国民にある。

2012年7月30日記(財界にっぽん2012年10月号掲載)  

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