忍者ブログ

「グローバル標準の米国式経営」の馬鹿馬鹿しさ

「リテラ」記事から抜粋転載。
「グローバル標準の米国流経営」というものがいかに馬鹿げたものかを如実に示している。
誰が考えても、

ROAを高めるには、経営指標の分母となる手持ちの総資産を圧縮するか(直営店の売却)、分子となる純利益を高めるか(価格の引き上げ、コストカット)のどちらか、もしくはその両方を行うことになる。


とある、このROA(総資産利益率:企業が保有している資産の活用効率を示す財務指標)を高める手段の「直営店の売却」と「価格の引き上げ、コストカット」が経営破綻への道であることは分かるだろう。コストカットとは、冗費のカットという限度を超えた場合、「お客に出す商品の品質を落とす」「従業員の労働条件を悪化させる」ことでしかなくなるものだ。直営店の売却(フランチャイズ制の推進)とは、店舗管理の目が行きとどかなくなることだ。そのどちらも事業そのものの品質低下につながる道であることは少し考えれば分かることである。
だが、原田泳幸は、下の者(社員)には高圧的に命令できても、上の者(株主)に対してはすべてご無理ごもっともでへいこらし、従う人間だった。その結果、現在の日本マクドナルドの凋落の原因を作り、さっさとベネッセに逃げていったわけである。
なお、原田氏が、ファストフードはスピードが大事とか言って、様々な新商品発売や店舗設備その他の改善を行ったのも、従業員にとっては労働強化以外の何物でもない。しかも、それで客が喜ぶのはほんの一時のことである。
人間は食い物には保守的なものだ。ファストフードでもそれは同じであり、原田氏の考え方は、それ自体根本的におかしいのである。本体のベイシックなハンバーガーさえ美味ければ客は来るものであり、奇抜なハンバーガーを作って話題になっても、長続きはしない。マクドナルドのベイシックなハンバーガーは、医学的・健康的には問題はあるにしても、一般大衆の味覚からすれば美味いものであったことは確かだ。その味に自信があれば、ほとんどそれ一本で押し通すのが本来だろう。それがブランドというものではないか。マクドナルドがやたらに新商品を出すのは、自分のブランドを自己否定しているようなものだ。ファストフードはファッション業界ではないのである。
それに、扱う商品の数や業務の種類が少ないほど従業員の負担は減り仕事の事故も減るものだ。仕事の負担が少なければ、給与は低くても仕事に応募する者はいる。低給与で高負担の仕事を喜ぶ人間がどこにいるものか。仕事量を増やして従業員を苦しめること(いわゆる労働強化)は、「すき家」の例などからも分かるように、長期的には経営破綻の要因になるものだ。
彼が「新商品や店舗改善によって業績回復した」と言うのは勘違い(または自画自賛の強弁)であり、彼が就任した直後の業績回復は、まったく別の要因によるものだ、と私は見ている。統計数字の操作と同じことで、数字など、基準変更などの操作でどのようにでも変えられるものである。まあ、業績回復が数字操作によるものだとは言わないが、要するに、「24時間営業」(原田氏がやった、ほとんど唯一の実効的「改革」)にしたら、売上の数字が上がるのは当然の話であり、新商品やくだらないイベント(これは経営責任者が「私は猛烈に働いています」という、株主アピールのためのポーズ。実際に「猛烈に働かされる」のは部下や従業員。)などまったく無関係だ、と私は思っている。営業時間の延長など、どこの阿呆でも考えられる、売上強化のための「業務改善」の初歩の初歩だ。だが、個人商店ではそれがすぐに自分自身の負担となるからやらないだけのことだ。その負担を命令一つで他人が負ってくれるなら、「業務改善」など簡単な話である。




(以下引用)


 法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科教授である著者が、経営学の視点から、日本マクドナルドの失敗の本質に迫っている。著者によれば、日本マクドナルドが凋落しはじめる転機は、2007年だという。04年にCEOに就任した原田氏はそれまでのマクドナルドを日本に輸入した故・藤田田氏の「マクドナルドの日本式ローカルモデル」経営から「グローバル標準の米国流」経営に変更。店舗効率の改善、商品品質の向上(メイド・フォー・ユーの早期導入)、ドライブスルー型の店舗と24時間営業の推進といった改革を矢継ぎ早に繰り出し、メガマックのヒットやマックグリドルの導入もあり、07年は売上高も利益率も急上昇。既存店の売上高は、前年を10.2%も上回り、売上高営業利益率も4.2%に上昇した(前年は2.1%)。ここから、高級アラビカ豆を使用した「プレミアムローストコーヒー」の販売を開始したり、携帯電話やスマートフォンの「eクーポン」を導入し、顧客の囲い込みをするなど、原田改革が絶好調に見えた時期だった。


 しかし、米国流経営の視点から見ると、まだまだ物足りないものだった。
「米国流の経営ではROE(株主資本利益率:自己資本に対してどれだけのリターンが生み出されているかを示す財務指標)を重視する見方が主流になってきている。米国は株主資本主義の国だから、一般的な経営指標としては、売上の伸びよりは収益性が優先される。原田氏がCEOに就任して、売上高は伸びた。経常利益率(4~5%)もまずまずの水準だ。」「ところが(略)ROEは、2005年では、水面下すれすれの水準で0.04%。2006年では1.2%。株主の立場(投下資本に対する収益率)からすれば、日本マクドナルドは残念ながら大きな利益を生み出しているわけではない。」「さらに、もう一つの指標であるROA(総資産利益率:企業が保有している資産の活用効率を示す財務指標)は2006年に3%、2007年に7.9%と、それほど儲かっていなかったのである。」



 世界のマクドナルドの中で、日本の売上高は米国に続いて第2位と、米国マクドナルド本社が海外オペレーションから得ている利益のおよそ3分の1を稼いでいる存在だ。米国本社はこれまではロイヤルティの対象となる売上高を見ていればよかった。


 だが07年には保有株数の約半数を米国本社グループが保有するまでになっており、米国流株主としての視点で、ROAを高めるように、経営に関与をするようになった。


 ROAを高めるには、経営指標の分母となる手持ちの総資産を圧縮するか(直営店の売却)、分子となる純利益を高めるか(価格の引き上げ、コストカット)のどちらか、もしくはその両方を行うことになる。



 米国マクドナルド本社でも、同様に、アクティビスト(物言う株主)と呼ばれる有力なヘッジファンドから、直営店の売却と経営効率の改善を迫られ、直営店の売却(フランチャイズ化)が進んでいた。このため日本マクドナルドでも、直営店の売却とコストカットが吹き荒れることになったのだ。08年から直営店の売却(フランチャイズ化)が加速し、「2年間で、直営店からフランチャイジーに区分移行した店舗は948店舗に及び、売却益は86億円にもなっている。そして、この年、FC店が2010店に対し、直営店が1705店となり、数の上ではFC店が直営店を抜いた」。ROAは08年には9.1%、09年には11.6%と改善する。そして、486店舗(直営店278店、FC店208店)の一斉閉店をした10年には13.5%にまで上昇したのだ。


 その結果はどうなったか。一斉閉店により、不便になった顧客はマクドナルド離れを起こすようになった。

拍手

PR

これが最後の記事かも

今日の徽宗皇帝のブログにISIS人質事件関係の記事をUPした直後に、記事の訂正をしようと思って管理ページを開こうとすると、管理ページへのアクセスができなくなっていた。その記事は「世に倦む日々」記事を引用したものだったから、おそらく「世に倦む日々」を引用するブログに対する妨害工作が行われているのだと推測する。何しろ、「世に倦む日々」のISIS人質事件に関する検証は、ネット世界で大きな反響を呼んでいたようだから。
で、「世に倦む日々」そのものを強制閉鎖させればネット弾圧が行われていることが明らかになるので、その引用を邪魔することで間接的弾圧をしているのだろう、というのが私の推測だ。
というわけで、私自身の「徽宗皇帝ブログ」管理ページへのアクセス不可能という事態がいつまで続くか、あるいは永遠にアクセス不可能かは分からないので、この「酔生夢人ブログ」を通じて、事情だけ伝えておく。こちらのブログも閉鎖される可能性も高いので、突然更新が無くなったら、そういう事情だとご理解願いたい。
いやはや、である。
なお、「徽宗皇帝のブログ」の最後の記事(になるかも)に、「大政翼賛会」を「体制翼賛会」とうっかり書いて、見直しをせずにそのままアップしたのが私にとっては痛恨事である。お恥ずかしい。パソコンで書く文章(漢字の自動変換)というものは、思わぬところで恥さらしの種を作っている。これからは、そういう恥だけはかかずに済むことになるのかもしれない。(笑)


拍手

ISISはまもなく壊乱するか

「播州武侯祠偏照院」から転載。
なるほど、ISISは腐敗、淫溺、惑乱の果てに壊滅状態になる、ということか。
まあ、これまでの彼らの行状からしてそうなって当然なのだが、問題は、彼らの背後にいる連中、英米イスラエル(あるいはユダ金)が今後どう動くかである。このままISISを操って西側世界を動かそうにも、その西側世界ですら、庶民はその詐術に気づき、欧米諸国の指導者たちの足並みも揃わなくなりつつある。
しかし、ISISが、「皿の上に虫(蟲)がたかっている」とは、絶妙な表現である。この「蟲」の字の気持ち悪さは、まさしく「イスイス団」の印象だ。易経全体から意識的に探しても、この「山風蟲」の卦ほどISIS団を表現するのに絶妙の卦は他に無いだろう。それが天のお告げとして出てくるのだから、混沌堂さんのおっしゃるとおり、「易すさまじき!」である。
変卦「山天大畜」も面白い。

「また、六五の君と六四の宰相が共に志を同じくして、下卦乾の剛強の下民のなりふり構わず進むのを制し止める様子でもある。」

この場合、「剛強の下民」はユダ金、「君、宰相」は政治的指導者と解釈するのはどうか。(もちろん、前の卦からの流れで、「剛強の下民」=「ISIS」でもいいのだが。)
そして、

「しかし六五の君は陰柔にして泰平の主であり、左右の群臣も皆陰柔である。
このままだと、陰に流され、君は逸楽に興じ驕奢に耽り、剛強な民衆はそんな君上をないがしろにして、やりたいように冒し進む可能性がある。

それでは秩序は崩壊し、国はまとまらない。

憂い危ぶみ、それを止める者がいなければいけない。
そこで、上九の一陽剛が、卦の外から上り往き、上爻に居て、艮の止めるの主爻となり、成卦の主として、下卦乾の剛強にして冒し進むのを止める者となった。

これは、王者の賢師が、君上が非道に向かうのを制し止め、正しい道を訓導する様子でもあり、賢を尊び徳を養う様子である。」

の「上九」の「王者の賢師」はプーチン、「六五」の「陰柔の君」はオバマ、同様に陰柔の「左右の群臣」はUE中心諸国の指導者たち、と解するのも面白いだろう。

この「山風蟲」と「山天大畜」の卦の解釈如何によるが、ISISの命運は長くはなく、その後の世界の進展も希望が持てそうな気がする。まあ、そういう希望を持たせてくれるだけでも、易に問うことのメリットはあるというものだ。

思うに、希望とは道のようなものだ。最初から道があるのではない。歩む人が多くなれば、そこが道となるのである。」(魯迅)




(以下引用)





イスラム国ことISIS団の顛末を易に聞きました。

山風蠱 の 初爻 


http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-23.html

上記文抜粋
・・・・・・・・
山風蠱(さんぷうこ)
sanpuu.gif蠱 巽下艮上(そんか ごんじょう)

八卦のsonfuu-n.gif巽(そん)の上に、gonsan-n.gif艮(ごん)を重ねた形。

蠱は、腐敗・壊乱・淫溺・惑乱といった意。

この卦は、巽を長女とし、艮を少男とすれば、長女が少男に先立ち、長女の色情をもって少男を媚い惑わす様子となる。

だから、蠱と名付けられた。
また、巽風をもって艮山を粛殺(しゅくさつ=秋の厳しい風で草木を枯らすこと)する様子である。

だから、蠱と名付けられた。

また、上卦の艮を止める、下卦の巽を服従とすれば、上の恵みが止まって下に及ばず、下は巽従に過ぎて佞媚に流れる様子となる。
このようでは、国家は必ず壊乱する。

だから、蠱と名付けられた。

また、艮は一陽が上に在り二陰が下に居て、巽は二陽が上に在り一陰が下に居るわけだが、これでは上下共に陰陽交わらず、陰陽交わらなければ、必ずや物事は壊れる。

また、艮は一陽が上に止まり、巽は一陰が下伏せている形だが、これでは剛柔交わることがなく、剛柔交わらなければ、必ず物事は壊れる。
だから、蠱と名付けられた。

また、巽を臭いとし気とし、艮を止めるとし覆う蓋とすれば、蓋で覆った中に臭気が発生してい
る様子となる。

臭気が発生すれば、必ず腐敗して虫=蟲が生じる。

だから、蠱と名付けられた。

蠱は皿の上に蟲がたかっている様子の文字である。

また、交代生卦法によれば、元は地天泰から来たとする。

地天泰の初九の陽が上に往き、上るに過ぎて不中の高き極みの上爻に居り、上六の陰が下り来て、下るに過ぎて不中の最下の底の初爻に居る形である。

これでは陰陽交わらず壊れを生じる。
だから、蠱と名付けられた。

卦辞
蠱、元亨、利渉大川、先甲三日、後甲三日、
蠱(こ)は、元(おお)いに亨(とお)る、大川(たいせん)を渉(わた)るに利(よ)ろし、甲(こう)に先(さき)だつこと三日(みっか)、甲に後(おく)れること三日、

この卦は、敗壊の意であり、そんなときに元いに亨ることはない。
しかし、だからと言って、敗壊を放っておくわけにはいかない。
折りを見て、いつかは修復する必要がある。
としても、修復するには、そのことについて深い知識と技能が必要である。
要するに、その蠱の敗れたことについて、元いに亨通している必要があり、そういう人物であればこそ、敗壊を修復可能なのである。
だから、蠱は元いに亨る、という。
例えば、パソコンが壊れたとき、パソコンのことをよく知らなければ、修理に出すしかないが、パソコンに精通していれば、自分でどこが壊れたかを調べ、部品を取替えて直せるのと、同じことである。

また、巽を従うとし艮を止めるとすれば、従って止まる様子である。
大きな川を渡るときは、人命に係わる大事であり、逆を慎み順を尚ぶことが第一である。
無理せず時に従って止まり、風、波、水嵩の利ろしきを得て渡れば、過失も少ない。
だから、大川を渉るに利ろし、という。

また、甲(こう=きのえ)は十干の始めである。
だから、甲の日を事の始めとする。
甲に先立つこと三日は辛(しん=かのと)の日であり、辛は新と同音同義である。
甲に後れること三日は丁(てい=ひのと)であり、丁は丁寧の義である。
壊れ極まって、今これを修復する道は、先ず既往の敗壊の原因を悉く改めて新しくし、改新した以後は丁寧に扱い、再び壊れないようにしないといけない。
だから、甲に先だつこと三日、甲に後れること三日という。

・・・・・中略・・・・・

初六、幹父之蠱、有子、考无咎、終吉、

初六(しょりく)、父(ちち)之(の)蠱(やぶ)れに幹(かん)たり、子(こ)有(あ)れば、考(亡父=なきちちも)咎(とが)无(な)し、(あやう)けれども終(つい)には吉なり、

幹とは木の幹(みき)のことにして、枝葉花実はこの幹の力ひとつで維持されているのである。
したがって、よくその任に堪え、その事を行う義とする。
今、蠱のときに当たり、初六は子にして、父の蠱=失敗を後から修復する者である。
初六は陰爻なので、その性質柔弱にして才力不足ではあるが、幸いに蠱の初めに当たるので、その敗れは未だ大きくはない。

したがって、陰柔であっても、その任に堪えられるのである。

だから、父之蠱れに幹たり、という。

およそ、事の大小となく、失敗するときは、何らかの咎が有るものである。
しかし、よく蠱れに幹たる子が有れば、その父親が失敗して命を落としても、その後を修復して治め補い繕い、亡き父もその咎を免れることを得るのである。

しかし子がいないときは、誰もなかなかその失敗を修復してはくれないので、その咎は永く消えることがないものである。 だから、子有れば、考も咎无し、という。
考とは亡父のことを指す。
この爻は蠱の初六なので、その失敗は浅く小さいものだが、同時に初六は陰柔なので、これを修復して治めるには艱難労苦するので、さもある。
しかし、怠慢なくよく務める時には、終に成功を得て吉となるものである。
だから、けれど終には吉なり、という。


・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

あとは崩壊だけか・・・


易すさまじき!


すでにクソコラやイラストがそれを暗示してきたか。

変卦は、

山天大畜 の初爻


上記文抜粋
・・・・・・・・
26 山天大畜(さんてんたいちく)
santen.gif大畜 乾下艮上(けんか ごんじょう)

八卦のkenten-n.gif乾(けん)の上に、konchi-n.gif艮(ごん)を重ねた形。

大畜とは、大きく止める、という意。
また、大きく蓄える、養う、集める、といった意もある。
この卦は、上卦の艮を以って、下卦の乾の進むを止める様子である。

だから大畜と名付けられた。

また、六五の君と六四の宰相が共に志を同じくして、下卦乾の剛強の下民のなりふり構わず進むのを制し止める様子でもある。

だから大畜と名付けられた。

また、乾天が艮山の中にある様子である。
天と山では、天は大にして、山は小なる者である。これは小を以って大を蓄える様子である。
だから大畜と名付けられた。

また、乾の剛健と艮の篤実を備えるときには、その徳は大いに蓄え集まるものである。
だから大畜と名付けられた。

また、来往生卦法によれば、もとは地天泰から来たとする。
地天泰のときには、天地陰陽の二気相交わり、上下が志を合わせるので、その国は繁栄し安泰である。

しかし六五の君は陰柔にして泰平の主であり、左右の群臣も皆陰柔である。
このままだと、陰に流され、君は逸楽に興じ驕奢に耽り、剛強な民衆はそんな君上をないがしろにして、やりたいように冒し進む可能性がある。

それでは秩序は崩壊し、国はまとまらない。

憂い危ぶみ、それを止める者がいなければいけない。
そこで、上九の一陽剛が、卦の外から上り往き、上爻に居て、艮の止めるの主爻となり、成卦の主として、下卦乾の剛強にして冒し進むのを止める者となった。

これは、王者の賢師が、君上が非道に向かうのを制し止め、正しい道を訓導する様子でもあり、賢を尊び徳を養う様子である。
だから大畜と名付けられた。

卦辞
大畜、利貞、不家食、吉、利渉大川、

大畜(たいちく)は、貞(ただし)きに利(よ)ろし、家食(かしょく)せざれば吉(きち)、大川(たいせん)を渉(わた)るに利ろし、

誰かの行動を止めようとするときには、自分はそのことについて正しくなければ説得力がない。
だから、大畜は貞きに利ろし、という。

もとよりこの卦の主意は、進む者を止めるにある。

進む者を止めるときは、その情は背き、その志は違い、その事は逆らい、その言は争うことになる。
だからこそ、貞きに利ろし、と警鐘を鳴らすのでもある。

さて、大畜には、集め養うという意味もあるわけだが、人に使われる者はその人に養われ、人を使う者はその人を養っているのである。

とすれば、人を養う者は、収入のすべてを自分の好き勝手に使い果たしてはいけないし、同じ養うのなら、賢者を養うことこそ大切である。
家食とは、養うことを疎かにして、言うなれば食道楽にばかり収入うことである。
だから、家食せざれば吉、という。

また、大川は険難の場所であり、渡るときは、人命にも係わる大事である。
剛健豪強だからといって、自分の力を過信して、不用意に渡ろうとすれば、溺没の恐れもある。
よく止まり、状況を冷静に観察する慎重さが必要である。
大畜には、大いに止まる、という意もある。
大川を前にして、大いに止まる慎重さがあれば、流れや風をよく観察し、安全に渡れる時を選んで渡ることになる。
だから、大川を渉るに利ろし、という。


・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり




誰が「家食」せず、外で成功するのだろうか?

難題解決をするのだろうか?


日本?可能性もある。けど、それは後ででも。

拍手

日本戦後史を一言で言えば

私などが書く長々しい文章など不要だなあ、と思わせる一言である。


(以下「阿修羅」から引用)



10. 2015年2月10日 10:37:29 : u41ShKyHb2



日本の政治は戦犯の孫とか戦後ドサクサの時に金儲けをした子供や孫たちがずっと権力を持ち続けてきた事が日本の独立を阻んでいる。売国奴が富を得て出世出来る社会である。

拍手

犯罪と合理的思考

前回の記事の「毒消し」として、「紙屋研究所」から次の記事を転載しておく。
ただし、世界的に犯罪自体が減っているわけではなく、「粗暴犯」が減っている、ということであり、知能犯、特に社会上層部の犯罪行為は、むしろ増加しているのではないか。もちろん、そうした権力者・権力階級の犯罪の大半は隠蔽されるのが当然であって、水面下で行われる犯罪は膨大なものだろう。
要するに、暴力的犯罪、特に殺人などというものは「割に合わない」から、時代精神が合理性に傾けば傾くほど粗暴犯は減るのが当然だ、というだけの話ではないか。それは慶賀すべきことだが、逆に言えば、殺人が経済合理性に合致すれば、「神無き時代」の合理的人間はためらわずに殺人を選ぶ、ということである。その種のニュースはマスコミ上でも枚挙に暇が無いだろう。しかも、東電による「放射能殺人」やアメリカによる「テロとの戦争」名目のイラク、リビア破壊に伴う殺人などは、誰からも裁かれないのである。
下記記事の後に、「余談」として、高齢者の犯罪が増えていることが書かれている(ここでは省略した。)が、これも「経済合理性」による犯罪がほとんどだろう。罪を犯して刑務所に入れば、飢え死にしなくて済む、という貧困老人が犯罪を行うのは、この上なく合理的な行動ではないか。


(以下引用)

2015-02-08 暴力はなぜ減っているのか? 『犯罪社会学研究』第38号

『犯罪社会学研究』第38号Add Starzakincogureneko




 保育園がいっしょだった親御さんと話していて、また地域で不審者情報が出たというので不安がっていた。その前日、ぼくはある学習会の講師で「犯罪は激減しています」としゃべっていたのであるが、その親御さんの意見をふんふんとうなずいて聞いていた。




 そういう話をしていたら福岡県で女子小学生が殺害され、この文書を書いている最中に和歌山県で男子小学生が殺された。「数十秒目を離したスキに…」「自宅のすぐそばで…」と報じられるので、うちのつれあいとかはもう四六時中娘に張り付いてないといけないかのような思いにとらわれている。



日本中、そして先進国で犯罪は減っている

 福岡市では犯罪が減っている。2002年をピークにして半分くらいに減っている。


 日本全国で同じような傾向をたどっている。


 さらにいうと先進国全体で犯罪は減っている


犯罪社会学研究 第38号(2013) 課題研究「犯罪率の低下は、日本社会の何を物語るのか?」 最初にそのことを知ったのは2013年7月3日の英誌「エコノミスト」の記事だった。それで関心をもって『犯罪社会学研究』という専門誌の竌38「犯罪率の低下は日本社会の中を物語るのか?」という特集(課題研究)を読んだ。





主要犯罪全体の発生率が低下しているのは、主要先進国に共通の現象である。(宮澤節生/同誌p.11) 


 ただ、先進国全体のこの傾向については、その原因は今一つよくわかっていないというのが結論のようだった。




結局、「国々の間での異同」と「各国の犯罪発生率の変化」を同時に計測する研究が現れるまで、多くの先進国において犯罪発生率が低下しているという現象に対する説得力のある説明は、得られないように思われる。(同前p.17)


 同誌では日本だけについていえば、いくつかの仮説が検証されている。研究者の文書なので「これがその原因だ!」みたいにセンセーショナルには書いてないけど、だいたいこんなところがその原因かな、というふうににおわせる、あるいは一定の結論を出している(以下はぼくの主観的なまとめなので、正確には同誌および個別の論文そのものを読んでほしい)。



警察のカウントの仕方

 一つは統制主体の問題。簡単に言うと、警察の側の方針変更で、統計数字がかわったんじゃないかということ。


 2000年代前半をピークに減っているのは刑法犯の「認知件数」である。


 認知は被害届を受理することによって変わる。だから、積極的に被害届を出すように促し、積極的に受理すれば増えていくのである。もう一つは、数え方。被害が連続して起きた場合にそれを1とするか2とするかは警察の裁量がはたらく。




 同誌の浜井浩一論文「なぜ犯罪は減少しているのか」では検挙人員がほとんど減っていないことを指摘する。




認知件数は、犯罪統計としての妥当性は高いかもしれないが、被害届の取り扱いなど、その時々の警察の事件に対する取り組み方針の影響を受けやすい。常に同じ対象を安定的に計測しているのかという信頼性からの観点から見ると、最も信頼性が高いのは実は検挙人員である。認知は、被害届を受けて事件を受理・記録しただけだが、事件ではなく人を検挙するためには、当該被疑者が罪を犯した事実を確認するなどきちんとした手続を踏まねばならないからである。(浜井/同誌p.56)




 1986年からの長期的な推移のグラフをみると、検挙人員はあまり動きがなく、認知件数だけが突如山をつくるように2000年代前半前後にもりあがり、元に戻り、やや減っていく傾向を示している。


この警察の方針の変化については、同誌で石塚伸一論文「日本の犯罪は減ったか? 減ったとすれば、その原因は何か?」のなかで少し触れている。また、浜井論文では4つの新聞沙汰になった事例をあげて、警察で統計の「操作」をしていたことを示している。




 警察の影響を除いた、本当のところはどうなのか。


 浜井は、「守備範囲は狭い」と断りながら、「犯罪被害調査」という統計を紹介する。この統計は、市民に対して犯罪に遭ったかどうかを調査して回り、そのサンプルから犯罪の発生率を推測するものである。これだと被害届を出したかどうかにはかかわりなく、被害の実態が浮かび上がることになる。街頭犯罪についていえば、次のようになっているという。




認知件数では、器物損壊を含めて街頭犯罪の多くにおいて2002-2003年をピークとして急上昇、急降下しているのに対して、実際の被害率は一貫して減少していることが確認できる。(浜井/同誌p.59)




 つまり、まあ、認知件数ほどじゃないけど、こうした犯罪は減少しているよっていうことになる。警察の方針変更とか統計いじりの影響をうけながらも、犯罪は減少しているとみていいってことだとぼくは感じた。



防犯技術の向上

 じゃあ、やっぱり、「なぜ犯罪は減ったのか?」。


 警察ががんばったとかいうことはあるだろうか。


 浜井論文では、警察白書で認知件数減少に大きく寄与している犯罪として、車上ねらい(29.6%)、自転車盗(15.7%)、自動販売機ねらい(14.8%)、オートバイ盗(13.1%)があげられていることを紹介している(認知件数の減少に対して、街頭犯罪全体が占める寄与率は85.6%で、つまり車上ねらいなどの街頭犯罪が減ったことがほぼそのまま認知件数全体の減少につながっているとしている)。


 浜井論文では、自動販売機堅牢化と駐車場における防犯カメラの効果についてのべている。自動販売機堅牢化は、2006年ごろに堅牢化が完了し、自動販売機ねらいの認知件数は他の犯罪と違った増減を示したという。




他の街頭犯罪とは明らかに異なる動きをしている。そして、それが自動販売機に占める堅牢化率と相関しており、自動販売機ねらいの認知件数の減少には、一定程度以上に堅牢化の効果があったものと推認できる。(浜井/同誌p.60)




 防犯カメラの効果については、浜井論文では、特に統計的な指摘はされていない。防犯カメラは導入に賛否があるものだが、浜井はキャンベル共同計画のレビューを参照し「防犯カメラは唯一駐車場における車両関係犯罪の防止に効果があることが確認されており」と述べている。この指摘は斉藤貴男『安心のファシズム』でも見られた。


 このような防犯技術の向上、それへの投資によって犯罪が減少していくことについては、「エコノミスト」にも指摘があった。




先進国で犯罪が急激に減少している。…最大の要因は、単純に警備対策が向上したことかもしれない。自動車のイモビライザ―は遊び半分の盗難を防いでいる。銀行強盗は、防弾スクリーン、警備員、印付き紙幣でほぼ姿を消した。警報機とDNAデータベース強盗の逮捕率を高めている。…小規模な店舗さえ、監視カメラセキュリティタグに投資している。一部の犯罪は今や極めてリスクの高いものとなっている。(「エコノミスト」2013年7月20日号)




 警察白書は、警察の側のさまざまな取り組みの強化を認知件数の減少と結びつけているが、それについての言及は浜井論文にはあまりない。



少子高齢化が影響

 浜井論文では「1960年以降1990年代半ばくらいまで殺人、強盗強姦、傷害などほとんどの伝統的暴力犯罪の認知件数は減少していた」(浜井/『犯罪社会学研究』第38号p.64)という事実の原因の一つを「少子・高齢化」ではないかとしている。




実は、年齢と犯罪は密接な関係があり、その関係を調べて見ると一般的な犯罪の過半数以上は30歳未満の若者によって行われるということがわかっている。…先進国のほとんどにおいて年齢階層別の検挙人員を人口比で見ると、10歳くらいから非行が始まり15-20歳でピークを迎え、就職・結婚とともに次第に減少していく現象が見られる。日本においても1990年までは、一般刑法犯(検挙人員)の約7割は30歳未満の青少年によって行われていた。つまり、少子・高齢化によって青少年人口が減少すれば、人口構成的に犯罪の担い手が減少することを意味している。(浜井/同誌p.64、強調は引用者)




 少子化は多くの先進国に共通する特徴であるから、これが原因の一つであるというのはうなずける。



人類史上最も暴力の少ない社会に生きている」

 ぼくが『犯罪社会学研究』の当該号を読んで一番びっくりしたのは、ここ千年近くのスパンでみると、暴力による殺人が減っていること、「人類史上最も暴力の少ない社会に生きている」(浜井/同誌p.66)という規定だった。




世界的に著名な心理学者であるピンカーは、様々な資料を駆使してヨーロッパでは西暦1200年ぐらいから、人口あたりの殺人率が減少していることを明らかにしている。(浜井/同誌p.66)




 ピンカーの議論は次のようにさらにくわしく紹介されている。




こうした長期的な暴力の減少は、殺人といった犯罪に限らず、戦争での死亡者数、死刑、拷問や奴隷においても同じように見られることを例示しながら、これらの人の生命身体や尊厳を傷つけるような力の行使の減少は、人類が種としても(文明)社会としても発展し続けていったことによって、あらゆる意味で暴力を回避する傾向が高まっていった結果であると主張している。(浜井同前)




 「いやあ第二次世界大戦で大量に人が死ぬ時代は別でしょう」とか思っていたので、なおびっくりした。さらに、最近の武装組織によるテロ事件の「頻発」などを連日のように聞けば「死亡者数、死刑、拷問や奴隷においても同じように見られる」という限定はとても重要だし、目を見開かされる思いだ。


 このデータが正しいと前提して、なぜこうした成果がかちとれたのか。




ピンカーは、人類の中で暴力が減少しているのは、私たちの中にある「内なる悪魔(inner demons)」と「より良き天使(better engles)」の戦いの結果、私たちを暴力へと駆り立てる「内なる悪魔」を、私たちを暴力から遠ざける「より良き天使」が凌駕した結果だと主張している。(浜井/同誌p.66-67)




 え? 「内なる悪魔」? 「より良き天使」?




ここで「内なる悪魔」と呼ばれているものは、個人レベルでは復讐心やサディズム、社会レベルではイデオロギーであり、「より良き天使」と呼ばれているものは、共感性、セルフコントロール、モラル感覚、理性といったものである。(浜井/同誌p.67)




 えー、人間の心が発達したっていうの? それはちょっとにわかに信じられないなあとこの浜井の要約だけ見るとそう感じる。


 しかし、ピンカーがこの結論を出すうえで、前提となる事実を述べている。そのことについて浜井は次のように要約している。




具体的には、統治機構、教育、貿易・経済、国際化といったものの発展が、復讐・暴力への衝動・情動や有毒なイデオロギーを制御し、理性の力によって暴力への誘惑を減退させることに成功したというのである。ピンカーは、これを文明化プロセス(civilizing process)や人間性の進化(humanitarian revolution)等の概念で説明している。(浜井/同誌p.66)




 これならわかる。というか、実感に沿っている。


 たとえば、戦争という巨大な暴力を発動させることを食いとめる条約、国家機構、国際機構がある。教育が浸透することで暴力をあおる団体がある日やってきてこれを煽動してもそれによって暴力には駆り立てられないような素地が生まれる。貿易や国際化がすすむことでお互いの国に依存するようになるし、お互いの民族や国を知る機会もふえる。


 日本だけを考えてみても、戦前と戦後ではこれらが果たしている役割は大きいだろう。 戦前には戦争を制御する装置が弱い国家機構と憲法しかなかった。戦後、これらは国家から起こるあらゆる戦争の原因を除去する構造をそなえた憲法にすげ替えられた。教育も日本という国家や「民族」を誇大視する偏狭な教育が反省された。貿易や交流の発展でとりわけ中国韓国の人たちがどのような人たちかを知る機会は増えている。いまヘイトスピーチのような煽動がされて暴力事件も起きているが、国全体が暴力へと駆り立てられるという事態にはいたっていない。予断は許されないが




 いずれにせよ、この千年、数百年の間に世界規模で殺人や暴力が減っているというのは、実にものすごいことではないだろうか。いや、素直に感動しない? 暴力によって人が殺されないということに人類は成功しつつあるっていうんだから。


 いま中東アフリカから大量に人が殺されたり死んだりしているニュースが頻繁に伝わってくる。テロ、内戦、暴力による死ばかり。


 しかし、ぼくらはそれに絶望しなくてよい、ということだ。いや、もちろんだからといって「いやー、よかった。めでたしめでたし」というわけではないが…。


 幸いにも、日本にいるぼくらは中東アフリカの出来事を距離をもって眺められる位置にいる。そこで起きている暴力を抑えるために、冷静なアプローチができるということだ。ピンカーが指摘したように「統治機構、教育、貿易・経済、国際化といったものの発展が、復讐・暴力への衝動・情動や有毒なイデオロギーを制御し、理性の力によって暴力への誘惑を減退させることに成功した」という確信にもとづいて、その道を強化していけばいいのである。


 この確信は、フランス風刺画事件や日本のヘイトスピーチのようなものも、克服できるのではないかという楽観を与えてくれる。


 もちろん、中東をどう平和にするか、ヘイトスピーチをどうなくしていくか、専門家でもないぼくには具体的な妙案があるわけではない。


 しかし、さっきあげた確信は、むちゃむちゃアホっぽい言い方になるけど、みんなでいろいろ知恵を出していけば何とかなっていくよ、という楽天的な気持ちをわかせてくれるのだ。




 ぼくはマルクス主義者なので、根本的にヘーゲルと同じような歴史観をもっている。つまり人間の歴史というのはジグザグはあっても対極的には理性が勝利していく、というものだ。*1


 この浜井論文に描かれていることは、犯罪学者の中では“常識”のようなものかもしれない。しかし、単なる犯罪の統計・傾向の問題だけでなく、この論文はぼくの歴史観まで裏打ちしてくれるものだった。


暴力の人類史 上 特にピンカーの著作は非常に興味深かった。注をみると、まだ日本語訳は出されていないようである。*2誰かやってくれないだろうか。……と思っていまググったら、あるな! 邦訳が! しかもつい最近! 


 タイトルが『暴力の人類史』。あー、売ることだけ考えたら原題のサブタイトル「暴力はなぜ減ってきたのか」がよかったかもねー。「なぜ世界から暴力は減ってきたのか」くらいにしたらバッチリでは。


 いや、まあこんな大部の本、『暴力の人類史』みたいなカタくて大仰な感じのタイトルにした方がいいのかな。ケチつけてすんませんでした。




 邦訳が出てるんだったら、上記にぼくが述べたことはピンカーの意図を正しく言い表しているかどうかわからんので、とりあえず読んで確認することにしよう。


拍手

夜明け前の闇の中で

「ロシアの声」から転載。
こうしたまともな考えが聞けるのは、今やネット以外では非西側マスコミだけのようだ。そのネットも日本では情報操作と、政府に批判的なブログやサイトへの弾圧が激化しつつあるように見える。国会は今や「テロとの戦争」で大政翼賛会になりつつある。まったく、日本人というのは学習能力というのがないのか。
まあ、ボヤキはさておき、世界のテロ組織の活動やクーデターのほとんどは米国とイスラエルが背後にいることは、今や世界的な常識となりつつあるが、問題は、ではそれが常識となっても、それに対して何ができるか、ということがさっぱり分からないことである。だから世界はプーチンをひたすら頼みにし、彼なら何とかしてくれるのではないか、と彼に希望をつないでいるのだが、彼とて超人ではないし、まして神様ではない。少しだけ良い傾向が見えるとしたら、ここに来てEUの中からロシアに対して歩み寄りを見せる気運が生まれつつあるように思われることだ。ギリシアは言うまでもなく、フランスのオランドやドイツのメルケルもプーチンとの対話に前向きのようだ、という話もある。
世界はソ連崩壊から9.11を経てここまでの「米帝支配」(古いね、どうも)一辺倒でだけはなくなりつつあるようだ。
今の日本も世界も「夜明け前の闇」であると信じたい。


14:11

キエフ、ワシントンの支援をウクライナ人の血であがなう

キエフ、ワシントンの支援をウクライナ人の血であがなう

米国はウクライナ紛争の長期化を望んでいる。キエフ政権は米国のおかげで存在できている。その対価は、自国通貨が暴落しているので、ウクライナ人の血で支払う、ということらしい。以上のような、ポーランド人ジャーナリスト、ヤクブ・コレイバ氏による署名記事が、リア・ノーヴォスチのサイトに掲載されている。



ミンスク交渉は大失敗に終わった。ウクライナ南部・東部における流血の惨事がついに停止されるか、との期待は水泡に帰した。これでひとつのことがわかった。モスクワ以外だれひとり、戦争の停止を望んでいないのだ、ということ。欧米もウクライナ政府も、戦争の終結を望んではいない。彼らの行動そのものがそのことの証拠だ。むしろ戦争を、自分の政略に利用しようとしている。


キエフは戦争を終結させることが出来るのである。まずは命令一下、戦闘行為を停止させ、ついで諸地域と交渉を行い、国の未来を決めていく。簡単な二者択一だ。妥協するか、それとも、物理的に弱らせることによって、相手の立場を変えさせるか。紛争のこの半年の経過を見るに、キエフは緊張緩和に努めてはいない。和平の光明が見えたと思うそのたび、キエフは懲罰作戦を再開した。


何を隠そう、キエフではいま、まったく新しい国家イデオロギーの建設が進んでいるのである。ウクライナという国家の文化的存立基盤の根本的変造である。ウクライナ東部市民にとってはただでさえ容認しがたい、クーデターを出発点とする政権の上に、全く合法的とは認めがたい国家機構が樹立されようとしているのである。


キエフが戦争終結を望まない以上、流血の惨事の停止という重責は、国際社会の肩にかかる。その筆頭は、ウクライナにおける「民主主義の強化」に50億ドルを「融資」した、かの米国である。今やウクライナに対し政治的・また技術的影響力を持ち、ウクライナを平和への途に赴かしめることが出来るのは、ひとり米国のみである。問題なのは、ウクライナで戦争が続くと、世界における米国の覇権が強化される、という構造があることである。米国の国家戦略についての深い洞察で知られるジョージ・フリードマン氏は言う。「米国には、戦争で勝つことなど必要ではないのである。必要なのは、戦争によって、地政学上のライバルに問題を抱えさせ、その潜在力の開花を妨げることだけだ」。


米国はここ10年、ロシアの経済的台頭を、また、時を追うごとに「頑固さを募らせていく」、つまり独立性を高めていくその外交政策を、警戒心をもって観察し続けた。国家戦略の立案を担うものたち、政治工学者たちは、このままではまずい、「国際関係における独立した引力源たるロシアは、無力化されなければならない」と考えられるようになった。そのためには、ロシア国境に戦争を起こすのが一番いい。主要な貿易相手国における、難民の大量発生、人道危機、経済破綻、これにまさる物はない。


膨大な資本投下と工作によって米国は戦争の扇動者たちを大統領・首相・将官の席につかせた。紛争が長期化し、血みどろになればなるほど、この「遠くの」、そして「小さな」戦争に、ロシアはどんどん資本を奪われ、「ビッグ・ポリティクス」にはますます手が回らなくなる。それが米国の狙いである。


今やノヴォロシアの側さえ、紛争終結を望んでいない。ドネツクもルガンスクも、キエフの現政権が続く限り、自分たちに政治的未来はない、どころか、物理的生存さえ危うい、そう理解している。


ウクライナ紛争の終結は遠い。もはやとうの昔に、国内の特定の地域の地位うんぬんの話ではなくなっているのである。ウクライナも、ウクライナ国内の諸権力も、グローバル規模の仁義なきチェス・ゲームに組み込まれてしまっている。ワシントンのグランドマスターが東欧の歩兵にチェックをかけている。その最終目標はモスクワ陥落だ。


ワシントンはウクライナ人が最後の一人になるまでモスクワとの戦争をやめない。そのことを、ヤツェニュークもポロシェンコも理解していない。


拍手

マスコミとネット界に吹き荒れる情報弾圧の嵐

「大摩邇」から転載。「つむじ風」の記事に引用されていた記事らしい。
さて、ネットに存在するあらゆる「真実の情報」をすべて弾圧し、消し去ろうという日本政府の試みは、それをやればやるほどそれらの情報が真実であったことを浮き彫りにするものだ、と私は思っている。まあ、ご苦労なことである。
今は戦前なのか、それともすでに戦中なのか。
茶色の朝がすでに来ていることだけは確かなようだ。


(以下引用)


【転載開始】2015年2月5日木曜日

日本政府 テレビ朝日のYoutubeチャンネル「重大な違反」で全ての動画削除

 
http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/363741/

 YouTubeでテレビ朝日のニュース映像を配信する「ANNnewsCH」が4日、一時アカウント停止状態になった。サイトでは「YouTubeのポリシーに複数回のまたは重大な違反をしたため、このアカウントを停止しました」というメッセージが表示され、これまで公開された動画など一切表示されなかった。

 YouTubeのポリシーでは、「生々しい描画や暴力的なコンテンツ」について「状況に関する説明や教育的な情報が示されていなければ、それは過激な映像と見なされてサイトから削除される可能性があります」としている。

 同チャンネルのどの動画が「ポリシー違反」に該当したのか不明だが、「イスラム国」関連の処刑シーン(の一部)が問題視された可能性がある。

 同日午後4時ごろ、復旧した同チャンネルでは「『イスラム国』日本人拘束・殺害事件」だけでなく全ての動画が削除されていた。


湯川のニセモノ外人首切り写真をYoutubeにアップした際に、私のYoutubeアカウントが2週間、停止にさせられて、未だにReptilianIsRealのアカウントではYoutube自体が見れなくなってますが、日本政府ってやる事が汚いですね。
 
あのフェイクな首切り映像を、なるべく国民に見られないに、あちらこちらにプレッシャーを掛け、消しまくっているんですよね。日本政府がニセモノの合成写真で、国民を脅かして、戦争に邁進しようという魂胆がバレたら日本政府はお終い。
 
嘘をテレビで何百回も流せば真実になる。テレビでくだらないシナリオ付のお涙頂戴劇をして、クライシス・アクター達を英雄の様に褒め称え、「後藤さんは世界的な勇気のあるジャーナリスト」などと持ち上げ、英雄扱い。この首切り劇にご出演の方々は、すべて日本人ではなく、在日朝鮮人(もちろん特権爬虫類人達)だというではないか。
 
後藤も湯川も、犯罪組織日本政府のエージェントだったという事を、国民の皆さんは知らされるべきだし、すべての国民が、あのくだらない合成でできた首切り写真を見るべきですね。湯川の写真は、湯川では無いのは100%確かだし、後藤の首切りに関しても、まったくの無血の首切りごっこだった。
 
ではなぜ、日本政府がテレビ朝日に報復したのか?
それは下の記事に対して、日本政府が激怒したからだ。
 
 

背景の砂漠に人物後付けか 

               人質映像を専門家解析 「イスラム国」事件

 
イスラム過激派組織「イスラム国」がインターネット上で公開した映像を筑波大学システム情報系の蔡東生(さいとうせい)准教授(55)が独自に解析したところ、人物の映像がそれぞれ背景の映像に後付けで合成された可能性が高いことがわかった。
 
この情報は、日本政府にとって非常にヤバイ記事だ。なぜなら警察庁科学警察研究所が、「写真が合成された痕跡は一切無し」と断定した事になっているからだ。朝日デジタルが載せた記事により、警察庁科学警察研究所が嘘をつき、国民を騙した事がバレバレになり、日本政府と警察も含めて犯罪組織という事が露呈してしまった結果となった。
 
 
この点に関して日本政府は、緊急閣僚会議を開き、何とか朝日テレビに罰則を課そうと企んだ。この緊急閣僚会議では、もちろんわたくしReptilianIsRealがアップした湯川の首切り外人コラビデオに関しても、罰則を課する事を決めたらしい。
 
内閣が一番危険と指定しているネット暴露組織またはブログは
1.テレビ朝日
2.東スポ
3.宇宙への旅立ち
4.さゆふらっとまうんど
5.飯山一郎
 
なぜかリチャード・コシミズのブログは、内閣が指定する危険ブログには指定されていなかったという。ジャパン・ハンドラーのエージェントのベンジャミン・フルフォードが、しっかりコシミズをコントロールしているからだ。ただ、彼のブログに張り付いている何人かの危険コメンテーターに関しては、これからも監視していく事で一致したらしい。
 
その他、小規模なブログは、記事だけでなく、ブログそのものも消されてしまったところもあるという。
 
ハッキリ言って、合成首切り処刑コラがみれるのは、現在、私のブログのみに近い状態になっている。ほとんどのブログ管理者達が、日本政府による報復を恐れて合成首切り処刑コラを載せない、または載せても消してしまったところが多い。
 
 
これからも犯罪組織の日本政府は、Youtube、そして危険ブログを監視し、自分達の嘘を隠蔽し続けるだろう。


そして私達は、日本政府からの情報弾圧テロに決して屈してはならない。日本政府からの情報弾圧テロに対して、断固として立ち向かう姿勢が大事だと肝に命じるべきだ。消費税も含めて、日本政府による横暴を許してはならない。
 
日本人を騙す日本政府に抗議の電話を!
 

拍手

カレンダー

05 2025/06 07
S M T W T F S
10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析