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飼い猫の死とフクシマ

「山崎淑子の「生き抜く!」ジャーナル」というサイトから転載。
これを転載したのは、私にはある疑惑があるからだ。
実は、うちの飼い猫が先日死んだのだが、死ぬ少し前に動物病院で見てもらったところ、診断は「腎不全、肝不全、白血病、猫エイズ」となっていたのである。
下の記事に出てくる放射能による病状とほとんど一致しているわけだ。
この「猫エイズ」を「チェルノブイリエイズ」(おそらく放射能内部被曝に由来する免疫不全症候群だろう。)と読み替えれば、これはフクシマや関東地域発の食材がペットフードに使われ、猫のような小動物は人間より早く放射能被害を受けて病死していっているのではないか、というのが私の疑惑なのである。
この猫はまったくの家猫で、家の外には出したこともほとんど無かったので、ペットフード以外には彼(雄猫であった)があのような状態になる原因は考えにくい。
たかが飼い猫の死だ、と思う人も多いだろうが、仮にフクシマや関東発の食材が様々な形で全国に配送され、販売されているならば、他地域の人々もとっくの昔に内部被曝している、ということだ。人間は体が大きいからその影響が犬や猫よりも遅いというだけのことである。
まあ、これは私の妄想かもしれないが、ペットフードの原料にはどうせ最安値の食材を使っているだろうから、放射能で病死した牛や豚の肉など、使われていて不思議はない、と私は思っている。


(以下引用)

【静かな死-癌だけではない、あらゆる病気で人々は死んでいく】『チェルノブイリ・エイズ』腎臓不全、肝不全。2~4歳の子供達が、20歳,25歳,30歳の若者が、急性心不全で死んで行く。なぜ日本の責任者が女性や子供の移住を実行しないのか、私には皆目理解が出来ません。2011/3/19チェルノブイリ救援活動を行っているドイツの女医ドルテ・ズィーデントプフさん


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◆ Das leise Sterben 静かな死


CANARD PLUS


Entelchen Quakelmann


 


 


@Entelchen Deutschland さんのサイト


VENDREDI 21 OCTOBRE 2011 (10/21)


http://vogelgarten.blogspot.com/2011/10/das-leise-sterben.html


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【引用開始】


これは3月、福島原発が爆発した直後にドイツのニュース専門チャンネルn-tv オンライン版に掲載された記事です。・・・略・・・福島から遠く離れた横浜でもストロンチウムの検出された今、翻訳してみることにしました。


ここでインタビューに答えているドイツの女医ドルテ・ズィーデントプフさんは同じ時期、ドイツ第一テレビARD局の『遺伝子の中で荒れ狂うチェルノブイリ』 にも登場されていました。


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ソース:Das leise Sterben


n-tv
SPEZIAL


Samstag, 19. März 2011


Das leise SterbenHorrorszenario wartet aufJapan


http://www.n-tv.de/Spezial/Horrorszenario-wartet-auf-Japan-article2887296.html


 


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Slow death


Fukushima Diary


Posted by Mochizuki on November 6th, 2011 ·


http://fukushima-diary.com/2011/11/slow-death/


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ドルテ・ズィーデントプフさんは20年来チェルノブイリ近郊の汚染地域を訪れ、現地とドイツとで、放射能の被害者達の救援活動を行っています。ズィーデントプフさんは核戦争防止国際医師会議 IPPNWのメンバーでもあります。n-tvとのインタビューでは

白ロシアの村の人々の悲しみに満ちた生活とその静かな死について

そして原発事故の起こった福島を待ち受けている将来について語ってくださいました。

n-tv:20年間チェルノブイリの放射能犠牲者をご覧になっていらっしゃる経験から、日本人を待ち受けている将来についてどのようにお考えになりますか?

急性放射線障害に脅かされている原発作業員達の運命については誰しも想像がつくでしょうけれども、

低線量被曝に晒される何千人、何万人もの人間にも着目しなければなりません。

事故のおぞましい映像や、遅かれ早かれ死に見舞われ、あるいは病に倒れるだろう作業員達の運命にも関わらず、私達はあまりにあっさりと、低量被曝を受けた人々の間に長い年月に渡って広がっていくことになる病気を忘れてしまいます。

n-tv:福島原発周辺地域の放射能汚染に関する具体的な報告はありますか?

残念ながら信頼できる情報はほとんどありません。セシウムが環境に放出されたとらしいというのが私が最近耳にした情報です。そこでセシウムを例にとって説明しましょう。セシウムは生物学的にカリウムと似ており、人間の体は良性のカリウムとセシウムとを区別出来ません。

セシウムは呼吸と食物を通して人体に侵入します。

セシウムの身体への侵入を防ぐことは出来ません。人間の体に入ったセシウムは独立して細胞に取り付き、細胞のエネルギー源を破壊します。肝臓であろうと膵臓または脳細胞であろうと問題ではありません。セシウムに取り付かれた細胞は、隣接する細胞を同様の状態にした後、死亡します。こうやって不気味な悪循環が始まるのです。生命は細胞から誕生しますが、この場合、細胞は死の出発点となるのです。

n-tv:細胞に取り付いたセシウムの潜伏期間はどれくらいですか?

それはセシウムを取り込んだ人の年齢によります。子供は細胞分裂を絶え間なく行っていますから、より大きな危険にさらされています。成長期にある子供は常にエネルギーを必要とし、常に傷ついた細胞と共存していかなければならないのです。すでに臓器の成長が終わり、細胞分裂の総数が少ない成人は、即座には脅かされません。そう言う訳で、

子供の方がずっと早い時期に悪性の疾患に見舞われます

チェルノブイリの経験から早ければ一年後から四年後とわかっています。成人の潜伏期間は20年から25年です。

n-tv:つまりチェルノブイリ事故から25年を経た今、当時いわゆる低線量被曝を受けた人間が発病しているということなのですか?

その通りです。当時の大人は25年間生き延び、今病気になっています。


私達はそれを”静かな死”と呼んでいます。

当時の子供達はもうとっくに発病しています。そして多くが死んでしまいました。

n-tv:人間の生殖活動にはどのような影響があるのでしょうか?

セシウムは遺伝細胞にも存在します。厄介なのはセシウムが女性の卵巣や卵細胞にも取り付くことです。これらは再生しない細胞なので、生涯傷つくことになります。


男性の精子は再生しますが、生殖活動の中で、傷ついた情報が伝達されていきます。そうなるとまったく子供が生まれなくなるか、または生まれても、父親と母親から傷ついた情報を受け継いでいるのです。その結果はとても想像できません。

日本の責任者達はとっくに女性や子供を南に移住させていなければなりません。何故彼らがそれを実行しないのか、私には皆目理解が出来ません。

将来大量の白血病が出現するでしょう。今回のセシウム雲は日本人にとって大変な惨劇です。しかもその他の放射性核種についてはまだ何もわかっていないのです。


n-tv:
ヨウ素とストロンチウムも話題に上っています。 

ヨウ素というのは放射性ヨウ素のことで、子供の甲状腺に様々な影響を与えます。子供達は成長途上にありますから、甲状腺は大人よりも多くの放射性ヨウ素を取り込んでしまいます。チェルノブイリの経験から、子供達の甲状腺癌が飛躍的に増加することが予測されます。残念ながら日本の方々は覚悟をしていなければなりません。

 n-tv:ストロンチウムは?

ストロンチウムもセシウムに似て、厄介極まりない核種です。人間の体はストロンチウムも区別することが出来ず、

食物に含まれていれば吸収してしまいます。ストロンチウムは骨と歯に取り付いて放射を続け、

血液(つまり赤血球や白血球、血小板と言った基本細胞)を製造する器官のある骨髄を攻撃

します。これらの血液細胞はストロンチウムによって傷つけられます。それも生涯に渡ってです。というのは

ストロンチウムは一度取り付いた場所を離れることは決してなく、そこで短いベータ線を放射し続ける

からです。

n-tv:事故を起こした原子炉の周辺地域がどれくらいの時間で再び清浄になったと言うことが出来るデータは存在しますか?

半減期というのは放射線の半分が消滅する期間を指すだけです。生物環境から放射性核種が完全に消滅する時期を想像するには、それぞれの半減期に10を掛けなければなりません。ストロンチウムとセシウムの場合はだいたい400年ということになります。つまり想像しうるあらゆる生物環境いたるところに低量の放射線が存在すると言うことです。もちろん地下水にも。

n-tv:汚染地域で生きること言うことを、どのように想像したらいいのでしょうか? 

生きるですって? 何よりも人々は死んで行くのです。

静かに死んでいきます。

主に癌が原因ですが、あらゆる病気で人々は死んでいきます。


ストロンチウムも大きく起因しています。例えばエネルギー交換が不可能となって心筋がやられます。ベラルーシーで行った診察は、

子供達が2歳、3歳、4歳にして急性心不全で死んで行くことを証明しています。

癌だけではないのです。

腎臓不全、肝不全や多くは血液製造障害が原因で人々は死んでいきます。これらは「チェルノブイリ・エイズ」という名称で知られ、生き延びられるチャンスはほとんどありません。

n-tv:事故との共存が社会的に受け入れられることが最終的にあるのでしょうか?

外見上はあります。私はかれこれ20年に渡って定期的にチェルノブイリの周辺地域を訪れていますが、今でも現地の人々は事故のこと、自分達の将来のことについて語るのを嫌います。彼らは身を小さくして、死と共に生きています。死人を出さない家族はありません。若い人々、うんと若い人々が本来は老人にしかありえない病に侵されています。チェルノブイリでは、家を出た途端倒れて死ぬ若者がいます。


急性の心不全です。20歳,25歳,30歳での心不全は決して珍しくありません。

n-tv: プルトニウムについてまだ話をしていません。もしも大爆発が起こったら環境に放出される可能性がありますね。

万一原子炉のひとつでも本当に爆発することになったら、私には想像したくもない惨事になるでしょう。プルトニウムはこの世で一番恐ろしい毒物です。福島の原子炉の燃料の半分はプルトニウムを含んでいるという話です。

ほんの少量でもプルトニウムが体内に侵入すると肺癌に発展します。

これに対して人間の体はまったく無防備です。そしてこれは不治です。何十万という人々が命を落とすことになるかもしれません。


(Peter Poprawa によるインタビュー)


【引用終了】


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曽野綾子の「誠実」とは何に対する誠実か

「晴耕雨読」に載った内田樹の文章の一節(たぶん、英語記事の翻訳)である。
曽野綾子が道徳の教科書に載っていることは知っていたが、よく考えるとこれは大問題である。人種差別主義者お仲間で言うならば、ヒトラーを道徳のモデルとして採り上げるようなものではないか。あちらはユダヤ人を差別し、こちらはアジア諸国の人々を差別(当人の反論では「差別ではなく区別だ」ということだが、差別と区別など同じとしか普通の人は思わないだろう。まあ、「差別は上下に分けること、区別は横に分けること」とでも定義したら、子供でも理解はできる。だが、黒人やアジア人を白人とは区別して扱ったかつての南アのアパルトヘイト政策は、実際には差別以外の何物でもなかったことは世界の常識だ。)しているという違いだけである。
中学生の白紙のような頭脳に、曽野綾子が道徳テキストの「誠実」のモデルとして刷り込まれるのはいかがなものか、と思うのだが、逆に考えれば、これは政府発行の「道徳テキスト」など読む価値も無い、という良識を彼らに与え、彼らを政府の洗脳から守る良薬となるかもしれないwww
しかし、曽野綾子が「誠実」のモデルとは、いったい何を根拠にして選んだのだろう。まさか、アフリカやどこかへの観光ついでの貧民視察旅行(「まあ、汚らしい連中ね!」としか思っていないが、「目的」のためには我慢、我慢。ついでに、ちょっとした土産を数人の貧民たちに与え、子供たちと一緒に写真に納まれば、「素晴らしい慈善行為」一丁上がりである。金なら、日本財団会長か何かをやっていた関係で、競艇収益の一部をがっぽり貰っていただろうし。)などだろうか。まあ、夫ともども保守エスタブリッシュ層の放送塔、代弁者としてその権益を守るための発言(庶民に対して「自分の分際を知り、奴隷としての道徳を守り、お上に逆らうな」というお説教をすること)を長年続けてきた、という意味では「権力に対して」誠実であったわけだ。
なお、山崎行太郎のブログで曽野綾子関連の記事を見れば、彼女の人格の卑しさ、不誠実さは丸分かりである。


(以下引用)


だが、日本最大の日刊紙である保守系の讀賣新聞は曾野綾子が安倍晋三首相の教育政策についてのアドバイザーであった事実も、彼女が日本の文科省によって昨年全国の中学に配布されたテキストブックに大きく取り上げられた事実も報道しなかった。

この「私たちの道徳」とタイトルされたテキストブックの中で彼女は「誠実」のモデルとして取り上げられていたのである。






(追記)前説で触れた山崎行太郎の曽野綾子に関する記事の一つを転載しておく。曽野綾子の妄言・暴言は大昔からであり、その意味では筋金入りの「女石原慎太郎」である。


2007-12-02

曽野綾子の「沖縄差別発言」を総括する。Add StarWallersteinnesskokechackmujinmujinhagakurekakugoo-kojo2nesskotraffickerdj19fabricea6zp1z80a6zp1z80Romance




佐藤優が、「月刊日本」12月号掲載の論文「吉野、加名生詣でと鎮魂」で、沖縄集団自決問題に関連して、「沖縄の人々は、われわれの同胞である……」「左右の対立という瑣末なレベルに拘泥して、同朋意識を失ってはいけない……」「今、右派の沖縄に対する見方が、朝鮮や中国に対する見方と同じになっている……」「沖縄に外国に対するように処すれば、これは沖縄の本土からの独立運動さえ誘発しかねない……」「現に、沖縄での集会の中心にいたのは、沖縄における保守の人々であり、自民党だった……」「まさに沖縄にける右翼の人々から、内地への不満がたくさん出ている。そしてこうした状況を見越して、中国が策動しています。彼らは沖縄にやつてきては、『こちらにも歴史認識の問題があるようですね、どうです、私たちの気持ちが分かるでしょう』と揺さぶりをかけてきている……」というような、かなり重大な発言をしているが、曽野綾子やその仲間達の発言の中にも、沖縄集団自決問題を論じていく過程で、理性的な思考力を失って感情的になり、沖縄や沖縄住民にに対する、差別的な発言が多く見られる。たとえば、小林よしのりも、つい先日、都内で行われた保守派グループ主催の「沖縄問題シンポジウム」会場で、聞くに堪えないような沖縄への差別発言が飛び交っていたと書いているが、曽野綾子も、こんな差別発言を行っている。


私は東京生まれの東京育ちですが、右も左も縦も横も、めいめい勝手にいろんなことを言って、その混沌たるものが人間の自由な生活だと思って来ました。でも沖縄だけ違いますね。今度の件でも、どなたがと名前は明かさないけど、ある沖縄の方が「反対意見は述べられない」とおっしゃった。


(「サピオ」11/28日号)


僕は、東京生まれでも東京育ちでもないから、東京生まれ東京育ち東京人と呼ぶべき人たちが、どれだけ自由奔放に物を考え、どれだけ自由闊達な発言をしているか知らないが、こういう馬鹿馬鹿しい差別的な発言を聞くと、自分達だけが自由に物を考え、自分達だけが自由に発言できる、なんてことは、たとえば言論統制、言論弾圧下にある北朝鮮の国民だってそう思っているはずであって、おそらく北朝鮮の国民だって、曽野綾子と同じようなことを言うだろうな……と思いつつ、ついでに江藤淳の『閉ざされた言語空間』は何処の国の話だっけと記憶を辿るうちに、思わず吹き出したくなった。むろん、曽野綾子が言っていることが、いわゆる独断と偏見に基づく俗論であって、理論的に考えるまでもなく、まったくのデタラメ妄想発言であることは言うまでもない。沖縄の人たちだって、自由に物を考え、自由に発言しているに決まっているじゃないか。沖縄には、曽野綾子が欲しくて欲しくてたまらなかったが、能力不足と才能不足でどうしても手が届かなかった芥川賞を、いとも易々と受賞した作家だって何人もいるじゃないか。むしろ、沖縄の人たちこそ、たとえば放浪差別を強いられたユダヤ人のように、その地理的、政治的、思想的な位置の特異性の故に、われわれより、あるいは「東京生まれ東京育ち東京人」より、はるかに「深く物を考えている」と見るべきだろう。逆に、沖縄の人たちが、自由に物を考えることができず、自由に発言できないとすれば、それは「東京生まれ東京育ち東京の人」たちだって同じことだろう。少なくとも、「東京生まれ東京育ち東京の人」たちが、沖縄の人たちより、深く物を考え、自由闊達に自己表現しているとはとても考えられない。たとえば、ここ一週間ぐらい日本中の目を釘付けにした「香川失踪事件」においては、日本国民の90パーセントが、「あのオヤジが犯人だろう……」と考えていたはずだと僕は思っているが、それは、われわれ日本国民が自由に物を考え、自由に発言出来るからではなく、マスコミの垂れ流すデマ情報によつて情報統制され、情報操作されているからで、われわれが、自分達だけは自由に物を考えていると思っているうちに、いつのまにか、自由に物を考える力を奪われていたということだろう。要するに、「自分達だけが自由に物を考え、自由に発言している……」という思考こそが、イデオロギーであり、妄想にすぎない。人間の思考は、様々な制度や物語の圧力によつて支配されコントロールされている。思考や言論への圧力や弾圧は、国家権力や国家暴力によってのみなされるのではなく、人間自身の中にも、そういう思考や言論への圧力や弾圧のシステムは、既に常に、形成されている。「東京生まれ東京育ち東京人」だけが、自由に物を考え、自由に発言しているという曽野綾子的な妄想こそ、まさしく病的な妄想であって、曽野綾子のような「東京生まれ東京育ち東京人」の思考こそが、もっとも類型的、紋切り型の思考に拘束され、薄っぺらな流行思想に、たとえば保守論壇を支配している「保守思想」という薄っぺらな流行思想に洗脳され、物を考える力を奪われている見本なのである。何故、「沖縄文学」や「在日文学」が、現代日本の文学で重要な位置を占めているのかを考えてみれば、それはすぐにわかることだろう。「東京生まれ東京育ち東京人」よりも、沖縄人や在日朝鮮・韓国人の方が、「物を深く考える」ように強いられているのだ。さて、話を元に戻そう。最近保守論壇には、沖縄への差別的な発言があふれかえっているが、曽野綾子だけではなく、たとえば、渡部昇一も、次のように言っている。


また沖縄は元来、天然資源があるわけでもなく産業が発達しているわけでもないので、豊かであり得たはずがありません。ですから、「基地問題」で騒げば必ずカネが出るということを学び、そのようなパターンができてしまいました。米軍基地の土地を持っている人たちは、基地反対運動で騒いでいる人たちを支援しているという構図もあるようです。「「騒げばカネが出る」というメンタリティーが相当広く沖縄の人たちの間に根付いてしまったということがあるように思います。


(『歴史教育を歪めるもの』「will」12月号)


僕は、何回も繰り返すが、「沖縄集団自決」において「軍命令があったか、なかったか……」とか、「歴史教科書に『軍命令・強制』を書くべきか、削除するべきか……」というような議論・論争にあまり興味がないが、「沖縄集団自決問題の本質はカネである」と言いたげな渡部昇一のような人間を見ると、心底から軽蔑したくなる。こういうことを書いたり発言したりする人を、「保守派」とか「保守思想家」と呼ぶのだとすれば、半ば冗談とは言えども、「保守思想家」という看板を二度と掲げたくないと思うと同時に、こういう似非保守、似非保守思想家を徹底的に叩き潰してやりたくなる。「保守」や「保守思想」の本質は、「下品」が売り物の僕が言うのもなんだが(笑)、人間品格だろう。曽野綾子や渡部昇一の発言に、「保守思想家」としての人間品格があるのか。









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権力と、それに媚び諂う事大主義者層

「阿修羅」の、或る記事に寄せられた幾つかのコメントを見ると、今回のISIS人質事件の真相を正しく推定している人がけっこういるようだ。これらのコメントを読むだけで、日本人も馬鹿ばかりではないと分かる。日本人全体が孔徳秋水氏言うところのチンパン国民というわけではなく、真実が分かっていても口に出さない層がけっこういるわけだ。
自民党支持者以外には、自分がどんな政治思想を持っているか口に出す人間はほとんどいないだろう。自民党支持者は、それを口に出せば出すほど社会的地位上昇や金銭的利益が見込めるからである。他はその逆だ。だが、自民党支持層のような事大主義者は、心ある人々からは腹の底では軽蔑されているのである。

コメント10の「日本政府と日本国民の間に国境がある」というフレーズは秀逸である。つまり、我々が日本政府と呼んでいるのは米政府の一部局にすぎないわけだ。だからこそ日本政府はあれほど反国民的政策・国民搾取政策・国民弾圧政策を平気で執り続けるのである。


(以下引用)


07. 2015年2月18日 21:37:58 : MzzjNilco2
後藤さんを殺したのは、やはり安倍だった。
安倍は、日本国民を守るどころか、殺害を促した。
アメリカ様に褒められるなら、日本人の命なんか屁とも思わない冷血売国奴だ。

08. 2015年2月18日 21:58:05 : edP5zs90NQ
たかが二人と>>02のボンクラは云うのだけれど、たかが二人も救えない政府に国を救えるわけがないと思うのが普通の人の考え方。
>>02にはそういうことがわからない。
安倍を支持する小僧や若造にはこういう情の機微に非常に乏しいバカなのに頭デッカチのクズが本当に多い。
そしてバカのクセに尊大な態度をとるのも皆一様に似通っている。

[32削除理由]:削除人:言葉使い
09. 2015年2月19日 00:22:03 : bfJT2ldgaI
安倍は殺人者であることは間違いない。今度は、あなたの番かも。

10. 2015年2月19日 01:12:50 : fpt8itpB5Q
おまいら何も判ってなくて脱力した
阿修羅ってこんなレベルだっけ?
安倍も日本政府も、集団的自衛権を得るために日本人を殺して見せる必要があった
安倍も日本政府もISIS側だ
日本政府と日本国民の間に国境があるのを知らんのか
ここはアメリカの植民地だぞ

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曽野綾子の「天国」頭脳

「空の続きはアフリカ」というブログから転載。
小田嶋隆ツィッターで知った記事だが、素晴らしく明晰で論理的な文章である。
曽野綾子の非論理的な感情的文章とは天と地の相違である。
曽野綾子の文章は偉そうなお説教口調だから、それだけで論理的だと思い込む読者もたくさんいそうである。また、自分の体験談、あるいは体験だとする話を混ぜることで、「現実的で冷徹だ」という錯覚も与える。だが、その作文の動機は常に党派的、党利党略的なものであり、その文章は常にプロパガンダである。要するに、右翼教布教の意図しかない。冷静なのは見かけだけで、内実はどす黒い感情だけだ、と言える。
彼女の頭脳は現実から遊離した奇妙なもので、悪い意味での「天国」だ。とは言っても、彼女がキリスト教を本気で信じている、という意味ではない。それは彼女の世渡りのための戦略の一つだろう。(偽キリスト教徒のセレブは欧米にはたくさんいる。)彼女が新約聖書を一度でも真面目に読んでいれば、あのような下層民差別的妄言は吐かないはずだ。
彼女の文章がいかに現実から遊離したものかは、下の記事に書かれたこと一つから分かるだろう。いわゆる「一事が万事」であり、「一斑を以って全豹を知る」である。


(以下引用)



南ア永住の日本人より曽野綾子さんへ

【2015.02.18 Wednesday
00:25
南ア永住の日本人から曾野綾子さんへ

曾野綾子さんが、アフリカのアパルトヘイトを見て、それからこういう考えを持つようになった、という記述があるので、日本に生まれ、その後、米国、欧州、アフリカ各地を生活した後、南アフリカを永住の地に選んでいる私からも、彼女のその意見がいかに現実を正しく“見ていない”かということを書いておくことにします。

**********************
曽野綾子さん、あなたの意見を要約すると、こうでしょうか。

*20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。

*南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃後、白人専用だったマンションに黒人家族が一族を呼び寄せたため、水が足りなくなり共同生活が破綻し、白人が逃げ出したという例を出し、人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい、と思うようになった。
(産経新聞 2015/02/11付 7面より)

他のアフリカに関係がある人たちもいろいろあなたの論点のずれているところを指摘していますが、南アフリカに永住し、ここの生活者である私が、指摘しておかなくてはいけない、と思ったのは、ここのところです。

【白人専用だったマンションに黒人家族が一族を呼び寄せたため、水が足りなくなり共同生活が破綻し、白人が逃げ出したという例】

確かに、いま私が住むダーバンのダウンタウン近くのかつては高級リゾートマンションであっただろう物件の中には、しばらくメインテナンスがされていないのが明白なものがいくつか目につきます。これは、所有者が共同でするビルの補修を何らかの理由で放棄し、その後に各国から来ている不法移民が入り込んでいる、というケースもあります。

ですが、あなたの言う、何十年も前に、白人専用だったマンションに黒人家族が入居し……、というくだりが私には胡散臭いのです。

何故かというと、アパルトヘイトが終焉を迎えた頃、白人専用の“高級”マンションに入居できるような裕福な黒人層はほとんど存在していなかったのです。職業の自由も住居の自由も黒人には許されていなかったアパルトヘイト政策下では当然のことです。が、万が一、そういう黒人がいたとしましょう。でも、そういう富裕層の黒人は、あえてマンションなど選ばず、一軒家の邸宅を選ぶはずなのです。

日本の国土の四倍の広さを持つ南アフリカです。都市部にたくさんマンションが必要になってきたのは最近のことだし、それに、そもそも、“高級マンション”という概念自体が日本のそれとはまったく違うことも指摘しておきます。日本で言えば、例えば都会の“億ション”と呼ばれる物件などがこの高級マンションになるのかもしれませんが、南アで高級マンションと言ったら、一フロアが一物件となるようなもので、こういうところであれば、家族が10数人いたとしても、何の問題もなく生活していけるでしょう。

でも、こんな簡単に話を終わらせる訳にもいきません。あえて、その白人専用の高級マンションに富裕層の黒人一家が移り住んだとしましょう。都会のマンションを選ぶような黒人は、かなり現代的で高等教育も終えているエリートでしょう。そういう黒人は日本や米国のようなエリートたちと同じで、ほとんどが都会では核家族で住んでいるのです。そして故郷には親兄弟のために立派な家を建てているはずです。

ですから、白人専用の高級マンションに大勢の黒人が入り込んでそのマンションの給水設備を破綻させた、というのはかなり特別な状況で、あなたが「人種は別に住んだほうがいい」という仰天するような論旨の根拠となるためにはかなり厳しいと思います。

もちろん、私がここにいて、人種間の軋轢を感じない日はありません。いまだに、まだ「アパルトヘイト時代が懐かしい」とまで言う人もいます。

曽野綾子さん、あなたは小説を書く人です。なので、あえて、私の想像も脹らませてみましょう。あなたがその20年~30年前に南アを訪問されたとき、きっとあなたたちを案内した現地の人間(白人を想定しています)がいたでしょう。そして、きっと、こんなことをささやいたのではないでしょうか。

「黒人たちは大家族で住むんですよ。白人の家族などはせいぜい4人から多くたって6人ですよね。だから、簡単にご想像してもらえると思うんですが、彼らが私たちが住むマンションに引っ越してきたら、水だって、電気だってすぐ足りなくなりますよ」

残念ながら、南アフリカでは、アパルトヘイトが終わってから21年経つ現在においてでさえ、人種間の壁はまだまだ高く、お互いの文化をよく知ろうとしない人たちが人種を限らず存在します。まして、30年前のアパルトヘイトを「良い政策」と信じていた白人だったら、実際の迷惑を受けたか受けなかったか、などまったく関係なく、憶測でこういうことを言ったかもしれません。

が、あなたは本もたくさん書かれる“作家”ではありませんか。こんな実際にはかなり現実的でない状況を引いてきて、人種は別々に住む方がいい、などという発言をされているとしたら、これはあまりにも軽率な行為ではないですか?作家としてだけでなく年長者としてもです。

最後に、2015年現在、私の娘がケープタウンで大学生をしています。ここには、あなたが提唱するまったく逆の毎日が繰り広げられています。

彼女の住む共同住宅用としての一軒家は、一人一部屋は日本でいう8畳くらい、そのほかに5名の他の同居人と共有で使う広いラウンジ、キっチンがついています。その一軒屋には、日本人の私の娘、南アの黒人女学生2名、白人男性2名、白人女性1名が、何の不都合もなく、共同生活をしています。全員がケープタウン大学生かその卒業生です。

曽野綾子さん、あなたには、命をかけてこういう現実が来るよう戦ってきた故ネルソン・マンデラさんはじめ多くの南アの人々にどんな説明をするのでしょうか。

私は日本で生まれ日本で育った人間ですが、南アに永住しております。そして、“日本人”だからといって、ある一定の場所に住め、などと南アの政府にも南アの知識人にも一般人にも言われたことはありません。この国では未来永劫そんなことを言われないでしょう。

南アではあなたのような“知識人”でも、また一般の人間でも、人種差別につながる今回のあなたのような暴言を吐くことは、法律的に許されておりません。
 

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ギリシアの取るべき道

私のブログは、思考過程をそのまま書いているだけだから、とりとめが無いのは当然である。(夏目漱石の『猫』の中で苦沙彌先生の文章を評した「行雲流水のごとし」式の文章だ。)本来なら他人に見せる必要も無いものだが、書いた後で読み直し、誤字や誤文の訂正、文章順序の入れ替えなども少しはする、というのはやはり他人に見せるからやることである。つまり、ブログとして公表することは、自分自身への多少の縛りにはなっていて、それはたぶんいいことだと思っている。そもそも、基本的に一日に一つはブログ記事を書くこと自体、自分への縛りではある。そういう縛りをしないと、私の頭はとめどなく退化していくだろう。
そういうのが私のブログだから、中にはただの思考素材をメモしただけのものも混ざることになる。いつでも、自分自身が設定した考察課題に集中できる心理状態であるとは限らないので、そういう時には目についた思考素材を拾って転記しておくだけになるわけだ。
下の記事は「ネットゲリラ」の或る記事のコメントの一部だが、そういう思考素材になりそうな事例である。

1)通常の場合、貿易損益は為替変動で自動調節されて穏当な水準に落ち着いていくものだが、EUの場合は為替変動による自動調節が機能しないため、貿易黒字国(ドイツなど)の黒字は実力以上にいっそう黒字化し、貿易赤字国(ギリシアなど)の赤字は実力よりもいっそう赤字化する。(部分的に森永卓郎の或る文章を参考にした。)
2)EU内の貿易赤字国は、国自体には通貨発行権は無いので、貿易赤字を通貨発行でしばらく誤魔化すこともできず、貿易赤字はそのまま国内流通通貨の減少となり、すぐさま国民生活を窮乏化させる。
3)しかし、食料自給率が高い国では、外国からの輸入品は、エネルギーを除けばいわば「生活には不要不急の物品」であり、贅沢さえしなければ、その窮乏生活は耐えられないほどではない。
4)当座の結論を出せば、ギリシアはEUに加盟するかぎり国家としての赤字は増大する一方であるようにシステム化されているので、ギリシアはEU離脱が賢明な道である。借金については、踏み倒せばいい。(笑)踏み倒しても、それを制裁する手段はEUには無い。せいぜい、ギリシアへの追加融資を拒否する程度であり、それはかえってギリシアの自立を促進する。

というのが、下の記事(コメント)から考察されることである。
以上はどちらかといえば「徽宗皇帝ブログ」向きの思考素材とそこからの当座の思考だが、メモとして書いた。
実は、最初は思考素材を転記するだけで、考察までする気は無かったが、思考は連想によって推移するものだから、素材を転記しながら読むうちに思考が自動的に動き出したのである。
物事はこういうものだ。
「やる気が出ない時にやる気を出す最高の方法は、まずやる事、懸案事項にとりあえず手をつけることである」というのは真理である。



(以下引用)



ギリシャがEUを脱退してアルゼンチン化しても、ギリシア国民は困らない
食糧自給率が高いから、問題なし
一方、ギリシアの抜けたEUは、ユーロ高になってドイツの輸出産業が苦しむ
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さっさとユーロ抜けてユーロ終わらせた方がいい
ドイツと小国の通貨が同じという統一通貨構想自体がおかしい
日本ですら地方と東京の歪みが問題になってるのに
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ギリシャユーロ圏離脱カウントダウン
これでデフォルトが濃厚になりつつある      



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曽野綾子話法

「ハフィントンポスト」のブログから転載。
東大話法ならぬ、「曽野綾子話法」というのが明確に分かりますwww

曽野綾子の文章は、何十年も前からまったく読まなくなったので、最近の彼女の妄言は二次情報を経由してのものしか知らない。読めば不快になるのが分かり切っている文章を読む気力など私には無いのである。
だからこそ、彼女の妄言が妄言であることを論理的に解析した下記記事は、私にとっては有り難い。それは、私が曽野綾子の文章を読まなくてよかった、という確証を与えてくれたからである。
もっとも、世間の大半の人々はこの武田氏のように分析的に文章を読む能力は無いから、残念ながら曽野綾子の「浮薄な噂程度の情報を元にし、何の論理性も無いものだが、自分は選ばれた人間だと信じる人間たちを満足させるような、社会の下層の人々を見下した論断」こそが、彼らを大満足させるものではないか。いや、社会下層の人々さえ、彼女の言葉に頷いて、「自分の不幸は自分の努力不足のためだ。もっと頑張らねば」と考え、努力に努力を重ねて社会の消耗品としての人生を送るかと思う。まあ、努力の結果、多少の地位の向上はあるだろうから、彼女のような「辛口」の言説の意義も少しはあるわけだ。イワシの頭を信心する程度の意義だが。
かくして、虐げられた人々、努力しても報われる余地の無い人々の悲鳴は埋もれ、谷間の百合さんではないが、「すべて世は事も無し」が続いていくのである。


(以下引用)後半(難病者の問題)はやや詳細すぎ、いささか冗長に思うので、「曽野綾子論」の大筋だけ知りたい人は前半だけ読めばいいかと思う。



        

「誰かを叩きたい欲求」を誘発し続ける古びた論客

投稿日: 更新:

■曽野綾子氏にとって成熟とは何か


曽野綾子氏の『人間にとっては成熟とは何か』は「2013年・年間ベストセラー」の総合7位を記録した(トーハン調べ)。曽野氏の言い分のテッパンである「戦争中に比べれば今はなんて贅沢」「途上国に比べれば日本は恵まれている」「若者や女性はなんでも社会に権利を求めるな」というテーゼは、どの本でも共通している。チェーン店のように、どこで何を開いても同じ味を出してくる。最近の日本人(特に若者)は甘やかされている、とする彼女のスタンスが暴走したのが、この夏の週刊誌で物議をかもした「女性社員は子どもが産まれたら会社をお辞めなさい」という時代錯誤も甚だしい見解だった。さて、年の瀬、『週刊ポスト』新春合併号に掲載された曽野氏の年頭エッセイ「浅き夢見て」を読んで卒倒、浅い夢なら醒めてくれと個人的な卒倒だけでなんとか済ませようと踏ん張ったのだが断念、曽野氏の薫陶が世に受け入れられている現状を知れば、そこに懸念を向けて、年末の挨拶に代えさせていただくことをお許し願いたい。


■「原発を承認して住んだのだから」とはいかなる意味か


今もなお、全国で27万8000人(復興庁・11月27日発表)を数える避難者の頬をいたずらに引っぱたくような発言が繰り返される。
「不運や不幸を社会が補償するのが当然だ、というような発想は全く最近のものである。厳密に言うと、今回の事故でも、原発ができる以前からあの土地に住んでいた人はほんとうにお気の毒であった。しかし原発ができた後であの土地に移り住んだ人は、原発を承認して住んだのだから、補償の額も違って当然だろう」。
この手の「ズバリ言うわよ!」的な妄言が、一部で「よくぞ言ってくれた」と受け入られる可能性は高い。原発事故は地域を引き裂き、個人を孤立させた。孤立した個人は、共に歩んできたはずの隣人との「差」を気にし始める。曽野氏は、その「差」の傷口に塩を塗っていく。意識の変化や立場の差は実際に生じているのだから、効果はある。出産発言と同様、ここでも個々人で生じているわだかまりに向かって、争いを誘発する言葉を撒く。個々の声に寄り添うならまだしも、塩を撒くのは、ヘリコプターの上からだ。


問いたい。「原発を承認して住んだのだから」の「承認」とは具体的に何を指しているのか。福島県の不動産のチラシに「そのうち爆発しますのでお安くしておきます」と書いた物件が一軒でもあったろうか。絶対安全です、と呪文のように唱え続けることで騙し倒してきただけではないか。経済産業省・総合資源エネルギー調査会基本政策分科会は、年明けに閣議決定する「エネルギー基本計画」で、原発について「基盤となる重要なベース電源」であると明記するという。原発輸出で外貨獲得に勤しもうとする政府が、国内で原発を稼動してなければ売りにくいっしょ、と企んでいるわけだ。こういった「国家的詐欺の再稼動」を後押しするかのように、馴れ合いの人生訓を染み込ませて「そもそも人生は苦悩に満ちたもの」と悟られると、反論のために用意する言葉がどこまで汚くなっていくのを抑えることができない(必死に抑えた)。


■具体例の無い人生訓に付き合っているだけではいけない


生活保護バッシングで繰り返された典型例、「生保(ナマポ)なのに、パチンコ屋に通ってる」に始まる、「意外と悠々自適なんだよアイツら」と同じような風説を、曽野氏は被災地にも持ち込んだ。
「自宅に戻れなくなった地域の人が、(中略)補償として大人から子供まで月十万円の補償を受けるようになった。そのような家の子供が、転居先の町で、タクシーを乗り回していると先日教えてくれる人がいた」と書く。ひと呼吸置いて「この手の話は無責任な噂話かもしれない」としているのもかかわらず、最終的にエッセイを「苦悩に満ちているのが人生の定型だと認識して一生歩き通すのだ、という覚悟を決めたほうがいい」という訓示で締めくくる態度には、1ミリも心を寄せたくない。補償金によって、地域住民が分断されているのは確かだ。では、分断したのは誰か、という主語を探す時に、その主語が受け取る側にはないことくらい、お気づきいただけないものか。


世代論を、結局のところ建設的な議論を育めないから、と避ける人が多いが、下記のように言われれば、なかなか黙ってはいられまい。
「今、私たちの世代(注:曽野氏は現在82歳)が集まると、社会はどうしてこれほどに、世間を甘やかすようになったのだろう、と言う。若者を甘やかし、年寄りを持ち上げ、障害者の言うことなら何でも正しい、とする。怠け者の貧困さえも人間的なことになったのだ。こんな甘やかしの時代を、私たちは見たこともない」。
これほどまでに暴力的な見解をそのまま載せて年頭挨拶とさせる甘やかしをこれまで読んだことが無い。ちっとも具体例の無い人生訓に付き合っているだけでは何だかこちらまで軽薄と思われてしまいかねないので、なかでも許し難い横暴な言質「障害者の言うことなら何でも正しい(とするなんて)」に関連して、具体的な反論を投げてみることにしよう。ちょうど今、「障害者の言うこと」が切実に問われている案件がある(なお、難病と障害者の言葉の用い方については、難病情報センターHPにあるこちらの見解を参照した)。


■医療費助成制度改正により、全ての難病に自己負担


厚生労働省は2015年1月から難病の医療費助成制度を改めようとしている。骨子としては、助成対象になる難病を現状の56から約300に広げ、現状自己負担ゼロだった重症者にも負担を求めていくという。難病指定を広げることで、助成を受けられる患者が現在の78万人から100万〜150万人ほどに拡大されるのは歓迎すべきだが、逆に、これまで負担なしで治療を受けてきた難病患者に対しても負担を求めることになる。厚労省は当初、自己負担の上限を月3000円~44400円としていたが、患者団体などからの負担増への懸念を受け、月1000円~30000円へと下方修正した。


難病とは文字通り、治すことが難しい病であるから、半永久的に負担を強いられることになる。具体的に下方修正される前の記事(朝日デジタル)で、日本難病・疾病団体協議会の伊藤たてお代表理事が「重症の定義があいまいで、どの程度負担が軽くなるのかわからず、現時点で評価できない」と慎重になっているように、膨れ上がる医療費を何とかして抑制しようと試みる政府の思惑に翻弄されないように注視していく必要がある。なお、生活保護を受けている人はこれまで通り負担なし、負担額は世帯年収に応じて決まるという。この辺りの「曲解」も不安ではある。


■「この法案は、人間の個人的な『死』に関して国家が介入するという政治的なもの」


難病患者には、もうひとつのプレッシャーが重なった。尊厳死に関する法案を検討する自民党のプロジェクトチームが今月3日に初会合を開き、尊厳死の法案化について、来年の通常国会提出を目指すとしたのだ。「法案では、患者の事前の意思表示があり、医師が回復の可能性がなく死期が間近と判断した場合に、医師が延命措置をしなくても『刑事上などの責任を免除される』としている」(毎日新聞)というのだから、この法案によって醸成されるであろう世論は、難病患者にとっては大きな心理的負担となる。「尊厳死の法制化を認めない市民の会」は極めて明確な反対声明を出している。「この法案は、人間の個人的な『死』に関して国家が介入するという政治的なものです。(中略)法制化の動きは増大する医療費の圧縮や臓器移植への期待などを背景にして活発になってきております。わたしたちは、本来の意味での『死の尊厳』を守るためにこれを阻止しなければならないと考えております」。
石原伸晃氏は、胃ろう措置で暮らす患者を視察して「人間に寄生しているエイリアンが人間を食べて生きているみたいだ」と言ってのけたし、麻生太郎氏は終末医療について語る際、患者を「チューブの人間」と呼び、「私は遺書を書いて『そういうことはしてもらう必要はない、さっさと死ぬんだから』と渡してある」とした(ロイター)。尊厳死の法制化は、こうした「重い障害のある者は去れ」と言わんばかりの雰囲気作りとリンクさせて考える必要がある。


■「誰かを叩きたい」欲求に対してこれほど速効性のある餌まきは無い


曽野綾子氏の「障害者の言うことなら何でも正しい(とするなんて)」という言い様は、何もこの記事だけではなく繰り返されてきた。(これはこれで差別的な言葉だが)彼女の論旨を「老害」の一言で片付けてしまう人も多い。確かに、そうやって片付けてしまいたくもなる。しかし、彼女の「成熟」とやらがここまで世間に受け入れられ、世間の「雰囲気作り」に一役買っているのだとすれば、やっぱりこうやってわざわざ断じておきたくなる。この10月まで、道徳の教科化を提言してきた、政府の教育再生実行会議の有識者メンバーだったことも敢えて記しておきたい。


最近読んだ傑作ノンフィクションに、清水潔『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続誘拐殺人事件』があるが、この本の中で著者は「最も小さな声に耳を傾ける」ことを自分に課し続ける。とても心に刺さるテーゼ、だった。大きな声、つまりは、雰囲気だけで大勢をさらっていくような、分かりやすくインパクトのある声や姿勢は、確実に小さな声を揉み消していく。被災者は補償金で潤っててタクシーに乗ってる子供までいるそうよ、障害者も女性も権利ばかり叫んでるけども人生とはそもそも苦労の連続なのよ、若者たちは甘えてるわね私たちの頃やアフリカの子どもたちとは違って......こういった大胆な言動がウケるのは分かる(いや、ホントはちっとも分からないんだけど)。今年、だいぶその手の方々から乱暴なメールを頂戴したが、あちこちから湧く「誰かを叩きたい欲求」に対してこれほど速効性のある餌まきは無い。この手の餌まきは特段彼女だけがしているわけではない、あちこちで繰り返されている。小さな声を発しようとする人たちの口を黙らせようとする強引な言葉遣いを「成熟」とは呼ばせない。

                    
 
     
 
           
消費者が選ぶ2013年の時事・世相ランキング
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10位 きゃりーぱみゅぱみゅ
▽きゃりーぱみゅぱみゅ 
歌手、モデル 
(東京・恵比寿ガーデンホール) 

撮影日:2012年02月07日
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外国マスコミを通じて日本の現実を知る

二つの記事はどちらも「イランラジオ」から転載。
はたして、日本の大手マスコミは沖縄に関するこういう記事を取り上げるか?
日本のことを知るのに、外国(特に非西側)のマスコミに頼らざるをえない、という現実。


(以下引用)



2015/02/15(日曜) 18:57

アメリカ国防総省元関係者、沖縄米軍基地移設を批判


アメリカ国防総省のカレン・クイアトコウスキ元分析官が、沖縄のアメリカ軍基地の移設を批判しました。



クイアトコウスキ氏は、14日土曜、プレスTVのインタビューで、「沖縄のアメリカ軍基地の移設は、明らかにアメリカの誤った考えであり、この地域に混乱をもたらすだろう」と語りました。
また、サンフランシスコ連邦地裁が沖縄のアメリカ軍基地の移設中止の訴えを棄却したことについて、「これは、アジアでの中国の強大化に対するアメリカの懸念を物語っている」と語りました。
クイアトコウスキ氏は、「アメリカは、アジアの状況や中国の力を懸念しているため、アジアに軍事基地を設けようとしている」としました。
サンフランシスコ連邦地裁のエドワード・チェン判事は、沖縄のアメリカ軍基地の移設中止を求める訴えを棄却しました。
この訴訟は、日本の市民団体や環境保護団体を原告とし、2003年から始まりました。
この訴状には、アメリカのヘーゲル元国防長官の名前が挙げられています。
この訴状では、「この基地の移設が、地域の生態系を危険に晒している」とされています。
沖縄の住民は、これまで何度もデモを行い、アメリカ軍基地の撤収を求めてきました。
アメリカ軍は第二次世界大戦後、日本に配備され、現在、沖縄には2万6000人のアメリカ兵が駐留しています。


 
2015/02/15(日曜) 18:41

アメリカ連邦地裁、沖縄の米軍基地の移設中止の訴えを棄却


アメリカ・サンフランシスコの連邦地裁のエドワード・チェン判事が、沖縄のアメリカ軍基地の移設工事中止の訴えを棄却しました。



プレスTVが14日土曜、伝えたところによりますと、チェン判事は、この訴えを棄却すると共に、「アメリカ軍基地の移設計画を中止させる権限はない」と語りました。
また、「サンフランシスコ地裁は、アメリカ軍の国外の施設の移設に介入する力はない。この基地は、日本政府の協力により、すでに締結されたアメリカの取り決めに基づいて移設される」としました。
この訴訟は、日本の市民団体や環境保護団体を原告とし、2003年から始まりました。
この訴状には、アメリカのヘーゲル前国防長官の名前が挙げられています。
この訴状では、「この基地の建設が、地域の生態系を危険に晒している」とされています。
原告の一人である生物多様性センターのピーター・ガルビン氏は、控訴の意志を示しています。
環境保護活動家は、「基地建設のために辺野古を埋め立てれば、地域の農地や住民が大きな被害を蒙る」としています。
沖縄の住民は、これまで何度もデモを行い、アメリカ軍基地の撤退を求めてきました。
アメリカ軍は第二次世界大戦後、日本に配備され、現在、沖縄には2万6000人のアメリカ兵が駐留しています。



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