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四月の馬鹿、永遠のアホ

エイプリルフール向けの話題は無いか、と探して、次の記事に出遭った。
まあ、これで日本は経済的に死亡だね。
法人税軽減したところで、いったい、企業は誰に商品やサービスを売るつもりなのだろう。もはや、物やサービスを買う一般庶民はいないよ。恒久的デフレ、恒久的不景気になる。金の卵を産むニワトリを殺して食ったら何も残らない、というのと同じこと。政府や大企業(財界)というのはまったくアホの巣窟。四月だけの馬鹿ではなく永遠のアホ。


(以下引用)

消費税10%、17年4月に引き上げ決定

1: デンジャラスバックドロップ(宮城県)@\(^o^)/ 2015/03/31(火) 22:41:20.69 ID:ACZDk2lO0●.net BE:601381941-PLT(13121) ポイント特典
消費税10%への引き上げ時期、17年4月決定

2015年度税制改正関連法が31日、参院本会議で
自民、公明、次世代の党などの賛成多数で可決、
成立した。

消費税率10%への引き上げ時期を、当初の予定から
1年半先送りして17年4月とすることが決まった。
景気が悪化した時に増税を停止できる「景気条項」は削除された。

14年4月に消費税率が8%に引き上げられた後、
個人消費の回復が遅れている。

15年度税制改正では、景気の底上げを図る。
親や祖父母から受け取った結婚や子育ての資金について、
1000万円まで贈与税を非課税とする。
企業のもうけにかかる実質的な税負担の割合である法人実効
税率(標準で34・62%)を2・51%引き下げる。

http://www.yomiuri.co.jp/economy/20150331-OYT1T50151.html

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沖縄県民による基地封鎖もありうるか

「日刊ゲンダイ」記事の末尾だけ転載。
全体に良記事だが、長いので、特異な主張が書かれた末尾だけ転載する。
私がこの主張(「今後について」以降)に賛成だ、ということではなく、こういう発想もある、という備忘としてである。
仮に、この手段で在沖米軍撤収となったとき、何がその後に起こるか、まで考えておくべきだろう。実際、住民による基地封鎖が起これば、そんな危ない基地は使用不可能であり、そこから米軍は撤収する、となる可能性はあると思う。
その後に起こるのは、面目を潰された日本政府によるさらなる沖縄いじめと、沖縄独立の機運のたかまり、独立運動の暴力化や内乱化かもしれない。それらをすべて考えた上での最後の手段として、沖縄県民による基地封鎖は考えるべきだろう。
つまり、プーチンによる「原爆使用もありうるよ」と同じことで、これを使ったら関係者全員にとてつもない被害が起こるわけで、そうならないように良識的に解決する責任はすべて政府にある。すなわち、強引な辺野古移転を中止し、普天間基地は県外移転すればそれで済む話である。



(以下引用)



沖縄在住の作家・目取真俊氏 「県民の怒りは日本に広がる」

中央のメディアのうぬぼれと沖縄差別
――メディアにも差別意識がある?

「日本と沖縄の間の断絶はこの10年でも拡大する一方です。沖縄の中では、もはや日本を見限った方がいい、日本は沖縄を利用することしか考えず、基地問題をどれだけ訴えても関心を持たない日本人に期待してもしょうがない、という意識が広がっていると思います。私はもうヤマトゥのメディアが報道しないことを嘆くこと自体バカバカしいと感じています」

――今後について、どうみていますか?

「辺野古や高江に来て抗議行動に参加する人たちは、インターネットで情報を得たり、ドキュメンタリー映画の自主上映で現状を知った人たちがほとんどです。現場の状況をツイキャスする人も多く、日々の活動を知らせるツイッター、ブログ、フェイスブックがいくつもあります。大手メディアの情報発信力は巨大ですが、実際に行動する人たちは自力で情報を得る力を持っています。日本人全体が無関心でも、沖縄県民が本気で実力行動を起こせば、基地撤去は実現可能です。数千人単位で嘉手納基地の主要ゲートを封鎖し、基地機能を1週間停止させれば、日本政府が何をしようと、米政府は在沖米軍を撤退させるでしょう」

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生番組の裏側は大騒動

「阿修羅」から転載。
前の記事の補足内容的な記事になるのではないか。
先ごろ終わったばかりだが、遊川和彦脚本の「○○妻」は、内容はいろいろ粗が多いドラマだったが、テレビ局が主要舞台であったため、ニュースキャスターとプロデューサーの力関係などが分かって面白いところもあった。(かなり粗雑なストーリーで、登場人物の大多数が下劣、下品な人間で、見ていて気分の悪くなるドラマだったが、どういう風に話の結末をつけるのか、という興味のために、ついつい最後まで見た。ひねりも何もないつまらないオチだった。www)プロデューサーよりも偉いのがおそらく編成局長で、その上にもいろいろいるのだろう。あのドラマでは、ニュースキャスターの意見が案外番組内容や番組の方向性に反映されている、というように描かれていて、少々驚かされた。実際そうなのだろうか。ならば、古館は「報道ステーション」という番組の作られ方にどれほどコミットしているのか、興味深い。私は、ニュースキャスターというのは、ただ、与えられた台本通りに喋り、時々、毒にも薬にもならないアドリブを入れるだけの存在かと思っていた。(笑)もっとも、ゲストコメンテーターとの会話もあるから、台本どおりとはいかず、そこに普通のアナウンサーには無い頭の回転の速さも必要になってくるわけだろう。
私はどちらかと言えば古館を「報道ステーション」の看板にしたのには反対だったが、報道ステーション自体は原発問題ではかなり頑張った番組だと思う。今回の「古賀の乱」で報道ステーションやテレビ朝日(だったか?)自体を否定するような意見をネットで散見するが、それは短絡というものだろう。むしろ、そうした声は、この機会に「反原発報道」を行うメディアを潰そうという工作員によるものではないか、と疑う必要があるかと思う。


(以下引用)



さらに続報! 古賀茂明が『報ステ』放送中・放送後のスタッフとのやりとりをすべて明かした!(リテラ)
http://www.asyura2.com/15/senkyo182/msg/301.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 3 月 29 日 14:10:05: igsppGRN/E9PQ
   
 
   

      これが爆弾発言の全容か?(「現代ビジネス」(講談社)HP 古賀茂明「日本再生に挑む」より)


さらに続報! 古賀茂明が『報ステ』放送中・放送後のスタッフとのやりとりをすべて明かした!
http://lite-ra.com/2015/03/post-983.html
2015.03.29. リテラ


 元経産官僚・古賀茂明氏の『報道ステーション』(テレビ朝日系)爆弾発言について、本サイト・リテラはこれまで2本の記事を配信したが、さらに続報である。


 放送中に一体何が起きていたのか、そして、古賀氏はなぜ発言したのか。テレビ朝日の報道局員は、「報道フロアはもう騒然となってましたよ。報道局幹部は、激怒してましたが、番組のスタッフや局員からは、よく本当のことを言ったという称賛の声や、普通のことを言っただけじゃないかという冷静な声、激論はあってもいい、面白い、視聴率が取れるといった様々な声が出てました。幹部の前では言えませんけどね」と話す。局内も古賀批判一色ではないようだ。


 放送から一夜明け、古賀氏が、彼に非常に近い新聞記者に語った内容を我々は独自ルートで入手した(古賀氏本人に確認したところ「ノーコメント」ということだった)。
 生々しい証言のため、ほぼ全編を掲載する。


●あの時、スタジオでいったい何が起きていたのか!?


 僕と古舘さんとわーっとやり合って、CMに入りまして、そこで(番組の幹部W氏が)来るんですよ。「打ち合わせに無いことをしゃべるな」と言ってきたんです。だから僕は「えっ?」と驚いて、「打ち合わせしたこと以外は、しゃべっちゃいけないんですね、もう一回言ってください」と言ったら、「だから打ち合わせに無いことを言わないでください、古賀さん」と言ったから、僕はそれを紙に書いたんです。
『打ち合わせに無いことを喋らないでくださいと(番組の幹部W氏は)言いましたので、私はこの番組の中では打ち合わせたこと以外しゃべれなくなってしまいました』って、(CMのあと)最初にそれを言ってから、私はしゃべりますからと言ったんです。CM中のことです。
 そしたら(番組の幹部W氏)は、すごいあせっちゃって、「なんでそんなこと言うんですか」と言うから、だってあなたが今言ったでしょ、と。
 僕の立場としては言いたいことを全部言いたいけど、でも、それを言わないんだったら、何で言わないか説明しなければならないじゃないですか、と話をして、あなたは名前を出さないで裏でそういうふうに圧力かければすべて済むからいいですけど、僕は名前出してやっているんですよ、と。だからあなたも正々堂々と言えると思っているんだったら、名前を言っても何も困らないでしょうと言ったら、それは困ると言って。
 そして今度は何か「いきなりあんなことをしゃべるのはフェアじゃない」と言い出して。結局、(番組の幹部W氏は)その時に何を心配しているかというと、そういう「圧力がかかった」とか、あるいは「言うなとか言った」とか、そういうことを言われることだけを一生懸命気にしているわけ。というのが一回やりとりがありました。
 古舘さんが何で怒ったのかよくわからなかったんです。最初は。僕は、古舘さんのことを悪く言うつもりはなかった。それなのに古舘さんが急に怒ったんですね。それが、ちょうど古舘プロの佐藤(孝)会長の名前が出た時だったんです。もう顔色が変わったんですね。私がその名前を言ったとたんに。何か古舘さんは一生懸命に、それでも「正しいものを作っているんです」、とか言ったんです。
 だから僕は、全部、Mプロデューサーとかディレクターが一生懸命やったからで、そのプロデューサーを更迭しちゃってどうするんですかって話をしたんです。そしたら古舘さんは「更迭じゃない」と言ったんです。


●Mプロデューサーの更迭、コメンテーターの恵村氏、古賀氏の降板


(Mプロデューサーは)もう去年の暮れか年明け早々には異動を言われていたはずです。もちろん、古舘さんはそれを知ってました。一方、局側は、それを3月26日木曜日まで隠していた。何でかというと後ろめたいからなんですよ。
 古舘さんはとにかく僕に対して、前回出演したときに謝っているんですよ。謝った理由は何かというと、要するに「自分はわざと知らないフリをしてきました」と、Mプロデューサーが代わるとか、コメンテーターの恵村(順一郎)さんが代わるとか、僕も出さないということは、もちろん、彼だって知ってはいるんですよ。知ってはいるんだけどテレビ局側にはわざと聞かないで、知らないフリをしました、と。自分は単なる出入り業者に過ぎないから、とか卑下して言うんですよ。
 もちろん、彼には正式な意味での人事権はない。だけど実際は、これは、古舘プロダクションの関係者に聞いた話だけど、古舘氏の番組人事への事実上の影響力はすごく大きくて彼自身これまでもそれを行使してきたんです。形としては佐藤会長を通してかもしれないけど。それなのに彼はMプロデューサーも恵村さんも守らなかった。守ろうとして諦めたのではなく、最初から逃げたんです。だから僕のところに謝りに来たんです。
 楽屋に来て、「本当に古賀さん申し訳ありません」と頭を下げて、そしたら僕としたらもうどうしようもないですよね。だって、古舘さんはもう認めちゃっているわけですから。もう僕には何にも言う言葉がない。古舘さんはそういう方だったんだと扱うしかないな、と。要するに闘う人間ではなくて、ただ、自分の保身だけの人間なんだということだとわかったんです。
 それなのにあそこの場(27日生放送中)で、如何にも自分が戦っている、こんなに自分はがんばっているみたいなことを言い、且つ、(Mプロデューサーは)更迭じゃないと言い、公共放送を使って、自分の立場を守るために言わば嘘を言ったわけですよ。


●番組の最後、番組と古舘氏がやったこと


 番組の最後の最後で、古舘さんが「一部承服しがたいことがあった……」とか言いましたよね。一部承服しがたいというのは、他のかなりの部分を承服しているのか、よくわかりませんが、あの時は、最後に、お詫びの原稿が古舘さんのところに回ってきて、彼は、最後に何十秒でこれを読む、最後終わるぎりぎりでそれを読んで、番組が終わりというのを狙った。つまり、僕が反論できないようにした。
 それもおかしくて、その前の議論では、「もうこういう話をするのはやめましょうよ、視聴者に分からないんですから」と古舘さんは散々言っていて、私も、やめましょうと言って、ニュースの中身の話だけになったんですよね。それなのに、そういうように議論を切っておきながら、やりとりしたら自分が負けちゃうからなのか、一番最後の最後に、もう僕が反論できないような時間に言っているんです。だから全然言っていることとやっていることが違うんです。


●放送終了後、報道局長が仁王立ちで……


 そして放送が終わったらスタジオに番組幹部らが来て「おかしいじゃないですか」とずっと言いながら、私が楽屋に戻るのにもずっとついてきて、楽屋から出ると、通路の真ん中に仁王立ちした報道局長がいて、通路を通さない感じで、彼はおそらく僕にきっちり抗議した、と、周りに分からせようというのもあるのか、みんなの前で見せるように、「何であんなことを言うんだ」「あれはおかしいじゃないか、ニュースの中身と関係ないじゃないか」とかそんなことを色々言いながら、私についてきて、私は無視して、でもエレベーターまでついてきて、地下のハイヤーの乗り口までずっとついてきて、そういうことをずっと言うわけです。
 だけど、僕が途中から、あなたの仕事はこういうことが仕事なの? 違うでしょ、なんで(Mプロデューサーを)更迭したの?」と。
 そしたら報道局長は「更迭じゃない」と最初は言い張っていたんだけど、僕が「じゃあ、なんで(Mプロデューサーを)代えるの? 古舘さんにしても(Mプロデューサーを)代えたいわけじゃないでしょ。(Mプロデューサーを)守るのがあなたの仕事でしょ」と、ずっと僕は色々言ったら、報道局長は途中から黙ってしまった。完全に何も言えなくなっていました。


●テレビ朝日が古賀氏を訴えるとの見方も流れているが……


(訴訟してくるかどうか)それはわかりません。もちろんその可能性はあると思いますよ。だから、訴訟になっても絶対に大丈夫だというだけの証拠を揃えて、発言の内容もその範囲を絶対に超えないように事前に一言一句考えてましたし、相手の出方も複数のシナリオを考えてましたから。
 本当は、もう少し言えたんですけど、やはり古舘さんとの今までの関係を考えるとそこまでは言えませんでした。時間もなくなって、ガンジーの言葉をどうしても言いたかったから、あれ以上は言えませんでした。
 まあ、冷静に考えれば、そんなことをして、わざわざ寝た子を起こすようなことをするのが得なのかどうか、と考えるかもしれませんが。1週間も経てば、静かになりますよね。今のマスコミの状況では。


●古賀氏はなぜ、降板問題を告発したのか


 僕がなぜあの発言をしたかというと、最大のポイントは菅(義偉)官房長官が、僕を個人攻撃してきているんですね。菅さんが会見でやや間接的に、さらに記者らにオフレコで、僕のことと分かるような言い方で、頭に来たとか、放送法に違反しているのではないかとか、記者らに言っていて、それは耳に入ってきている。複数の記者がいるところでの発言なので、僕の耳にも入ることを分かった上での発言で、つまり、それは脅しになると計算して言ってきているので、それをやられているときに、私は黙れないんです、やっぱり。
 そこで私が黙っていたら、前にあったテレビ局への自民党からの圧力文書の時、テレビ局が何も抗議しなかったことと同じになってしまう。だから私は黙っているわけにはいかない。菅さんが脅してくるなら、私はそれを言いますからねと、だから申し訳ないけど私はああいうことを言わせてもらった。
 しかも、菅さん一人じゃ『報道ステーション』を転向させることはできないので、テレビ朝日の早河(洋)会長や古舘プロダクションの佐藤会長なども巻き込んでやっているという話も入ってくるわけです。
 でも、その戦いの中で、古舘さんは、ずっと下のほうにいるんですよ。古舘さんは早河会長に従うしかない立場に落ちているんです。だから、僕の戦いの中で、古舘さんは関係ないんです。
 僕は番組中に古舘さんに言ったんです。「僕は古舘さんを攻撃しているわけじゃないんですよ」と言っていたんですけど、彼は何故か最後まで私を攻撃しようとした。何故なのかなと考えました。自分がかっこ悪く見えるのが嫌だったので言い訳したのか。でも、彼のあの言い訳はかえって彼の姿を惨めなものにしてしまいました。
 あとは、佐藤会長や早河会長の手前、それはもう思いっきり反論しておかなければならないということだったのかな、ということくらいしか僕には思いつきませんでしたね。


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 以上が我々の入手した古賀氏の証言のすべてだ。この古賀氏の言葉を聞いて、『報道ステーション』のスタッフ、いや、他局も含めた報道関係者は、一体何を思うのだろうか。


(木庵 葉)

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すべてがお芝居のテレビとは何か

「岩下俊三のブログ」と「小田嶋隆ツィッター」から転載。両者とも例の「古賀茂明の乱」についてのコメントだ。
岩下俊三氏はかつて「報道ステーション」のスタッフ(ディレクター?)だったらしく、番組の内情に詳しいから、こちらには未知の情報も下記記事から得られたが、この事件に対する意見はどうも煮え切らない。奥歯に物が挟まったような、という感じだ。前置きでは威勢のいいことを言っているが、内容は「古館も古賀もどちらもダメ」という意見なのか、という印象なのだが、どこがどうダメなのか、どうすれば良かったのか、これからの報道番組はどうあるべきなのかがさっぱり分からない。
要するに「上手に掟破りをしろ」ということのようだが、何とヌルい思想だろう。(万引きをする中学生やその親か!)そもそも、古賀茂明には、これが最後の出演機会だったではないか。そこで言いたいことを言わないで、いつ言えというのだ。
それに比べて、小田嶋隆の言葉は明瞭だ。テレビの生番組が「芝居」であるならば、生である必要性は無い、ということだ。そして、「古賀の乱」こそが、もっとも本来のテレビ的な価値のあるアクシデントではなかったか、ということだろう。
生番組まですべて操作されたお芝居になったからこそ、現在の「テレビ離れ」が起こっているのではないか。岩下俊三氏のような現場経験者が、「古賀の乱」についてこの観点からの言葉がまったく無い、というところに、今のテレビの惨状の原因がありありと分かる気がする。


(以下引用)

わが身を振り返る「確信犯」の方法論

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長く躊躇し、長く沈黙し、そのまま放置することも考えた。

けれども

嫌いな楽屋落ちかも知らないが、ニュースステーション、そして報道ステーションの「かって」スタッフであった自分としてはなんらかのことを言うべきであろう。都合の悪いこともあるが、どうせ死ぬしか選択肢のない老人、文句があるなら告訴でもなんでもしやがれ!!と決断してこのブログを書いている。

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まず

報道ステーションの生放送で古館くんと古賀某がすれ違ったようだ。この「事故?」のことで別にいうことはないが、すでにテレビの時代は終焉に向かっていることがいっそう確信的になったということはいえるだろう。

古館くんは「いちおう」プロでありテレビをよく知っている。知っているだけに報道のキャスターを演じることの無理やストレスは相当なものだろうと思われる。かれがこの番組をやり始めたた頃に夜中の六本木の業界人しか知らないであろうちいさなバーで「ヤケ酒?」を飲んでいる彼に出っくわしたこともあるが、彼の孤独と悩みの表情は番組打ち合わせの時の顔とは違っていて想像するに余りあるとおもわせた。

それでも

なお、テレビの本質(エンタメ)をぎりぎり保ちながらなんとか危うい均衡で彼なりの「発言権」を守ってきた。その彼を支えたのはなんといってもそこそこの、、、そう、その武器は視聴率であった。視聴率という武器は圧倒的に強いのだ。

たとえ

それが電通のねつ造であろうとなかろうと、その数字によって明日のスーパーマーケットのエンドの商品陳列が入れ替わるのだから。つまり全日の視聴率は商品のCMによる販売数の増加の目安になっているのである。

また

民放では基本的にそれによって社員もタレントも飯を喰っているのである。

もとより

東電もテレビ局も独占禁止をすり抜けてけて自由な競争下にはないのだから、政府や行政に阿り気を遣うのは仕方がない。仕方がないけれどNHKではないのだから、視聴率が減ったら飯の種がなくなるのはそれどころではないということにもなる。

それで

すこし危ういが、入念な打ち合わせのをして放送に臨めばそれなりの「成果」も上がるし、一方でスタッフや出演者自分だけの「ひそかな正義感」も満足させられる。このタイトなロープ「虚実皮膜」を渡ってきた古館くんはそれなりに偉いと思わないでもない。ただ個人的には大嫌いだけけれど、、、。

僕だって

もともと反権力でトップが顔をしかめることばかりやっていたが、そこそこの視聴率(つまりシノギ)を稼いでいたのでいくらかでもディレクターをやってこれたのだ。

しかし

今回の報道ステーションの騒動では、一貫して古賀某を推していたプロデューサの松原文枝という子(僕は直接知らない)は、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会から「報道ステーションにおける川内原発の報道は客観性と正確性を欠き、放送倫理に違反している」と指摘され、本人も減給処分を受けたし、すでに人事異動で飛ばされることになっていた。

また

当然社長の早川洋(お互い気に喰わん奴だと感じている)もその他テレビ朝日上層部も苦々しく思いつつ古館の「寸止めテクニック」の期待していやいやこの三月までは件の松原一家の古賀某を使っていたのであろう。

つまり

個人的な正義感や義務感はしばしば暴走することは早川洋だって承知の上であるとおもわれる。早川本人ですら「その昔」若いときは労働組合活動で過激であったこともあるが「スト破り」をやったためにその絶妙なバランス感覚で社長にまで上り詰めたのだから、どこかには反権力の燃えカスが残っている筈である。

それゆえ

彼は御身大切の保守ではあるが「なべつね」にまで転向しきれず、彼にはなりきれないのであろう。

それゆえ

ちょっと危ない松原文枝を首にしないでなお古賀某や恵村順一郎をブツブツいいながらものこしていたのかも知れない。

ただ

彼らとも若すぎて僕は面識がなく、なんともいえないが、「なんとなく」好きにはなれない。なんとならば「報道ステーション」のもっている鼻持ちならない「えせ」ヒューマニズムがむずがゆくて仕方がないのだ。

ただ今回の件で、

古賀某は確かに過激ではあったが、作戦として上手く行ったとは思えない。通産官僚であった彼にはわかっている筈だが、せっかく「発言権」があるのだからもうすこし上手に使わないと元も子もなくなってしまいがちだからである。

たとえば

僕のような根っからの風来坊とは違い田原総一朗さんや鳥越俊太郎さんは結局は排除されてはいるけれど、「掟」は知っていた。この無言の「掟」と説明するのは難しいが、少なくとも視聴者=大衆を味方に付けないで「独善」でありすぎると、たとえそれが絶対的正義であろうと、ただちに、分厚い「保守=既得権益」に潰されてしまうのである。

このことを痛切に感じている古館くんはそうではない、利口だ。だけど嫌いである。それは同じスタッフルームにいてもまったく「知性」とか「矜持」らしいものが感じられなかったせいであろう。

その点

直接会ったことはないが古賀茂明は最後っ屁を深夜岩上安身とぶちまけることを前提で、言いたいことを「すべて」いったのであろが「掟」を破ると言いたいことすらも十分に言うことが出来ない結果になるのだ。その証拠に冒頭のフリップはひっこめさせられるのが早すぎて読めなかったのである。

そこで

僕は先日は出演していなかったし、ネットでの評判はいまいちだが、報道ステーションで慎重な物言いの政治部長・藤岡くんを評価している。個人的にも僕の田舎の高校の後輩でもあるし彼が新卒でニュースステーションに入ったきたときから知っておるので若干贔屓目であることは否めないが、実は彼は硬骨漢でありながら一貫して「社内保守」を守っているように思われる。思われるけれど彼なりの朴訥な正義感は認めている。

もとろん

掟破り、内部告発は重要である僕自身がその類型であると自負しているし、生まれつきなんにでも反発する性分だ。

にもかからわず

すべてが「掟」破りだと何も生まれない。椋梨藤太がいたから「こそ」長州藩がアウフヘーベンできたのだ「とも」思はれる。

とまれ

テレビとは一体何なのか「公共」の電波とはいったいなんのか、、、、という問題提起に古賀茂明は一石を投じたのもまた確かなことである。



(引用2)



小田嶋隆 @tako_ashi  ·  3月28日

私は見てません。「ナマなんだから勝手なことを言う人がいたって不思議ではないよね」というお話をしています。 RT あんなんが頻発するテレビを見たい人がいるのか

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まずは政治的概念を明確にすること

「世に倦む日々」ツィッターから転載。
何となくだが、重要な言葉のように思えるので、念のために保存しておく。
ファシズムとは反共だ、というのは私もそう思うが、ついでに言えば右翼も反共であり、したがって右翼とはファシズムだ、ということになる。
実際、右翼は保守主義と同一視されるが、そのやっていることは文化的な意味での保守主義とは無関係に、常に資本家の利益擁護のための闘争でしかない。つまり、資本家の傭兵である。それが右翼の本質だ。
であるから、安倍一味が経済面では常に資本家の利益拡大のためにしか動かないというのは、まさに彼らの政治的右翼性やファシスト的体質と見事に一致しているのである。
以上を要するに、政治を考察する者は、ソ連崩壊に伴って政治思想の世界から弊履のごとく捨てられた共産主義あるいは社会主義や資本主義の概念について根本的に再考察すべきなのである。
こうした基本的考察も無しに、安倍政権を社会主義だ、とかぬかす阿呆がネット界にまだ存在するのが私には信じがたい。
もちろん、社会主義者や共産主義者自身が資本家に操られてきたという面も確かに存在するし、たとえばレーニンへの資金提供を行ってロシア帝政を打倒したのも資本家だ、という一面はある。だが。それだけですべての社会主義や共産主義を資本家の手品にすぎない、と否定することこそ、まさしく資本家の手の上で踊らされ、彼らの都合のいい方向に物事を進められる結果になるだろう。
結論すれば、右翼を右翼と呼んで批判すると同時に、資本家を資本家と呼んで批判することが、政治思想を混乱と混迷から救う道だろう、ということだ。
これは、荀子の言う「言葉を正すことが政治を正す第一歩だ」ということである。逆に、政治概念を混乱させることは人民支配の悪辣な手段であることは「ユダヤプロトコル」に書かれたとおりだ。それを実行し、非論理的言語で政治を壟断しているのが安倍一味であり、橋下徹である。



(以下引用)


私はずっと、右翼を右翼と呼んで批判しろと言ってきた。保守だのタカ派だの復古派だのとゴマカシを言うのではなく、右翼という言葉で敵視せよと。もう一つ、イデオロギーという言葉を使え。これは基本だ。正しい政治学的意味でイデオロギーという言葉を使え。これが使えないと政治の認識はできない。
丸山真男のファシズム論を読めと繰り返し私が言うのは、丸山真男がファシズムの概念を理論化するに当たって、反共の契機を最も重要視しているからだ。他の政治学者と違って。ファシズムとは反共だと言っている。参考になるというか、正鵠を射ていると思わないか。安倍政権を分析する理論的道具として。
反共イデオロギーという強力な実在を、今の若い左翼リベラルは政治の認識から欠落させている。見落としている。見えていない。イデオロギーという言葉が、マルクス主義や社会主義や戦後思想を意味するネガティブな代名詞に固められたため、右翼のイデオロギーをイデオロギーだと認識判断できないのだ。
安倍晋三や右翼は信念と目標を持って政治を進めているわけで、彼らのイデオロギーに忠実に即して行動している。平和憲法を廃棄して戦前の体制に戻すこと、中国の共産党政権を武力で倒すこと、これらは彼らの神聖な使命であり、理想の実現であって、決して趣味でも戯れでもない。まさに真善美の価値観。
どうして今の日本の左翼リベラルが、右翼のイデオロギーの実在と機能を認識できないかというと、「イデオロギーの時代は終わった」という脱構築主義の観念に毒されているからだ。実は今はイデオロギー全盛の時代で、空気中のイデオロギー濃度が極端に高い時代なのに、その現実を正しく捕捉できない。
今の日本の左翼リベラルは、右翼がイデオロギーを持っているという認識がない。その基本的認識が欠落している。安倍晋三と右翼の政策や言動の一つ一つが、イデオロギーから発せられているという事実を了解できていない。彼らが政治的理想を持ち、政治目標を持っているということが理解できていない。

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怒りから憎しみへ

「晴耕雨読」所載氏家氏の記事より抜粋転載。
朝日新聞もやるではないか。かつての朝日新聞のようだ。(笑)


国の対応に抱く思い

「怒りなんか通り越して、もう憎しみに近いと思っていますよ」。


まさに、これこそが今の沖縄県民の日本政府への思いだろう。


(以下引用)


「インタビュー:対立の海で カヌーで移設に抗議する小説家・目取真俊さん」『朝日新聞』2015年3月13日付 http://t.co/ZSi2nVgU45

「こうやって基地問題に人生を奪われていくのかと思うと、かなしさを覚えます」

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抗議を始めた経緯「怒りとか義務感とか一つの言葉で説明できるものではありません。これまで生きてきた総体が、この行動にまっすぐつながっています」

北部ヤンバルの生まれ。

豊かな森を米軍が重火器で演習する。

沖縄戦の体験者にも話を聞いた。

一つ一つの現場を我が身で確かめながら。

戦争について考え続けた人が国の対応に抱く思い

「怒りなんか通り越して、もう憎しみに近いと思っていますよ」。

(名護市民は去年から5回も選挙。全部移設反対派が勝利)

「しかも、嘉手納基地まで地元に返せとか言っているわけじゃない。せめて辺野古に新しい基地をつくることだけはやめて、と」

政治の劣化 「自民党にも、昔はもっと歴史を肌で知る政治家がいました。戦争で沖縄に犠牲を押しつけた、という意識を心のどこかに持っていた。それがいまでは、歴史認識も配慮もない。基地を押しつけて当たり前という、ものすごく高圧的な姿勢が中央に見えます。沖縄の保守の人さえそう話す」。

沖縄にとって戦後70年「ヤマトゥにいたら、戦争から70年のブランクがあるような感じがするでしょう。でも沖縄の感覚は全然違う。市街地をオスプレイが飛び、迷彩服を着て小銃を手にした部隊が県道を歩いている。戦争の臭いが、ずっと漂っているのです。日本の戦後史は一つではなかったのです」

「憲法9条だけを掲げる平和運動にも、欺瞞(ぎまん)を感じています。敗戦後、再び侵略国家にならない保証として非武装をうたう9条が生まれました。ただし、共産圏の拡大に対抗する必要から日米の安保体制が築かれ、沖縄に巨大な米軍基地が確保された」。

9条の擁護と日米安保の見直しが同時に必要抗議に若者が少ないですが 「では聞きますが、ヤマトゥはどうですか。東京で若い人が集会に大勢参加しますか。沖縄だけが、香港や台湾のように若者が燃えるはずがない。日本では国民の圧倒的多数が政治に無関心になった。大変なことが起きていても、すべて他人任せの国になってしまったのです」

対立の今後は「安倍晋三首相が沖縄県民の代表である翁長知事に会うことすら拒んでいるのは、権力による形を変えた暴力です。暴力が横行する事態を避けるため築いてきた民主主義というルールを、いま政権が自らの手で壊している。そして、憎悪と怒りを沖縄じゅうにばらまいています」

「本当に考えないといけないのは、この無関心です。ニヒリズムなのか、あきらめか、無力感か」

「抗議活動に参加するような人々は非暴力で一致しています。それが運動を広げ、支える原理ですから。怖いのは、そうした場に参加もせず、鬱屈した感情を内に抱え込んだ孤独なオオカミの暴発です」

夏にも工事着手という。

沖縄戦の『慰霊の日』である今年の6月23日。

「戦後70年の今年、安倍首相は沖縄戦の犠牲者とその遺族にどんな言葉を捧げるのでしょうか。米軍の新基地計画を粛々と進めます、と報告するのでしょうか」

「工事が始まったとしても、仮に基地が完成したとしても、それで私たちの闘いが終わりだとは思いません。絶望したときが終わりです」 以上、

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地位の力

「ギャラリー酔いどれ」から転載。
シェールガス・シェールオイルについては、それを最初に聞いた時にすぐ調べ、その採掘方法を知ると同時に、これは採算が取れない採掘方法であり、事業として成り立たない、と私は判断し、それを自分のブログにも書いたが、「シェールオイル詐欺」について警鐘を鳴らしたブログとしては、かなり早い方だったと思う。少なくとも、私は、自分より早かったブログを知らない。もちろん、これは自画自賛しているのである。もともと私のブログは、自己満足、というのが最大の目的のようなものだ。
ただ、私のように「自分で少し調べれば」すぐにそのいい加減さが分かるような詐欺事業に、天下の住商の経営陣が簡単に騙されたというのが面白い。で、世間の大企業の上層部というのは、大半がそんなものではないか、というのが私がひそかに思っていることだ。「島耕作」の漫画などでは大会社の重役というのはそれなりに頭も良く、人間的な大きさもあるように描かれているが、それは地位の持つ力にすぎないのではないか。
地位抜きでも偉い人間はもちろんいるが、世間というものは地位の力をその人間の力と誤解することがあまりに多いようだ。ひどい場合には、会社内での地位を、会社の外でも通用するものだと考えてふんぞり返る人間や、それにペコペコ頭を下げる人間もいる。



(以下引用)


 偽ユダに関わるとw

◆http://richardkoshimizu.at.webry.info/201503/article_168.html
richardkoshimizu's blog  2015/03/26
住商、損失3250億円に拡大


シェールオイル詐欺は、この最初からうまくいかないとわかっている儲け話に
世界中の馬鹿を引き込んで、金をむしり取るのが目的でした。
騙された薄ら馬鹿に住商が混じっていました。

「米国は世界有数のエネルギー大国」だという壮大な嘘にころりと騙された。

勿論、投資を決めた企業の幹部が裏金をもらっています。

シェールオイル詐欺ビジネスの崩壊が、米国の凋落に直結します



*とくお  2015/3/25

住商、損失3250億円に拡大

米国でのシェールオイル事業の失敗が響いたそうです

☆http://www.daily.co.jp/society/main/2015/03/25/0007852941.shtml
デイリースポーツ 2015年3月25日
◎住商、損失3250億円に拡大

住友商事は25日、2015年3月期連結業績予想を下方修正し、
純損益が850億円の赤字になる見通しだと発表した。
従来予想は100億円の黒字だったが、通期では16年ぶりに赤字に転落する。

資源関連事業の損失が従来見込みの2400億円から3250億円に拡大する
ことが主因。原油価格下落による米国でのシェールオイル事業の失敗が響いた。

米シェールオイル事業は最近の原油価格を踏まえて再評価し、
減損処理による損失額が従来の1700億円から300億円膨らむ。

ブラジルの鉄鉱石事業も500億円と見込んでいた損失が150億円増加。

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それだけで人生は生きるに値します。

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