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まずは政治的概念を明確にすること

「世に倦む日々」ツィッターから転載。
何となくだが、重要な言葉のように思えるので、念のために保存しておく。
ファシズムとは反共だ、というのは私もそう思うが、ついでに言えば右翼も反共であり、したがって右翼とはファシズムだ、ということになる。
実際、右翼は保守主義と同一視されるが、そのやっていることは文化的な意味での保守主義とは無関係に、常に資本家の利益擁護のための闘争でしかない。つまり、資本家の傭兵である。それが右翼の本質だ。
であるから、安倍一味が経済面では常に資本家の利益拡大のためにしか動かないというのは、まさに彼らの政治的右翼性やファシスト的体質と見事に一致しているのである。
以上を要するに、政治を考察する者は、ソ連崩壊に伴って政治思想の世界から弊履のごとく捨てられた共産主義あるいは社会主義や資本主義の概念について根本的に再考察すべきなのである。
こうした基本的考察も無しに、安倍政権を社会主義だ、とかぬかす阿呆がネット界にまだ存在するのが私には信じがたい。
もちろん、社会主義者や共産主義者自身が資本家に操られてきたという面も確かに存在するし、たとえばレーニンへの資金提供を行ってロシア帝政を打倒したのも資本家だ、という一面はある。だが。それだけですべての社会主義や共産主義を資本家の手品にすぎない、と否定することこそ、まさしく資本家の手の上で踊らされ、彼らの都合のいい方向に物事を進められる結果になるだろう。
結論すれば、右翼を右翼と呼んで批判すると同時に、資本家を資本家と呼んで批判することが、政治思想を混乱と混迷から救う道だろう、ということだ。
これは、荀子の言う「言葉を正すことが政治を正す第一歩だ」ということである。逆に、政治概念を混乱させることは人民支配の悪辣な手段であることは「ユダヤプロトコル」に書かれたとおりだ。それを実行し、非論理的言語で政治を壟断しているのが安倍一味であり、橋下徹である。



(以下引用)


私はずっと、右翼を右翼と呼んで批判しろと言ってきた。保守だのタカ派だの復古派だのとゴマカシを言うのではなく、右翼という言葉で敵視せよと。もう一つ、イデオロギーという言葉を使え。これは基本だ。正しい政治学的意味でイデオロギーという言葉を使え。これが使えないと政治の認識はできない。
丸山真男のファシズム論を読めと繰り返し私が言うのは、丸山真男がファシズムの概念を理論化するに当たって、反共の契機を最も重要視しているからだ。他の政治学者と違って。ファシズムとは反共だと言っている。参考になるというか、正鵠を射ていると思わないか。安倍政権を分析する理論的道具として。
反共イデオロギーという強力な実在を、今の若い左翼リベラルは政治の認識から欠落させている。見落としている。見えていない。イデオロギーという言葉が、マルクス主義や社会主義や戦後思想を意味するネガティブな代名詞に固められたため、右翼のイデオロギーをイデオロギーだと認識判断できないのだ。
安倍晋三や右翼は信念と目標を持って政治を進めているわけで、彼らのイデオロギーに忠実に即して行動している。平和憲法を廃棄して戦前の体制に戻すこと、中国の共産党政権を武力で倒すこと、これらは彼らの神聖な使命であり、理想の実現であって、決して趣味でも戯れでもない。まさに真善美の価値観。
どうして今の日本の左翼リベラルが、右翼のイデオロギーの実在と機能を認識できないかというと、「イデオロギーの時代は終わった」という脱構築主義の観念に毒されているからだ。実は今はイデオロギー全盛の時代で、空気中のイデオロギー濃度が極端に高い時代なのに、その現実を正しく捕捉できない。
今の日本の左翼リベラルは、右翼がイデオロギーを持っているという認識がない。その基本的認識が欠落している。安倍晋三と右翼の政策や言動の一つ一つが、イデオロギーから発せられているという事実を了解できていない。彼らが政治的理想を持ち、政治目標を持っているということが理解できていない。

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