忍者ブログ

八方美人も美人の一種

「NHK NEWSweb」から転載。
割と、友好的な会談内容だったのではないか。まずは、話をすることが大事だ、ということだろう。だが、米国に向けている顔と中国に向けている顔が違う、と安倍総理は右サイドからも左サイドからも批判されそうでもある。私はむしろ、ここで安倍総理が取った姿勢を評価する者だが。写真を見ても、いつもの緩んだ顔とは違う、真剣な、いい顔である。もしかして、やっと大人になってきたか。(笑)まあ、「積年の非を一朝にして知る」ということもある。総理になった子供が、後で成長するということも無いではないだろう。
だが、中国よりも大問題は対米関係であり、フクシマその他の内政である。今のところは、落第点だらけの学科試験で、一つだけ赤点すれすれの及第点が取れるかもしれない、というだけのことだ。


(以下引用)

日中首脳会談 戦略的互恵関係の推進で一致

4月22日 19時56分
日中首脳会談 戦略的互恵関係の推進で一致
k10010057291_201504230057_201504230106.mp4
安倍総理大臣は、訪問先のインドネシアで中国の習近平国家主席と会談し、日中両国が、戦略的互恵関係を推進していくことで、地域と世界の安定と繁栄に貢献していく必要性があるという認識で一致しました。
アジア・アフリカ首脳会議に出席するため、インドネシアを訪れている安倍総理大臣は首脳会議の会場となっているジャカルタ市内の施設で日本時間の午後7時前から、およそ30分間にわたって、中国の習近平国家主席と会談しました。
会談の冒頭、習主席は「先のAPEC=アジア太平洋経済協力会議での会談は重要な意味があった。中日両国民の共同努力の下で、ある程度、中日関係は改善してきた。せっかくの機会なので中日関係の発展について、安倍総理大臣の見解を聞かせてほしい」と述べました。
これに安倍総理大臣は「去年11月の首脳会談以降、日中関係が改善しつつあると評価している。日中関係の発展は、日中両国・国民の利益であり、戦略的互恵関係の推進によって、地域や世界の安定、繁栄に貢献していくことはわれわれの責務だ。青少年の交流を含め、さまざまなレベルで交流と対話を深めていくなかで、日中関係を発展させていくようともに努力を重ねていきたい」と応じました。
そして、両首脳は日中両国が戦略的互恵関係を推進していくことで地域と世界の安定と繁栄に貢献していく必要性があるという認識で一致しました。
また、安倍総理大臣は、習主席が歴史認識について尋ねたのに対し、「私自身も私の内閣も、村山談話や小泉談話を含む歴代内閣の立場を全体として引き継いでおり、今後も引き継いでいく。きょうのアジア・アフリカ首脳会議での演説でも述べたとおり、日本は先の大戦の深い反省の上に平和国家として歩んできており、その姿勢は今後も不変だ」と述べました。
一方、習主席が、中国がAIIB=アジアインフラ投資銀行の設立を提唱していることに触れたのに対し、安倍総理大臣は「アジアの高いインフラ需要に応えるためのものだという認識は共有しているが、その一方で組織のガバナンスの問題や、借り入れ国の債務の持続可能性といった課題について、問題を提起をしている」と述べました。

拍手

PR

大人であることと子供であること

「馬鹿国民帝国日本の滅亡」から転載。
少年法改正(「改定」と言うべきだろう。「正しく改める」のではないから。)や18歳参政権議論の意図が徴兵制の準備だという見方に少し感心したので転載した。
若者人口はどんどん減少するのだから、兵隊不足になるのは当然のことだ。18歳以上を大人とすれば、徴兵年齢適齢期人口が自動的に増えるわけで、それが政府の意図だというこの見方には一理ある。
現実的には、時代が進むに従って日本人の幼児化も進んでおり、18歳の人間など、頭は完全に子供だろう。私自身、頭が大人になったのは、40歳くらいからだったと覚えている。「名探偵コナン」の逆で、「頭脳は子供で体は大人」というのが大方の成人男女ではないか。そういう意味では、成人年齢は40歳、選挙権や被選挙権も同じく40歳くらいが適当だろう。
で、子供というのは「保護」の対象であり、大人としての権利は無い。いや、権利を与えるべきではない。子供に自動車を運転させ、武器を持たせたらどうなるか。結婚や性交を自由に許したらどうなるか。それが大人並みに扱われるから多くの問題が生じるのである。
まあ、そういうことだ。
もちろん、幾つになっても頭脳が子供という人間もいるし(私も政治意識以外の多くの面でそうだ。)大人並みの分別を持ったひねた子供もいる。年齢だけではひとくくりにはできないのだが、概して言えば、現在の日本人の適正な成人年齢は40歳、といったところだろう。
なお、日本人の幼児化の最大原因は、現在の学校の在り方にあると私は思っている。現在の学校制度やその教育内容で、政治意識、社会意識が育つはずはない。そして、政治意識、社会意識が無い、ということを子供頭脳と言うのである。子供であるとは「義務感」「責任感」の欠如を意味する。ただ勉強だけが義務という育ち方をした人間に社会的責任や義務の念が生まれるはずはない。実は、日本のあらゆる教育機関は、小学校から大学まですべて「保育園」なのである。18歳の人間など、本当はオシメが必要だろう。まあ、安倍某のように比喩的にも現実的にもオシメの必要な老人もたくさんいるが。



(以下引用)



少年法の改正や18歳参政権が議論され、着々と”徴兵制”への布石が打たれております…





18歳はもう大人…だから、法律で大人として扱われ、戦場へ送られる…





上官や政府の命令に従わなければ、法律で処罰される…




反戦平和など唱えれば、罪人として扱われ、家族ぐるみで制裁を受ける…





戦時日本の復活が、ひとりのキチガイによって、強引に進められているところです…





”男女平等”などと叫ばれて、女性は幸せになってでしょうか?




結局、残った”男女平等”とは、「女も男と平等に働け」…これしかありません…





常に日本政府は姑息で卑怯な真似をして、国民や異国を騙し、欺き、虐げてきました。




そんな犯罪国家を、「我が国」などと言って、毎度許しているのが日本国民です…

拍手

清々しいほどのゲス

「リテラ」から転載。
清々しいほどの人間のクズというと石原慎太郎、橋下徹などがすぐに思い浮かぶが、これまた飛び切りのゲスである。仮にも政府高官であった(ある)人間が、人としてのモラルのかけらも無い発言を得々として本にして出しているのだから、世も末だ。
だが、こうして口に出すこと自体、この男が小者であり、馬鹿であることの証明だろう。彼が言っていることなど、たいていの企業幹部や上級官僚は心にしまってただ実践しているのではないか。馬鹿に肩書きを与えてつけ上がらせるからこうなる、と彼らは苦々しく思っているだろう。政界から完全に引退してからならともかく、現役の内閣参与がこういう本を出したということは、これは国会で大問題にされて当然である。何と脇の甘い、「悪党気取りのチンピラ」か。
だがまあ、現在の政治状況なら、何を言っても何をやっても言い放題、やり放題だ、とこの男は舐めているのかもしれない。さて、本当にそうかどうか、この先が楽しみである。この本がマスコミで問題視され、政治問題になる確率は結構ある、と私は見る。もちろん、マスコミの取り上げ方が石原慎太郎の暴言や橋下徹の政治的不祥事と同じように「あの人はアレだから仕方がないさ。まあ笑って済ませばいいんじゃない?」でお茶を濁す(これこそまさにマスコミの犯罪行為なのだが)確率も高いのだが。

なお、現在の辺野古基地は地元住民の誘致もあって出来たというのは多くの人が知っていることで、「衝撃のスクープ」でも何でもない。そのことと辺野古新基地建設の是非はまったく無関係の問題である。




(以下引用)

安倍首相も実践? 内閣参与・飯島勲が不祥事をごまかす卑劣な手口を自慢げに公開!

【この記事のキーワード】, ,
2015.04.11
iijimaisao_01_150411.jpg
『ひみつの教養 誰も教えてくれない仕事の基本 』(プレジデント社)

 かつて小泉純一郎元首相の秘書官として政界裏工作やマスコミ対策に豪腕を振るい、現在は内閣官房参与の職にあって、安倍首相の強力ブレーンを務める飯島勲氏。そんな飯島参与が“世界水準のエリート”“リーダー”になるための秘訣を教えるというフレコミで出版したのが、『ひみつの教養』(プレジデント社)だ。


 ただの秘書経験しかない飯島氏がいつのまに“世界水準のエリート”に?と驚いていたら、その中身も想像を超えたとんでもないシロモノだった。


「私のこれまでの経験から、日本社会の中で組織を生き抜き、権力をつかむ方法を伝授する」という飯島参与だが、国際性やリーダーとしての資質論はほとんどなし。とにかく、自分の利益や地位を守るために手段を選ぶな、とばかりに、嘘やデタラメ、不公正、責任放棄といった卑劣きわまりないやり口を読者にアドバイスしまくっているのだ。


 たとえば、人材活用。飯島氏はなんと実力主義を否定し、「バカ」の重用を提唱する。


「ここは思い切って『バカ』を徹底的に利用するのがいい。明らかに能力不足の部下であったなら、むしろ大きな権限を与えて重用する。その部下は大喜びするだろうし、自分に対して敬意を払う」


 逆に有能な人材を重用しても、それは当然だと思われ感謝もされず、自分を軽視さえする。しかし「バカ」を重用すれば恩を感じて絶対的味方になるというのだ。


「実力主義は組織存続のための最小限にとどめ、人材登用はまず『敵』『味方』で行うのが現実的な知恵だ」

さすが、郵政解散で党内に「抵抗勢力」なる仮想敵をつくって、世論を誘導し、権力維持をはかった小泉首相の参謀である。


 一方、上司に対してはどう対処するか。飯島氏は「上司が『カラスは白い』と言ったら正しい返事は、どっち?」と読者に質問を投げかけたうえで、当然のように「カラスは真っ白」が正解だと断言する。


「組織で理不尽はつきもの。上司がちょっとおかしなことを言ったからといって笑って受け流さなければ社会人などやっていられない」


 しかも、飯島参与は「私なら『白いカラスを連れてきて、やっぱり上司の言う事は正しいと宣伝する』」という。




 部下を「バカ」呼ばわりし、上司には徹底的に媚びへつらう。そんな飯島流処世術が上から目線で語られていくのだが、まあ、これくらいなら、勘違いジジイの自慢話として受け流してもいい。問題はミスや不祥事への対処法だ。


 飯島は「これらはすべて私が実際に経験したことをもとにしている。すぐに現場で応用できるはずだ」と前置きして驚くべき卑怯な手を伝授する。


「会社のスキャンダルが表沙汰になったら、一切の責任を誰かに押し付けて、一目散に逃げることをお勧めする。(略)設備投資がほとんどなく、アイデア一発勝負で起業でき、慢性的人手不足のIT産業なら、重大な不祥事が明るみにでた時点で退職金をもらって遁走すべきだろう。
 投資関連会社なら、大金を稼ぐなり、ノウハウさえ盗みなりすれば、あとはどう蒸発するかを考えたほうがいい。このような業種にいるのならメディアや捜査当局と戦うメリットは一つもない」


 さらに、メディアや捜査当局と対峙しなければならなくなっても、明白な違法行為でない場合は、「価値観の違いであると強弁すること、絶対に謝ってはいけない」と断言する。


 そして、マンションの景観についての業者と住民とのトラブルになり、業者が「申し訳ない」と謝ってしまったことで裁判に敗訴したことを例に出し、「突っぱねればよかったものを」と残念がるのだ。


 また、みずほ銀行が不祥事の際に、頭取が謝罪会見に出席したことを例に出し、トップが謝ってはならない、と主張する。


「みずほにとって頭取の謝罪にプラスの効果はまるでなかった。喜んだのはマスコミだけだ(略)第一に、はじめの釈明、謝罪に役員が出てきたことだ。これによって問題が大事かのような印象を広めてしまった。謝罪に関しては、広報と担当部署が書面で済ませてしまうのが一番いい」


 カメラの前で謝れば、マスコミの扱いも大きくなるから、無味乾燥な書面がベストだという。また会見じたい、法的に義務付けられているわけではないから「無視できるだけ無視したほうがいい」となる。



 そして会場は自社でやるとエンドレスになるため時間を区切ってホテルで。また、違法農薬を使った中国産の米の売買が発覚した場合を例に、会見での具体的発言をレクチャーする。


「『商品の回収など生ぬるいことでは問題を反省したことにはならない。現地法人の経営者を即刻クビ、法人を解散させる』と、記者をびっくりさせる大げさな幕引きをするという手もある。後日、同じ人間を経営者に、別の名前の会社が、同じ場所で発足するという算段だ」


 メディアの追求は一過性のものだから、時間が経てば後追いしないと飯島氏は嘯く。


 企業に社会的責任が求められる昨今の傾向とは真逆の、無責任きわまりない手法のアドバイス。こんな人物が内閣参与を務めているという事実に愕然とするが、実は飯島氏は政治家に対しても、同様の事実隠蔽、責任放棄をすすめている。


 例えば第二次安倍内閣改造で経産相になり、その後政治資金の問題で辞任した小渕優子議員について、飯島参与は自分なら「辞任を防ぐ手立てがあった」と豪語するのだ。


 飯島参与はこれまで数多くの閣僚の身体検査を行ってきたが、ほとんどの政治家は怪しい領収書の一枚や二枚は必ず出てきたという。そこで指示するのが政治資金収支報告書の“修正”だった。


「収支報告書はいくらでも修正できる、という特徴を最大限に利用し、閣僚候補の報告書から怪しい領収書が見つかった場合は、ただちに怪しげな記載事項についての修正を行わせていた」


 収支報告書の“修正”ではなく“改ざんのススメ”ともいえるものだが、飯島参与はこれを自分の手柄だと言わんばかりに自慢し胸を張る。そして小渕議員に関しても問題発覚の経緯から十分に“改ざん”が可能だったと主張する。


「実は小渕氏の政治資金問題を最初にスクープしたのは『週刊新潮』ではない。スクープ記事が発売される約一カ月前、内閣改造直後の九月一八日付の「しんぶん赤旗」が、『小渕経産相。第三の“財布”/企業・団体献金二七五八万円』と報じている」


 よって「しんぶん赤旗」の報道が出たときに、さっさと収支報告書を“修正”していれば、辞任することもなかったと、小渕事務所や経産省に説教するのだ。


 それだけではない。同じく“うちわ”問題で辞任した松島みどり元法務相についても、「私は四〇年以上選挙に関わっているが、社会通念上「うちわ」に見える公職選挙上の『法定ビラ』など無数に存在している」として、こう断言する。


「そのまま突っぱねればよかった」


 政治家としての使命や有権者に対する責任を一切顧みない、自分の地位や権力を維持するための方法が延々書かれているのだが、しかし、今の安倍政権、安倍首相のふるまいを見ていると、まさにこの飯島流処世術を実践しているのではないか、という気もする。自分の不祥事や失言は一切謝罪せず、すべてメディアのせいにして、味方だけを重用する──。


 実際、飯島参与の安倍首相との結びつきはかつての小泉元首相との関係をはるかに凌駕する濃密さだという見方もある。本書でも、飯島氏は安倍晋三首相と菅義偉官房長官のことを気持ち悪いくらいに持ち上げまくる。


「将来のための不人気政策を実行し、かつ国民の信頼を得られる稀有な政治家である。この二人が舵取りをしていることに日本の幸運を感じると同時に、私のすべてを尽くして応援していきたいと決意を新たにした」


 そして、返す刀で、官邸に敵対するものを徹底的に攻撃するのだ。たとえば、今、問題となっている辺野古移設について飯島氏は「衝撃のスクープ」と章立てしてこんなことを言い放っている。


「経済的に厳しい状況に置かれていた辺野古地区では、村の発展の決め手として米軍誘致を決定、村長が村議会議員全員の署名を集めて、米軍の民政長官に陳情したという。慎重に対応していた米軍側も、村の熱心な陳情と、海兵隊の訓練場の必要に迫られたことから、誘致に応じたそうだ」
「(それなのに)現在の辺野古には、東京からカネを巻き上げることしか考えない住民、他県出身者の反対派左翼運動家も流れ込み、ますます事態を複雑にしてしまった」


 都合のいい部分を抜き出して事実をゆがめる手口も安倍首相そっくりではないか。このひどい政治状況はもしかしたら、頭の悪い暴走首相と卑劣な政界仕掛人の合体がもたらしたものなのかもしれない。
野尻民夫


拍手

たった一人でも権力に立ち向かうことはできる

いやあ、ロックというかパンクというか、この女性はECB総裁会見という退屈なセレモニーを興奮のステージに変えたようだ。男二人に運び出される時のVサインと笑顔は、まさしく彼女の勝利を示している。上の二つの写真での彼女の姿もいい。フォトジェニックだ。
権力の猿芝居の場に対する、こうした愉快なテロは、もっと世界中で起こっていい。それによって権力というものの正体が露呈してくるだろう。

前に書いたように、ECBの求める緊縮財政とは、「政府の借金を国民に払わせる」ことであり、国民がそれに怒るのは当然である。EUやECBという存在そのものの意味や意義を欧州の人々は考えるべき時期に来ているのではないか。もちろん、私は、EUは解散するか、各国の主権(特に経済的主権)をもっと尊重する機構に改める必要があると思っている。



(以下「ハフィントンポスト」より転載)



ECB総裁会見に女性乱入 「独裁終わらせろ」紙吹雪で抗議

投稿日: 更新:
                                     

ドイツ・フランクフルトにある欧州中央銀行(ECB)本部で4月15日に開かれたドラギ総裁の記者会見で、女性が机に飛び乗って「ECBの独裁を終わらせろ」と叫んで暴れ、会見が一時中断する騒ぎがあった。時事ドットコムなどが報じた。


記者席に座っていた女性は会見開始直後、ドラギ総裁の前の机に駆け上がり、叫びながら紙吹雪のような物やビラをまいた。会場が騒然とする中で、総裁らは別室に待避。女性はその場で取り押さえられ、会見は数分後に再開した。


ロイターは、抗議したのはハンブルク出身の21歳の女性だと報じている。AP通信によると、この女性は、緊縮政策に反対する女性権利団体「FEMEN」の活動家という。

  • Germany European Central Bank
    ASSOCIATED PRESS
    A Femen activist stands on the table of the podium throwing paper at ECB President Mario Draghi, left, during a press conference of the European Central Bank, ECB, in Frankfurt, Germany, Wednesday, April 15, 2015. (AP Photo/Michael Probst)
  • Germany European Central Bank
    ASSOCIATED PRESS
    An activist stands on the table of the podium throwing paper at ECB President Mario Draghi, left covered, during a press conference of the European Central Bank in Frankfurt, Germany, Wednesday, April 15, 2015. (AP Photo/Michael Probst)
  • Germany European Central Bank
    ASSOCIATED PRESS
    A Femen activist is carried away after attacking ECB President Mario Draghi during a press conference of the European Central Bank, ECB, in Frankfurt, Germany, Wednesday, April 15, 2015. (AP Photo/Michael Probst)





(夢人追記)「阿修羅」の、この事件に関する記事の最後に面白いコメントがあったので、それを転載しておく。たぶん、記事元の「真実を探すブログ」管理人氏コメントだろう。私だけが頭がおかしいから前説のようなことを書いたというわけではなく、私と同じ気持ちの人間は案外多いのかもしれない。



海外のSNSなどを見てみると、意外と賞賛されていてビックリです。「今のECBは欧州各国の独立性を奪っている」と指摘する方も多く、今回の女性みたいに激怒している方も見掛けます。イギリスなんかでも同じ様な抗議運動がありましたし、これもグローバル化の影響の1つだと言えるでしょう。



拍手

「イデオロギー拒否というイデオロギー」の陥穽

「世に倦む日々」記事の末尾だけ転載。
大事なことが書かれていると思う。
「右とか左とかいうイデオロギーはもう古い」というイデオロギーは、今けっこう流行っているのだが、イデオロギーから解放された政治活動は(それが明示的か暗示的かの違いがあるだけで)元来ありえない。そして、こうした「イデオロギー拒否というイデオロギー」は、現実の事態を不明瞭にし、民衆が戦うべき敵の姿を隠してしまうという悪質な効果がある。
これが、「世に倦む日々」氏が懸念していることだろう。これを氏は「脱構築」派の特徴と見ているようだ。
「脱構築」派とは、旧来の左翼と一線を画する、「社会主義や共産主義という大きな物語(観念的思考)ではなく、日常のデティールを大事にすることで現実の波(社会の蔵する重い問題)を軽やかに乗り切ろう」という新しいリベラルかな、と「脱構築」には疎い私は想像している。
まあ、旧来の左翼が「観念から現実へ」というタイプだったのに対し、新しいリベラル、あるいは左翼リベラルは「現実から現実へ」ということになるのではないか。だが、そこに陥穽がある。
つまり、「現実から現実へ」では、現実の細部に足を掬われるだけであり、現実の根本問題を解決する方向にはなかなか行かないのではないか、と私は思うわけだ。彼らは現実を良く研究しているから、その言葉はある程度の説得性はある。だが、いかにも「軽い」のである。彼らは間違ったことは言わないかもしれないが、現実を土台から改変するような提言もできない。現実を変える力は、実は観念にある。「脱構築」派は現実の悪の細部の悪のみを是正はするかもしれないが、それによって逆に現実の根本の悪を延命させるものだ、というのが「世に倦む日々」氏の焦燥を私が勝手に推測したものだ。
以上はただの推測にしかすぎないし、リベラルと左翼を同一視すること自体がおかしいのかもしれない。しかし、左翼リベラルという言葉は現在市民権を得ているようだから、左翼とリベラルには親近性があることは誰でも認めているのだろう。ただ、これが左翼リベラルとなると、旧来の左翼とはかなり性質が違ってくるように思う。もともとリベラリズムとは「自由主義」であり、それが左翼と結びつくのは、政治的進歩主義が社会主義的政策とほぼ同一だったからだろう。ところが、今や進歩主義とは「市民の自由と安全を制限し、企業の自由を拡大する」政策となり、社会主義とは真逆のものになっている。となれば、かつての左翼思想を廃れた古い思想と考えるべきではない、という結論になるのではないか。この点では私は「イデオロギーの重大性を見直せ」という「世に倦む日々」氏に与するものである。


(以下引用)


右も左もイデオロギーはもう古い。目の前の現実や事象に対して、それをイデオロギー的な意味づけで裁断する発想は間違っている。こういうイデオロギー拒否の相対主義の言説は、(学校で教師から脱構築の教育を受けた)若い世代に特に受け入れられやすい。この論法が切り返しとして提出され、人が納得してしまうと、危険な右翼的現実をストレートに批判する言論は封殺されてしまう。右翼批判が意味がなくなり、右翼批判の言論が成立し得なくなる。実際のところ、1980年代後半の脱構築ムーブメントがアカデミーで興隆して以降、日本の論壇はこの視角と思潮で染まり、右傾化現象を正しく捕捉して指弾する営為が難しくなった。逆に言えば、こうして目の前の現実を丸ごと肯定する思考の訓練と習慣の定着によって、戦後民主主義や社会主義を第一の価値観として持っていた者たちが静かに転向し、後退し、右翼を悪として批判する声を上げなくなり、右翼化するイデオロギー状況に保身で順応して行った。この30年間のマスコミの中で、そういう順応なり適応の態度を模範として見せてくれたのは、例えば三雲孝江がその一人として浮かぶ。日本の人々は、学校で習って身につけた戦後民主主義の原理原則へのコミットを薄め、脱構築の態度に変質し、そこからさらに右翼肯定へと変貌を遂げている。自らの思想的原点の固守が弱く、現実に流されやすく、多数に混ざりたがるのは日本人の特性でもある。

多数派の流れとなった右翼のイデオロギーは、決してイデオロギーとして客観認識されて捕捉されることなく、右翼の敵である戦後民主主義や社会主義の思想が一方的にイデオロギーとしてレッテル貼りされ、不当視され、悪性視されている。現在の日本語の用法では、右翼の政敵の思想をイデオロギーと呼んでいて、イデオロギーという言葉は、学問的な定義の一般性と中立性を失い、日常の会話の文脈として特定の思想性を指すものとなった。嘗ては、社会空間におけるイデオロギーのシェアが左右半々であったため、右翼の思想も左翼の思想もイデオロギーとして対象認識されていたけれど、現実の政治空間が右翼だけでオキュパイされると、その制圧支配を正当化するべく、右翼の思想は正常な常識とされ、正論とされ、イデオロギーの概念で対象化されなくなるのだ。除外される。そうした思想環境の中で、従来は左翼が生息した地平を脱構築がリプレイスしたが、脱構築が唱えるところの「右も左もイデオロギーはもう古い」の言説は、きわめて自己欺瞞的なレトリックであり、公平な相対主義の見地に立っているように装いながら、実は否定する対象として「右のイデオロギー」は全く意識されていない。「冷戦思考の二項対立はもう古いから」と脱構築が立論するとき、古い思考として非難され排斥されてきたのは、もっぱら冷戦に敗北した(とされる)左の思想だけだった。

現実の日本の政治社会が甚だしく右傾化していることは、タイムや、ニューヨークタイムズや、ガーディアンや、その他の欧米のプレスが注目して異常を報道しているとおりで、世界の中から見られている日本が客観的な事実である。否定できない。どれほど朝日がキャンペーンを張り、右傾化を懸命に否定しても、それは日本の国内を洗脳して間違った観念を植えつけているだけで、無駄で無意味な営みでしかない。世界は朝日の報道を正しいとは認めない。日本駐在のニューヨークタイムズや中央日報やドイツ紙の記者たちが、小熊英二のこの「右翼少数論」の記事を読んだとき、果たして彼らはどういう感想を持つだろうか。不感症による誤認か、もしくは正常性バイアスによる歪んだ認識だと評価するのではないか。

拍手

マスコミは「狼少年」だと国民全体が知ることになるか

「ギャラリー酔いどれ」から「田中宇の国際ニュース解説」記事の一部を転載。
日本の政治の本質をズバリと書いている。

「53年に朝鮮戦争が暫定終結した後、55年の保守合同で自民党が作られ
実質的な権力を握る官僚機構が担ぐ御神輿の上に、
官僚の言いなりの自民党が永久与党として乗る、戦後日本の権力構造ができあがった


日本政府の各省の権力は、大臣(政治家)でなく事務次官(官僚のトップ)にあり、
日本政府の実質的な意志決定機関は、閣議でなく事務次官会議だった。」

これは中学高校の社会科教科書に載せるべき文章だろう。
それに続く部分も大事なことを書いている。
田中宇の言う通り、マスコミが東海大地震や南海トラフ大地震などを書き立てるのは官僚の差し金だろうが、その同じ官僚が原発再稼働を強引に進めているという大矛盾に、なぜ日本国民は気づかないのか。大地震が起これば、あちこちの原発で福島原発事故の再来となる可能性があることは誰でも分かるだろう。そもそも、福島原発事故自体がまだまったく終息してもいず、フクシマの事故処理ができていない(いや、多分不可能だろう。)のである。
少し前に「大地震が来る」と書き立てていたマスコミが、福井地裁の樋口裁判長判決をそれと関連させて報道・解説できるかどうか、見ものである。
よほどの健忘症でなければ、国民はあの「大地震が来る」報道を忘れてはいない。


(以下引用)



53年に朝鮮戦争が暫定終結した後、55年の保守合同で自民党が作られ
実質的な権力を握る官僚機構が担ぐ御神輿の上に、
官僚の言いなりの自民党が永久与党として乗る、戦後日本の権力構造ができあがった


日本政府の各省の権力は、大臣(政治家)でなく事務次官(官僚のトップ)にあり、
日本政府の実質的な意志決定機関は、閣議でなく事務次官会議だった。

事務次官会議は、09年に官僚から政界への権力奪還を狙って就任した
鳩山政権によって廃止されたが、野田政権になって、震災復興支援の名目で
各府省連絡会議として復活した。

大震災が政治的に利用されていることが透けて見える。

官僚機構の傘下にあるマスコミが「次は首都圏直下型地震が起きる」と騒ぎ、
テレビの出演者が「大震災の教訓を末永く語り継がねばなりません」と
深刻そうに言う理由も見えてくる。

大震災前のマスコミでは、大地震を予測する報道がタブーだったが、今は逆に、
大震災が確実に起きると喧伝されている。

朝鮮戦争で焼け太った日本の官僚機構は、今また大震災で焼け太りだ。

拍手

迫害者と「被害者」が同一人物というミステリー

フランスおよびEU全体での極右政党「国民戦線」の大躍進についての記事のコメントが実に鋭いので、記事ともども転載する。「阿修羅」読者の中には、頭脳明晰な人もなかなかいる。
ユダ金は本物のユダヤ人にあらず、というのがネット世界の識者の大半の意見だろう。その意見に私も同意している。ただ、タルムードや旧約聖書の中に書かれている「ユダヤ人のみが人間で、他民族は家畜」「家畜を人間扱いする必要はなく、家畜(他民族・被支配階級)に対する行為に道徳は不要」という思想は、ユダ金的思想の根底にあり、そういう意味ではユダ金はユダヤ思想の持ち主ではあると思っている。
それはともかく、ユダヤ人嫌悪思想を最大の特徴の一つとする「国民戦線」の指導者マリーヌ・ルペンについて世界ユダヤ人会議仏支部長代表が「ルペンはとがめるべきところは何もない」と言ったというのはまさに驚天動地の発言のはずだが、実はその「国民戦線」そのものがユダ金が作った政治団体だとすれば、不思議はないことになる。ユダ金こそがユダヤ人一般への迫害を利用して、「被害者」であるユダヤ人への批判を封じ込め、自分たちユダ金の悪行への批判や攻撃に対する防御盾としてきた、というのは以前に何度も書いてきたことである。つまり、「ユダヤ人迫害」をする連中は、ユダ金にとっては必要な存在なのである。
下記記事コメントは、簡潔にすぎるがそういうことを言っているのだろう。


(以下引用)


ルペンが招くフランス分裂:世界ユダヤ人会議仏支部代表ロジェ・ツケルマン「ルペンはとがめるべきところは何もない」
http://www.asyura2.com/15/kokusai10/msg/489.html
投稿者 あっしら 日時 2015 年 4 月 15 日 04:17:37: Mo7ApAlflbQ6s
   
 
    
※ 関連投稿

「創設者ジャン-マリ・ルペン氏の政治力はさすが:国民戦線が極右扱いから脱却し飛躍できるきっかけを用意」
http://www.asyura2.com/15/kokusai10/msg/453.html


=================================================================================================================
『ニューズウィーク日本版』2015-4・14
P.50~51


「ルペンが招くフランス分裂


仏政治:主流政党は極転・国民戦線への恐怖をあおるが国民はイデオロギー合戦の政治にうんざり


 1月の仏週刊誌シャルリ・エブド襲撃事件以来、フランス政治の視界は恐怖という雲にすっかり覆われてしまった。国家レベルで傷を負った後によくありがちな恐怖というだけではなく、もはやそれは集団ヒステリー。主流政党の政治家たちの言動にまで、その空気感が如実に表れている。その恩恵を誰より受けているのが、フランスの極右政党・国民戦線だ。


 先月行われた統一地方選挙で、反EU・移民排斥を掲げる国民戦線は98県で62議席を獲得。選挙前の予想には届かず、どの県でも過半数は獲得できなかったものの、08年の前回選挙から大きく躍進した。
 党首マリーヌ・ルペンはこれまでのところ、この国の政治論争をリードし続けている。メディア戦略にたけ、その手腕とずる賢さは党を創設した父親のジャンマリ・ルペンよりも数段上。統一地方選の第1回投票後に、国民戦線が「第1党を逃した」との見出しが数々のメディアに躍ったことが、多くを物語っているだろう。


 選挙が迫るにつれ、与党・社会党と野党・国民運動連合(UMP)の間の主な論点は、慢性的な失業問題や国家債務についてではなく、ルペンをどうするか、という一点に集中した。昨年5月に欧州議会選挙で国民戦線がフランス第1党に躍進すると、「ルペン大統領」の座も視野に入ったとメディアは一斉に報道。マニュエル・パルス首相は最近のインタビューで、ルペンの党が「フランスを分裂させる」恐れがあると語っている。


 政府の実績や社会党の選挙戦については言及を避けながら、パルスはルペンの台頭でフランスに訪れる「重大な危険」について繰り返し訴えた。「国民戦線が欧州議会で25%の得票率を獲得し、今度の統一地方選で25%の票を得たら、次には政権を取ってしまうことになりはしないか? 2022年でも29年でもなく、17年の話だ!」
 パルスは巧みに、懸念の根拠を示した。「左派が分裂し、UMPの一部有権者が流れることで、国民戦線が勢いづいている。堤防が壊れかけている証拠ではないか」


ジャンヌ・ダルクも利用


 一見したところ何気ないこの言葉で、パルスは自身の社会党内の抵抗勢力に、はっきりとしたメッセージを送っている。政府が初心を忘れて新自由主義に傾きつつあると批判する党内左派に向かって、パルスはこう言っているのだ。国民戦線を勝たせたくないのなら、われわれに従ったほうがいい。


 先月初め、フランソワ・オランド大統領は統一地方選の社会党候補者らに、国民戦線の票を「剥ぎ取れ」と対抗心むき出しで呼び掛けた。ルペン支配への恐怖をあおるこの戦略のおかげで、彼女が次期大統領になるという悪夢(人によってはいい夢)は、いつしか国を挙げての本格的な議論になっていった。


 ルペンはこれまで、主流政党からさんざんこき下ろされてきた。そのせいでむしろ、政界から迫害を受ける彼女には、カルト的な崇拝すら集まっている。


 父ジャンマリが党のシンボルとして担ぎ出したのが、フランスの国民的ヒロイン、ジャンヌ・ダルクだ。ルペンは父親以上に効果的に、そのイメージを利用しようとしてきた。


 実際のところルペンは政界名門の裕福な出であるにもかかわらず、常に自らをドラマチックに演出してきた―彼女を迫害し、口を封じようとする政治的エリート主義や堕落した「システム」と闘い、よりよいフランス実現のために人生のすべてを捧げてきた女だ、と。


 さらにルペンは、フランス国民に受けのいい革命の思想もよく引き合いに出してきた。
 テレビ局BFMTVの最近のインタビューでルペンは、国民戦線の党員が相次いで投稿する人種差別的で反同性愛、反ユダヤ、反イスラムのツイートについて指摘されてもあっさりとかわし、こう主張した。国民戦線は「国民の憎悪や階級的嫌悪の犠牲になっている」。さらに、「特権階級は、商売人や母親や学生といった人々が、彼らに代わって政治を担うという考えに我慢がならない」と語った。


 たかが地方選でこの大仰な言い回しは滑稽に感じられるかもしれない。通常、地方選で論じられるのは、地元のバス路線廃止の是非といった地域密着の話題のはず。ここにフランス政治特有の問題点が垣間見える。道徳の高さを競う争いになりがちなところだ。どの党が最も効果的な解決策を示せるかではなく、どの党が正しいかという争いに終姶する傾向がある。


ファシストの顔は見せず


 厄介なことにルペンは、ファシスト的な顔を否定しているだけではない。われこそはフランス共和制の真の後継者だと主張している。


 ルペンの選挙戦の特徴は、詳細な文章が皆無であること。冊子も配られず地方メディアに記事も載せず、代わりにこんなスローガンが記されたポスターが至る所に貼られている。「裏切りのUMP、希望のブルー・マリーヌ(国民戦線による極右連立の名称)」


 道徳をめぐる争いにおいては特定の政策に跨み込まないほうが得策であることを、ルペンは心得ている。適当なイメージを示して感情に訴えれば十分だから、現代フランス社会に広がる恐怖と、過去への郷愁をあおる。「村には郵便局を取り戻そう。フランスの宝である農村風景を、漁業社会を守っていこう」。それは、グローバリゼーションや資本主義の覇権に侵されることのない、不変のフランスの姿だ。


 フランスの多様な有権者が共通して抱いているのは、近代化の波に対する恐怖感。ルペンは彼らに牧歌的な構想を示す一方で、自身のファシスト的な側面は慎重に覆い隠している。世界ユダヤ人会議(WIC)フランス支部代表のロジェ・ツケルマンですら、「ルペンはとがめるべきところは何もない」と述べるほどだ。


 パルスが最近、ルペンへの強い懸念をラジオで語ると、野党UMPの報道官セバスチャン・ヒユーグは彼を「放火魔の消防士」と非難した。英雄を演じるために自ら火を付ける彼の戦略は、長い歴史を通じて崇高な理想のために炎を燃やしてきたフランスにとっては、明らかに危険だという。


 一方で、多くの国民、特にグローバリゼーションに抵抗感のない若者世代は、こうしたイデオロギー合戦にうんざりし始めている。彼らは現実的な解決手段を渇望しているのだ。


 われこそが道徳的に正しい、と主張するためだけにフランスの歴史を掘り起こしては利用する―そんな長年の悪習から勇気を持って足を洗い、現実的な政策を語れるのは誰か。その実断を下すことができる政治家が現れれば、誰であれフランス国民から歓迎されるのは間違いないだろう。


ルーシー・ウェイダム」


 



   
 



  拍手はせず、拍手一覧を見る






コメント
 
01. 2015年4月15日 04:50:57 : bE3q6w5WPQ
そりゃユダヤ人はそう言うさ
いまや各国ネオナチ最大の支援者はイスラエルだ。資金源はイスラエル。或いは、グローバル企業。若しくはCIA

>一見したところ何気ないこの言葉で、パルスは自身の社会党内の抵抗勢力に、はっきりとしたメッセージを送っている。政府が初心を忘れて新自由主義に傾きつつあると批判する党内左派に向かって、パルスはこう言っているのだ。国民戦線を勝たせたくないのなら、われわれに従ったほうがいい。


この一節は、そいつらの企みが成功していることを物語っている
別にこのコラムを書いてる奴も否定的には書いていないね


>一方で、多くの国民、特にグローバリゼーションに抵抗感のない若者世代は、こうしたイデオロギー合戦にうんざりし始めている。彼らは現実的な解決手段を渇望しているのだ。


↑そんなことはないはずで、グローバル企業の手羽先コラム


日本だけじゃなかった


ドピルバンやストロスカーンは潰され、サルコジですら用が済めば捨てられた(ちなみにサルコジもネオナチの脅威を右派の立場から上手く利用したとよく言われてた)
残ったのが筋金入りの新自由主義陣営のスパイ、ファビウス(ユダヤ人という話あり)だけときたもんだ


世も末だよ

拍手

カレンダー

05 2025/06 07
S M T W T F S
10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析