「播州武侯祠偏照院」から転載。
なるほど、ISISは腐敗、淫溺、惑乱の果てに壊滅状態になる、ということか。
まあ、これまでの彼らの行状からしてそうなって当然なのだが、問題は、彼らの背後にいる連中、英米イスラエル(あるいはユダ金)が今後どう動くかである。このままISISを操って西側世界を動かそうにも、その西側世界ですら、庶民はその詐術に気づき、欧米諸国の指導者たちの足並みも揃わなくなりつつある。
しかし、ISISが、「皿の上に虫(蟲)がたかっている」とは、絶妙な表現である。この「蟲」の字の気持ち悪さは、まさしく「イスイス団」の印象だ。易経全体から意識的に探しても、この「山風蟲」の卦ほどISIS団を表現するのに絶妙の卦は他に無いだろう。それが天のお告げとして出てくるのだから、混沌堂さんのおっしゃるとおり、「易すさまじき!」である。
変卦「山天大畜」も面白い。
「また、六五の君と六四の宰相が共に志を同じくして、下卦乾の剛強の下民のなりふり構わず進むのを制し止める様子でもある。」
この場合、「剛強の下民」はユダ金、「君、宰相」は政治的指導者と解釈するのはどうか。(もちろん、前の卦からの流れで、「剛強の下民」=「ISIS」でもいいのだが。)
そして、
「しかし六五の君は陰柔にして泰平の主であり、左右の群臣も皆陰柔である。
このままだと、陰に流され、君は逸楽に興じ驕奢に耽り、剛強な民衆はそんな君上をないがしろにして、やりたいように冒し進む可能性がある。
それでは秩序は崩壊し、国はまとまらない。
憂い危ぶみ、それを止める者がいなければいけない。
そこで、上九の一陽剛が、卦の外から上り往き、上爻に居て、艮の止めるの主爻となり、成卦の主として、下卦乾の剛強にして冒し進むのを止める者となった。
これは、王者の賢師が、君上が非道に向かうのを制し止め、正しい道を訓導する様子でもあり、賢を尊び徳を養う様子である。」
の「上九」の「王者の賢師」はプーチン、「六五」の「陰柔の君」はオバマ、同様に陰柔の「左右の群臣」はUE中心諸国の指導者たち、と解するのも面白いだろう。
この「山風蟲」と「山天大畜」の卦の解釈如何によるが、ISISの命運は長くはなく、その後の世界の進展も希望が持てそうな気がする。まあ、そういう希望を持たせてくれるだけでも、易に問うことのメリットはあるというものだ。
「思うに、希望とは道のようなものだ。最初から道があるのではない。歩む人が多くなれば、そこが道となるのである。」(魯迅)
(以下引用)
イスラム国ことISIS団の顛末を易に聞きました。
山風蠱 の 初爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-23.html
上記文抜粋
・・・・・・・・
山風蠱(さんぷうこ)
sanpuu.gif蠱 巽下艮上(そんか ごんじょう)
八卦のsonfuu-n.gif巽(そん)の上に、gonsan-n.gif艮(ごん)を重ねた形。
蠱は、腐敗・壊乱・淫溺・惑乱といった意。
この卦は、巽を長女とし、艮を少男とすれば、長女が少男に先立ち、長女の色情をもって少男を媚い惑わす様子となる。
だから、蠱と名付けられた。
また、巽風をもって艮山を粛殺(しゅくさつ=秋の厳しい風で草木を枯らすこと)する様子である。
だから、蠱と名付けられた。
また、上卦の艮を止める、下卦の巽を服従とすれば、上の恵みが止まって下に及ばず、下は巽従に過ぎて佞媚に流れる様子となる。
このようでは、国家は必ず壊乱する。
だから、蠱と名付けられた。
また、艮は一陽が上に在り二陰が下に居て、巽は二陽が上に在り一陰が下に居るわけだが、これでは上下共に陰陽交わらず、陰陽交わらなければ、必ずや物事は壊れる。
また、艮は一陽が上に止まり、巽は一陰が下伏せている形だが、これでは剛柔交わることがなく、剛柔交わらなければ、必ず物事は壊れる。
だから、蠱と名付けられた。
また、巽を臭いとし気とし、艮を止めるとし覆う蓋とすれば、蓋で覆った中に臭気が発生してい
る様子となる。
臭気が発生すれば、必ず腐敗して虫=蟲が生じる。
だから、蠱と名付けられた。
蠱は皿の上に蟲がたかっている様子の文字である。
また、交代生卦法によれば、元は地天泰から来たとする。
地天泰の初九の陽が上に往き、上るに過ぎて不中の高き極みの上爻に居り、上六の陰が下り来て、下るに過ぎて不中の最下の底の初爻に居る形である。
これでは陰陽交わらず壊れを生じる。
だから、蠱と名付けられた。
卦辞
蠱、元亨、利渉大川、先甲三日、後甲三日、
蠱(こ)は、元(おお)いに亨(とお)る、大川(たいせん)を渉(わた)るに利(よ)ろし、甲(こう)に先(さき)だつこと三日(みっか)、甲に後(おく)れること三日、
この卦は、敗壊の意であり、そんなときに元いに亨ることはない。
しかし、だからと言って、敗壊を放っておくわけにはいかない。
折りを見て、いつかは修復する必要がある。
としても、修復するには、そのことについて深い知識と技能が必要である。
要するに、その蠱の敗れたことについて、元いに亨通している必要があり、そういう人物であればこそ、敗壊を修復可能なのである。
だから、蠱は元いに亨る、という。
例えば、パソコンが壊れたとき、パソコンのことをよく知らなければ、修理に出すしかないが、パソコンに精通していれば、自分でどこが壊れたかを調べ、部品を取替えて直せるのと、同じことである。
また、巽を従うとし艮を止めるとすれば、従って止まる様子である。
大きな川を渡るときは、人命に係わる大事であり、逆を慎み順を尚ぶことが第一である。
無理せず時に従って止まり、風、波、水嵩の利ろしきを得て渡れば、過失も少ない。
だから、大川を渉るに利ろし、という。
また、甲(こう=きのえ)は十干の始めである。
だから、甲の日を事の始めとする。
甲に先立つこと三日は辛(しん=かのと)の日であり、辛は新と同音同義である。
甲に後れること三日は丁(てい=ひのと)であり、丁は丁寧の義である。
壊れ極まって、今これを修復する道は、先ず既往の敗壊の原因を悉く改めて新しくし、改新した以後は丁寧に扱い、再び壊れないようにしないといけない。
だから、甲に先だつこと三日、甲に後れること三日という。
・・・・・中略・・・・・
初六、幹父之蠱、有子、考无咎、終吉、
初六(しょりく)、父(ちち)之(の)蠱(やぶ)れに幹(かん)たり、子(こ)有(あ)れば、考(亡父=なきちちも)咎(とが)无(な)し、(あやう)けれども終(つい)には吉なり、
幹とは木の幹(みき)のことにして、枝葉花実はこの幹の力ひとつで維持されているのである。
したがって、よくその任に堪え、その事を行う義とする。
今、蠱のときに当たり、初六は子にして、父の蠱=失敗を後から修復する者である。
初六は陰爻なので、その性質柔弱にして才力不足ではあるが、幸いに蠱の初めに当たるので、その敗れは未だ大きくはない。
したがって、陰柔であっても、その任に堪えられるのである。
だから、父之蠱れに幹たり、という。
およそ、事の大小となく、失敗するときは、何らかの咎が有るものである。
しかし、よく蠱れに幹たる子が有れば、その父親が失敗して命を落としても、その後を修復して治め補い繕い、亡き父もその咎を免れることを得るのである。
しかし子がいないときは、誰もなかなかその失敗を修復してはくれないので、その咎は永く消えることがないものである。 だから、子有れば、考も咎无し、という。
考とは亡父のことを指す。
この爻は蠱の初六なので、その失敗は浅く小さいものだが、同時に初六は陰柔なので、これを修復して治めるには艱難労苦するので、さもある。
しかし、怠慢なくよく務める時には、終に成功を得て吉となるものである。
だから、けれど終には吉なり、という。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
あとは崩壊だけか・・・
易すさまじき!
すでにクソコラやイラストがそれを暗示してきたか。
変卦は、
山天大畜 の初爻
上記文抜粋
・・・・・・・・
26 山天大畜(さんてんたいちく)
santen.gif大畜 乾下艮上(けんか ごんじょう)
八卦のkenten-n.gif乾(けん)の上に、konchi-n.gif艮(ごん)を重ねた形。
大畜とは、大きく止める、という意。
また、大きく蓄える、養う、集める、といった意もある。
この卦は、上卦の艮を以って、下卦の乾の進むを止める様子である。
だから大畜と名付けられた。
また、六五の君と六四の宰相が共に志を同じくして、下卦乾の剛強の下民のなりふり構わず進むのを制し止める様子でもある。
だから大畜と名付けられた。
また、乾天が艮山の中にある様子である。
天と山では、天は大にして、山は小なる者である。これは小を以って大を蓄える様子である。
だから大畜と名付けられた。
また、乾の剛健と艮の篤実を備えるときには、その徳は大いに蓄え集まるものである。
だから大畜と名付けられた。
また、来往生卦法によれば、もとは地天泰から来たとする。
地天泰のときには、天地陰陽の二気相交わり、上下が志を合わせるので、その国は繁栄し安泰である。
しかし六五の君は陰柔にして泰平の主であり、左右の群臣も皆陰柔である。
このままだと、陰に流され、君は逸楽に興じ驕奢に耽り、剛強な民衆はそんな君上をないがしろにして、やりたいように冒し進む可能性がある。
それでは秩序は崩壊し、国はまとまらない。
憂い危ぶみ、それを止める者がいなければいけない。
そこで、上九の一陽剛が、卦の外から上り往き、上爻に居て、艮の止めるの主爻となり、成卦の主として、下卦乾の剛強にして冒し進むのを止める者となった。
これは、王者の賢師が、君上が非道に向かうのを制し止め、正しい道を訓導する様子でもあり、賢を尊び徳を養う様子である。
だから大畜と名付けられた。
卦辞
大畜、利貞、不家食、吉、利渉大川、
大畜(たいちく)は、貞(ただし)きに利(よ)ろし、家食(かしょく)せざれば吉(きち)、大川(たいせん)を渉(わた)るに利ろし、
誰かの行動を止めようとするときには、自分はそのことについて正しくなければ説得力がない。
だから、大畜は貞きに利ろし、という。
もとよりこの卦の主意は、進む者を止めるにある。
進む者を止めるときは、その情は背き、その志は違い、その事は逆らい、その言は争うことになる。
だからこそ、貞きに利ろし、と警鐘を鳴らすのでもある。
さて、大畜には、集め養うという意味もあるわけだが、人に使われる者はその人に養われ、人を使う者はその人を養っているのである。
とすれば、人を養う者は、収入のすべてを自分の好き勝手に使い果たしてはいけないし、同じ養うのなら、賢者を養うことこそ大切である。
家食とは、養うことを疎かにして、言うなれば食道楽にばかり収入うことである。
だから、家食せざれば吉、という。
また、大川は険難の場所であり、渡るときは、人命にも係わる大事である。
剛健豪強だからといって、自分の力を過信して、不用意に渡ろうとすれば、溺没の恐れもある。
よく止まり、状況を冷静に観察する慎重さが必要である。
大畜には、大いに止まる、という意もある。
大川を前にして、大いに止まる慎重さがあれば、流れや風をよく観察し、安全に渡れる時を選んで渡ることになる。
だから、大川を渉るに利ろし、という。
・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
誰が「家食」せず、外で成功するのだろうか?
難題解決をするのだろうか?
日本?可能性もある。けど、それは後ででも。
なるほど、ISISは腐敗、淫溺、惑乱の果てに壊滅状態になる、ということか。
まあ、これまでの彼らの行状からしてそうなって当然なのだが、問題は、彼らの背後にいる連中、英米イスラエル(あるいはユダ金)が今後どう動くかである。このままISISを操って西側世界を動かそうにも、その西側世界ですら、庶民はその詐術に気づき、欧米諸国の指導者たちの足並みも揃わなくなりつつある。
しかし、ISISが、「皿の上に虫(蟲)がたかっている」とは、絶妙な表現である。この「蟲」の字の気持ち悪さは、まさしく「イスイス団」の印象だ。易経全体から意識的に探しても、この「山風蟲」の卦ほどISIS団を表現するのに絶妙の卦は他に無いだろう。それが天のお告げとして出てくるのだから、混沌堂さんのおっしゃるとおり、「易すさまじき!」である。
変卦「山天大畜」も面白い。
「また、六五の君と六四の宰相が共に志を同じくして、下卦乾の剛強の下民のなりふり構わず進むのを制し止める様子でもある。」
この場合、「剛強の下民」はユダ金、「君、宰相」は政治的指導者と解釈するのはどうか。(もちろん、前の卦からの流れで、「剛強の下民」=「ISIS」でもいいのだが。)
そして、
「しかし六五の君は陰柔にして泰平の主であり、左右の群臣も皆陰柔である。
このままだと、陰に流され、君は逸楽に興じ驕奢に耽り、剛強な民衆はそんな君上をないがしろにして、やりたいように冒し進む可能性がある。
それでは秩序は崩壊し、国はまとまらない。
憂い危ぶみ、それを止める者がいなければいけない。
そこで、上九の一陽剛が、卦の外から上り往き、上爻に居て、艮の止めるの主爻となり、成卦の主として、下卦乾の剛強にして冒し進むのを止める者となった。
これは、王者の賢師が、君上が非道に向かうのを制し止め、正しい道を訓導する様子でもあり、賢を尊び徳を養う様子である。」
の「上九」の「王者の賢師」はプーチン、「六五」の「陰柔の君」はオバマ、同様に陰柔の「左右の群臣」はUE中心諸国の指導者たち、と解するのも面白いだろう。
この「山風蟲」と「山天大畜」の卦の解釈如何によるが、ISISの命運は長くはなく、その後の世界の進展も希望が持てそうな気がする。まあ、そういう希望を持たせてくれるだけでも、易に問うことのメリットはあるというものだ。
「思うに、希望とは道のようなものだ。最初から道があるのではない。歩む人が多くなれば、そこが道となるのである。」(魯迅)
(以下引用)
イスラム国ことISIS団の顛末を易に聞きました。
山風蠱 の 初爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-23.html
上記文抜粋
・・・・・・・・
山風蠱(さんぷうこ)
sanpuu.gif蠱 巽下艮上(そんか ごんじょう)
八卦のsonfuu-n.gif巽(そん)の上に、gonsan-n.gif艮(ごん)を重ねた形。
蠱は、腐敗・壊乱・淫溺・惑乱といった意。
この卦は、巽を長女とし、艮を少男とすれば、長女が少男に先立ち、長女の色情をもって少男を媚い惑わす様子となる。
だから、蠱と名付けられた。
また、巽風をもって艮山を粛殺(しゅくさつ=秋の厳しい風で草木を枯らすこと)する様子である。
だから、蠱と名付けられた。
また、上卦の艮を止める、下卦の巽を服従とすれば、上の恵みが止まって下に及ばず、下は巽従に過ぎて佞媚に流れる様子となる。
このようでは、国家は必ず壊乱する。
だから、蠱と名付けられた。
また、艮は一陽が上に在り二陰が下に居て、巽は二陽が上に在り一陰が下に居るわけだが、これでは上下共に陰陽交わらず、陰陽交わらなければ、必ずや物事は壊れる。
また、艮は一陽が上に止まり、巽は一陰が下伏せている形だが、これでは剛柔交わることがなく、剛柔交わらなければ、必ず物事は壊れる。
だから、蠱と名付けられた。
また、巽を臭いとし気とし、艮を止めるとし覆う蓋とすれば、蓋で覆った中に臭気が発生してい
る様子となる。
臭気が発生すれば、必ず腐敗して虫=蟲が生じる。
だから、蠱と名付けられた。
蠱は皿の上に蟲がたかっている様子の文字である。
また、交代生卦法によれば、元は地天泰から来たとする。
地天泰の初九の陽が上に往き、上るに過ぎて不中の高き極みの上爻に居り、上六の陰が下り来て、下るに過ぎて不中の最下の底の初爻に居る形である。
これでは陰陽交わらず壊れを生じる。
だから、蠱と名付けられた。
卦辞
蠱、元亨、利渉大川、先甲三日、後甲三日、
蠱(こ)は、元(おお)いに亨(とお)る、大川(たいせん)を渉(わた)るに利(よ)ろし、甲(こう)に先(さき)だつこと三日(みっか)、甲に後(おく)れること三日、
この卦は、敗壊の意であり、そんなときに元いに亨ることはない。
しかし、だからと言って、敗壊を放っておくわけにはいかない。
折りを見て、いつかは修復する必要がある。
としても、修復するには、そのことについて深い知識と技能が必要である。
要するに、その蠱の敗れたことについて、元いに亨通している必要があり、そういう人物であればこそ、敗壊を修復可能なのである。
だから、蠱は元いに亨る、という。
例えば、パソコンが壊れたとき、パソコンのことをよく知らなければ、修理に出すしかないが、パソコンに精通していれば、自分でどこが壊れたかを調べ、部品を取替えて直せるのと、同じことである。
また、巽を従うとし艮を止めるとすれば、従って止まる様子である。
大きな川を渡るときは、人命に係わる大事であり、逆を慎み順を尚ぶことが第一である。
無理せず時に従って止まり、風、波、水嵩の利ろしきを得て渡れば、過失も少ない。
だから、大川を渉るに利ろし、という。
また、甲(こう=きのえ)は十干の始めである。
だから、甲の日を事の始めとする。
甲に先立つこと三日は辛(しん=かのと)の日であり、辛は新と同音同義である。
甲に後れること三日は丁(てい=ひのと)であり、丁は丁寧の義である。
壊れ極まって、今これを修復する道は、先ず既往の敗壊の原因を悉く改めて新しくし、改新した以後は丁寧に扱い、再び壊れないようにしないといけない。
だから、甲に先だつこと三日、甲に後れること三日という。
・・・・・中略・・・・・
初六、幹父之蠱、有子、考无咎、終吉、
初六(しょりく)、父(ちち)之(の)蠱(やぶ)れに幹(かん)たり、子(こ)有(あ)れば、考(亡父=なきちちも)咎(とが)无(な)し、(あやう)けれども終(つい)には吉なり、
幹とは木の幹(みき)のことにして、枝葉花実はこの幹の力ひとつで維持されているのである。
したがって、よくその任に堪え、その事を行う義とする。
今、蠱のときに当たり、初六は子にして、父の蠱=失敗を後から修復する者である。
初六は陰爻なので、その性質柔弱にして才力不足ではあるが、幸いに蠱の初めに当たるので、その敗れは未だ大きくはない。
したがって、陰柔であっても、その任に堪えられるのである。
だから、父之蠱れに幹たり、という。
およそ、事の大小となく、失敗するときは、何らかの咎が有るものである。
しかし、よく蠱れに幹たる子が有れば、その父親が失敗して命を落としても、その後を修復して治め補い繕い、亡き父もその咎を免れることを得るのである。
しかし子がいないときは、誰もなかなかその失敗を修復してはくれないので、その咎は永く消えることがないものである。 だから、子有れば、考も咎无し、という。
考とは亡父のことを指す。
この爻は蠱の初六なので、その失敗は浅く小さいものだが、同時に初六は陰柔なので、これを修復して治めるには艱難労苦するので、さもある。
しかし、怠慢なくよく務める時には、終に成功を得て吉となるものである。
だから、けれど終には吉なり、という。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
あとは崩壊だけか・・・
易すさまじき!
すでにクソコラやイラストがそれを暗示してきたか。
変卦は、
山天大畜 の初爻
上記文抜粋
・・・・・・・・
26 山天大畜(さんてんたいちく)
santen.gif大畜 乾下艮上(けんか ごんじょう)
八卦のkenten-n.gif乾(けん)の上に、konchi-n.gif艮(ごん)を重ねた形。
大畜とは、大きく止める、という意。
また、大きく蓄える、養う、集める、といった意もある。
この卦は、上卦の艮を以って、下卦の乾の進むを止める様子である。
だから大畜と名付けられた。
また、六五の君と六四の宰相が共に志を同じくして、下卦乾の剛強の下民のなりふり構わず進むのを制し止める様子でもある。
だから大畜と名付けられた。
また、乾天が艮山の中にある様子である。
天と山では、天は大にして、山は小なる者である。これは小を以って大を蓄える様子である。
だから大畜と名付けられた。
また、乾の剛健と艮の篤実を備えるときには、その徳は大いに蓄え集まるものである。
だから大畜と名付けられた。
また、来往生卦法によれば、もとは地天泰から来たとする。
地天泰のときには、天地陰陽の二気相交わり、上下が志を合わせるので、その国は繁栄し安泰である。
しかし六五の君は陰柔にして泰平の主であり、左右の群臣も皆陰柔である。
このままだと、陰に流され、君は逸楽に興じ驕奢に耽り、剛強な民衆はそんな君上をないがしろにして、やりたいように冒し進む可能性がある。
それでは秩序は崩壊し、国はまとまらない。
憂い危ぶみ、それを止める者がいなければいけない。
そこで、上九の一陽剛が、卦の外から上り往き、上爻に居て、艮の止めるの主爻となり、成卦の主として、下卦乾の剛強にして冒し進むのを止める者となった。
これは、王者の賢師が、君上が非道に向かうのを制し止め、正しい道を訓導する様子でもあり、賢を尊び徳を養う様子である。
だから大畜と名付けられた。
卦辞
大畜、利貞、不家食、吉、利渉大川、
大畜(たいちく)は、貞(ただし)きに利(よ)ろし、家食(かしょく)せざれば吉(きち)、大川(たいせん)を渉(わた)るに利ろし、
誰かの行動を止めようとするときには、自分はそのことについて正しくなければ説得力がない。
だから、大畜は貞きに利ろし、という。
もとよりこの卦の主意は、進む者を止めるにある。
進む者を止めるときは、その情は背き、その志は違い、その事は逆らい、その言は争うことになる。
だからこそ、貞きに利ろし、と警鐘を鳴らすのでもある。
さて、大畜には、集め養うという意味もあるわけだが、人に使われる者はその人に養われ、人を使う者はその人を養っているのである。
とすれば、人を養う者は、収入のすべてを自分の好き勝手に使い果たしてはいけないし、同じ養うのなら、賢者を養うことこそ大切である。
家食とは、養うことを疎かにして、言うなれば食道楽にばかり収入うことである。
だから、家食せざれば吉、という。
また、大川は険難の場所であり、渡るときは、人命にも係わる大事である。
剛健豪強だからといって、自分の力を過信して、不用意に渡ろうとすれば、溺没の恐れもある。
よく止まり、状況を冷静に観察する慎重さが必要である。
大畜には、大いに止まる、という意もある。
大川を前にして、大いに止まる慎重さがあれば、流れや風をよく観察し、安全に渡れる時を選んで渡ることになる。
だから、大川を渉るに利ろし、という。
・・・・・・・
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抜粋終わり
誰が「家食」せず、外で成功するのだろうか?
難題解決をするのだろうか?
日本?可能性もある。けど、それは後ででも。
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