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高齢社会の産業化

日本の進路について、これまで何度も考えてきたが、「高齢社会」の観点から考えたことはあまりなかった。「岸田コラム」というコラムを読んで、少し考えさせられたので、今日はこの観点から考えてみる。
ただし、きっかけとなった「岸田コラム」はコピー不許可なので、転載や紹介はできない。私は、自分の言葉をネット上に発表するのは、多くの人に読んでもらいたいためだろうと思うから、コピー禁止のものをネットに載せるということの意味がよく分からない。「きっこの日記」なども同様だ。コピーされ、転載されて多くの人に読まれるほうがネット言論としては望ましいのではないか。だが、人それぞれだから、それはどうでもいいだろう。私は、自分の考えなど、誰かの考えの焼き直しでしかないと自覚しているから、断片的発言にまで著作権を主張するのは愚劣だと思っているのだが。

さて、「岸田コラム」で私が面白く思ったのは、日本は社会全体の構造を高齢社会向きに作り替えるべきだ、という考えである。産業なども、高齢者向けの製品を、本腰入れて作る努力をするべきではないか。何しろ、あと数年も経てば、全人口の4分の1くらいが高齢者になるのに、今の工業製品も文化も、そういう老人市場をほとんど考えていない。というような主張である。
私もそれに賛成である。
今時の老人は、ロックを聞き、漫画を読み、アニメを見るのが普通かもしれないが、だからと言って、「若者向けに作れば、それで老人にも対応できる」とばかりは限らない。たとえば、電子機器なら、複雑な多機能電子機器よりも、シンプルで分かりやすい機器が老人には必要だ。もちろん、携帯などには老人向け商品もあるが、まだまだ老人向け商品は少ない。それに、社会システム全体は、言うまでもなく健康な生産年齢の人間を念頭に置いて作られている。老人など、町に出るな、と言わんばかりだから、老人は家に引きこもり、ボケていく。
私は「アンファニズム」というブログも持っていて、そのタイトルの意味は、「子供主義」というような造語である。つまり、我々は肉体年齢がどんなに老いても、頭の中身は子供の部分がある。むしろ、そういう子供の要素こそが物事への生き生きとした興味や想像力や創造力、ひいては生命力や精神の健康につながるのではないか、ということだ。
しかし、精神的には若々しくても、肉体的には老いることは避けられない。今の社会は、そういう「精神子供、肉体老人」という生き物に対応していないように思われる。
まあ、そういうボヤキを言うくらいなら、自分でそれをチャンスとして、商売でも考えるのがよい、と言われそうだが、残念ながら、私は商売事には頭が働かない人間のようなのである。そこで、誰かもっと頭のいい人間に、この高齢社会を明るくするような商売や社会システムを考えてもらいたい、と思う。

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酔生夢人
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仙人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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