「つれづればな」というブログから転載。外国在住の60代の女性のブログらしい。
ソマリアという国は、いわば「無政府国家」に等しいと私は思っているのだが、その惨状を見れば、日本のような腐敗国家でさえ天国に見える。やはり、国家には政府が必要であり、官僚も必要ではある。大事なのは、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」というテーゼを我々が常に意識し、政府や国家システムを監視する方法を構築していくことだろう。
それにしても、ソマリアへの仕打ちを見れば、国連やユネスコの正体が欧米の利権擁護組織でしかないのは明らかだろう。世界中の善意の寄付は、こうしてソマリアを苦しめることに使われてきたのである。
(以下引用)
この三年で一滴の雨もふらない、そんなひどいことが日本人の思い浮かぼうか。
「ソマリア」「飢餓」で検索すればソマリアの惨状の写真がご覧いただける。やせ細って衰弱した子供の写真などは子を持つ身にしてみれば胸の潰れる思いがする。
ただ、アフリカの草原の民が飢えに苦しむ写真や映像は、とても悪い言い方をすれば「見慣れて」しまっている。視覚情報の氾濫がもたらす弊害とも考えることができるが、いま骨と皮だけになった子供たちの写真を見せられても多少こころが痛みこそすれ「アフリカだから仕方ない」、「何とかするのは国連の仕事」というせりふがすぐに我々の口をついて出る。
なにかがおかしくはないだろうか。
本稿はソマリア飢餓への寄付を募ることを目的としているわけではない。
援助を必要とする人々は日本のなかにも溢れており、善意の行動は各自の良心ある判断によってなされるべきである。
ただ、日本では知り得ないいくつかの事をぜひ書きとめておきたい。
西欧諸国からの救援物資が避難民に届かない―――その原因は欧米からテロ組織と指定されている「アル・シャバブ」の妨害によるものだという。
アル・シャバブはイスラム過激派組織の一つに数えられているが、アルカイダのようなアメリカ製のインチキ組織とは異なり、ソマリアというイスラム社会の内部から興ったものである。ではその敬虔なイスラム教徒のアル・シャハブがなぜ苦しむ同胞たちに差し伸べられた手を払いのけるような真似をするのか?
以前から、WFP(国連世界食糧計画)によってソマリア国民に対して食料の援助が行われていた。2006年、あろうことかWFPはソマリアの農民がその年の穀物を市場に出荷するのと時を同じくして一年分の穀類を援助し配布した。当然市場は凍りつき農民は大打撃を受けた。激しく抗議する農民に対しWFPはその非を認め、必要な調査を行い二度と同じ事態を招かぬことを約束した。だが2007年の出荷時、WFPは前の年と同様に一年分の穀類の分配を行った。ただ、エチオピアの軍隊を護衛に配備していたことが唯一の違いだった。
アル・シャバブはこの時点で彼らの活動拠点であるソマリア南部からWFPを追い出し一切の援助を拒否する方針を固めた。が、食糧難が深刻化した二年前からふたたび救援を受け入れるようにはなっていた。しかしその後、WFPから配布された食料から健康障害を引き起こす物質が検出されたという理由から、非イスラム国家および団体からの救援を強硬手段を用いて遮断するようになった。
近年世界を騒がせたソマリア海賊、その所以となった核廃棄物投棄事件を思い出していただきたい。
海賊の正体は窮地に立たされたソマリアの漁民であった。1991年、内戦によりソマリア政府が崩壊し国家としての機能しなくなった隙をねらい西欧アジア諸国の船がこぞって核廃棄物をソマリア海に投棄した。それだけではない。豊かな漁礁に目をつけた諸国は乱獲を重ね、禁漁の季節は無視され、魚介類は激減し、ソマリアは漁業という重要な収入源をも剥奪された。そして放射能による汚染は刻一刻と進み人々は被爆という悪夢に晒され今もそれは続いている。
国連は彼らを救済するどころか調査にもやって来ない。
不特定多数国家の船をソマリア海から駆逐する目的ではじまった自衛行動はその後海賊行為へと変容した。いったいどちらが海賊か考えてみて欲しい。皮肉なことに、この事態は西欧諸国の海軍に海賊を取り締まるという名目でアラビア海からソマリア海をうろつきまわる権限を与えてしまうことになる。ちなみにアル・シャバブは海賊行為はイスラム法に反する、海賊に組してはならない、と漁民たちに説いている。
国連をはじめユネスコなどの団体は飢餓写真を公表し飢餓救済キャンペーンを催してはパタリとやめてしまう。そしてそれを何年かごとに定期的に繰り返す。なぜか?自ら「飢え」を加速させ、自ら「救世主」を名乗り手を差し伸べる。その手をはたくイスラム教徒を「告発」し、西欧の理念をより崇高なものと世界に見せ付ける。
我々といえば、今にも折れそうな子供たちの脚を見てももはや驚かなくなっている。戦争映画の虐殺場面と同じ頻度でそれを見慣れて(見慣れさせられて)いるからだ。ソマリアが、あるいは他の国が飢えに苦しむ事実は理解できても心が動かない。
人を愚鈍にさせる術はよく研究されている。
弱者に対し悪事を働いた者たちはいずれ神に罰せれれよう。しかし、この悪事に「無知」という形で加担した我々は、果たして同じ罰をうけることになるのだろうか。
ソマリアという国は、いわば「無政府国家」に等しいと私は思っているのだが、その惨状を見れば、日本のような腐敗国家でさえ天国に見える。やはり、国家には政府が必要であり、官僚も必要ではある。大事なのは、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」というテーゼを我々が常に意識し、政府や国家システムを監視する方法を構築していくことだろう。
それにしても、ソマリアへの仕打ちを見れば、国連やユネスコの正体が欧米の利権擁護組織でしかないのは明らかだろう。世界中の善意の寄付は、こうしてソマリアを苦しめることに使われてきたのである。
(以下引用)
この三年で一滴の雨もふらない、そんなひどいことが日本人の思い浮かぼうか。
「ソマリア」「飢餓」で検索すればソマリアの惨状の写真がご覧いただける。やせ細って衰弱した子供の写真などは子を持つ身にしてみれば胸の潰れる思いがする。
ただ、アフリカの草原の民が飢えに苦しむ写真や映像は、とても悪い言い方をすれば「見慣れて」しまっている。視覚情報の氾濫がもたらす弊害とも考えることができるが、いま骨と皮だけになった子供たちの写真を見せられても多少こころが痛みこそすれ「アフリカだから仕方ない」、「何とかするのは国連の仕事」というせりふがすぐに我々の口をついて出る。
なにかがおかしくはないだろうか。
本稿はソマリア飢餓への寄付を募ることを目的としているわけではない。
援助を必要とする人々は日本のなかにも溢れており、善意の行動は各自の良心ある判断によってなされるべきである。
ただ、日本では知り得ないいくつかの事をぜひ書きとめておきたい。
西欧諸国からの救援物資が避難民に届かない―――その原因は欧米からテロ組織と指定されている「アル・シャバブ」の妨害によるものだという。
アル・シャバブはイスラム過激派組織の一つに数えられているが、アルカイダのようなアメリカ製のインチキ組織とは異なり、ソマリアというイスラム社会の内部から興ったものである。ではその敬虔なイスラム教徒のアル・シャハブがなぜ苦しむ同胞たちに差し伸べられた手を払いのけるような真似をするのか?
以前から、WFP(国連世界食糧計画)によってソマリア国民に対して食料の援助が行われていた。2006年、あろうことかWFPはソマリアの農民がその年の穀物を市場に出荷するのと時を同じくして一年分の穀類を援助し配布した。当然市場は凍りつき農民は大打撃を受けた。激しく抗議する農民に対しWFPはその非を認め、必要な調査を行い二度と同じ事態を招かぬことを約束した。だが2007年の出荷時、WFPは前の年と同様に一年分の穀類の分配を行った。ただ、エチオピアの軍隊を護衛に配備していたことが唯一の違いだった。
アル・シャバブはこの時点で彼らの活動拠点であるソマリア南部からWFPを追い出し一切の援助を拒否する方針を固めた。が、食糧難が深刻化した二年前からふたたび救援を受け入れるようにはなっていた。しかしその後、WFPから配布された食料から健康障害を引き起こす物質が検出されたという理由から、非イスラム国家および団体からの救援を強硬手段を用いて遮断するようになった。
近年世界を騒がせたソマリア海賊、その所以となった核廃棄物投棄事件を思い出していただきたい。
海賊の正体は窮地に立たされたソマリアの漁民であった。1991年、内戦によりソマリア政府が崩壊し国家としての機能しなくなった隙をねらい西欧アジア諸国の船がこぞって核廃棄物をソマリア海に投棄した。それだけではない。豊かな漁礁に目をつけた諸国は乱獲を重ね、禁漁の季節は無視され、魚介類は激減し、ソマリアは漁業という重要な収入源をも剥奪された。そして放射能による汚染は刻一刻と進み人々は被爆という悪夢に晒され今もそれは続いている。
国連は彼らを救済するどころか調査にもやって来ない。
不特定多数国家の船をソマリア海から駆逐する目的ではじまった自衛行動はその後海賊行為へと変容した。いったいどちらが海賊か考えてみて欲しい。皮肉なことに、この事態は西欧諸国の海軍に海賊を取り締まるという名目でアラビア海からソマリア海をうろつきまわる権限を与えてしまうことになる。ちなみにアル・シャバブは海賊行為はイスラム法に反する、海賊に組してはならない、と漁民たちに説いている。
国連をはじめユネスコなどの団体は飢餓写真を公表し飢餓救済キャンペーンを催してはパタリとやめてしまう。そしてそれを何年かごとに定期的に繰り返す。なぜか?自ら「飢え」を加速させ、自ら「救世主」を名乗り手を差し伸べる。その手をはたくイスラム教徒を「告発」し、西欧の理念をより崇高なものと世界に見せ付ける。
我々といえば、今にも折れそうな子供たちの脚を見てももはや驚かなくなっている。戦争映画の虐殺場面と同じ頻度でそれを見慣れて(見慣れさせられて)いるからだ。ソマリアが、あるいは他の国が飢えに苦しむ事実は理解できても心が動かない。
人を愚鈍にさせる術はよく研究されている。
弱者に対し悪事を働いた者たちはいずれ神に罰せれれよう。しかし、この悪事に「無知」という形で加担した我々は、果たして同じ罰をうけることになるのだろうか。
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