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結局は国民個々の精神レベルですべては決まる

今日の記事は「劇薬」である。読む人に多大な不快感を与える可能性は高い。
というのは、今の日本の政治の唯一の希望である小沢一郎に対する否定的見解が引用記事の中にかなり含まれるからである。しかも、それを書いたのが「阿修羅」の重鎮、というより「阿修羅」を代表する論者である「あっしら」氏であるから、小沢、あっしら二人とも高く評価している私など、大げさに言えば、身を引き裂かれるような思いだ。
しかし、ここに書かれたことは事実に基づいており、その分析は正確だ。

小沢の「国民の生活が第一」に国民的支援をしていくのが現在の政治状況では唯一の理性的選択肢であると思われる今、こうした小沢の過去の負の側面を表に出すのは好ましくない行為になるとも考えられる。
しかし、事実は事実として冷静に思考材料の中に組み入れないと、取り返しのつかないミスにつながりかねない。下に引用する文章は、苦い薬だが、飲む価値はある。

要するに、小沢のヒーロー化はいいし、現在の小沢はそれにふさわしい存在になる可能性は十分にある。ただし、それは検察や官僚からの攻撃を受ける受難者という受け身のヒーローなのであって、彼が自分の政治姿勢を明らかにしたのは離党が決まってからである。それまでは、我々は、あれほどの攻撃を悪党どもから受けるからにはこちらが正義の存在に違いない、という単純な見方で小沢をヒーロー化して見ていたのではないだろうか。
あっしら氏の描く小沢の足跡は芳しいものではない。しかし、小沢はある時期から人間が変わり、本気で国民の生活を守るために立ち上がったと信じたい。
あっしら氏も現在の小沢を否定的に見ているわけではない。ただ、小沢への狂熱や狂信を危ぶんでいるのだろう。それは私も賛成する。小沢が「悪党」だろうが聖人だろうが関係ないのであり、問題は国民全体が冷静で賢明な判断ができるかどうかなのである。
あっしら氏は民主主義に否定的である。だが、正しい情報さえ与えられたなら、民衆は常に正しい判断を下すと私は信じている。3.11や原発事故によって、我欲の虚しさを知った日本人は、精神的に向上もしていると思う。総理官邸前デモに見られるように真剣に主体的に政治に参加する気運も生まれている。ネットによって正しい情報へのアクセスも可能になった。
つまり、民主主義は今こそ本当に機能する条件が生まれてきたのである。
そういう意味では、あっしら氏のペシミスティックな論調に反して、私は日本の未来に希望を持っている。


(以下「阿修羅」より引用)


 あっしらは歳だから思考力が鈍ったと見られてもいるようだが、その通りで、けっこう長い人生を歩んできた。
 子どもの頃から政治好きで、吉田茂、石橋湛山そして鳩山一郎の政治に関してはリアルでの評価はないが、岸信介政権からの日本政局(政治)史はリアルな感覚を伴ってあれこれ語れる。

 また、民主主義者ではないから、民主主義を信じる人々が、自らを困窮や過酷な生活条件に向かわせてしまう“投票行為”を繰り返す現実も、傍目八目ゆえに見えた。

 商店主や農民の投票行動を見ては、何度ダマされても懲りないもんだなあ、社会党や共産党が彼らの選択肢になりにくいのだからしかたがないけどと思っていた。社会党に政権を取らさなくとも、自民党をもっと牽制できる議席を与える意味はあるのにと。
 その一方で、彼らは、ただダマされているわけではなく、直観的に自民党(背後の官僚機構)に頼る“正しさ”を理解しているのだろうとも考えた。

 日米安保条約も、今より昔のほうが、日本を守るためというより、日本が世界に向け商売して経済成長を遂げるためと割り切った考えをしている人が多かったように思う。日米安保条約を認め、米国の意に従っているからこそ、対米輸出が順調に拡大でき経済成長を遂げることもできるという考えだ。

 民主主義的形式を否定するものではないが、民主主義的形式が多数派の願いを実現するために作用するという保証はまったくない。
 政治家に品行方正を求めはしないが、詐欺師は排除したいと思っている。あまり悪く言うのも問題だから、詐欺師と見紛うばかりのゴマカシと雄弁さで国民を裏切る政治家は退場いただきたいと思っている。
 消費税関連でも書いているが、グローバル企業を優遇することが国民多数派のためになると信じているのなら、正々堂々とその説明をして欲しい。財政危機や社会保障をダシに消費税を引き上げるという姑息な手法はおぞましい。

 これまで自民党に裏切られ、そして今回は民主党に裏切られて憤怒に駆られている人も多いと思うが、現状を見ていると、このような悲劇は、これからもたびたび演じられると思わざるをえない。むろん、今は知られていない政党によって裏切られるというケースもあるだろう。

 民主主義の怖さと民主主義の便利さをともに理解しているのが支配層である。

 有象無象とはいっても、選挙の投票については、支配層と同じ重さを持っている。
彼ら(被支配層)が選挙である方向に怒濤のように動けば、現在の支配構造が壊される可能性さえある。
 そうは言いつつも、彼らがそれほど政治や経済のことを考えているわけではないと思っているから、テレビや新聞、そして、所属する企業や組織をうまく動員すれば、ダマして望む方向に引っ張っていけるとも考えている。
 そうやって進めた政策が失敗しても、選択したのは国民(有権者)だと言える。

 何が言いたいかと言えば、政治の世界には仕掛けが溢れかえっているということである。

 今回の消費税増税政局でも、消費税増税に反対という政治勢力でスポットライトを浴びたのは小沢氏やそのグループである。

 しかし、少し考えればわかることだが、小沢Gは、消費税増税に反対でも、消費税に反対でもない。まずはマニフェストに反する政策ということで反対であり、14年と15年というタイミングでの消費税増税に反対なのであり、消費税増税の前にやることがあるという意味で反対なのである。
 みんなの党も、消費税増税や消費税にアプリオリに反対というわけではない。デフレ基調の日本で消費税税率を引き上げることに反対なのである。
 橋下維新の会も、消費税の全面的地方税化を主張しているのであって、消費税そのものに反対というわけではない。

 消費税導入の89年に実施された参議院選挙では、消費税廃止を掲げる当時の社会党が大勝し、参議院で消費税廃止法案が可決される事態にまで至った。
 この参議院選挙では、自民党の獲得議席36に対し社会党の獲得議席が45と大きく上回り、比例区の得票率も、社会党の35%に対し自民党は27%という低水準にまで落ち込んだ。(さすがに選挙区の平均得票率は自民党が上位)
 しかし、消費税廃止ムードが投票行動に大きくつながったのがこの選挙だけで、翌90年に実施された総選挙では、自民党が275議席と定数512の過半数を制した。

 これまた何を言いたいかといえば、小沢Gや鳩山Gそしてみんなの党などの支配層側にある政治勢力に反消費税増税の動きが見えなかったら、消費税増税反対の気分が高まっている国民の政治的受け皿は、はたしてどこになるのかという問題である。

 古い話になるが、連合軍の占領統治時代に「取引高税」が導入された。付加価値税ではなく、売上高を課税ベースに1%の税率をかけるというもので、納税は取引高税印紙を貼り消印することで行われた。

(※ 「取引高税」は、多段階(製造から小売まで)で仕入=前段階の控除がない売上税なので負担が重い税だと思われているが、5%の消費税(付加価値税)は、「(売上-仕入)/売上」の値が20%を超えていれば、税率1%の取引高税より負担が重いのである。多段階とか累積とはまったく無関係で、消費税率5%なら付加価値率20%が取引高税の1%に相当する。消費税率が10%になれば、付加価値率が10%で取引高税の1%に相当する実に重い直接税なのである)

 「取引高税」は、商店や中小企業主から怨嗟とともに大反対の声が上がり、49年の総選挙で「取引高税」廃止を掲げた共産党の議席が4から35へ飛躍的に増大した。
 そして、この選挙結果がトリガーとなり、「取引高税」は1年で廃止されることになる。

 より近い歴史で見れば、大平政権が79年に導入を決定した「一般消費税」である。これも、閣議決定まで至りながら、その年の総選挙の結果、導入が断念されるという経緯を持つ。総選挙では、自民党が過半数割れになる一方で、共産党・革新共同が17から41と議席を大きく増大させた。(41が共産党で最大の代議士数)

 原発問題にしても、福島第一原発の事故以前から脱原発を主張していた政治勢力は、社民党と共産党だけである。
 民主党は、二酸化炭素排出量抑制を盾に、鳩山首相時には電力供給における原発依存度を45%まで高める計画を立てていた。小沢氏もみんなの党の渡辺氏も、3.11までは反原発志向でなかったことは事実である。
 橋下氏も、得意の“つかみ”発言で反原発志向の国民を引きつけながら、再稼働問題では腰折れになった。
 別に、昔はああだったのに今は...と言いたいわけではない。

 ここであげたいわゆる保守的な政治勢力が軒並み原発維持派や原発推進派であれば、どういう政治勢力が大きな注目を浴びることになったか、少し考えただけでわかるだろう。

 原発と消費税、この二つが国民の主要関心事になれば、そのような国民の思いを受け止める政治勢力は社民党と共産党ということになりかねない状況だったのである。

 小沢氏や橋下氏が、自ら意識した上で、日本の統治構造を奇妙な役回りを演じることで支えようとしているのかどうかはわからない。
 わからないが、小沢氏は、そう見られても仕方がない政治的来歴を有している。

 小沢氏は、自民党時代から、「政権交代が可能な二大政党制」を根づかせるために小選挙区制をベースにした選挙制度改革を推し進めた。以前にも書いたが、小選挙区制が日本の今日的政治状況を生み出した元凶の一つだと考えているので、その意味で、小沢氏を政治的A級戦犯だと思っている。

 ちなみに私は、政党幹部の国会支配がより強くなり新陳代謝も行われにくい比例代表制にも反対(小選挙区制よりはましだと思っている)で、中選挙区制を支持している。

 小沢氏は、「政権交代が可能な二大政党制」と言いながら、細川政権の崩壊後に成立した羽田政権では、旧社会党に高い踏み絵を差し出す「院内会派改新騒動」を起こし、旧社会党を自民党にすり寄らせ自民党の早期政権復帰を“サポート”した。

 その後も、新進党の「分党(解党)」騒動、自由党時代の自民党小渕政権との連立劇と連立離脱劇など、「政権交代が可能な二大政党制」論者とは言い難い迷走を見せた。
 それまでの「政権交代が可能な二大政党制」論に反する路線を修正し、それをめざす動きを見せたのが民主党との合併である。

 しかし、それでこの問題をめぐるおかしな動きは打ち止めではなく、「政権交代が可能な二大政党制」の動きに戻ったかに思えた07年に、小沢氏は、民主党代表として自民党福田政権との大連立構想を進めた。
 現在と同じような衆議院と参議院のねじれが要因とは言え、大連立構想は、“政権交代しても代わり映えしない二大政党制”をめざすものでしかない。

 実現したい政策は別だが、大連立を受け容れた(模索した)小沢氏の手法に較べれば、現在の民主党執行部と自民党が行っている見かけは連立ではない“協力合意”のほうがまだましな姿だと言える。

 話は飛ぶが、イタリアでは、長らく政界を牛耳っていたベルルスコーニ前首相が、今は、ユーロからの離脱を唱えている。
 これも、イタリアの現状と今後の見通しを考えたとき、支配層にとって好ましからざる政治勢力が“ユーロ離脱”を掲げて勢力を増大する可能性があることから、それを抑止するための仕掛けと言えなくもない。


 このようにおかしなことを考えながらも、消費税増税阻止と脱原発の早期実現をめざす立場としては、社民党や共産党のみならず、今は同じ政策を掲げている「国民の生活が第一」党、みんなの党などにも期待を寄せている。
 むろん、ダマされることも承知の上である。

 有権者が、政党や政治家に入れ込むのではなく、政党や政治家を利用できるようなレベルにならなければ、日本の政治は変わらないと確信している。
 そして、哀しいことだが、そのようになるためには、何度もダマされる経験をし、その経験を活かしていくことが必要だとも思っている。


 

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