「Die Zeit des Rechts」というブログから転載。(ブログタイトルのドイツ語綴りはあやふや。何せ、大学でドイツ語を少しやったのは何十年も前なので。「何とかの時」という意味かな?「右の時代」?)
橋下徹の「功績」は、見かけの議論の勝利は見かけだけでしかない、という「議論や見せかけの論理の虚しさ」を世間に知らせたことだろう。だが、そのような橋本流議論を今や保守政治家(安倍総理は最近、それをマスターしつつあると言う。)は急速に学びつつあり、世間のB層はまだそういう議論に騙され続けている。これは「東大話法」ほどのスマートさも無い、低劣な「非論理話法」にすぎないのだが、勢いだけで「議論に勝利した」という見かけを得ることはできるのだ。要するに、世間の人間の大半は自分の頭で物を考えるなど面倒臭いから、気分と感情、自分の固着した趣味と偏見だけで物事を判断するのである。
原発に関しては民主党の棄民政策をさらに推進し、さらに日本を外資やユダ金に売り渡そうとしている自民党が参議院選で大勝利しそうな情勢を見ていると、私は、日本国民の8割くらいはB層だと考えざるを得ない。教育システムとマスコミによる長年の洗脳の成果は、一億総白痴化であったわけだ。
だが、あえて言い続けるが、国民収奪を極限化しようとしつつある自公政権やその補完勢力に投票するという、自分の首を縛る縄を自分で編むような投票行為だけはしないでほしいものだ。それは自分たちだけではなく、未来世代までも奴隷化する行為なのだから。
(以下引用)
昨日の安倍支持者とのアホ臭すぎるコメントのやり取りに唯一の“収穫”があったとすれば、安倍晋三の支持基盤の一角を占めるネトウヨの典型的な論法を改めて確認できたことである。
彼らが自分たちの“敵”と認識する人々と論争するとき、彼らは“不敗(腐敗)”である。なぜなら、彼らは自らの主張が相手によって完全に論破され尽くしても、レフェリーがいないのをいいことに、相手の主張を無視したり、論点をはぐらかしたりして、自分が論破されたことに気づかない(真正のバカ)か、気づかないフリをして(卑劣漢)、絶対に「負け」を認めず、延々と同じ主張を繰り返し続けるからである。そして、良識のある相手が呆れ果てて匙を投げ、「こんな奴を相手にするのは時間の無駄だ」と思って議論をやめてしまえば、しめたものである。彼らは、最後っ屁を放った者が勝ちだとでも言わんばかりに、あたかも議論に勝ったかのごとくに振る舞うだろう。実際、他のブログでそうした状況を目撃したことが何度かある。まさしく、「完膚無きまでに叩きのめされたチンピラが、『今日はこれくらいで、勘弁しといてやる』と舞台を下がる吉本新喜劇のお笑ネタの愚劣なパクリ」(宗純さん『逝きし世の面影』)である。
そもそも、彼らの目的は(真正のバカでなければ)相手を論破することではないだろうし、そんなことは土台無理である。“引き分け”に持ち込むこと、否、正確に言えば、“引き分け”に持ち込んだという印象を第三者に与えることができれば大成功なのである。なぜなら100%間違った主張と100%正しい主張が論争し、当然ながら100%正しい側が100%間違った側を完膚無きまでに論破し尽くしたにも拘わらず、論破された側がそれを認めず、いつまでも同じ主張を繰り返し続けることによって(あるいは正しい側が匙を投げてしまうことによって)、論争の中身を吟味する忍耐力に欠ける野次馬的第三者が、日本人好みの“喧嘩両成敗”的、あるいは“どっちもどっち”的発想によって、“引き分け”のような印象を抱くならば、正しい側にとっては大打撃だし、間違った側にとっては大成功なのである。これが、彼らがどんなに論破され続けても、同じ主張を何年も何十年も続ける理由なのである。
最も卑近な例である昨日のコメントのやり取りにせよ、人のブログについた他人のコメントまで読む人はあまりいないだろう。「安倍さんは間違っていませんよ」氏は、私に完全に論破されても、論破されたことに気づかないフリをして3度もコメントを付けたことにより、私のブログの「最近のコメント」欄には「安倍さんは間違っていませんよ」というコメント主の名前がしばらく残ることになる。私のブログを訪問した人は、そのコメントのやり取りを読む人はほとんどいないだろうが、「安倍さんは間違っていませんよ」というコメントを寄せられたことには気づくだろう。そうすると、「いつも安倍晋三を批判ばかりしているこのブログ主は、何か間違いを指摘されたのだろう」という印象だけを持つことになろう。つまり、この安倍支持者は完璧に論破され尽くしてもなお、そういう“成果”を残すことができたのである。
しかし、考えてみれば、この「吉本新喜劇」流“不敗=腐敗”論法は今やネトウヨだけのものではない。史上最悪の原発事故を引き起こし、今なお福島第一原発からは大量の放射能を垂れ流し続け、収束までに何十年かかるか目途すら立たない状況であるにも拘わらず、何事もなかったかの如く平然と原発再稼働の申請を行う東電や、原発再稼働のみならず、原発輸出を率先して行おうとする自民党と財界など、まさにこの「吉本新喜劇」流“不敗=腐敗”論法そのものである。今やこの国は「吉本新喜劇」流ネトウヨ国家にまで堕落しきってしまったのである。
(写真は記事とは関係ありません)