愛国派の不甲斐なさを歎(たん)ずる!!
TPPを控えた昨今、日本の崩壊が現実に迫っているが、この状況で1970年代や1980年代に言論界を席巻した右派・左派の対立構造は邪魔であるばかりか危険である。
その理由はグローバル資本によって、国家や国民生活が壊滅状態にいたるかどうかの瀬戸際に立っているとき、“バカサヨ”とか“バカウヨ”などという喧嘩は百害あって一利なしだからだ。
いまは右派も左派も一緒になって、外から来る資本の猛威に対して共闘しなければ国家が解体し、日本には文字通りハゲタカが舞い降りる。
この状況は防御が全くないままにハゲタカに食われ放題になるということである。右派も左派もと言っていいのか分からないが、とくに右派にはこの状況に対して無知蒙昧な人間が多い。
彼らは、「チョウセンよ、日本を舐めるなとか」とか「シナよ、事大主義の中華思想を振りまくな」とか言っている。
それは表面上は間違っていないが、日本が置かれている最大の危機から目をそらしている部分がある。それは国際金融資本の猛威である。
小泉、菅、野田、安部、これらの宰相が示している米国への恭順姿勢、その本質はグローバル資本という人類の最大の敵に対して隷従を示しているのである。
言葉を替えていうなら、これは彼ら政権にある為政者や官僚、財界を中心とする日本のエスタブリッシュメントが、日本国民が享受すべきまともな生活や幸福、その未来をグローバル資本に売り渡しているということに他ならない。
神州の泉はカテゴライズすれば、おそらく右派に属する日本人だが、小泉や安倍を信奉する右派は愚の骨頂だと思っている。彼らは日本を襲う真の敵が見えていないか、見えていても、自らその敵に魂を明け渡しているかのどっちかだからだ。
この観点から、かつては総理大臣になっていただきたいと心底思っていた平山赳夫氏、西村眞悟氏が、TPP積極推進派の維新の会に入ったのは青天の霹靂だった。
如何に尊敬できる右派の長老でも、橋下維新の会という選択肢はあり得ないものだった。
郵政民営化に毅然と反旗を翻し、国家防衛に正道な論理を展開していた彼らも、この選択は政治的な判断の誤りどころか、日本民族を根底から裏切る所業と言っていい。
その文脈で言えば、城内みのる氏、佐藤ゆかり氏、西田昌司氏、稲田朋美氏、高市早苗氏などの政治家連中にも愛想が尽きている。
文化人で言うなら、神州の泉がとても信用し、TPPに絶対反対の関岡英之氏が安倍晋三を持ち上げることは信じがたい自己矛盾に見える。
関岡さんは『拒否できない日本』で、フリードマン主義を“極左急進的無政府主義”と喝破した男である。まさに至言である。
その関岡さんが安倍晋三マンセーなのは残念だ。早く白昼夢から目を覚ましていただきたい。
このように、安倍晋三のTPP参加を賛成する者、あるいは結果的に黙認する右派連中は、彼らにどのような論理構造があろうとも国家崩壊を是認していることになる。
とくにTPPに反対しながら安倍晋三を受け入れる人たちは、自己において内部崩壊しかないことを自覚するべきだ。
彼らには未来も希望も存在せず、待ち構えているのは「ゲシュタルト崩壊」だけである。
今の日本は、愛国派の連中よりも左派の方がよっぽど国を守る言説をしている。
今の日本において、愛国の定義とは、グローバル資本からどうやって防衛するかの一点に尽きる。
冒頭に述べたように、右派・左派のイデオロギーはいったん棚に上げて、ともに共通の敵に対して戦ったらどうであろうか。
神州の泉は緑の風の亀井亜紀子女史に総理大臣を務めてもらいたい。
若い政治家では、今最も常道にある御仁である。
(夢人追記)先ほど「阿修羅」を見ていて、或る記事のコメントの中の言葉に深く頷いた。その言葉を紹介しておく。(赤字は引用者による強調。)
戦争なんかしたがる人間は、腐った死体の崩れた形とか臭いに、自分・
血縁者・友人知人が入るかもしれないという想像力が欠如している。
東北大震災の報道に、そこらじゅうにあったはずの死体は映らなかった。
棺桶の中のきれいな死体も水死体も腐乱死体も映らなかった。
テレビから腐臭はしない。どんな現実も報道越しだときれいになりすぎる。
その程度がリアルだと認識して何の想像も推察もしなければたやすく
マスゴミに扇動されてしまうだろう。