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これからの日本の取るべき道

「播州武侯祠遍照院」から転載。
私自身も聞きかじりで易をやるが、忠武飛龍さんの易占とは比較にならない低レベルなもので、まったく当たらない。だが飛龍さんがその時々にやる易で出た卦は、まさしくその時勢とぴったり合っており熟読する価値がある。
下記記事は長いし、その続きもあるのだが、ここでは下記記事の中から、今の情勢から見て特に意義深いと思われる部分を抜粋し、簡単に解説してみる。


出た卦は「山沢損」という卦であるが、まずその意味は次のようなものだ。



「この卦は、沢という低い者をさらに損して、山という高い者にさらに益す様子である。
高いところにさらに土を加えれば、却って崩れて周辺の沢も埋まってしまうものである。
これでは山沢共に損してしまう。
だから損と名付けられた。」


言うまでもなく、国民の財産を国の上位層が収奪する、ということであり、その結果は次のようなことになる。


「下の国民の辛労して得た財を剥ぎ取って、上の君上の驕奢を益すと、その国はついには損じ破綻する」


しかし、今が「損」の時である、ということは、何かを損する、つまり減らすことが必要だ、ということだ。それは何か。


「今は損の時にして、何かを損(へら)すべきときではあるが、その損すにも、正と不正との二途が有る。
下を損し、民の財を損して害を生じるは、不正の道である。
だから、辞の初めにこれを戒めて、貞しきに利ろし、という。

征は往と同じく、為すことが有る義にして、今は損の卦、損の時なので、為すこととは下を損して上に益すことである。
下を損して上の驕りを益すことは、道義的によくない。
だから、深くこれを戒めて、征すは凶なり、という。

そもそも下民を損し、財を剥ぐ時には、その国は滅亡に近いものである。
とすると、損の時だとしても、下を損さずに、上に益すことを考えるべきである。
上の財源のために、民に重税を科して民の財を損すのではなく、上が当面は倹約をして、下を損さないようにすることである。
そうすれば、民は自ら豊饒になり、民が豊饒ならば国は富むものである。」


これほど明瞭に、今の日本が進むべき方向を示した卦は無い。
では、どうすればその方向に進むのか。それは次の言葉が示している。


「六四は宰相の位に在って、正を得てはいるが、自身は陰柔にして才力が足りないので、君を補佐して国を治めるのは難しい。
これは、自身に疾病があるようなものである。
しかし今、初九陽剛の賢者が下に在る
初九は応位なので、呼び寄せれば応じ来るし、国政を補佐させれば、良医が疾病を治すように、国が治まるのである。

およそ疾病があるときは、速やかに治療するべきである。
六四が速やかに初九を呼んで疾いが癒えれば、喜びである。
もし、遅ければその病勢も壮んになり、最早手がつけられなくもなる。
国政も同じである。
国勢が傾き、民心が離れれば、立て直そうとしても、困難である。
そうなれば、大いに咎が有る。
だからこそ、早く手を打てば、疾いも癒えて、咎もないのであり
其の疾いを損す、遄かなら使めば喜び有りて、咎无し、という。

なお、「疾いを癒す」ではなく「損す」というのは、損の卦、損の時だからである。」

在野の賢者を上げ用いることが大事だ、ということだ。
私は、人相から見て、安倍総理は悪人だとは思わない。騙されやすい人物だ、という感じがする。つまり、彼を補佐する人物に適正な者を登用することが、今の日本にとってもっとも必要だろう。それは安倍政権だけではなく、他の政党にも言えることである。特に「日本共産党」は上げ潮に乗っており、今こそが従来の共産党イメージを変え、国民に広く支持される政党へと変わるべき時である。そのためにも在野の賢人を募るべきだ。
保守も革新もこれまでのような党利党略だけのいがみあいをやめ、日本を滅亡から救うべき時である。



(以下引用)



参議院選挙後の日本を易に聞く。 


カテゴリ:易に聞いてみました。

です。

今日の昼ごろに易に問いました。

山沢損  4変 2爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-46.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・・

八卦の兌(だ)の上に、艮(ごん)を重ねた形。

損は、減らす、という意。

交代生卦法によれば、もとは地天泰より来たものとする。
地天泰の九三の一陽剛が上り往きて上爻に止まって艮の主爻となり、同じく地天泰の上六の一陰柔が下り来て三爻に居て兌の主爻となったのが、この山沢損である。
これは下の一陽剛を減らして上に益す様子である。
だから損と名付けられた。

しかし、内卦下卦の一陽を減らして、外卦上卦に一陽を益すと言っても、全体から観れば剛柔の交代のみであって損益はない。
それなのに、ことさら損という。
それは、下の国民の辛労して得た財を剥ぎ取って、上の君上の驕奢を益すと、その国はついには損じ破綻するからである。
また、相手と自分の関係で言えば、内卦は自分、外卦は相手であり、内卦から取って外卦に加えれば、相手は益、自分は損である。
また、一家のこととして言えば、内財を損(へら)して外観を益し飾ることであり、そんなことばかりしていれば、やがて滅亡のときが来るものである。
また、家屋をもって言えば、下の柱を損らして上の棟木を益せば、強度が足りず、必ず傾き倒れる。
したがって、これらの様子から、ことさらに、損と名付けられた。

また、易は艮を山とし、兌を沢とするわけだが、山沢はそもそも損益のものである。
地を損(へら)して溝を造れば沢になり、地に土を益せば山になる。
この道理をよく観察し、損益の全体像を把握するのが大事である。
この卦は、沢という低い者をさらに損して、山という高い者にさらに益す様子である。
高いところにさらに土を加えれば、却って崩れて周辺の沢も埋まってしまうものである。
これでは山沢共に損してしまう。
だから損と名付けられた。

また、易位生卦法によれば、もとは沢山咸から来たものとする。
沢山咸は山を下、沢を上にしている。
本来、山は上にあり、沢は下にあるべきである。
このように上にあるべきものが下、下にあるべきものが上にあることは、現実には有り得ないから、それは上下の気がそのようになっている、ということである。
したがって沢山咸は、山の気が下り、沢の気が上った様子とする。
これは、上下の気が相交わり相通じている様子である。
それが今、山沢損となると、上にあるべき山が上にあり、下にあるべき沢が下にと、現実の位置関係と同じである。
これは上下の気が交わらず通じない様子である。
山と沢の気が交わらないときには、山は草木を生じず、沢は魚や亀などを育まないので、山沢両者ともに益すところがない。
だから損と名付けられた。

また、兌を悦ぶとし、艮を止まるとすれば、悦んで止まる様子となる。
止まるというのは進まないということであり、勉め励まないという意である。
そもそも人間は、善を善と知って悦び、道を道と知って悦ぶものである。
しかし、善や道を知って悦んだとしても、善を修め道を行う人は少ない。
人間は堕落するものだからである。
堕落すれば、益すところはない。
益すところがなければ損である。
だから損と名付けられた。

・・・・・・・・中略・・・・・・・


九二、利貞、征凶、弗損益之、

九二(きゅうじ)、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、征(な)すは凶(きょう)なり、弗損(へらさず)して之(これ)を益(ま)せよ、

九二は剛中の才徳が有り、臣の位に居る。
これは、自ら民を掌(つかさど)り治めるところの大臣である。
今は損の時にして、何かを損(へら)すべきときではあるが、その損すにも、正と不正との二途が有る。
下を損し、民の財を損して害を生じるは、不正の道である。
だから、辞の初めにこれを戒めて、貞しきに利ろし、という。

征は往と同じく、為すことが有る義にして、今は損の卦、損の時なので、為すこととは下を損して上に益すことである。
下を損して上の驕りを益すことは、道義的によくない。
だから、深くこれを戒めて、征すは凶なり、という。

そもそも下民を損し、財を剥ぐ時には、その国は滅亡に近いものである。
とすると、損の時だとしても、下を損さずに、上に益すことを考えるべきである。
上の財源のために、民に重税を科して民の財を損すのではなく、上が当面は倹約をして、下を損さないようにすることである。
そうすれば、民は自ら豊饒になり、民が豊饒ならば国は富むものである。
国が富み、民が豊饒ならば、君にとっては計り知れない利益があるものである。
今、九二は在下の大臣にして、民を直接に知り掌る任に当たっている。
だから、九二に戒めて、弗損して之を益せよ、という。


・・・・・・・・・中略・・・・


六四、損其疾、使遄有喜、无咎、

六四(りくし)、其(そ)の疾(やま)いを損(へら)す、遄(すみや)かなら使(し)めば喜(よろこ)び有(あ)らん、咎(とが)无(な)し、

六四は宰相の位に在って、正を得てはいるが、自身は陰柔にして才力が足りないので、君を補佐して国を治めるのは難しい。
これは、自身に疾病があるようなものである。
しかし今、初九陽剛の賢者が下に在る。
初九は応位なので、呼び寄せれば応じ来るし、国政を補佐させれば、良医が疾病を治すように、国が治まるのである。

およそ疾病があるときは、速やかに治療するべきである。
六四が速やかに初九を呼んで疾いが癒えれば、喜びである。
もし、遅ければその病勢も壮んになり、最早手がつけられなくもなる。
国政も同じである。
国勢が傾き、民心が離れれば、立て直そうとしても、困難である。
そうなれば、大いに咎が有る。
だからこそ、早く手を打てば、疾いも癒えて、咎もないのであり、
其の疾いを損す、遄かなら使めば喜び有りて、咎无し、という。

なお、「疾いを癒す」ではなく「損す」というのは、損の卦、損の時だからである。


・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり

私の単純な読みでは、「大増税」の敢行です。

変卦は、次に書きます。

再見!







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