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河合継之助という歴史的アホ

「副島隆彦の学問道場」に投稿されていた文章の一部だが、司馬遼太郎の「峠」の紹介である。まあ、私は河合継之助という人物は歴史に残る最大のアホとしか思わないので、大嫌いなのだが、下に引用する部分はなかなか示唆的なところがあるので引用するわけだ。
なぜ河合継之助が大嫌いかというと、「自分の勝手な思い込みや好き嫌いで自分の藩を滅亡させた」からである。政治家として最悪だろう。侍としては主君に不忠、民に不仁の極みである。

(以下引用)少し前に載せた「尊王賤覇」の詳しい説明がある。

小説上での福沢諭吉と河井継之助の対比(中巻 414ページ)

「議論じゃありませんよ。いまの私は、地球のなかの長岡藩をどうしようかといろいろ苦心惨憺の試案を練っているところだ。その思案のたすけをほうぼうにもとめている」
「どうもあれだな、河井さんをこのようにお見掛けするところ地球の宰相でもつとまりそうな面構えだが、心掛けているところがどうも蚤のように小さい」
「それが私のいいところだと思っている」

「とにかく福沢さんは、京都中心の日本が出来上がることに賛成ですな」
と、継之助がいった。福沢諭吉はキセルに莨(たばこ)をつめながら、
「かついでいるやつ(薩長)が」
といった。
「気に食わないが、しかし私はあくまでも立君制度(モナルキー)がいいと思っているから、本筋は賛成だ。モナルキーならば文明を吸収する力をもつ」
「私はドイツ連邦というのをすこしも知らないが、徳川家中心の大名同盟、ということではどうにもなりませんか」

「なりませんな。貴族というものが国の梶をとることができた時代は日本でもヨーロッパでも遠い昔になりましたよ。大名同盟(アリストクラシー)では貿易上大いにわずらわしくなり、万国公法という立場からも列国が相手にしなくなるでしょう。結局は経済上の必要から統一というところへゆく。統一するほうがいいが、統一される方は黙っちゃいないから、雄藩同士の大喧嘩になる。戦争でさ。内乱が大いにおこり、日本の独立派なくなり、とてものこと、世界の進運についてゆけない」
「なるほど」
継之助はおだやかに相槌を打った。おだやかにきかねば福沢の意見がひきだせないからである。
「それに、大名同盟というのは要するに封建制だ。こいつはこんにちでは正気の制度じゃありませんぜ」
「そうでしょうな」
この点は、継之助はそう思う


結局のところ、徳川が目指す大名同盟(アリストクラシー)も利害関係ですぐに対立し、分裂するということです。
現在のEUが一枚板とならないのも当然の結末ですし、連邦国家のアメリカも内部では激しい対立が起きています。

討幕・佐幕の根底にある尊王賤覇(そんのうせんぱ)の悲劇(上巻23ページ)
共和制(つまり王政ではない合議的体制)に日本は向かわなかったのかということへの司馬遼太郎の答えが、朱子学の尊王賤覇という根底の思想にあると小説で語らせています。
「天子の政府はもはやみとめざるをえない」
という大前提が、どの江戸派にもある。情勢が転換した以上やむをえないものだとおもっており、日本人らしい諦めの速さが心理的理由になっている。さらに江戸時代武士の教養は朱子学であり、朱子学の根本思想のひとつは尊王賤覇(王室を尊しとし、武力政権をいやしいものとする)であり、思想として京の天子の反抗者になるという者はたれもいない。尊王思想に対立するほど大きな思想(たとえば共和思想)などはこの時代にはなかったのである。

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