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日本共産党の「護民官」への変貌を望む

「紙谷研究所」から、レーニンとマルクスの言葉を(紙谷氏自身の説明を少し付けて)転載する。
思考素材としての転載だ。
何より、レーニンが(どういう時期のことかは知らないが、)自分たちのことを「共産主義者」ではなく「社会民主主義者」と言っていたことは重要だと思う。
で、もしかしたらマルクス自身も「共産党宣言」を出すまでは、自分を共産主義者だと定義していなかった可能性もあると私は妄想するわけだ。つまり、過去の社会主義を「空想的社会主義」と名付けて嘲笑し、頭から否定する行動に出た以上、自分たち一派を称するには「社会主義の最終段階が共産主義である」とした以上、「共産主義者」と呼ぶしかなかったのだろう。いわゆる「騎虎之勢」である。マルクス自身、共産主義が実現可能な世界だと本気で信じていたかどうか怪しいものである。
そして、彼らが「共産主義」を名乗った時、彼らは世界の半数以上、いや低中所得層も含め8割以上を占める「有産階級」を永遠に敵に回したわけだ。「共産主義」とは「財産の所有」の否定なのだから当然の話だ。
したがって、「共産主義革命」が成功するのは、あまりにも上下の資産格差が広がり、無産階級の数が増え、共産主義者ではなくてもそのシンパが増えた社会状況だけだろう。そしてその闘争の尖兵になるのはしばしば「失うものを何も持たない」命知らずの犯罪者や極貧者であるだろう。(ロシア・ソ連革命はそういうものだったと私は思っている。中国革命はそれとは異なり、日中戦争と清朝の滅亡に際して国民党と共産党の争いで共産党がたまたま勝っただけで、これは「革命」だったと言えるかどうか疑問である。またキューバ革命は暴虐な政府を倒しただけで、そこに「共産主義」が政府打倒の原動力として意味を持ったかどうかは疑問だと思う。)
なお、私はレーニンの言う「人民の護民官」としての社会民主主義者の増加を希望する者である。「れいわ新選組」の思想や行動などがそれに近いと思う。日本共産党の「党勢拡大と人気取り」しか興味の無さそうな姿勢(組織的「上意下達」主義にも不信を感じるが)には「社会の護民官」性をまったく感じない。
まず、「共産党」という名前の変更の議論から始めるべきだろう。何ならマルクス主義を放り捨ててれいわ新選組と合体したらどうか。つまり、「共産主義」思想や「共産党」という党名をマルクスの言うように「ラディカル」に、根本的に再考したらどうかと言っているのである。大事なのは、党や党名の存続か、党組織上位の人間の地位の保全か、それとも(日本国憲法・平和主義・民主主義の存続の危機にあって)人民を守ることか。

(以下引用)

 レーニンは、経済要求を取り上げて闘争するだけでは単なる労働組合の活動家でしかない、として、それとは違う理想的な共産主義者(当時は「社会民主主義者」とレーニンは言っていた)のスタイルを次のように語っている。


社会民主主義者の理想は、労働組合の書記ではなくて、どこでおこなわれたものであろうと、またどういう層または階級にかかわるものであろうと、ありとあらゆる専横と圧制の現れに反応することができ、これらすべての現れを、警察の暴力と資本主義的搾取とについての一つの絵図にまとめあげることができ…る人民の護民官でなければならない(「レーニン10巻選集」2巻、大月書店、p.82)



物質的な力は物質的な力によってたおされなければならない。しかし理論もそれが大衆をつかむやいなや物質的な力となる。理論が大衆をつかみうるようになるのは、それが人に訴えかけるように論証をおこなうときであり、理論が人に訴えかけるように論証するようになるのは、それがラディカルになるときである。ラディカルであるとは、ものごとを根本からつかむことである。(マルクスヘーゲル法哲学批判序説」)





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