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松下政経塾とは何か

「ちきゅう座」過去記事から転載。
下記記事(引用1)にあるように、松下幸之助は、最初は松下政経塾の内容についての明確な理念はなかったと思われる。ただ、産業界にとってもっと有利な政治を作っていく、というだけのことだったのではないか。つまり、規制撤廃、あるいは規制緩和という「新自由主義」思想である。その当時は「新自由主義」という言葉は無かったから、それが明確になっていなかったのだろう。
そして、アメリカで新自由主義が有力になると共に、ジャパンハンドラーズは松下政経塾の体質が自分たちにとって利用できることを察知し、それを日本政界支配の道具にしようと考え、支援をし始めたのだと思われる。
松下政経塾の塾生たちの共通点は、「右翼的、保守的であり、(軟弱な)自民党政治には不満を持っている」というものだ。それが松下政経塾の理念に合致し、入塾したわけだ。
前原のような突出した右翼こそが松下政経塾の純粋形だろう。野田あたりは、性格的には自民党的な「調整型」政治家に見える。
まあ、もともと経済界と政界を結ぶために作られた組織であるから、その政策が国民全体の福祉や幸福を無視しても経済界(の一部)の利益のためのものになることは避けられない。官僚連中はまた国民の利益よりも官僚集団の利益を優先する連中だから、その両者が結託すれば、国民の生活が窮乏化していくことは予測できる。
しかし、国民全体が豊かになることが経済界にとっても利益のはずなのだが、寄生する木が枯れた後、あの宿り木たちはどうするつもりなのだろうか。ユダヤ金融みたいに、他のこれから発展する後進国に投資すればよい、というものでもないだろうに。

連想による余談だが、ユダヤ人の発想について佐藤優の本に面白いことが書いてあった。それは「自分たちは(財産は)2割残ればいいと思っている」というあるユダヤ人の言葉だ。つまり、投資が失敗しても財産が2割残ればまだ再起できる、ということだ。それくらい彼らにとっては投資行為が人生そのものなのである。
現金、証券、金や宝石など、財産を性質の違う三種類に分けて、常に不測の事態に備えるというユダヤの「財産三分法」は有名である。使う金、増やす金、貯める金の三つに分けるわけである。日本人が商売下手なのは、「増やす金」への投資を惜しむ臆病さのせいである。財産の3割を失うことを恐れて投資をしないのだから、安全堅実な人生は歩めるが、富豪には絶対になれないわけだ。


(引用1)
内外知性の眼―時代の流れを読む
<09.08.06> 警戒すべき政界の松下政経塾一派 ―渡辺治論文の示唆するもの―<半澤健市>


<はんざわけんいち:元金融機関勤務>

本稿は「日本における新自由主義の展開と松下政経塾」という論文の紹介である。
論文の筆者は政治学者渡辺治氏(一橋大教授)で歴史専門誌『歴史評論』(09年7月号)に掲載された。私がこれを紹介する理由は、本論文が「政権交代に浮かれてはならぬ」という強いメッセージを含んでいるからである。

《グローバリゼーションと日本の「政治改革」》 

渡辺は、08年秋刊行の報告書『日米同盟試練の時』に注目する。
松下政経塾政経研究所のプロジェクト「日米次世代会議プロジェクト」が政経塾創立30周年に刊行したものである。渡辺は「政経塾は・・新自由主義の矛盾が激発して自公政権が行き詰まり、政権交代が展望される現在、あらためて無視できない役割を演じようとしている」という。
松下政経塾とは何か。今までほとんど正面から検討されていない。わずかに出井康博著『松下政経塾とは何か』(新潮新書・04年)があるだけだという。

まず渡辺の関心は90年代以後の政治状況の分析にむかう。
冷戦が終焉し世界の自由市場は急拡大し、世界経済はグローバリゼーションの時代に入った。それは日本の政治に二つのインパクトを与えた。
一つは大企業が多国籍化するにつれて、自由市場の安定と安全の維持のための「警察官」の役割がもとめられたことである。軍事分担増を求めるアメリカの圧力が強まった。
二つは新自由主義の要請である。世界競争に勝ち抜くため大企業はその競争力を阻害する既存の制度や慣行を変えたい。その変更を政治に求めた。日米安保下の「小国主義」―安保タダ乗り―と、地方安定のための利益誘導、という2本の柱に支えられてきた自民党政治を改変せよとの要請である。
小国主義の廃棄には社民勢力が反対する。利益誘導型政治の変更は自民党の解体を意味する。「軍事大国化」と「新自由主義」の実行のための既成政治体制の変更たる「政治改革」が必要となったのである。

《小沢一郎による「政治改革」》 

渡辺は、小沢一郎がその「政治改革」の中心としての役割を担ったのだという。
小沢による「政治改革」とはなにか。その狙いは三つあった。
一つは小選挙区制の採用によって軍事大国化への障害物・社会党を解体することである。
二つは自民党の新自由主義政党への再編である。小選挙区制により党中央の権限は拡大―幹事長の公認決定―する。中選挙区制下での分立的自民党を、中央集権的威令の行きわたる党に変貌させる。
三つは保守二大政党制の展望である。政権交代によっても大国化、構造改革の路線は継続させるのがその最終目的である。
小沢の狙いは成功したのか。
党内で「構造改革」をやるつもりの小沢は自民党を飛び出した。そして八党連合の細川政権によって小選挙区比例代表並立制が合意され政党交付金制度も実現した。渡辺はこう書く。
▼小沢のもくろみは半分実現した。その狙い通り、社会党は政権に入ることで変質をはじめ、分裂・解体した。自民党の改革党への変質も進んだ。ところが肝心の小沢は、自民党を飛び出していたため、転じて、第二保守党、新進党を立ち上げ、それを通じて政権交代、改革推進をねらった。だが、新進党はあっけなく崩壊し挫折した。保守二大政党作りの担い手は、新進党に対抗して結成された民主党に託されることになったのである。

《それで松下政経塾はどうなったか》 

松下政経塾はどうなったのか。
結論をいえば、政経塾は次第に民主党への政治家供給機関となり、次には供給先を民主・自民両党に拡げた。そのイデオロギーには、将来の軍事大国化、保守大連立への方向性をも内在している、というのが渡辺の分析である。

順序を追っていこう。もともと、政経塾は「軍事大国化」、「利益誘導政治の変革」、「新自由主義」を政治信条としていたわけではない。松下幸之助は保守新党の結成を強く望んではいたが、そのアイデアは保守政治家の養成、保守の二大政党化までで、独自の政治構想はなかった。塾生の応募も80年代は総じて低調であり、その政界進出も地方議会に少数が出ていくとう程度であった。
しかし90年代、「政治改革」の時代の到来は、政経塾に二つのインパクトを与えた。

一つは、政治改革を旗印にした日本新党、新生党、新党さきがけなど保守新党の結成と躍進が、突然に政経塾塾生に国政進出の機会をもたらしたことである。とくに日本新党の結党には塾生の山田宏(現東京杉並区長)、野田佳彦(現民主党幹事長代理)、前原誠司(現民主党副代表)、長浜博行(現民主党参議院議員)が大きくかかわった。政党への道筋は次第に民主党へ収斂する。
塾の政治スタンスが民主党に近かったこと、民主党から出るのが容易だったからである。
二つは、政経塾の政治構想に方向感を与えたことである。
たとえば90年に保守新党を念頭につくられた「松下政経塾魁の会」の政治構想には「一国平和主義の克服」、「国際貢献」、「分権国家」、「保守二大政党」などが掲げられていた。

政経塾の政治路線は次第に、保守政党としての純化、自民・民主両党の共通基盤を通しての保守二大政党制の枠組み作り、へと収斂しつつある。05年の衆院「郵政」選挙の結果、政経塾出身の議員は増えて09年7月21日の衆院解散時には27名を数えた。自民13、民主14名であった。

《報告書の内容とその実現可能性》 

『日米同盟試練の時』と題された松下政経塾の報告書には注目すべき特徴がある。
第一は、自民・民主両党の共通基盤形成を求めるにもかかわらず、極めて「タカ派的」構想であることだ。世界情勢認識では、北朝鮮の脅威だけでなく中国脅威論に近い認識を打ち出している。財界、与党、外務省にも支持者がある「東アジア共同体」構想に強く反対しアメリカを含む「アジア太平洋経済共同体」を提唱する。
第二は、アメリカの対日安全保障要求をほぼ全面的に受け入れていることである。
日米安保面の非対称性緩和のため沖縄・グアム間のシーレーン防衛の分担を主張するほか、集団的自衛権解釈の変更、海外派兵恒久法の制定、憲法九条改憲を主張している。
第三は、憲法改正について次のようにいっていることである。
▼現在制限されている国際安全保障における活動の多くは、解釈変更によって可能と私たちは考えるが、憲法改正により少なくとも第9条第2項を書き換えることが新しい自己定義に基づく日本の国際安全保障活動について国民的合意に基づく正統性を確立する上で望ましいであろう。(報告書15頁〈世界と地域の平和と安定に関与する国家として立つことを決意する〉の見出しの下で)

渡辺はこれらの「タカ派的」構想は安倍晋三元首相やそのグループの見解に近いと指摘する。さて、その実現可能性はどうであろうか。論文はこれらの主張の実現には多くの困難があろうとみている。
その理由として民主党の多数が容易に受け入れないだけでなく自民党内にも親中派がいることを挙げている。また多くの国民の反対を呼び起こすだろうともいう。
とはいえ軽視できない要素もある。一つは従来のタカ派のもつ復古主義的色彩がないこと、二つは自民・民主の大連立の可能性が皆無でない以上は、報告が機能する可能性を捨てきれないというのである。論文は「以上の諸点を念頭に置くと、私たちは、こうした政経塾の動きについては注意と警戒を続けなければならない」と結ばれている。
以上が私のやや主観的な渡辺論文の要約である。

《報告書に関わった面々は誰か》
 
大事なことを忘れていた。報告書に関係した人物と肩書き(08年11月)である。
これらの何人かが最近のニュースに頻出したことを読者は想起することであろう。

プロジェクト委員 
山田  宏  東京都杉並区長     /松下政経塾第 2期生
前原 誠司 民主党衆議院議員    /松下政経塾第 8期生
金子 将史 PHP研究所主任研究員/松下政経塾第19期生
 
報告書賛同者 
逢沢 一郎 自由民主党衆議院議員 /松下政経塾第 1期生
野田 佳彦 民主党衆議院議員    /松下政経塾第 1期生
松沢 成文 神奈川県知事       /松下政経塾第 3期生
中田  宏  神奈川県横浜市長    /松下政経塾第10期生
小野寺五典 自由民主党衆議院議員 /松下政経塾第11期生

横浜市教育委員会は8月4日、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を中学校用に採択した。政府の「安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・勝俣恒久東電会長)は同日、防衛計画見直しに向けた報告書を麻生首相に提出した。専守防衛と武器輸出3原則の見直し、集団的自衛権の行使容認を主な内容とするものである。いすれもここで取りあげた松下政経塾の報告書と考え方において親和的である。

《今度の総選挙の意味するものは》 

本稿執筆時点(09年8月4日)で、総選挙は民主党の大勝というのが大方の予想である。私もそうなると思う。政権交代で戦後60年続いた自民党独裁が終わる。しかし55年体制下で革新勢力が逆転勝利するかのような錯覚にとらわれてはならない。
鳩山由紀夫代表はすでに「革命が起こるのではない」といっている。野田佳彦は近著『民主の敵』(新潮新書、09年7月20日刊)で「私は当選以来、一貫して「非自民」の立場で活動をしてきました。一方で保守政治家であるとも自負しています」(まえがき)といっている。

戦後民主主義60年の帰結は民主主義の顔をした二大保守党独裁の実現である。総選挙はこれを確認するセレモニーに過ぎない。私は涙をのんで残暑の投票場へ滑り込むつもりである。

リベラル21
http://lib21.blog96.fc2.com/
から転載

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye674:090806〕


(引用2「ウィキペディア」より)*松下政経塾の実態についての参考資料である。

研修カリキュラムは政治学・経済学・財政学などの専門的なものから、茶道・書道・坐禅、伊勢神宮参拝など日本の伝統に関する教育、さらには自衛隊体験入隊・武道・毎朝3kmのジョギング・100km強歩大会といった体育会系的なものまで幅広く用意されている。中にはパナソニック工場での製造作業や同店舗での営業販売など、松下電器産業に関係するものも見られる。
財界人である松下幸之助の意向で設立されたこともあり、結果としては、卒塾生の多くが新保守主義・新自由主義志向を示す傾向にある。(政経塾在塾中に政治思想や立場に置いて特定の指導がされたり、一定の思想が排除されるということはない。)かつて多党制の時代には、民社党、日本社会党に所属する地方議員もおり、現在でも公明党に所属する地方議員がいる。卒塾生の43%が政治の道に進んでおり[3]、現職の政治家である卒塾生は2010年8月30日の時点で衆議院議員31名・参議院議員7名・地方首長10名・地方議員24名の計72名に上る[4]。彼らの多くは二大政党である民主党・自民党のいずれかに属しているが、現在では特に民主党に多くの卒塾生が所属しており、同党内では右派に位置する勢力として、党のスタンスに一定の影響を及ぼしている。
入塾から卒塾までの流れ [編集]
入塾まで [編集]
現在では、入塾年度の前年7月頃に願書を提出した後、夏から秋にかけて選考が行われる。選考のスタイルは年度によって多少の修正がなされる。現在の選考は小論文・教養試験・論述試験などの筆記試験に加え、集団討論・個人面接などの口頭試験、TOEICによる語学試験、さらには体力測定や適性検査なども科される[5]。
募集定員の定めはないが、例年200名前後の出願に対し合格者は10名未満と非常に狭き門になっている[6]。また男女共学であるが、女性は卒塾生の8人に1人程度と少なく、現在の在塾生(29期・30期・31期)は全員が男性である[7]。
入塾金や授業料を納める必要はなく、逆に前述した研修資金・活動資金の給付を受けられるなど、金銭面での待遇は優れている。他方で、研修と並行して職業に就くことは許されず、卒塾時の就職斡旋等も一切行われていない[8]ため、入塾にあたっては将来のリスクを引き受ける覚悟が必要になる。また入寮が義務付けられているため、家族と同居している場合には長期間の別居を余儀なくされることになる。
在塾中 [編集]
入塾後2年間(2010年入学者までは1年半)は「基礎課程」と位置づけられ、前述したカリキュラムに従った研修が中心となる。その後の2年間(2010年入学者までは1年半)は「実践課程」として、各塾生が自身のテーマに基づいた政治活動や執筆活動を展開していく。
在塾中は原則として寮での集団生活を義務付けられるが、実践課程の期間で活動の本拠を寮外に置く必要がある場合は外部での生活も認められる。寮費は月4,500円で、食事代は別途負担。土曜日は自由研修日とされ、日曜日・祝祭日のほか、ゴールデンウィーク・夏休み・年末年始に数日間の休暇が与えられる。ただし休暇中に研修が入ることもある。
毎年9月と3月には審査会が設けられ、各自の活動に対する評価が下される。この評価に基づいて活動資金が増減額されるほか、評価が著しく低い場合には退塾を命じられる場合もある。

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