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自動車産業は文明上の死を迎えたか?

「武山祐三ブログ」というブログから転載。わりと有名ブログのようだから、わざわざ転載するまでもないかと思うが、記事の内容が少し面白いので取り上げた。
自動車産業自体が時代遅れの産業だ、という指摘は面白い。そして自動車という存在が、「過剰消費による成長」を義務づけられている資本主義社会を象徴している、という指摘も面白い。まあ、私の考えでは、近現代社会を象徴するのは「電気」だと考えている。しかし、電気は実は石油や原子力を使わなくても生産できるのであり、石油廃止は文明の後退には直結はしない。石油の方は、明らかに「浪費的資本主義」に直結しているものだ。地球が何万年もかかって作ってきた化石燃料を1秒ごとに消費して動くのが自動車だから、これは自然からの収奪の最たるものだろう。そして、燃焼後の排気ガスは環境を汚染し、交通事故の死者は戦争の死者数の何倍もの数である。それほどの社会的コストを払っても自動車による利便を求めるのが現代社会であり、つまり「人命よりも効率」という殺伐とした近現代社会の象徴が自動車であるのは確かだ。
その自動車工場が(部品生産工場も含めてだが)東日本大震災で大きな打撃を受け、今またタイの洪水で大被害を受けたのは、これは何かのシグナルだと思っていいかもしれない。まあ、そういう神がかったオカルト的思考は嫌だというなら、これをただの偶然としてもいいが、日本の自動車工業がこの損害を取り戻すには、国民の税金から補填させるしかないだろう。そうなると我々国民全体が「自動車は人間を幸せにするか」という問いを考えねばならなくなるわけだ。


(以下引用)


タイの洪水被害
 タイの洪水被害が拡大している、というNHKラジオのニュースを午前4時に聞いて突然目が覚めました。普段ならこれは大変な出来事だ、と思ったに違いありません。しかし、昨日のオキュパイ・デモの情況を見聞きしていた私にはある考えが閃きました。
 というのは、これらの企業のほとんどは大企業と、その関連企業で、自動車産業が殆どです。復旧に4カ月以上を要するというアナウンサーの説明を聞いて私はハッとしたのです。これは世の中が大転換を始めた一つの証拠ではないのか、と。
 時代の大転換の際には、当然の事ですが大きな変化が伴い、民間の雇用が損なわれ、人的被害も起り得ます。しかし、時代を変えるような大変化の際には変化の前に徹底的な破壊が起きるものです。現在のタイの洪水被害は、自動車産業が中心であり、産業構造が大きく変わる可能性がある事から、今後数カ月の内に時代の大転換が促進されるだろうと咄嗟に思ったのです。自動車産業はある意味で時代遅れの産業なのです。というのは、車を買うという事は貨幣経済の中心的行為であり、物を無駄に生産して消費を促すという資本主義経済の最も象徴的な行為に他ならないからです。
 これは真夜中に目覚めて、たまたま聞いたラジオニュースの所為ばかりだとは思われません。自然は、そして地球は音を立てて自ら姿を変えようとしているのだとしか思えないのです。ただし、これは私の真夜中の妄想の可能性もあります。以上、思い付くまま書いて見ました。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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