確か馬淵睦夫氏が言っていたが、当時の米軍の軍事力からすれば、朝鮮戦争を韓国側(国連軍側)の勝利で終わらせるのは容易なことだったが、マッカーサーは米国政府(実はDS)からの指令で停戦に応じざるを得なかったらしい。それはマッカーサー自身が言っているという。つまり、朝鮮半島を南北分断させたままのほうがその後のDSの世界操作に都合が良かったということだ。要は「共産主義」も「反共主義」もDSの手の中で動いていたということである。
小室直樹風の言い方をすれば、DSという「補助線」を入れて見てみることで奇々怪々な近現代史が明瞭に理解できるというわけだ。毎度言うが、DSとはユダヤ富豪である。彼らにとって国や政府とは金儲けの「道具」なのである。その国民など当然家畜以下である。
(以下引用)
第二次世界大戦中の1943年11月に、連合国はカイロ宣言に於いて、1910年より日本領となっていた朝鮮半島一帯を、大戦終結後は自由独立の国とすることを発表した。1945年2月に開催されたヤルタ会談の極東秘密協定にて米英中ソ四ヶ国による朝鮮の信託統治が合意された[21]。
1945年8月8日よりソ連対日参戦により満洲国に侵攻したソ連軍は8月13日に当時日本領だった朝鮮の清津市に上陸していたが、ソ連と共に連合国を構成していたアメリカは、1945年4月12日に大統領に昇格したハリー・S・トルーマンの反共主義の下で、ソ連軍に朝鮮半島全体が掌握されることを恐れ、ソ連に対し朝鮮半島の南北分割占領を提案。ソ連はこの提案を受け入れ、朝鮮半島は北緯38度線を境に北部をソ連軍、南部をアメリカ軍に分割占領された。
1945年8月15日に日本はポツダム宣言を受諾し連合国に降伏、朝鮮は解放された。その後8月24日に平壌に進駐したソ連軍は朝鮮半島北部を占領、既存の朝鮮建国準備委員会を通じた間接統治を実施した。一方、朝鮮半島南部では、9月8日に仁川に上陸したアメリカ軍が朝鮮建国準備委員会を解体した後、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による直接統治を開始。朝鮮半島は米ソ両国によって南北に分断されたまま、朝鮮半島内で抗日運動を行っていた人士や半島外から戻った左翼と右翼が衝突する不安定な情勢を迎えた[22]。
その後、米ソ対立を背景に1948年8月15日、南部に大韓民国が建国され、翌9月9日に残余の北部に朝鮮民主主義人民共和国が建国された。南北の軍事バランスは、ソ連および1949年建国の中華人民共和国の支援を受けた北側が優勢だった。武力統一支配(赤化統一)を目指す金日成率いる北朝鮮は1950年6月、ソ連のスターリンの同意と支援を受けて、事実上の国境であった38度線を越えて侵略戦争を起こした[15]。
侵略を受けた韓国側には進駐していたアメリカ軍を中心に、イギリスやフィリピン、オーストラリア、カナダ、ベルギーやタイなどの国連加盟国で構成された国連軍(正式には「国連派遣軍」)が参戦。北朝鮮側にソ連が参戦すると米ソ間で第三次世界大戦が起こりかねないので北朝鮮側には抗美援朝義勇軍(実態は金日成に韓国侵略を許可した中国人民解放軍)が加わった。ソ連は武器調達や訓練などで支援したほか、戦闘パイロットを秘密裏に参戦させた(後述)ので実際には間接的に米ソが衝突していた。