軍事オプションだけはしっかりやっているが…
「なぜ、戦うのか?」
…が、すっぽり抜けている…
「どうすれば戦わなくて済むのか?」
…の問いがない…
「どうすれば戦いは治まるのか?」
…の問いがない…
「勝つ」か「負ける」かしかない…
という超思考停止!!
地政学的問題はあるにしても、そういうのは政治的な解決も可能。
どうして、「戦争しかない」になるの?
ロシアの方はなぜ、「戦争しかない」と考えたのか?
その理由をプーチンの「大ロシア主義」に求めるのは短絡すぎる。
少なくとも侵攻に当たって、プーチンは、それを理由にしていない。
逆に…
プーチンの掲げた要求に対して、なぜ西側は応じなかったのか?
その理由が、まったく報じられも、検証もされていない。
ちゃんと納得させてほしいんだよね。
「なるほど、プーチンの要求に応じるわけにはいかないんだね」と…
そして、次に…
「なるほど、プーチンに対する別の提案も、すべてが尽くされたんだね」と…
クラウゼヴィッツが言うように、
「戦争は政治の延長であり、通常、最後の手段」なのだから…
そのような努力を、岸田はいつしたの?
そのような努力を、バイデンはいつしたの?
そのような努力を、ゼレンスキーはいつしたの?
「政治の劇場化」によって、「政治の延長」である戦争までが劇場化している。
もちろん、それを率先してやっているのは、マスコミであり、
「戦争勢力」の中核にマスコミが陣取っている異常な時代が現代である。
まあ、プーチンが、「ナポレオンの再来」だとしてみよう。
つまり、軍事力で叩き潰すしかない相手なのだとしてみよう…
とはいえ、
たとえ、そうだとしても、
歴史をみれば…
ロシアを力づくで倒すことはできない。
いや、できたとしても、
より強大な国家となって甦ってくることを繰り返している。
ヒトラーやナポレオンとは、そこらの勝手が違う。
そして、地政学的に見ればロシアや中国も日本の隣国であり、
そこと事を構えることは安全保障に直結する。
こちらからケンカを売りに行ってよい相手ではないのだ。
また、それらの問題を勘案しても
「戦うしかない」となったとしても、
今度は最大の懸念が待ち受けている。
それが「共通の価値観」というイミフなイデオロギーである。
ゼレンスキーの言う「自由を守る」の「自由」の意味もよくわからない。
つまり、やはり…
「何のために戦うのか?」
…がわからない。
「何を守るために戦うのか?」
…もわからない。
「市場価値=カネ」で、すべてを差別し、序列化する人権侵害の国が…
「共通の価値」の国ではないか?!
人々が「欲望の自由」を追及し、くだらぬことで「競争」しているのが…
「共通の価値」の国ではないのか?!
そこで拡大しているのは貧困であり、スマホというアヘンであり、
ネトゲのなかに「転生」するしか希望のない「ムリゲー」の社会だ。
そんなものを「守る」ために、どうして
ロシアと戦わねばならぬのか?
ウクライナを支援しなければならないのか?
「共通の価値」をこそ、いますぐにぶち壊してほしい。
民主主義とは、「価値の多様性」の上に成り立つのだから。
むしろ、ロシアがスターリンを、中国が毛沢東を「再評価」するのも、そもそもは、
米欧日が、「共通の価値」だの「グローバルスタンダード」だのというものを掲げるからである。
まずは、米欧日が、
こうしたイデオロギー戦争を世界に仕掛ける「十字軍」政治をやめるべきなのである。