(以下引用)赤字と太字は夢人による強調。
「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」
これは長崎医科大学で被爆して重傷を負いながら、医師として被災者の救護に奔走し、「原子病」に苦しみつつ「長崎の鐘」などの著書を通じて、原子爆弾の恐ろしさを広く伝えた永井隆博士の言葉(「花咲く丘」)。
永井氏は1945年8月9日午前11時2分、米軍機から投下された原爆によって被曝した。
永井氏は爆心地からわずか700メートルしか離れていない長崎医科大学付属医院の研究室にいた。
妻は自宅の台所で死亡した。
永井夫妻には誠一(まこと)と茅乃(かやの)という二人の子供がいた。
子供たちは疎開先で原爆の難をのがれた。
永井氏は、母親を失い、白血病と原子病のために父親を失い、早晩孤児となる二人の運命を案じた。
その思いと愛が数々の名作を生み出す原動力になった。
「いとし子よ」もそのひとつ。
永井氏は二人の子に次の思いを託した(一部抜粋)。
「いとし子よ。
そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものはなんであるか。
原子爆弾。いいえ、それは原子の塊である。
そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。
戦争が長引くうちには、はじめ戦争をやりだしたときの名分なんかどこかに消えてしまい、戦争がすんだころには、勝った方も、負けた方も、何の目的でこんな大騒ぎをしたのか、わからぬことさえある。
そして生き残った人々はむごたらしい戦場の跡を眺め、口を揃えて
「戦争はもうこりごりだ。これきり戦争を永久にやめることにしよう」
・・そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、何となくもやもやと戦争がしたくなってくるのである。
私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。
どんなに難しくても、これは良い憲法だから、実行せねばならぬ。
自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。
これこそ戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声なのだよ。
しかし理屈はなんとでも付き、世論はどちらへもなびくものである。
日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、「憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ」と叫ぶ声が出ないとも限らない。
そしてその叫びにいかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本の再武装に引き付けるかもしれない。
もしも日本が再武装するような時代になったら、その時こそ、誠一よ、かやのよ。
たとえ最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、叫び通しておくれ。
敵が攻めだした時、武器が無かったら、みすみす皆殺しされてしまうではないか、と言う人が多いだろう。
しかし、武器を持っているほうが果たして生き残るだろうか。
オオカミは鋭い牙を持っている。
それだから人間に滅ぼされてしまった。
ところが鳩は何一つ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。
愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。
いとし子よ。
敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。
愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。
愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起らないのだよ。」
ウクライナの戦乱で何よりも大事なことは、一刻も早い停戦の実現。
ところが、米国が停戦を嫌っている。
ウクライナに無制限、無尽蔵の武器を提供して、ウクライナの国民が最後の一人まで戦い抜くことを推奨している。
戦火が米国に及ぶことはない。
戦争の拡大、長期化は米国の軍事産業にとっての福音。
ロシアの殲滅につなげることも可能になるかも知れない。
戦争の拡大と長期化を目論む米国に日本政府は隷従している。
日本が提供するドローンがウクライナの兵器として活用されることは明白だ。
日本政府も戦争の拡大、長期化に加担している。
いまこそ、平和憲法を保持する日本国民は声高に叫ぶべきだ。
追求するべきは戦乱の拡大と長期化ではなく、戦乱の収束であることを。