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いかにして兵士を戦わせるか

昔、宮崎市定とかいう歴史学者(東洋史が専門か)の本を断片的に読んだことがあって、それで長い間の疑問が解けたことがあった。
その疑問とは、「なぜ元という小さな部族国家があれほど戦争に勝ち続け、あれほど巨大な版図を達成したのか」という疑問で、もっと言えば「小国家は、国民皆兵としても、戦闘の度に死者が増え、兵士数が激減していくだろう。それでなぜあれほどの回数の戦争を行うことが可能だったのか」という疑問である。
この話はだいぶ前にも書いたと思うが、答えは、「戦争に勝って征服した国の兵士を、次の戦争で最前線に立たせて戦わせる。それで自国民兵士の消耗を最小限に抑える」というものである。
当然、第二列には「督戦隊」を置いただろう。つまり、最前線から逃げる兵士を切り殺し、あるいは射殺して「逃亡は不可能だ」という見せしめにするわけだ。
この「督戦隊」という言葉を、今のアゾフスタルのウクライナ軍(アゾフ大隊の一部だろう)の現状を推測して思い出したのでこの稿を書いた次第だ。
要は、戦場では味方は必ずしも味方ではない、ということだ。これも或る本で知ったが、「戦闘(ベトナム戦争の陸上戦だろう)での死亡者の3割(数字は忘れたが、確かそれくらいだったと思う)は味方によって(近代戦争では誤射がほとんどだろう)殺されたものである」らしい。
なお、市民が戦闘の邪魔になる場合、自国民でも殺す、というのも軍隊の常識のようだ。これは司馬遼太郎が米軍本土上陸の間際に自分の上官に確認したことらしい。沖縄戦ではそれが露骨に行われたので、沖縄県民は反戦思想が強いのである。
言うまでもないが、現代において好戦思想の「愛国者」「愛国政治家」が自分で最前線で戦った例はほぼゼロである。戦争商人やその子弟が最前線に出された例もゼロだろう。

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