「播州武侯祠遍照院」ブログの忠武飛龍さんが易でTPPを占ったところ、見事な啓示が出たようなので、転載しておく。
易の言葉は難しいが、現代語の大意の部分を見れば、TPPが今後の日本にどういう結果をもたらすか、明瞭だろう。「水山蹇」は、私が一番嫌いな卦であり、「蹇」は足萎え、いざりのことである。足萎えの人間が水や山という険阻を前に立ち往生する、というのが「水山蹇」という卦だ。まさしくTPP参加後の日本の姿そのものだろう。その先行きはどうかというと、「水風井」、つまり「井戸」の卦である。一見良さそうだが、これも実は「同じことの繰り返しで疲弊し、破れる」という意味合いが強い。つまり、井戸の中を釣瓶が往復するうちに、釣瓶が壊れる様である。これまたTPP後に、日本人がその真実を知って、そこから抜け出そうと悪あがきをしても抜け出せない、という事を示しているようだ。
さて、この卦が日本の未来を示すことはかなり確率が高いが、なるべくならそうならないでほしいものである。
「運命は変えられる」というのがあらゆる占いの基本思想だと私は考えている。でなければ、占いをやる意味など無いだろう。そして、悪い運命に対して警告を与えることが占いの大きな役目であり、その占断で覚醒し、悪い運命を回避できたならば、それは占いの功績だったのであり、「占いが外れた」のではない。
まあ、占いなど最初から信じない人には無縁の話ではあるのだが。
(以下引用)
易にTPPの件を聞いてみる。
カテゴリ:易に聞いてみました。
で、易に「TPPに入るぞ!って安倍さんは言ってましましたが、陰陽虚実・日本の成り行きを教えて」と聞いてみました。
水山ケンの 2爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-44.html
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
39 水山蹇(すいざんけん)
蹇 艮下坎上(ごんか かんじょう)
八卦の艮(ごん)の上に、坎(かん)を重ねた形。
蹇とは足萎えという意。
この卦は艮を止まるとし、坎を険難として、険難の中で足が萎えてしまったかのように、身動きできずに止まって出られない様子とする。
だから蹇と名付けられた。
また、険難を見て、足萎えのように自らよく止まって、犯し進まない様子。
だから蹇と名付けられた。
また、この卦は進もうとすれば前方に坎水の険難があり、退こうとすれば艮山が阻んでいて、進退窮まり、足萎えのように身動きが取れない様子。
だから蹇と名付けられた。
また、九五の君が坎険の主として二陰の中に陥り、かつ九三の陽剛の臣は、下卦艮の極に止まって、上に朝せず、あまつさえ二と四との両大臣は共に陰弱にして、君を輔佐する能力はなく、却って九三の不軌の剛臣に密比している。
これは天下に二主、一国両君というべき様子であり、その勢いは内外上下を二つに分断しているのであって、蹇難の至極である。
だから蹇と名付けられた。
卦辞
蹇、利西南、不利東北、利見大人、貞吉、
蹇は、西南(せいなん)に利(よ)ろし、東北(とうほく)に利(よ)ろしからず、大人(たいじん)を見(み)るに利(よ)ろし、貞(ただ)しくして吉(きち)、
また、八卦の配当で言えば、西南は老陰の坤の方位にして平坦な場所の譬え、東北は少陽の艮の方位にして山岳の険阻な場所の譬えであり、陰は退く、陽は進むという意がある。
蹇難のときに当たっては、無理をして先立ち進むよりも後ろに退くほうがよく、険阻な道を行くより平坦な道を行くほうがよいのは、当たり前のことである。
だから、西南に利ろし、東北に利ろしからず、という。
また、蹇難のときは、ひとりで考え込まず、大人有徳の人を探し見つけて、救いを求めるほうがよいのも当然のことである。
だから、大人を見るに利ろし、という。
また、蹇難のときには、落ち着いて貞正な行動を取ることが大事である。
どうしようどうしようと慌てると、得てしてとんでもない失敗を招いてしまう。
したがって、蹇難を脱出するには、常に貞正さを失わないことである。
だから、貞しくして吉、という。
・・・・・・・・
http://mokusai-web.com/shushigakukihonsho/ekikyou/ekikyou_body.html
より
【読み】
〔彖傳〕蹇は、難なり。險前に在るなり。險を見て能く止まる。知なるかな。蹇は、西南に利ろしとは、往きて中を得ればなり。東北に利ろしからずとは、其の道竆すればなり。大人を見るに利ろしとは、往きて功有るなり。位に當たり貞しければ吉なりとは、以て邦を正しくするなり。蹇の時用、大いなるかな。
〔象傳〕山上有水、蹇。君子以反身脩徳。
【読み】
〔象傳〕山上に水有るは、蹇なり。君子以て身に反りて徳を脩む。
六二は、王臣蹇蹇たり。躳の故に匪ず。
王臣蹇蹇たりとは、終に尤无きなり。
・・・・・・・・
戻って
六二、王臣蹇々、匪躳之故、
六二(りくじ)、王臣(おうしん)蹇々(けんけん)たり、躳(み)之(の)故(ゆえ)に匪(あら)ず、
王とは九五の爻を指す。
臣とは六二の爻である。
五は君王の定位、二は臣下の定位であり、六二は九五の臣である。
だから、王臣、という。
さて、六二の爻は臣の位に居って、中正は得ているが、今この蹇難の時に出遇い、その身は重険の下に居る。
重険の下とは、二三四の坎、四五六の坎で坎為水とすれば、二はその最下だから、そう言う。
そして六二は、九三の過剛不中にして権勢が有り威力強い者の下に承け逼られている。
もとより六二は陰弱微力なので、その九三の剛強不順の横逆ある者を征服することは不可能である。
ただ、これを憂い悩むのみである。
だから、王臣蹇々たり、という。
ただし、六二の蹇難は、自らの躳のための個人的な憂いではなく、九五の君の家のためにする公義にして、自身が陰柔微弱にして国家の蹇難を救う能力がないことを、憂い蹇(なや)んでいるのである。
だから、躳之故に匪ず、という。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
それでもやらないといけないか・・・交渉のテーブルには付かされるのはやむなしか
変卦は、水風井 の2爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-53.html
・・・・・・・・・・・・
48 水風井(すいふうせい)
井 巽下坎上(そんか かんじょう)
八卦の巽(そん)の上に、坎(かん)を重ねた形。
井は、いわゆる井戸のこと。
この卦は巽の木の上に坎の水があるわけだが、その様子からイメージできるのは、木の器で水を汲んでいるところであり、そうやって水を汲む場所と言えば井戸である。
だから井と名付けられた。
また、易位生卦法によれば、もとは風水渙から来たものとする。
風水渙は、巽の木が坎の水の上にある形だが、この水風井になると、巽の木が下って坎の水の下に入り、坎水は巽木の上に上っている。
これは、木の桶を水の中に入れて、水を汲み上げている様子である。
だから井と名付けられた。
また、交代生卦法によれば、もとは地天泰から来たものとする。
地天泰の六五が来て初に居り、初九が往きて五に居るのが水風井である。
そもそも地天泰の上卦の坤は地、下卦の乾は陽気とすれば、これは地中に陽気がある様子である。
水風井の九五は坎水の主爻であり、坎は陽卦である。
水風井の初六は巽風の主爻であり、巽は陰卦である。
陰気が坤の地の上より入って巽の風となれば、その風の力で地中の陽気が上って坎水を生じる。
これは地脈に水を生じるということである。
もし地中に陽気の水脈がないときは、どんなに地を掘っても水は出ない。
この水風井は水を掘り当てた様子である。
だから井と名付けられた。
卦辞
井、改邑不改井、无喪无得、往来井井、汔至、未繘井、羸其瓶、凶、
井は、邑(ゆう)を改(あらた)めるも井(せい)を改(あらた)めず、喪(うしな)うこと无(な)く得(え)ること无(な)し、往(ゆ)くも来(きた)るも井(せい)を井(せい)とす、汔(ほとん)ど至(いた)らんとして、未(いま)だ井(せい)に繘(つるべなわ)せず、其(そ)の瓶(つるべ)を羸(やぶ)る、凶(きょう)、
およそ邑(集落)を建設するには、必ずその水泉の良し悪しを観ることが第一である。
水泉が不便では、邑を建設しても、生活が不自由になり、誰も住みたがらない。
だからこそ、先ずは水泉が便利な場所を選び得て、そこに井戸を掘り、その後に邑を建設するべきである。
そもそも邑里は、人間の都合で場所を変えたりもするが、井戸は地脈によって得るものであって、人間の都合で場所を改めることはできない。
だから、邑を改めるも井を改めず、という。
そもそも井戸というものは、汲んでも尽きることはなく、汲まなくても溢れることもない。
だから、喪うこと无く得ること无し、という。
また、井戸は水を汲む場所であって、すでに汲んだ人は往き去り、これから汲もうとする人が来るところである。
このように、ひとつの井戸は、みんなで使うものである。
この意味で、往くも来るも井を井とす、という。
さて、普通であれば枯れたり溢れたりしない井戸でも、季節や気候によっては、多少の水位の上下はある。
常に維持管理していないと、いざ汲もうとして、瓶を入れたとき、瓶縄が水面の手前までしか届かず、水を汲めないようなこともある。
また、縄がボロボロになっていたら、水を汲んだとき、その重さで切れてしまうこともある。
だから、汔ど至らんとして、未だ井に繘せず、其の瓶を羸る、凶、という。
これは、何事も日頃の手入れが大事であって、それを怠るとせっかくの事業も八九分に至って支障を来たすものである、ということの喩えでもある。
・・・・・・中略・・・・・
九二、井谷射鮒、甕敝漏、
九二(きゅうじ)、井谷(せいこく)鮒(ふ)に射(そそ)ぐ、甕(もたい)敝(やぶ)れて漏(も)る、
井谷とは、井の中の水が湧き出ている場所、いわゆる水脈のことである。
鮒とは小魚のことであり、初六の陰爻を指している。
さて、初爻の辞は廃止された井戸の様子を書いているが、この九二はその廃止された井戸の汚泥を渫(さら)い尽くしたときの様子であって、新たな泉が少し湧き出して来た様子である。
今、九二の陽爻の水が、僅かに井谷より出て、初六陰爻の鮒に注いでいる象なのである。
だから、井谷鮒に射ぐ、という。
ただし、この爻の義は、その汚泥は渫い尽くして、新たなる泉が鮒に注ぐとしても、未だ十分に満ち足りてはいない。
なおかつ下卦に在って、未だ上体へ出ていないので、多くの人を広く養うほどの用途はない。
わずかに初六の鮒を養うのが精一杯である。
また、上卦坎を水とし、下卦巽を入るとすれば、井の全卦で甕(もたい=水瓶)に水を入れ貯(たくわ)えるという象が有る。
その巽は要するに甕にして、最下の陰の記号が、真中で切れていることから、その底が破れている様子となる。
底が破れている甕に水を入れても、その水は漏ってしまう。
だから、甕敝れて漏る、という。
これは、この爻辞の前半とは別象別義である。
なぜ、別象別義の辞があるのかについては、次のように考察している。
そもそもこの部分は、古くからの卜筮の辞であって、この九二の爻の象義と共通するので、ここに併せて付けた辞ではないだろうか。
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
>九二(きゅうじ)、
井谷(せいこく)鮒(ふ)に射(そそ)ぐ、甕(もたい)敝(やぶ)れて漏(も)る、
こわい!
TPPに入ったものの、日本の産業の体制は整えきらずに、多くの産業がつぶれて、一部の金持ちだけが潤う。
て可能性を示唆している。
ただ見方を変えると
「欲深い連中が、TPPに入れようとするが、最後に失敗して、その連中の一部が儲かるだけ」
かもしれないが、大変危ういことを示唆しているのは確かだ。
再見!
易の言葉は難しいが、現代語の大意の部分を見れば、TPPが今後の日本にどういう結果をもたらすか、明瞭だろう。「水山蹇」は、私が一番嫌いな卦であり、「蹇」は足萎え、いざりのことである。足萎えの人間が水や山という険阻を前に立ち往生する、というのが「水山蹇」という卦だ。まさしくTPP参加後の日本の姿そのものだろう。その先行きはどうかというと、「水風井」、つまり「井戸」の卦である。一見良さそうだが、これも実は「同じことの繰り返しで疲弊し、破れる」という意味合いが強い。つまり、井戸の中を釣瓶が往復するうちに、釣瓶が壊れる様である。これまたTPP後に、日本人がその真実を知って、そこから抜け出そうと悪あがきをしても抜け出せない、という事を示しているようだ。
さて、この卦が日本の未来を示すことはかなり確率が高いが、なるべくならそうならないでほしいものである。
「運命は変えられる」というのがあらゆる占いの基本思想だと私は考えている。でなければ、占いをやる意味など無いだろう。そして、悪い運命に対して警告を与えることが占いの大きな役目であり、その占断で覚醒し、悪い運命を回避できたならば、それは占いの功績だったのであり、「占いが外れた」のではない。
まあ、占いなど最初から信じない人には無縁の話ではあるのだが。
(以下引用)
易にTPPの件を聞いてみる。
カテゴリ:易に聞いてみました。
で、易に「TPPに入るぞ!って安倍さんは言ってましましたが、陰陽虚実・日本の成り行きを教えて」と聞いてみました。
水山ケンの 2爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-44.html
上記文抜粋
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39 水山蹇(すいざんけん)
蹇 艮下坎上(ごんか かんじょう)
八卦の艮(ごん)の上に、坎(かん)を重ねた形。
蹇とは足萎えという意。
この卦は艮を止まるとし、坎を険難として、険難の中で足が萎えてしまったかのように、身動きできずに止まって出られない様子とする。
だから蹇と名付けられた。
また、険難を見て、足萎えのように自らよく止まって、犯し進まない様子。
だから蹇と名付けられた。
また、この卦は進もうとすれば前方に坎水の険難があり、退こうとすれば艮山が阻んでいて、進退窮まり、足萎えのように身動きが取れない様子。
だから蹇と名付けられた。
また、九五の君が坎険の主として二陰の中に陥り、かつ九三の陽剛の臣は、下卦艮の極に止まって、上に朝せず、あまつさえ二と四との両大臣は共に陰弱にして、君を輔佐する能力はなく、却って九三の不軌の剛臣に密比している。
これは天下に二主、一国両君というべき様子であり、その勢いは内外上下を二つに分断しているのであって、蹇難の至極である。
だから蹇と名付けられた。
卦辞
蹇、利西南、不利東北、利見大人、貞吉、
蹇は、西南(せいなん)に利(よ)ろし、東北(とうほく)に利(よ)ろしからず、大人(たいじん)を見(み)るに利(よ)ろし、貞(ただ)しくして吉(きち)、
また、八卦の配当で言えば、西南は老陰の坤の方位にして平坦な場所の譬え、東北は少陽の艮の方位にして山岳の険阻な場所の譬えであり、陰は退く、陽は進むという意がある。
蹇難のときに当たっては、無理をして先立ち進むよりも後ろに退くほうがよく、険阻な道を行くより平坦な道を行くほうがよいのは、当たり前のことである。
だから、西南に利ろし、東北に利ろしからず、という。
また、蹇難のときは、ひとりで考え込まず、大人有徳の人を探し見つけて、救いを求めるほうがよいのも当然のことである。
だから、大人を見るに利ろし、という。
また、蹇難のときには、落ち着いて貞正な行動を取ることが大事である。
どうしようどうしようと慌てると、得てしてとんでもない失敗を招いてしまう。
したがって、蹇難を脱出するには、常に貞正さを失わないことである。
だから、貞しくして吉、という。
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http://mokusai-web.com/shushigakukihonsho/ekikyou/ekikyou_body.html
より
【読み】
〔彖傳〕蹇は、難なり。險前に在るなり。險を見て能く止まる。知なるかな。蹇は、西南に利ろしとは、往きて中を得ればなり。東北に利ろしからずとは、其の道竆すればなり。大人を見るに利ろしとは、往きて功有るなり。位に當たり貞しければ吉なりとは、以て邦を正しくするなり。蹇の時用、大いなるかな。
〔象傳〕山上有水、蹇。君子以反身脩徳。
【読み】
〔象傳〕山上に水有るは、蹇なり。君子以て身に反りて徳を脩む。
六二は、王臣蹇蹇たり。躳の故に匪ず。
王臣蹇蹇たりとは、終に尤无きなり。
・・・・・・・・
戻って
六二、王臣蹇々、匪躳之故、
六二(りくじ)、王臣(おうしん)蹇々(けんけん)たり、躳(み)之(の)故(ゆえ)に匪(あら)ず、
王とは九五の爻を指す。
臣とは六二の爻である。
五は君王の定位、二は臣下の定位であり、六二は九五の臣である。
だから、王臣、という。
さて、六二の爻は臣の位に居って、中正は得ているが、今この蹇難の時に出遇い、その身は重険の下に居る。
重険の下とは、二三四の坎、四五六の坎で坎為水とすれば、二はその最下だから、そう言う。
そして六二は、九三の過剛不中にして権勢が有り威力強い者の下に承け逼られている。
もとより六二は陰弱微力なので、その九三の剛強不順の横逆ある者を征服することは不可能である。
ただ、これを憂い悩むのみである。
だから、王臣蹇々たり、という。
ただし、六二の蹇難は、自らの躳のための個人的な憂いではなく、九五の君の家のためにする公義にして、自身が陰柔微弱にして国家の蹇難を救う能力がないことを、憂い蹇(なや)んでいるのである。
だから、躳之故に匪ず、という。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
それでもやらないといけないか・・・交渉のテーブルには付かされるのはやむなしか
変卦は、水風井 の2爻
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-53.html
・・・・・・・・・・・・
48 水風井(すいふうせい)
井 巽下坎上(そんか かんじょう)
八卦の巽(そん)の上に、坎(かん)を重ねた形。
井は、いわゆる井戸のこと。
この卦は巽の木の上に坎の水があるわけだが、その様子からイメージできるのは、木の器で水を汲んでいるところであり、そうやって水を汲む場所と言えば井戸である。
だから井と名付けられた。
また、易位生卦法によれば、もとは風水渙から来たものとする。
風水渙は、巽の木が坎の水の上にある形だが、この水風井になると、巽の木が下って坎の水の下に入り、坎水は巽木の上に上っている。
これは、木の桶を水の中に入れて、水を汲み上げている様子である。
だから井と名付けられた。
また、交代生卦法によれば、もとは地天泰から来たものとする。
地天泰の六五が来て初に居り、初九が往きて五に居るのが水風井である。
そもそも地天泰の上卦の坤は地、下卦の乾は陽気とすれば、これは地中に陽気がある様子である。
水風井の九五は坎水の主爻であり、坎は陽卦である。
水風井の初六は巽風の主爻であり、巽は陰卦である。
陰気が坤の地の上より入って巽の風となれば、その風の力で地中の陽気が上って坎水を生じる。
これは地脈に水を生じるということである。
もし地中に陽気の水脈がないときは、どんなに地を掘っても水は出ない。
この水風井は水を掘り当てた様子である。
だから井と名付けられた。
卦辞
井、改邑不改井、无喪无得、往来井井、汔至、未繘井、羸其瓶、凶、
井は、邑(ゆう)を改(あらた)めるも井(せい)を改(あらた)めず、喪(うしな)うこと无(な)く得(え)ること无(な)し、往(ゆ)くも来(きた)るも井(せい)を井(せい)とす、汔(ほとん)ど至(いた)らんとして、未(いま)だ井(せい)に繘(つるべなわ)せず、其(そ)の瓶(つるべ)を羸(やぶ)る、凶(きょう)、
およそ邑(集落)を建設するには、必ずその水泉の良し悪しを観ることが第一である。
水泉が不便では、邑を建設しても、生活が不自由になり、誰も住みたがらない。
だからこそ、先ずは水泉が便利な場所を選び得て、そこに井戸を掘り、その後に邑を建設するべきである。
そもそも邑里は、人間の都合で場所を変えたりもするが、井戸は地脈によって得るものであって、人間の都合で場所を改めることはできない。
だから、邑を改めるも井を改めず、という。
そもそも井戸というものは、汲んでも尽きることはなく、汲まなくても溢れることもない。
だから、喪うこと无く得ること无し、という。
また、井戸は水を汲む場所であって、すでに汲んだ人は往き去り、これから汲もうとする人が来るところである。
このように、ひとつの井戸は、みんなで使うものである。
この意味で、往くも来るも井を井とす、という。
さて、普通であれば枯れたり溢れたりしない井戸でも、季節や気候によっては、多少の水位の上下はある。
常に維持管理していないと、いざ汲もうとして、瓶を入れたとき、瓶縄が水面の手前までしか届かず、水を汲めないようなこともある。
また、縄がボロボロになっていたら、水を汲んだとき、その重さで切れてしまうこともある。
だから、汔ど至らんとして、未だ井に繘せず、其の瓶を羸る、凶、という。
これは、何事も日頃の手入れが大事であって、それを怠るとせっかくの事業も八九分に至って支障を来たすものである、ということの喩えでもある。
・・・・・・中略・・・・・
九二、井谷射鮒、甕敝漏、
九二(きゅうじ)、井谷(せいこく)鮒(ふ)に射(そそ)ぐ、甕(もたい)敝(やぶ)れて漏(も)る、
井谷とは、井の中の水が湧き出ている場所、いわゆる水脈のことである。
鮒とは小魚のことであり、初六の陰爻を指している。
さて、初爻の辞は廃止された井戸の様子を書いているが、この九二はその廃止された井戸の汚泥を渫(さら)い尽くしたときの様子であって、新たな泉が少し湧き出して来た様子である。
今、九二の陽爻の水が、僅かに井谷より出て、初六陰爻の鮒に注いでいる象なのである。
だから、井谷鮒に射ぐ、という。
ただし、この爻の義は、その汚泥は渫い尽くして、新たなる泉が鮒に注ぐとしても、未だ十分に満ち足りてはいない。
なおかつ下卦に在って、未だ上体へ出ていないので、多くの人を広く養うほどの用途はない。
わずかに初六の鮒を養うのが精一杯である。
また、上卦坎を水とし、下卦巽を入るとすれば、井の全卦で甕(もたい=水瓶)に水を入れ貯(たくわ)えるという象が有る。
その巽は要するに甕にして、最下の陰の記号が、真中で切れていることから、その底が破れている様子となる。
底が破れている甕に水を入れても、その水は漏ってしまう。
だから、甕敝れて漏る、という。
これは、この爻辞の前半とは別象別義である。
なぜ、別象別義の辞があるのかについては、次のように考察している。
そもそもこの部分は、古くからの卜筮の辞であって、この九二の爻の象義と共通するので、ここに併せて付けた辞ではないだろうか。
・・・・・・・・・・・・
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抜粋終わり
>九二(きゅうじ)、
井谷(せいこく)鮒(ふ)に射(そそ)ぐ、甕(もたい)敝(やぶ)れて漏(も)る、
こわい!
TPPに入ったものの、日本の産業の体制は整えきらずに、多くの産業がつぶれて、一部の金持ちだけが潤う。
て可能性を示唆している。
ただ見方を変えると
「欲深い連中が、TPPに入れようとするが、最後に失敗して、その連中の一部が儲かるだけ」
かもしれないが、大変危ういことを示唆しているのは確かだ。
再見!
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