「ギャラリー酔いどれ」より転載。
日本の国家システムの本質が「無責任体制」であることを喝破したのは丸山真男だが、それは戦前戦後を通じて変わっていない。太平洋戦争の責任追及が不徹底だったために、むしろその無責任体制は強化されたとも言える。国家や組織に重大な損害を与えた者の責任がまったく問われないのである。
この近代日本の悪しき伝統をどうにかして断ち切らない限り、日本は再生できない、と私は思う。つまり、「上の人間こそが事業の失敗の責任を取る」というシステムを作らなければならないのである。もっとも、そのためだけにお飾りのトップなどを用意しておく、という「お飾りシステム」ももちろん駄目だ。(サッカー日本代表チームの外人監督は、そのための存在だろう。)
まあ、前にリーダーはお飾りでいいと書いたこととまったく矛盾したことを書いているわけだが、あれはリーダーというものを過大に考えすぎる世間の傾向への嫌味で言っただけだ。優れたリーダーによって組織が飛躍的な発展をする、ということを私は否定はしない。ただ、実務は現場がするのであり、現場にきちんと責任と権限を持たせれば、リーダー不在でも日常業務はまったく滞りなくやっていける、という話なのである。当然、仕事内容から言って、会社役員の得る報酬などは、現場作業の人間の報酬の1.5倍程度でいい。社長でも2倍くらいまでを限度とすべきだろう。もちろん、創業者社長ならば、お手盛りでいくらでも自分の報酬を吊り上げてもいいが、社長は年収何億、社員は年収200万~100万という会社に喜んで入る社員はいないのではないか。
「決断」するだけで年収10億円、そして失敗の責任は取らなくていい、というのなら私でもいつでもソニーやパナソニックなど傾いた会社の社長になる。従業員を大量解雇し、不採算部門を切り捨てればいいだけだから、簡単な仕事である。しかし、「他人の血を流す」仕事であるから、寝覚めは悪いことだろう。
(以下引用)
*友愛的日本人 2014/7/15
◎「十死零生」「統率の外道」を敢えて採用し、若者をして
人間爆弾として費消した大西瀧治郎海軍中将。
敗戦の翌日、割腹自害す。が、
万死に値する責任者は、他にも大勢いたはずである。
「必ず上聞に達するようにする」とした結果 、
大元帥はいかなる意思表示をしたのだろう?
「胸が痛む」「反省のよすが」「よくやった」か?
海軍の参謀だった源田実や黒田亀人ら、
人間爆弾の作戦発案者はいかなる責任をとったのか?
「国体護持」の敗戦条件にこだわりさえしなければ、
沖縄戦の悲劇も、広島・長崎の原爆も、ソ連参戦も、シベリア抑留もなく、
神風特攻隊の悲劇も拡大せずに済んだものを・・・。
自身の保身のため臣民(民草・たみくさ)を見殺しにした。
そもそも、なぜ、戦争を始めたのか?
せめて、自分の目で見て回った東京大空襲の、あの惨害の直後に、
なぜ決断できなかったのか?
「朕が志ならむや」とする戦争に引きずり出され、無残に死んでいった兵士や庶民。
その犠牲の上に「9条」があり、平和が生まれた。 が、
大日本帝国の唯一の主権者にして帝国陸海軍(皇軍)を統帥する大元帥、
国家神道における「現人神(あらひとかみ)」は、
敗戦・マッカーサー元帥との会見を通して、「人間宣言」し、
東京裁判で被告席に座ることはなかった。
その戦争責任は東條英機らA級戦犯らに丸投げしてしまった。
真珠湾攻撃にも深く関わった源田実は、敗戦後は国会議員となり
永らく「防衛族」として君臨、米国からも勲章を受けたという。
そして、あの東京大空襲始め日本焦土化作戦を立案・指揮・実行した米空軍
カーチス・ルメイ将軍に対する「勲一等旭日大綬章」授与にも関わったという。
そして、今、「靖国」で日本を滅亡させた戦争犯罪人を「神」と伏し拝む
悪魔崇拝者のような為政者らが、再び「戦争」へと突っ走り、
若者と庶民を地獄の戦場に送り込もうとしている。
あの時と同じように・・・。
「英霊に唾している」のはいったい誰か?
歴史を直視し、胸に手を当ててよく考えれば、わかるだろうに・・・。
日本の国家システムの本質が「無責任体制」であることを喝破したのは丸山真男だが、それは戦前戦後を通じて変わっていない。太平洋戦争の責任追及が不徹底だったために、むしろその無責任体制は強化されたとも言える。国家や組織に重大な損害を与えた者の責任がまったく問われないのである。
この近代日本の悪しき伝統をどうにかして断ち切らない限り、日本は再生できない、と私は思う。つまり、「上の人間こそが事業の失敗の責任を取る」というシステムを作らなければならないのである。もっとも、そのためだけにお飾りのトップなどを用意しておく、という「お飾りシステム」ももちろん駄目だ。(サッカー日本代表チームの外人監督は、そのための存在だろう。)
まあ、前にリーダーはお飾りでいいと書いたこととまったく矛盾したことを書いているわけだが、あれはリーダーというものを過大に考えすぎる世間の傾向への嫌味で言っただけだ。優れたリーダーによって組織が飛躍的な発展をする、ということを私は否定はしない。ただ、実務は現場がするのであり、現場にきちんと責任と権限を持たせれば、リーダー不在でも日常業務はまったく滞りなくやっていける、という話なのである。当然、仕事内容から言って、会社役員の得る報酬などは、現場作業の人間の報酬の1.5倍程度でいい。社長でも2倍くらいまでを限度とすべきだろう。もちろん、創業者社長ならば、お手盛りでいくらでも自分の報酬を吊り上げてもいいが、社長は年収何億、社員は年収200万~100万という会社に喜んで入る社員はいないのではないか。
「決断」するだけで年収10億円、そして失敗の責任は取らなくていい、というのなら私でもいつでもソニーやパナソニックなど傾いた会社の社長になる。従業員を大量解雇し、不採算部門を切り捨てればいいだけだから、簡単な仕事である。しかし、「他人の血を流す」仕事であるから、寝覚めは悪いことだろう。
(以下引用)
*友愛的日本人 2014/7/15
◎「十死零生」「統率の外道」を敢えて採用し、若者をして
人間爆弾として費消した大西瀧治郎海軍中将。
敗戦の翌日、割腹自害す。が、
万死に値する責任者は、他にも大勢いたはずである。
「必ず上聞に達するようにする」とした結果 、
大元帥はいかなる意思表示をしたのだろう?
「胸が痛む」「反省のよすが」「よくやった」か?
海軍の参謀だった源田実や黒田亀人ら、
人間爆弾の作戦発案者はいかなる責任をとったのか?
「国体護持」の敗戦条件にこだわりさえしなければ、
沖縄戦の悲劇も、広島・長崎の原爆も、ソ連参戦も、シベリア抑留もなく、
神風特攻隊の悲劇も拡大せずに済んだものを・・・。
自身の保身のため臣民(民草・たみくさ)を見殺しにした。
そもそも、なぜ、戦争を始めたのか?
せめて、自分の目で見て回った東京大空襲の、あの惨害の直後に、
なぜ決断できなかったのか?
「朕が志ならむや」とする戦争に引きずり出され、無残に死んでいった兵士や庶民。
その犠牲の上に「9条」があり、平和が生まれた。 が、
大日本帝国の唯一の主権者にして帝国陸海軍(皇軍)を統帥する大元帥、
国家神道における「現人神(あらひとかみ)」は、
敗戦・マッカーサー元帥との会見を通して、「人間宣言」し、
東京裁判で被告席に座ることはなかった。
その戦争責任は東條英機らA級戦犯らに丸投げしてしまった。
真珠湾攻撃にも深く関わった源田実は、敗戦後は国会議員となり
永らく「防衛族」として君臨、米国からも勲章を受けたという。
そして、あの東京大空襲始め日本焦土化作戦を立案・指揮・実行した米空軍
カーチス・ルメイ将軍に対する「勲一等旭日大綬章」授与にも関わったという。
そして、今、「靖国」で日本を滅亡させた戦争犯罪人を「神」と伏し拝む
悪魔崇拝者のような為政者らが、再び「戦争」へと突っ走り、
若者と庶民を地獄の戦場に送り込もうとしている。
あの時と同じように・・・。
「英霊に唾している」のはいったい誰か?
歴史を直視し、胸に手を当ててよく考えれば、わかるだろうに・・・。
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