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愚劣な税制は社会を滅ぼす

江戸時代に、江戸の町人は田舎の人間を田舎者と呼んで軽蔑したが、では、税金を負担していたのは誰か、というと、その田舎者である百姓たちで、一般の町人はまったく税金を払っていなかった、という事実を知らない人が多いのではないか。一部の商人には運上金や冥加金が課せられたが、これ(特に前者)は幕府の財政逼迫を救うための恣意的な「臨時税」や特別税に近いもので、彼ら商人の収入の把握はほとんどできなかっただろうし、運上金や冥加金の「見返り」は当然あっただろうから、逆に商人の権力を拡大する一因でもあった。江戸幕府の崩壊の真の原因は、この馬鹿げた税構造にあった、というのが私の考えだ。
江戸は幕府のお膝元ということで、江戸への特別扱いがなされたのは、現代に通底している。原発を地方に作り、電気は東京に送るという構造などもそれである。

(以下引用)赤字部分は夢人による強調。




現在の税金に相当するもの(以下税金)は、江戸時代にもあった。まず思い浮かぶのは年貢、つまり米だ。それでは、江戸に住み百姓でもない八っつあん、熊さんは税金をどうやって払っていたのだろう。二人のプロフィールはだいたい次のようだ。名前は八五郎と熊五郎、仕事は職人か小商人(こあきんど)で長屋住まいの江戸っ子。落語に度々登場する二人は特定の人物ではなく一般庶民である。



この絵は式亭三馬の滑稽本、『浮世床』のなかでもっとも知られている挿絵の一つ、長屋の暮らしが生き生きと描かれている。文化文政の頃のことだから、ちょうど今から二百年前の庶民の姿だ。八っつあん、熊さんの住む長屋は、このような木戸(入り口)を入った所にある。
八っつあんも熊さんも税金はなかったというのが正しいと思う。取得税も住民税も、当然消費税もない。税金と思われるものは一銭も、いや一文(もん)も払っていないのだ。長屋住まいの一般庶民から税金を徴収する制度自体がなかったのである。



では誰が税金を納めていたのだろう。それは八っつあん、熊さんが住む長屋とその土地の所有者である地主だった。ということは、家賃に税金が含まれていたとの見方もできるが、家賃はそれほど高くはない。1カ月の家賃は職人の日給で2日分程度だったという。長屋には様々なクラスがあり、収入に応じて相応の暮らしができた。収入における家賃の割合は、今より低い感覚である。



大江戸八百八町”は、江戸中期(18世紀前半)になるとこの数字を上回り、江戸後期には1,600~1,700ほどの町(ちょう)が存在した。これは町奉行の支配地が広がり、江戸が拡大したことによる。この町が江戸の行政単位で、町の地主たちが町の運営をまかされていた。つまり、八っつあん、熊さんは税金がないかわりに口を出すことはできず、町の運営権はもっぱら地主が有していたのである。
江戸の行政システムは町奉行を頂点に、町年寄(まちどしより)…町名主(まちなぬし)…地主というピラミッド型だ。町年寄は江戸開府以来、三家(奈良屋、樽屋、喜多村)の世襲。その下の町名主はランクがいろいろあったが、地主のうちの代表者(有力者)と位置づけられ、今で言うと区長あたりに相当する。その下の地主が実質的な町の運営者であり、合議で物事が取り決められた。町役人(町役人)とは、通常この町年寄、町名主、地主を指している。町奉行所からの町触(まちぶれ)もこの順で伝達された。
町の運営の仕事は多岐に及ぶため、地主は「家主(いえぬし)」と呼ばれる代理人を立て、家主で構成される「五人組」が実際の町政を担っていた。



地主が負担する、いわゆる税金の使われ方を見てみよう。町の経費を「町入用(ちょうにゅうよう)」と言い、その内訳は町によって特色があり様々だった。
いくつかの史料を総合してみると、およそ二分の一から三分の一が自身番屋(じしんばんや)と木戸番屋(きどばんや)の維持・管理費に充てられ多くを占めている。前者は、町の事務所であると同時に交番のような役目もあった。また建物の脇や屋根には火の見櫓があり、消防署のような役割も兼ねている。後者は、町境に警備のために設けられたまさに木戸で、木戸番が詰めた。
その他に、橋や道路・上下水などの維持管理費、町火消しの費用もある。祭礼にもお金がかかるし、ゴミ処理の費用も町の負担だ。町で発生するほぼ全ての費用を地主がその規模に応じて負担し、町入用を捻出しなければならなかった。



町入用のなかには幕府への上納金もある。規模の大きい商工業者(問屋、酒造業者、各種商業団体など)には運上金(うんじょうきん)が課せられていたし、免許を得て商売する業者には営業免許税のような冥加金(みょうがきん)もあった。他に公役(くやく)という人夫を出す制度があり、これが後に金納になっている。



「士農工商」のうち、八っつあん、熊さんは工や商に属する町人の身分である。しかし、この層の多くは町への納税義務はない。厳密な意味では、彼らは江戸の町に住んでいながらも町人ではない。町人とは町入用を負担する地主層までである。長屋の家主(=大家)も同じことで、納税義務はなかった。大家の意味が現在と違っているので注意したい。大家は長屋や土地のオーナーではなく、あくまでも地主から長屋の運営を任されていた管理人の立場だった。
八っつあん、熊さんたちには、税金をはじめ水道代のような公共料金もなかった。水道料金は、水銀(みずぎん)と呼ばれ、これも町で負担してくれた。長屋暮らしは貧しいものと相場は決まっている。彼らこそが江戸の一般庶民と言っていいだろう。お上(かみ)は、彼らには課税しなかったのである。



文 江戸散策家/高橋達郎
参考文献 『浮世床』式亭三馬 『一目でわかる江戸時代』竹内誠監修(小学館)





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