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「いただきます」は誰へ頭を下げているのか

自分で学校に苦情を言う気は無いし、そんな年齢の子供もいないが、これ、「信じられない苦情」か? むしろ、まともな思考だと思う。
いや、私は虚礼というのが日本社会を息苦しくし、日本人の奴隷性を作ってきたと思っているのだが、そもそも、食事の前後で挨拶をする国は日本以外でどれだけあるのだろうか。「合掌」に至っては、いったい何に祈るのか、不明である。
「いただきます」や「ご馳走様」は、コメを作ったお百姓さんへの感謝の気持ちの表明だという説もあるが、それは嘘だろう。それなら、日本の歴史で百姓階級があれほど残忍に収奪されてきたはずがない。
家族制度の強力だった封建時代には、「いただきます」は、そのご飯を家族に下賜した主体、つまり一家の主人への感謝だったはずだ。私は、一家の主人は「いただきます」と言わなかったと思っている。言えば、「誰への感謝か」という疑問が家族の心に起こり、主人への畏怖の気持ちは無くなっただろう。では、学校の給食で、その食事を下賜した主体は何か。明らかに、「いただきます」の強要は「学校への感謝の強要」だろう。で、実際には給食費を父兄は払っているわけだ。

まあ、虚礼でも礼儀は大事、と思う人が大半だろうが、身の回りの理不尽な事柄に疑問を持つのはもっと大事だ、と私は思っている。そうでないと、社会はいつまでも変わらない。



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もうこれ優勝でいいんじゃないかな(^ ^)





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