社会人として生活していく上での知識は義務教育の内容だけで十分である。いや、その内容すら実はほとんど理解できていない社会人が、日本の大半を占めているのではないか。まして、高校教育、大学教育で習う内容など、その半分も理解できていないだろう。自慢ではないが、私は高校の数学、物理、化学、生物で学んだ内容はその10分の1も理解できなかったし、100分の1も覚えていない。
文系科目でも、興味の無かった社会科の内容はほとんど理解できていなかったし覚えてもいなかったが、そちらは40歳をすぎるころから少し興味が出てきて、自分で本を読んだりネットで調べたりして勉強した。それで知った「世界の真実の姿」が、学校教育の社会科といかに違っていたか、あきれるほどである。というのは、学校教育は政治色を出してはいけないために、結果的には曖昧模糊とした内容、あるいは「民主主義」や「三権分立」など、名前だけのものが現実であるかのような虚偽内容になるからである。
まあ、公教育とはそういうものだから、学校とは「友達と過ごすための場所」としての意義しかないし、学校で教えることは、高校なら大学に入るための知識でしかない。では大学では何を教えるのか。法学部は実用的知識も少しは教えるだろうが、大半の文系学部ではどうやら「教養」を高めるための講義が主であるようだ。そんなもの、自分で本を読めよ!
というわけで、私は安倍「文化大革命」(いよいよ毛沢東化してきたか。w)の一環としての大学改革に必ずしも不賛成ではないが、そうなると今後は理系的能力ゼロの生徒たちはすべて高卒の学歴しか持てなくなるわけだ。まあ、大卒の肩書きはあっても文系卒では実際には高卒と同じレベルだったと私は思うので、むしろ、肩書き(学歴)が中身と一致してよいのではないか?
なお、東大法学部だけはこの改革でも生き残ることは確実だと思う。なにしろ官僚養成大学の官僚養成学部なのだから、消えるはずがない。名称変更くらいはあるかもしれないが。
大学進学率が50%を超え、真理の探究にとりくむ象牙の塔という大学のイメージはすでに過去のものとなった。今や大学は、そのあたりの民間企業も真っ青な、徹底した経済の論理による支配が強まっている。
しかし、まさかここまで、と関係者を震撼させたのが、最近、文部科学省が国立大学に示した方針だ。この問題を伝えた数少ない報道である『東京新聞』9月2日付朝刊の「国立大から文系消える?文科省が改革案を通達」と題された記事ではこう紹介されている。
「文部科学省は先月、同省の審議会『国立大学法人評価委員会』の論議を受け、国立大の組織改革案として『教員養成系、人文社会科学系の廃止や転換』を各大学に通達した」
通達の文言を素直に読めば、たしかに記事タイトルどおり、文系を廃止して理系への転換を促しているとしか読めない。ところが同記事中で文科省担当者は「今回の通達は文系学部の廃止や理系への転換を提案しているのではない。先に示された役割に基づいて、改革してほしいだけだ」と語っている。あたかも国の強制ではなく、大学の自主性に委ねているかのようだ。しかし、担当者の言葉に登場する「先に示された役割」が曲者なのだ。
たとえば、横浜国立大学教授の室井尚氏は自身のブログに「国立大学がいま大変なことになっている」という記事を投稿(5月15日)。すでに今回の通達が先どりして実質化されている様子を生々しく報告し、一部では話題になっていた。
「昨年度6月に閣議決定された『国立大学改革プラン』に従って、呆れるほどスピーディに平成25年秋にはほとんど決定された『ミッションの再定義』によって各国立大学や各学部が目指すべき『ミッション』が、文科省によって一方的に各国立大学に通達された。『各大学との意見交換によって』と書かれてあるが、実際にはそうではない。文科省からすでに文言がほとんど書き込まれ、自主的な数値目標だけが空欄になった『ミッション』が一方的に各大学に突きつけられたのである」
「この表の2,3,4には埼玉大学、千葉大学、横浜国立大学と関東一円の地方大学が並んでいるが、文科省がこれらの大学に求める『ミッション』は共通している。つまりは理工系か医療系に力を注げということだ。実際、文科省の担当者からは多数の私学がある神奈川県では、教育コストがかからない文学部系は私学に任せて、理工系に集中させないと税金を投入する意義を問われると財務省から言われているとの発言があったそうで、その結果ぼくたちが所属している『人間文化課程』は、実態は全く異なるのに単なる教員養成系の『新課程』と一緒くたにされて『廃止』と告げられてしまった(リンクの後ろの方に書いてあります。ほんの二行だけ。これも最初っからこう書き込まれていた)。文科省が国立大学の課程・学科を直接『廃止せよ』と言ったのである。」(上述の室井氏のブログより)
文科省の露骨な指示によって、すでに国立大学での教員養成系、文系の廃止は着実にすすめられているのだ。
(夢人追記)「日経ビジネス」から記事の一部を転載。転載した理由は、記事中の赤字にした部分に驚いたからである。驚く私が世間の事情に疎かっただけかもしれないが、2000万円も予備校に出すくらいなら、それを大学に出して裏口入学すればいいんじゃないか、と思う。もっとも、裏口入学の相場はその程度では済まないのかもしれない。医者になるのにこれだけ金がかかるのだから、それを回収するのは並大抵のことではない。医は仁術ならぬ、「医は算術」、となる所以である。
高宮学園代々木ゼミナールの新本部・代ゼミタワーは、16階の展望フロアを中心に、下層が教室、上層が学生寮になっている。代ゼミがライバル予備校に後れを取っていた「個別教育」の場が、ここ“総本山”の完成後、ようやく整いつつあるように見える。
かつての代ゼミの象徴、最大700人を収容した大教室はもはや存在せず、数10人程度の小教室や個別指導のブース、VOD形式で授業が受けられるモニタールームに変わった。廊下に座り込んで参考書を読みふけるような、昔の予備校然とした雰囲気はない。
代ゼミはここに、目玉となる高額商品を用意した。講師が1対1で密着指導してくれる特別なコースだ。例えば「私立医学部オールパックコース」は基本料金が1000万円、「プラチナ個別指導プレミアムコース」は540万円。講習会やオプションがつくと年間の授業料が2000万円に及ぶこともある。
この商品のターゲットは医師をはじめとする富裕層の子弟だが、受験期を迎えた若いタレントが、人目を忍んで申し込んでくるケースもあるという。
かつて代ゼミは広く、数多の受験生をすくい取らんとした。そして、その中心には「講師」がいた。だが、この代ゼミタワーにいる限り、昔の代ゼミの姿の影も形も見られない。