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ネット上での匿名発言について

「山科恭介のブログ」(夢想ローカン)から転載。
ネット上で、しかもハンドルネームで言いたい放題をしている私などには耳が痛い言葉だが、山科氏のこの言葉にはあまり賛成できない。
第一に、ネット上の私の発言は、容易に追跡され、私という人間の実物がどこの誰であるかは分かってしまうものだ。それをやるほど大した存在ではない間は目こぼしされているが、その気になればいつでも私の「現実生活」への介入(迫害・逮捕)はできるのである。ネット上の発言はそれほど安易なものではないだろう。もちろん、それをやる側が安易に考えているということは大いにある。
第二に、現実生活での政治的発言は容易にできるものではない。それをやると、友人はおろか、親兄弟とでさえ仲違いし、永久に断絶する可能性さえ十分にあるものだ。そういう危険な行為が滅多なことでできるはずはない。もちろん、日本がそういう社会であること自体が間違っており、大人と子供でさえ軽い気持ちで政治談議ができるような「小公子」に描かれた初期アメリカの姿こそが民主主義の原点であり、理想であることは言うまでもないが、現在の日本はその対極にあるのだ。
第三に、たとえネット上の匿名発言でも、その内容によって読む人に影響を与えることは大いにある。私が山科氏のブログを読むのは、山科氏の名前のためではなく、その名前で書かれた文章の内容、論理性や透徹した観察眼、優れた判断力などによるものだ。つまり、私にとっては現実の山科氏などどうでもいいのであり、ネット上の山科氏こそが現実存在なのである。これが言葉の力である。
私はそういう言葉の力を信じるからこそ、自分の無知や頭の悪さ、拙い文章を自覚しながらもブログを続けているのである。頭のいい人たちが、私の納得するような発言をしてくれないなら、自分が思うことを思うままに言うしかない。
ブログとは、それでいいと私は思っている。

(以下引用)


さて、
ここの読者諸氏は、そんなことより直近の政治情勢や自身に降りかかる経済的情況のほうがよっぽど気になるのは判っているが、ちょっと言いたくなったので許して欲しい。
昔のことはよく知らないが、今の日本人は自身に向き合う精神性が極端に欠けているのではないのか。
アレが駄目だ、これがイケナイと、そんなことばかり言って、自分では何も行動できやしないくせに、アレをやれこれをやれと無責任に言い張る。ネット上でもハンドルで言いたい放題愚痴をこぼしている人間を多数見かけるが、それらは私などからすれば、単なるフラストレーションの発散に過ぎない。

そんなことをしているヒマがあるなら、ここで何度も言っているが、周りの誰かに、たった一人でいいから、言い易い人間でいいから、今の日本の現状や国家機関の不健全性について説いてみたらどうか。
むろん、それには相当の勇気を必要とするだろう。
ネット上での幽霊発言とは違って、実名を明示し、所在を明らかにしなければならないのだから。
しかし、物事の進捗はそれ以外では変化しない。

そして、それさえも出来ない人間は、やることは決まっている。
これも何度も何度も言っているが、
自身に向き合い、何が正しく何が間違っているのか、それを心の内に問うことだ。
知識など適当で良い、天下国家の情勢など、そのあとで充分間に合う。
昔の人間は、ひと言で、それを 「勉強」 と呼んだが、
そういうことすらやっていない日本人が多すぎる。

そして、
変化したその自身の 「DNA」 は、
未来に向かって、知らず知らずのうちに引き継がれていくのだ。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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