「つむじ風」ブログから転載。
フルボ酸についての記事の一部で、フルボ酸には興味はないが、禿についての発言は聞き捨てにできない。
私は大昔には(セルフイメージ上は)美少年で美青年で美中年だったが、頭髪の衰退によって美老人になることはあきらめた男である。禿はショーン・コネリーのような男性的風貌の美男子には似合うが、キムタクやら二宮やら岡田准一やらといった優男(やさおとこ)タイプにはまったく似合わない。で、私は残念ながら後者のタイプであったわけである。(まあ、これも自称だが)
しかし、禿は知性の証明である、という下記発言は、我々のような頭髪障害者、頭髪に不自由な人間には実にいい言葉ではないか。
そうか、私が頭髪に不自由なのは、知性をハゲしく使っているからで、年を取っても頭髪のフサフサとした連中はまったく頭を使っていないからなのだ。となれば、五木寛之や鳥越俊太郎のような頭髪優越者は、実はあれは馬鹿だったのだと気持ちよくテレビ画面や写真を眺めることができる。
まあ、いつも世情を怒ってばかりいる記事を書いている当ブログだが、その怒りがストレスとなって私本人に頭髪衰退をもたらしているのかもしれないから今後はもう少し穏やかな心で生きるように心がけよう。
(以下引用)
Dr.ディック・ミヤヤマ博士が、何故、フルボ酸に行き着いたかというと、元は毛生え薬の研究であると言うから面白い。そして、その分野に関しては、「誰一人、外したことがない」と言う。
つまり、
禿の救世主である。
写真にもあるように、ご本人はお年の割に毛がふさふさだ。知行合一だ。
その種明かしは、ストレスの解消→リラックス→睡眠との流れから、フルボ酸に行き着いたという。睡眠→リラックス→ストレスの解消の流れになると、神経が再生するから毛が生えると言う寸法だ。それにはフルボ酸が卓効がある。
極めて簡単な発毛法があったものである。
確かに、神経を使う人には禿が多い。神経は知性だけではない。神経をすり減らすことで、神経細胞が死滅する。すると毛が育たない。あるいは抜け落ちる。細毛化する。禿げる。と言う理屈である。
フルボ酸についての記事の一部で、フルボ酸には興味はないが、禿についての発言は聞き捨てにできない。
私は大昔には(セルフイメージ上は)美少年で美青年で美中年だったが、頭髪の衰退によって美老人になることはあきらめた男である。禿はショーン・コネリーのような男性的風貌の美男子には似合うが、キムタクやら二宮やら岡田准一やらといった優男(やさおとこ)タイプにはまったく似合わない。で、私は残念ながら後者のタイプであったわけである。(まあ、これも自称だが)
しかし、禿は知性の証明である、という下記発言は、我々のような頭髪障害者、頭髪に不自由な人間には実にいい言葉ではないか。
そうか、私が頭髪に不自由なのは、知性をハゲしく使っているからで、年を取っても頭髪のフサフサとした連中はまったく頭を使っていないからなのだ。となれば、五木寛之や鳥越俊太郎のような頭髪優越者は、実はあれは馬鹿だったのだと気持ちよくテレビ画面や写真を眺めることができる。
まあ、いつも世情を怒ってばかりいる記事を書いている当ブログだが、その怒りがストレスとなって私本人に頭髪衰退をもたらしているのかもしれないから今後はもう少し穏やかな心で生きるように心がけよう。
(以下引用)
Dr.ディック・ミヤヤマ博士が、何故、フルボ酸に行き着いたかというと、元は毛生え薬の研究であると言うから面白い。そして、その分野に関しては、「誰一人、外したことがない」と言う。
つまり、
禿の救世主である。
写真にもあるように、ご本人はお年の割に毛がふさふさだ。知行合一だ。
その種明かしは、ストレスの解消→リラックス→睡眠との流れから、フルボ酸に行き着いたという。睡眠→リラックス→ストレスの解消の流れになると、神経が再生するから毛が生えると言う寸法だ。それにはフルボ酸が卓効がある。
極めて簡単な発毛法があったものである。
確かに、神経を使う人には禿が多い。神経は知性だけではない。神経をすり減らすことで、神経細胞が死滅する。すると毛が育たない。あるいは抜け落ちる。細毛化する。禿げる。と言う理屈である。
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