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小沢(亀井)は橋下と手を組むか? 組むべきか?

「橋下・小沢連合」が成立するのではないかという噂が世間で飛び交っており、私もそれを気にしてはいる。まあ、「橋下・亀井連合」という話もあるし、三者連合という可能性もあるだろう。だが、「反戦な家造り」の明月氏は「橋下・小沢連合」の可能性を否定しているようだ。
明月氏の優れた頭脳はおそらく多くの人が認めるところだろうが、私は彼のこの見通しは間違いではないかと思う。
というのは、政治家とは、自分の構想を実現するためには悪魔とでも手を組む人間だからだ。そうでなければ本物の政治家とは言えないくらいだ。自分の政治構想を実現できないなら、その政治家としての存在価値はゼロなのである。
したがって、小沢が自分の政治構想を実現するために「悪魔」橋下と手を組む可能性は高いと私は見ている。それは亀井も同じであり、三者連合によって「国土防衛」「国民防衛」をするつもりだろうが、私は橋下はユダヤの支配下にあると見ているから、この構想はやめたほうがいいと考えている。


(以下引用)


ここ数年来、TVで顔を見るたびに最も気分が悪くなるのは、菅でも野田でも、あるいはナベツネでもなければ前原でさえなく、ダントツトップは橋下徹だ。
あの顔が画面に映るたびに、胸くそ悪いばかりか絶望感にさいなまれる。

昨日の東京巡りをしながら見せた薄気味悪い笑い顔が、多くの人には爽やかな笑顔と映っているのかと思うと、もう気持ちのやり場がない。逃げ出したいけど、逃げるところがない。

マスメディアは、小沢氏と橋下が似ているとか、手を組んだとか、そんな話を垂れ流している。これは、小沢一郎を橋下の下に取り込もうというバカらしい策略だ。不用意に対立しないように、細心の注意をしているのは確かだし、公務員制度改革などの単一テーマで同じ方向を向くことはあっても、戦略的な連合を組むことはあり得ない。

なぜなら、手法や戦術のはなしではなくて、政治理念として橋下徹と小沢一郎は全く逆の方向を向いているからだ。
小沢一郎は、民主主義を何よりも大事にしている。原理主義と言っても良いくらい。国民が自らの責任で政治を決定するんだという点は、あらゆる機会において揺るぎない。

それに対して橋下は、国民を欺して自らが権力を握ることに全神経を集中させている。
そして、その欺しの技術において、天才的な才能を持っている。

では、なぜ小沢と橋下は似ている などと言われるのだろうか。
それは、やはり両者に共通するものがあるからに他ならない。

共通するもの、それがタイトルに書いた「時代観」なのだと、私は思う。
一言で言うならば、「もう、これまで通りには生きていけない時代になった」ということ。

そんなこと 誰かて分かってるやん と言われるかも知れない。が、幸か不幸かそんなことはない。やはり、大多数の人は、頭ではいろいろ考えていても、それでもなお、今の延長線上に数年先、数十年先があると思っている。

一般国民だけじゃない。ほとんどの政治家が、いや政治家のほうが、のほほんと「大変だけどなんとかなる」と思っている。小沢派と言われる人たちですら、そういう人が沢山いるのではないかと私は疑っている。

しかし、小沢一郎は、「このまま行くと貧富の差がどんどん広がり、日本でも暴動や革命が起きたり、反対にファシズムに流れて戦争になったり、そういうことがあるだろう」と考えている。言葉はそのままじゃないけれども、これまでの文章やインタビューでの言葉を聞くと、間違いなくそう考えていると思う。

戦争か革命が、日本の近い未来まで来ている、というシビアでリアルな認識は、今の日本でどれだけの人が感じているだろうか。自民党から共産党まで、政党としては皆無である。
多くの国民も、生活が厳しくなっていく実感はあっても、戦争だとか革命だとか言われても、まだピンと来ないだろう。

そんななかで、保守政治家である小沢一郎がひとり、戦争と革命のリアリティを感じ取り、保守の立場でそれに対処すべく行動してきたのである。それがまさに、あの政権交代であり、「国民の生活が第一」というスローガンだった。
そして、私が小沢一郎を支持する所以でもある。

小沢がんばれと思い始めたのは、陸山会事件の時からだ。こんなに弾圧されるんだから、きっと正しいのじゃないか、と思った。
とは言え、逮捕されたからと言ってホリエモンを応援する気にはならないし、か細い財布から会費まで払おうという気にはサラサラならない。

私が、小沢を支持するばかりか、勢い余って陸山会に入会までしてしまったのは、やはり小沢一郎の時代観と、それに基づいて行動する姿を知ったからだ。
でなければ、「金持ちを保ち守る」保守なんて大嫌いだった私が、小沢一郎後援会になど入るわけがない。

ところが、その時代認識において同じようなとらえ方をしている政治家が、派手派手しくあらわれた。
そう、それが橋下徹だ。ヤツの場合は、動物的な感覚で、時代の潮目が変わったことを嗅ぎとった。平時ならば自分のような人間はキワモノ扱いだけれども、これからは違う。大衆を糾合して、頂点を極めることができる、と読んだ。

「変えろ」「壊せ」と叫んで、国民の恨みを買っている公務員を叩くパフォーマンスをやりながら、弁護士時代に身につけた騙しと脅しのテクニックを駆使すれば、人気は急上昇というヤツの見通しは、恐ろしいくらいに的中した。

ヤツが強いのは、そのテクニックだけでなく、背景に時代観をもっているからだ。
普通にしていると食っていけなくなるような時代にこそ、自分が支持を得られる時代だ、という確信があるからだ。

そういう時代の隙間を利用して大衆の心を掴み、民主主義を中から壊し、独裁体制をつくりあげることを、まさにファシズムと呼ぶのだろう。
その意味で、橋下徹は、比喩でも何でもなく、正真正銘、ファシストと呼ばれる資格がある。

小沢一郎は、橋下徹のようなファシストが台頭することを恐れ、政権交代へと急いだ。
クーデターで権力を奪われ、ありとあらゆる手で縛り上げ、ぼこぼこにされてもなお、政治の情念を燃やし続けるのは、民衆暴動を事前に防ぎたいという思いとともに、橋下のようなファシズムを許さないためだ。
私はそう見ている。

小沢一郎と橋下徹は、現代の政治家の両極をなしている。かたや民主主義を、かたやファシズムをだいひょうしている。多くの既成政党は、橋下になびき、すりより、ひれ伏している。
その姿を見て、満々の笑みをうかべていたのが、昨日の橋下の姿だった。

共産党と社民党は橋下に近寄りはしない。しかし、時代観をもたず、あいかわらず自分たちの組織温存を最優先にして、橋下以上に小沢を嫌い攻撃する。それが人気取りになると、十年一日のごとく考えている。

こうした情けない姿を見るにつけ、時代観の大切さを思い知る。

このまま何とかなるのか ならないのか

その見極め、あるいは思い切りが、すでにファシズムが台頭し始めた現在、とてもとても大事なのだ。
「なんとかなるやろ」とお気楽に構えていたら、そのツケは余りにも大きいものになる。

小沢氏も、タイミングを読み違えないでほしい と切実に思う。
ファシズムの勢いは、想像以上だ。ある程度の閾値をこえてしまうと、もう引き留めることができなくなってしまう。そうなる前に、展望と思いの受け皿を用意する必要がある。
それができるのは、いまの政治の世界では小沢一郎しかない。

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