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ソ連の崩壊と「共産主義」への再考

「日々平安録」記事の一節である。
私も、ソ連の崩壊の時は狐につままれたような感じであった。あれよあれよという間の崩壊である。もはやその経過もあまり覚えていないが、

1)ゴルバチョフがソ連の「改革」を行おうとして失敗。(それが本当に「改革」だったのか、あるいはユダ金の走狗としての行動だったのかは私には分からない。)
2)ゴルバチョフの「改革」に不満な軍部がクーデターを起こし、なぜかそのクーデターを阻止したということになったエリツィンが大統領になる。
3)エリツィン時代にソ連は「共産主義」体制を廃止し、資本主義経済に移行。その時に国家資産のユダ金やギャングによる略奪が起こり、一部の特権階級が膨大な資産を形成すると同時に、国民は極度の貧困状態になる。国民の大半が失職して生活の資を失い、女性の多くが売春婦に転落したはずである。
4)プーチンが大統領になり、ユダ金やギャングをソ連から追放。ソ連を現在の(世界唯一に近い)「健全国家」にする。

といった成り行きだったと思う。
つまり、一番の悲劇は、ソ連時代にあったのではない。(もちろん、ソ連初期の大量虐殺など、スターリン・ファシズムは別としての話だ。)ソ連での共産主義は一応の成功はあり、国民の大半が農奴であった状態から、まともな暮らしができるようになったはずだ。
一番の悲劇は、共産主義から資本主義への強引な移行の際に起こったのである。(ただし、この「共産主義」も、本質的には共産主義だとは私には思えない。私有財産も認められ、貧富の差もあったはずだ。せいぜいが、「ソ連式の官僚絶対主義的ファシズム的社会主義」と言うべきものだろう。)
で、下に言う「共産主義への反省」や総括はあってしかるべきだが、それはあくまでも「ソ連におけるもの」という前提で論じるべきであるし、共産主義や社会主義全体をソ連をモデルに語るのは誤りだろう、と思う。たとえばキューバ的社会主義というものもある。これは貧富の差がほとんど無い、という点では「共産主義」の理想に近い。難点は、「全員が平等に貧乏だ」ということである。(笑)


(以下引用)



わたくしの当時の印象ではソ連は本当にあれよあれよという間に本当にあっけなく崩壊してしまった(あれほどの軍事大国なのに、軍部がなぜ権力を掌握することができなかったのだろうか?)。それがおきてしまうとみんな当然のことがおきただけというような顔をし、経済の運営は市場経済体制という行き方しかないのですよと百年も前からそんなことはわかっていたというようにいっているのを見て、どうにも納得ができない思いだった。

 東西の対立とは単に市場経済計画経済という問題だったのだろうか? 本書の「新たな知的開国をめざして」では、当時の西欧で見られた共産主義への深刻な思想的反省のようなものが、どういうわけか日本では皆無に近いことが指摘されている。

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