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砂漠に水をやる行為

私も馬鹿な発言をして後悔することは何度もあったから、あまり他人の発言の揚げ足取りはしたくはないが、「砂漠に水をやるような理解力」という言い方はいかがなものか。
なぜ「砂漠」なのか。これでは「水を撒いても無駄だった」という印象にならないか。砂漠という広大なものを持ってきたのは、それだけ梶田さんのキャパシティの大きさを言いたかったのだろうが、「砂漠に水をやる」となると、無益、徒労の印象を私は受けてしまう。
まあ、言った人は英語教師だから。www
そもそも、「砂漠に水をやる」のは教える側の行為であり、「教えを受ける側」の行為ではない。つまり、「砂漠に水をやる」と「理解(力)」は「主体が違う」から、そのままつないではいけない。「水を撒いた砂漠のような理解力(吸収力)」ならまだ文法としてはいいが、実は「吸収力」と「理解力」も別であって、理解しなくても吸収(暗記)する人間が学校秀才になることも多いのはご存知の通りである。
英語教師にこそ国語力が無いと、習う生徒の日本語が変なものになりかねない。小学校から英語を習わせるという今の政府方針でどんな日本人が出来上がるやら、見ものである。まあ、ほとんどの子供に対して「砂漠に水をやる」ようなことになるだろう、と今から予言しておく。つまり、習うそばから蒸発www


(以下引用)

梶田さんノーベル賞 「砂漠に水をやるような理解力だった」中学校恩師が振り返る

産経新聞 10月6日(火)19時44分配信

 ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章さんが昭和49年に卒業した埼玉県東松山市立南中学校で、3年時の担任だった元英語教諭、榎本敏夫さん(66)=同市=は開口一番、「獲りましたねぇ」と喜びをあらわにした。

 中学校時代の梶田さんは「色が白くて背が小さく、一見すると頼りない感じだった」(榎本さん)が、理解力は抜群だった。「砂漠に水をまくように、何事も1回で覚えてしまう」

 梶田さんと最後に会ったのは3、4年前の中学の同窓会。「『ノーベル賞、どうだ?』と聞いたら『関係ないですから』とさらりと言っていた」という。榎本さんは今春、教員を引退。「引退後の楽しみは、彼がノーベル賞をいつ獲るかだけだった。やっとこの日が来たね」と相好を崩した。


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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
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自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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