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いかにして国際紛争にフェアネスをもたらすか

「晴耕雨読」から転載。
私は言葉の意味や定義が曖昧だから世間の議論が深まらないのだ、という考えの持ち主なので、自分自身がそういう曖昧さを持っている場合は非常に気になる。
ジャスティスよりもフェアネスを、と書かれた下の文章を読んだ時、咄嗟にその違いが自分の中で明確にならなかったのである。
一般的にはジャスティスは「正義」、フェアネスは「公平」で訳されているかと思うが、念のために辞書を引いてみると、
jusutice:正義、公正、公平、正当、妥当、適法(性)、etc
fairnessは形容詞fairの名詞形とだけで、訳語は略されているが、fairの訳語から推定すると「正当、公明正大」などの意味かと思われる。つまり、jusuticeとほとんど訳語は被っているが、「正義」の意味ではなさそうだから、「ジャスティス=正義」「フェアネス=公平」の理解でほぼ良さそうである。
では、正義と公平はどう違うかと言えば、だいたいのところでは、公平とは「平等」あるいは「扱いが平等であること」と理解されるのではないだろうか。正義は「正しいこと」だから、正しい者と邪悪な(間違った)者を平等に扱えば、それは「不正」となるわけだ。
さて、そうすると、対立するお互いが自らの正義を振りかざしていたら、絶対に和解は成り立たないことになるのは理の当然だ、と言えるだろう。下記記事の主張は、まったく正しい、と私も思う。
実際、これまでの国際紛争は、ほとんどがお互いに自分の側の正義を主張してきたのではないか。正義を主張して、それが受け入れられないから戦争に至るわけだ。
だが、問題は、では「正義」ではなく「公平」を、と主張した場合、どのようにそれが具体的に実現できるのか、ということだ。
考えられるのは「国際的な調停機関」を設立し、そこに問題の解決を訴える、というものだろうが、それは既にアングロ・ユダヤがほとんど独占している。最初からアングロ・ユダヤの利益のために作られた国際的調停機関なのだから、ユダヤや白人の利益になるようにしか調停しないのは自明の理である。
さて、この問題の解決のためには、やはり「白人という邪悪な連中とはいっさい付き合わない」か、「アジア大同盟(ロシアを含む)を作る」しかないのではないだろうか。


(以下引用)


2015/11/11

「ジャスティスを論じるよりフェアネスを論じる方が、まだしも和解と平和構築には有効だと思う。」  中東・イスラエル関連
masanorinaito氏のツイートより。

>移民受け入れ「慎重に」=菅長官 https://t.co/8Dk0ACdOCK

慎重もなにも、受け入れていない

>タリバンやISISは、自身のことを正義と考えているのは相当に明確だけど、主語があいまいな日本語のせいで、そのことを佐々木さんがツイートすると、佐々木さんがタリバンを正義とみなすことになってしまう日本語のバグということで今回のところはお願いしますw

余計なことかもしれませんが、ISとタリバンは到底一緒に論じられません。



タリバンは(アフガンの方)はアフガニスタンという地に密着してイスラムによる統治を主張する組織。

ISはどこの土地かはあまり問題にしない自分勝手な理想郷願望の組織。

「ISやタリバンの正義」というけど、どちらもイスラムを掲げている以上、「正義」が彼らの手、或いは人間の手にあるとは考えていない。

正義は神の手にしかないから。

人間なんて、正しい事も間違った事もする。

正邪の判断は神にしか出来ないことは彼らも分かっている。

「正義」を人間の事として論じているのは非イスラム教徒の側で、彼等は善行もしくは悪くない行為だろうと思い込んで勝手な事をしているに過ぎない。

ISやタリバンに「正義」があるか否かという論の立て方自体、彼等にはどうでも良いことであることに気づかないと空中戦は空回り 

タリバンについては、90年代に政権を取ったときの未熟で無慈悲な統治については非難されるべきだが、今、彼等がテロや政府側を攻撃しているのは、ガニ政権が米軍駐留を要請したため。

カルザイでさえ、外国軍が駐留している限りアフガニスタンに平和が実現出来ないことを認めていた 

これは正義の問題ではなく、アフガニスタン政府側が、いわば約束を破ったから。

それに、「正義」を論じている我々の側も、何か大きな力をもった存在が「これぞ正義だ」と言い張るものを「正義」だと思い込んでいることが少なくない。

大国の正義、イデオローグの唱える正義、相手を絶対悪として自らを正義に違いないと思い込むこともそのひとつ 

ジャスティスを論じるよりフェアネスを論じる方が、まだしも和解と平和構築には有効だと思う。

ジャスティスを論じると、何か大きなものの威光を嵩にきて威丈高になりがちなところがある。

パレスチナで、今起きていることも、武器を用いることができる、つまり圧倒的な力の差をもってパレスチナ人を押さえつけるイスラエルには、余りにフェアネスの感覚がない。

それを正義の問題にすり替えることで、和解の道を絶っているのはイスラエルとその支持者達である 

同じことは日本にも言える。

圧倒的な力を持つ国家が、弱い立場にある人間を軽んじる。

国家の論理、大国の唱える正義、官僚の常識、それらが「世間」という曖昧な衣を好き勝手に使って自らの正当化を図る。

あたかも正義が自らの手にあるかのように 

従来、航空機テロは乗客が疑われたが、最近はパイロットが自分で墜落させたり、地上から撃墜されたり。

この上、空港職員も、などとなったらもはや誰も信用できないじゃないか

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