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ユダヤ教徒に問う

カマヤンのツィッターでリツィートされたものを幾つか載せる。
私自身も「反ユダヤ」発言をいつもやっているし、それがユダヤ民族ではなく「白人支配層」批判であると言っても、ユダヤ人全体への迫害につながっている、ということも認める。ただ、「ユダヤ教を信じるものはユダヤ人である」という定義に従うならば、私はあえてユダヤ人批判の側に立つ。
というのも「旧約聖書」や「タルムード」に見られる思想がユダヤ教であるとすれば、これは他民族とは絶対に相容れない思想であるからだ。「他民族はすべて殺すか奴隷にせよ」という思想が、それを主張するユダヤ人以外に受け入れられることは不可能な話ではないか。自分から進んで殺され、奴隷になりたい者がどこにいるか。
おっと、日本人はそうなのかもしれない。(笑)
ユダヤ教徒が世界に受け入れられることを望むなら、まず、「タルムード」の内容をすべて公開し、それについての外部からの疑義に対して誠実に答え、あるいはタルムードの教義を自ら否定しなければならないだろう。それで初めて、ユダヤと他民族の共存が可能になる。



(以下引用)




外教 @yuantianlaoshi  

  1. 小林よしのりやネトウヨの本質は70年前のサルトルにとっくに喝破されてた。 「数の問題じゃないんなら東京で中国人が日本人を一人殺したら東京大虐殺でいいよな」みたいなバカを大量に生み出した責任が、小林よしのりにないとは言わせねえよ。
  2. Retweeted by カマヤン1192
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  2. サルトル「反ユダヤ主義者は話を弄ぶ事を楽しんでさえいる。なぜなら、滑稽な理屈を並べる事によって話相手の真面目な調子の信用を失墜出来るから。彼等は不誠実である事に快感を感じているのである。問題は、正しい議論で相手を承服させる事ではなく、相手の気を挫いたり戸惑いさせたりする事だから」

    Retweeted by カマヤン1192
(追記)「阿**」で紹介されたことのあるタルムードの一部をここに転記しておく。これだけでもその思想の性格は十分に分かるだろう。もし、ここに書かれた内容が嘘だとユダヤ人が言うなら、タルムード全巻を公開すべきである。



   ゴイム・異邦人・偶像崇拝者

●なんじらは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。(ババ・
メチア、一四六の六)。
●汝等イスラエル人は人間なれど、他の民族は人間に非ず。彼等の魂穢れし霊より出
でたればなり。<メナヘム・ベン・シラ法師>
●イスラエル人は人間と呼ばる。しかれども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものな
れば、豚と呼ばるるなり。<ロイベン法師>
●イスラエル人はアダム(人間)と呼ばれん。然れど他の諸族はアダムと呼ばるるこ
となし。<アブラハム・ゼバ法師>
●悪魔と世界の諸民族とは、畜獣に数えらるべきなり。<ナフタリ法師>
●犬は異邦人より勝れたるものなり。<アシ法師>
●聖書に「隣人」と記されたる個処はいづれも非ユダヤ人を含まざるなり。(「シュ
ルハン・アルフ」の注釈書より)
●神を畏るる者は悪しき人(非ユダヤ人)を憎まざるべからず。<ゲルソン法師>
●レビ記十九章十一節には、汝は汝の隣人に不法を為すべからず、と記されたり。こ
の文句は、ゴイ(非ユダヤ人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。
<モシェー・バル・マエモン>
●ゴイが住んでいる家を見て、人はこう言った。〝神は傲慢の家を亡ぼすだろう〟。
そして家々が亡ぼされたのを見て人は言った。〝復讐の神が顕現されたのだ〟(バビ
ロニアン・タルムード、ベラチョット、五八の六)。
●汝殺すなかれ、との掟は、イスラエル人を殺すなかれ、との意なり。ゴイ、ノアの
子等、異教徒はイスラエル人にあらず。<モシェー・バル・マエモン>
●神はイスラエル人を審くには立ちてなし、尋問も簡単にして速かなり。世の諸民族
を審く時は坐して、嚴格に長々と取調べをなす。<ラバ・バル・ナハマニ法師>
●「世界はただイスラエル人のみの為に造られたり。」この文句は極めて明瞭なれど、
人々はこれをなほよく熟考しまた味うべきなり。イスラエル人に掟の与えられし時、
イスラエル人はその掟によりて種々の美点をことごとく保持せしが、他の民は掟を受
入れざりしによりこれ等の美点を全く有せざるなり。<アブラハム・ゼバ法師>
●イスラエル人は、他のすべての民に対し優越する者なり、他の諸族の中には賢く利
き者唯一人も居らざるに、イスラエル人にあっては全部が特に賢く利き人間なり。
<アブラハム・ゼバ法師>
●一人のイスラエル人の魂は神の前において他の民族全部の魂より価値多く、また神
によって悦ばるるところのものなり。<シェフテル・ホルヴィッツ法師>
●ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが、ユダヤ人が
ゴイを殺すも責めは負わず。(前掲書、Ⅷの五)
●悪しき者(非ユダヤ人)を憐むことは、正しき者(ユダヤ人)に相応わしからぬな
り。<ゲルソン法師>
●ユダヤ人も非ユダヤ人の判断に信を置く事を、非ユダヤ人をして知らしむべからず。
(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。<モシェー・バル・マエモン>
●拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は、ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにし
て、ゴイに対しては然らず。この事に就き亡き吾等の教法師達の言えるあり。即ち、
「遺失物とはすべて汝の兄弟の失いしところの物を指すものにして、ゴイの失える物
は然らず。その理由は、ゴイは神に属する者に非ずして、地の邪神に属する者なる故
なり。故にゴイの失える総べての物は、此の世にては再び見付けらるる事なき遺失物
にして、その所有者に還るべきにあらず。財宝は唯イスラエル人にふさわしく、他の
民はこれに値いせざるものなればなり。これ預言者イザヤ(二六ノ一九)の言えるが
如し」と。<ゲルソン法師>
●ゴイの耳は不潔である。かれらの浴槽、住居、田園は不潔である。(トセフタ・ミ
クワト、vの一)
●九歳と一日以上のゴイの少年と、三歳と一日以上の少女は、不潔とみなされる。
(パーフォコヴィッツ、タルムード、t・v、一一頁)
●他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの
遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。(シュルハンアルクのシ
ョッツェン・ハミッバッド三百四十八)
●ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には、その責任を負うべきであるが、ユダ
ヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。(トセフタ、アブダ・ザラ
八の五)
●〝盗賊〟という言葉の解釈。ゴイは、ゴイからであろうとユダヤ人からであろうと、
盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。だが彼(ユダヤ人)はゴイに禁じ
られているこれらのすべてのことを為しても禁じられない。(トセフタ、アボダ・ザ
ラ、Ⅷの五)。
●安息日には非ユダヤ人の焼きたるパンを食すべからず。非ユダヤ人に公衆浴場を貸
すべからず。(シュルハン・アルフ、第一巻生存の道)
●すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を
屠ることを許さる。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●ユダヤ女を求め得る場合には、異邦女の乳を幼児に吸わしむべからず。異邦女の乳
は心眼を閉ざし、悪しき性格を形成するが故なり。(シュルハン・アルフ、第二巻智
慧の教)
●偶像礼拝に帰依せる非ユダヤ人及び賎しき牧人はこれを殺すことを許さず。されど
彼等が危険に面しまた死に瀕せりとて彼等を救うことは許されず。例えば彼等の一人
水に落ちたる時、報酬ある場合と雖も彼を救い上ぐべからず。また彼等を瀕死の病よ
りも癒すべからず・・報酬ある場合と雖も。しかれども吾等と彼等の間に敵意の生ず
るを防止する為ならば、報酬無き場合にも彼等を救出しまた癒すことを許さる。しか
れども偶像を拝む者、罪を犯す者、掟と預言者を否む者は、これを殺すべし。而して
公然と殺すを得ば、その如くなせ。しかするを得ざる場合には、彼等の死を促進せよ。
例えば彼等の一人井戸に落ちたる時、その井戸に梯子あらば、これを取去り、直ちに
再び持来るべしとの遁辞を用い、かくすることにより落ちたる者の身を救い得べき道
を奪うべし。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)


●アクムと奴婢の死はこれを悼むことなかれ。彼等の葬式の列に加わる事なかれ。
(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●無事平穏のためならば、非ユダヤ人死者を葬い、その遺族を慰問するも差支えなし。
非ユダヤ人の墓所は祭司を汚れしむる事なし。然れども彼処に赴かざる方更によし。
(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●レビ記十九章十三節には、汝は汝の隣人に不法を為すべからず、と記されたり。こ
の文句はゴイ(非ユダヤ人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。
<モシェー・バル・マエモン>
●非ユダヤ人の証人たることろの証書はすべて無効なり。(シュルハン・アルフ、第
三巻正義の楯)
●成人せる非ユダヤ人奴隷は、牧者なき家畜の如し。(シュルハン・アルフ、第三巻
正義の楯)
●總べてゴイは月經時の子にして、根絶さるべきものなり。<ベハイ法師>
●キリスト教徒は異教徒なり。<アバルバネル法師>
●改宗してユダヤ人となれる者は、同様にユダヤ教に改宗せるその母あるいは伯母と
婚姻するも差支えなし。改宗者は新たに生れたる者と見做され得る故なり。(シュル
ハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●二十四項の罪あり。これに触るる者は除名さる。例えば第八項、その地所を非ユダ
ヤ人に売りたる者、第九項、非ユダヤ人法廷においてその隣人(即ちイスラエル人)
に対し不当なる証言を為せる者、等。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●非ユダヤ人及び奴隷も証言を為す資格なし。敵・混血児・裏切者・自由思想家・変
節者(背教者)、キリスト教の洗礼を受けたる者はゴイ(非ユダヤ人)より更に悪し
ければ、同じく証言を為すを得ず。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
●他の宗教に改宗したる者は、盗賊になりたると等し。(シュルハン・アルフ、第三
巻正義の楯)
●神を拜せざる者の齒は三度毀たるべし。すなわち、一度はこの世において、次はメ
シア來る時において、然して最後には來世において。然もイスラエル民族を喰う者の
歯は、二十二エレの長さに伸ぶべし。<アキバ法師>
●汝知るべし、イエスの教に從がいて迷えるキリスト教諸國民は、その信仰には種々
あれども、ことごとく偶像礼拝者なり。故に彼等は偶像礼拝者相応に扱わるべし。こ
れタルムードの説くところなり。<モシェー・バル・マエモン>
●汝殺すなかれ、との掟は、イスラエル人を殺すなかれ、との意なり。ゴイ、ノアの
子等、異教徒はイスラエル人に非ず。<モシェー・バル・マエモン>
●ゴイ、計算をなして過つ時は、イスラエル人は、我知らず、と言え。しかれどゴイ
をして過ちをなさしめんとするはよからず。ゴイ、イスラエル人を試みんとて故意に
過ちをなすことあればなり。<モシェー・バル・マエモン>
●第五十の誡は、偶像礼拝者を憫む事を堅く禁ず。<モシェー・バル・マエモン>
●惡しき者(非ユダヤ人)を憫むことは、正しき者(ユダヤ人)に相應はしからぬ事
なり。<ゲルソン法師>
●決して偶像礼拝者と事を共にするなかれ。また彼等を憫むべからず。その故は、申
命記七章二節にその如く記されたればなり。故に非ユダヤ人が生命の危険に瀕するか、
あるいは河に溺るるを見るとも、これを救助することは許されず。<モシェー・バル・
マエモン>
●神を畏るる者は悪しき人(非ユダヤ人)を憎まざるべからず。<ベハイ法師>
●偽善はこの世においては許さる。すなわち、背神者に対し慇懃になし、彼等を敬い、
彼等に向いて「我汝を愛す]と言うもよし。すなわち、必要上止むを得ざる場合、恐
怖に驅られたる場合は然り。<ベハイ法師>
●聖書に「隣人」と記されたる個処はいずれも非ユダヤ人を含まざるなり。(「シュ
ルハン・アルフ」の註釋書より)
●總べてこれ等の條項(三十箇條のユダヤ信仰箇條)を信ぜざる者は異教徒なり。故
にかかる者を憎むは吾等の義務にして、彼を賎しみ、出來得べくんばその亡ぼしまた
根絶するは當然の事なり。<アバルバネル法師>
●キリスト教徒は異教徒なり。彼等、神は血と肉なりと信ずる故なり。<アバルバネ
ル法師>
●キリスト教徒は偶像禮拜者なり。彼等十字架の前に跪く故なり。<キムヒ法師>
●カトリック教司祭が手に持つ銀の十字架及び香を焚く香爐は偶像礼拝に属するもの
なり。<アシェル法師>
●他の諸族はイスラエル人と同じ姿を有すれども、真の人間に比ぶれは模造に過ぎず。
彼等は、ダニエル書四の十四・十七に記されたる如く、劣等なる種類の人間なり。こ
れに対しイスラエル人はアダム(人間)なる語の真の意味における高き価値ある人間
にして、この故にまた単に人間とも呼ばるるなり。<シメオン・ハダルサン法師>
●平穩無事を希う為に涜神者を慇懃に遇する者も、彼に関し善き事を語るなかれ。ま
た鄭重なる態度を示す際にも、注意して涜神者を真に尊敬するものなりと人々の信ず
る事なきよう心せよ。一般に慇懃を示す際には、その者の真の功績の故にあらず、彼
の富すなわち彼の幸運の故にかく為すというが如くせよ。然しいずれにせよかかる事
は罪にして、涜神者に慇懃になす事は、涜神者勢力を得て我々を害しあるいは我々に
損害を与うる恐れある場合のみに許さるるなり。ただし人間(ユダヤ人)の問題にて
涜神者を襃め、彼に関し善き事を言うべからず。(フランクフルト・アム・マイン發
行文書、一八六七年)
●偶像礼拝者は畜獣と呼ばるべきものにしてただ最広義においてのみ人間と呼ばれ得
るに過ぎず。<ロイベン法師>
●イスラエル人は人間と呼ばる。然れども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものなれ
ば、豚と呼ばるるなり。<ロイベン法師>
●割礼を受けずまた安息日を守らざる者は人間に非ず。<ロイベン法師>
●偽善はこの世に於ては許さる。即ち、背神者に対し慇懃に為し、彼等を敬い、彼等
に向ひて「我汝を愛す」と言うもよし。すなわち、必要上止むを得ざる場合、恐怖に
駆られたる場合は然り。<ゲルソン法師>

     財産と所有権

●非ユダヤ人はイスラエル人の財産に対し所有権を有せず。(シュルハン・アルフ、
第三巻正義の楯)
●ゴイの財産は主なき物品のごとし。(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパ
ット、一一六の五)。
●ゴイの土地は荒野のごとし。最初に鍬を入れた者に所有権が帰する。(ババ・バト
ラ、一四のb)。
●ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは
金を持つべきではなく、持てば神の名において不名誉となるだろう。(シュルハン・
アルーフ、コーゼン・ハミズパット、三四八)
●ノアの息子は小銭たりとも盗めば死罪に処せらるべきであるが、イスラエル人がゴ
イに損害を負わせることは差支えなし。なんじの隣人を傷つけるなかれとは書いてあ
るが、ゴイを傷つけるなかれとは書かれていない。(ミズナ、サンヘドリン、五七)。
●ゴイの失せ物を見付けた者は自分の所有にしてはならないが、[ユダヤ人が]ゴイ
に返すことは禁じられている。(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、
二六六の一)。
●ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取るべからず。唯アクムよりのみこれを取るべし。
而してかかる取引は使者をしてこれをなさしむべし。使者ならば、かく為しても、罪
を犯したるには非ずして、戒律もまた遵守されたるなり。(シュルハン・アルフ、第
二巻智慧の教)
●タルムードの誡において神は命じて曰く、ゴイに金を貸すには必ず高利を以てすべ
し、と。これ、彼等が借りたる金により利する事なからんため、かつまた、我等が金
錢にて彼等に助力を與うることなく、むしろ損害を與えんがためなり。<モシェー・
バル・マエモン>
●拾得物をゴイに返却せんと思うは罪なり。コイの紛失せる物は、これを己が所有と
なすも差支えなし。「汝の兄弟の物は総べてこれを返却せよ」とタルムードに記され
たる故なり。然るにゴイは兄弟に非ざる故に、拾得物を彼に返却する者は罪を犯すな
り。<モシェー・バル・マエモン>
●葡萄園にて草食う牛を発見せし人は、それを所有主に牽き行くべし。但しその葡萄
園が非ユダヤ人の所有なる時は、かく為すに及ばず。(シュルハン・アルフ、第三巻
正義の楯)
●非ユダヤ人が平常居住徘徊する場所において遺失物を発見せし時は、これを返却す
るに及ばず。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
●非ユダヤ人の失いたる物は、拾得者これを己が許に留め置くべきのみならず、返却
することを禁ぜらる。その理由は、申命記の二十二章一節には「汝の兄弟の失いし物
は返却すべし」とあればなり。但ししばしば非ユダヤ人の物を返却し、あるいは盗難
より免れしむるを要する場合あるも、そは無事平穏を期する時のみなり。(シュルハ
ン・アルフ、第三巻正義の楯)
●拾得物をゴイに返却せんと思うは罪なり。ゴイの紛失せる物は、これを己が所有と
なすも差支えなし。『汝の兄弟の物は總べてこれを返却せよ』とタルムードに記され
たる故なり。然るにゴイは兄弟に非ざる故に、拾得物を彼に返却する者は罪を犯すな
り。かくなすによりこの世の神を拜せざる者の勢を再び増すが故なり。<モシェー・
バル・マエモン>
●拾得物を紛失者に返却すべしとの誡は、ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにし
て、ゴイに対しては然らず。<ベハイ法師>
●獣は非ユダヤ人の所有にして、積荷はイスラエル人の所有なる時は、手を貸すべか
らず。然れども、若し牛がイスラエル人の所有にして、積荷が非ユダヤ人の物なる時
は、これを助くべきなり。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
●アクムに負債あるイスラエル人は、そのアクム死し、その事に就きて知れるアクム
無き時は、その嗣子に支払をなす義務なし。イスラエル人が非ユダヤ人に改宗せる時
も、彼はその親戚の相続者たり得べし。イスラエル人はまた背教者なる親戚の相続を
もなし得。また夫は背教者なるその妻に代りて相続をなし得べし。(シュルハン・ア
ルフ、第三巻正義の楯)
●非ユダヤ人より盗みたる物を用いて女と婚約するは差支えなし。(シュルハン・ア
ルフ、第四巻救いの岩)
●アクムに対しては詐欺は成立せず。レビ記十九章の十一節に「己が兄弟(ユダヤ人)
を欺くべからず)とあればなり。然れどもアクムにしてユダヤ人を欺ける時は、詐取
せる所のものを我等(ユダヤ人)の法律に従って返さざるべからず。アクムにしてユ
ダヤ人よりまされる扱いを受くる本なからん為なり。(シュルハン・アルフ、第三巻
正義の楯)
●ユダヤ人にしてアクムより盗みをなしたる時、もし誓うことを強制さるるならば、
彼はその心の中にて、その誓の無効なることを宣言すべし。そは強いられたる誓なれ
ばなり。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●ゴイに向って誓いを立てた者は、盗賊であれ税吏であれ、責任を取らなくてよい。
(トセフタ・スゼブノット、一一)
●結婚、誓約、約束を取り消すには、ユダヤ人はラビの所に行かねばならぬが、ラビ
が不在の場合は、他のユダヤ人を三人呼び集め、かれらに残念ながら取り消すと言え
ばよい。そうすると三人は〝なんじは許された〟と言う。(シュルハン・アルーフ、
二、一の二四七)

     律法と秘密

●ゴイにわれらの信教を教える者は、ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれら
の教説を知ったならば、かれらは公然とわれらを殺すだろう。(リブル・デヴィッド
の書、三七)

















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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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