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行蔵は我にあり。褒貶は他人のこと。

竹熊健太郎ツィッターから転載。
私も、「氷川清話」は大好きで、私自身の「アジア協調主義」は、勝海舟の考え方の影響を受けているのかもしれない。こうした勝海舟の思想がアングロユダヤ連中(白人支配主義者)から煙たがられるのは当然で、勝海舟へのステマ的悪評(明治維新で生き延びた人間が、自分を偉そうに見せるために法螺を吹いているだけだ。云々)は、そこから出ているのかと思われる。
当時から、福沢諭吉(当時のグローバリスト。私は彼の「福翁自伝」などは最高に面白いとは思うが、白人支配の片棒担ぎであったことは否めないだろう。)などを筆頭に、勝海舟への悪口は沢山あったようだが、福沢諭吉が、勝批判の評論を雑誌に載せていいか、と勝自身に(間接的にだが)聞いたとき、勝は「ご勝手にどうぞ」と答えた。その時の言葉が、私は大好きだ。それは

「行蔵は我にあり。褒貶は他人のこと」

というものである。「行うか行わない(蔵する)かは私だけの問題だ。それを勝手に褒めようがけなそうが、私自身とは無関係な話である」ということだ。



(以下引用)



竹熊健太郎《一直線》 @kentaro666 10時間前

  1. (続き)つまり欧米人がわからないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりをやるに限るよ。一体支那五億の民衆は日本にとって最大の顧客さ。」 この勝海舟の晩年の発言を読んで、私は驚愕しました。こういう人を本当の政治家というのでしょう。大局観が今の政治家とはまったく違います。
    1. 勝海舟「氷川清話」より。「日清戦争には、おれは大反対だったよ。なぜかって、兄弟喧嘩だもの犬も喰わないじゃないか。たとえ日本が勝ってもどうなる? 支那はやはりスフィンクスとして外国の奴らはわからぬに限る。支那の実力がわかったら最後、欧米からドシドシ押し掛けてくる。(続く)
  1. . 勝海舟が晩年に『氷川清話』で語っていたように、日本が欧米を真似て大陸侵略の愚挙に出ず、むしろ経済協力関係を築いていれば、世界史はガラリと変わっていたと思いますよ。原爆を落とされることもなかったでしょう。


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