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これからの人間の生き方

「ヤタ烏ーメンタルヘルスの罠」というブログから転載。(「ヤタ」は漢字だが、一発変換できないので、カタカナで代用。)
現代人は自分のメンタルヘルスをどのようにして守るのだろうか。昔は、宗教か哲学に頼るしかなかったし、基本的には「個人的に悟る」以外に方法は無かったと思うが、現代では精神分析医やら心療内科医やらに頼る、というのが多いのではないか。そして、麻薬同様の向精神薬(単に「精神薬」でもいいのだろうか?)を処方され、永続的な精神病患者になるわけだ。何しろ、精神病は完治しない、と私の知っている精神科医は言っていたくらいである。
ちょっとした精神の不調は精神病ではない。思春期の若者は大半が精神病に近い精神ではないか。それこそが思春期の特徴であり、思春期に一度も自殺を考えなかった人間の方が珍しいだろう。(あるいは他人を殺したい、と思ったことのない若者はいるまい。)
下の記事に書かれた内容は、特に今の時代を生きていく知恵に満ちている。
これこそがまさに「本物のメンタルヘルスの処方箋」である。

なお、私自身は「青春期における自殺の誘惑」が甚だしかったのだが、ドストエフスキーの作中にあった「最後まで耐え抜いた者は救われる」という言葉が私を生かしたのだと思う。シニカルに言えば、「最後まで耐え抜いた」なら「救われる」のが当然ではあるのだが、(「生きたまま救われる」とは言っていないww)、こういうたった一つの言葉を知っているだけでも人間の生死が分かれることもあるものだ。



(以下引用)(ブログの存在は孔徳秋水氏のツィートで知った。)

創造する幸せ


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現在の我々の幸せは、大部分は消費する幸せだ。
モノであれサービスであれ、誰かの用意したものを消費して幸せを感じる。
豊かになる過程で、それは日本人のDNAに埋め込まれたかのようだ。
生活スタイル、幸せの結婚の形、子育てにおいても、さらには何が悲しいか、何が楽しいかさえも、
ほとんど誰も実証することなく、他者から与えられたこうあるべきみたいな価値観を信じている。

娯楽も消費型だ。
ディズニーランドなんてものはその極み。
誰かの用意した夢の国をバーチャル体験して喜ぶ。
なんとB,zの歌詞は、小学校5年生に理解できるものにしているそうだ。
大人にしか分からないような粋な歌詞はヒットしないというのがその理由だ。
この国の大人は小学校5年生程度の教養で十分ということか。

近年では、中国の人たちが、日本の観光地に押しかけ、免税店に群がる。これはいつか見た光景だ。
そこの人々と触れ合うことや文化を知ることよりも、そこに行った証拠写真やお土産の方が重要。
異文化を知ることよりも、周囲にお金を使うライフスタイルを自慢するためである。
狭いが建売のマンションや一戸建てに住み、車に乗り、おしゃれなレストランで食事をし、年に一度の海外旅行とディズニーランドに行く。
我々にとって、消費することが幸せだったのだ。

しかし、時代は少しずつ変化している。
それはやはり若い人たちから変わってきた。
動画サイトの投稿では限りなくプロに近い独創性を持つコンテンツを発信する人が現れたり、
マスコミには乗らないご当地アイドル、日本ではほとんど知られていないが、海外で活躍する日本人アーチストや料理人。
若い人たちの田舎回帰の傾向など。
洋服も自作する若者も増えた。若い人には金が回ってこないから、工夫して楽しみ方も変わってきたのだ。
私はそれを見て焦りさえ感じる。

こちらは、創造する幸せである。

大量生産、大量消費の文化は、大企業や金融資本主義にとってはなくてはならないものだ。
その文化においては企業とは成長しなければならないもの。
金融システムもそれに合わせて出来ている。成長しない企業はダメ企業なのである。
製薬会社が、なぜあれほどの悪事を働くか?
理由の一つは、彼らが株主のために利益を上げ、成長することを義務づけられているからである。

なぜ、こんな話をするのかというと。

消費する幸せに固定化された価値観が、その人の回復の大きな邪魔になることをひしひしと感じjるのだ。
他者から与えられたものを消費する幸せを得るには、それなりの金やポジションが必要なのだ。
そして、消費する幸せを実感するには、なにより優越感がいる。
勝ち組のレールから滑り落ち、人生の幹となる20代、30代を失った人々にはそれは至難の業だ。
その嘆きの多くは、消費する幸せを失ったことではないのか?
優越感を実感することが幸せと感じるなら、回復の選択肢は異様に狭まる。
それでは、他者からの眼差しを解除することなどできない。
苦しいだけである。

怒りや悲しみを消すためのてっとり早い方法は、この競争から、他者と比較する習慣から降りることだ。
消費する幸せを失ったからといって悲観する必要は本来ないのだ。
今度は、創造する幸せを求めればよい。

生活保護から焦って抜け出る必要もない。まずは小さな創造する幸せを得ることだ。
誰かのための料理を作るだけでも良い。皆で行くピクニックのお弁当を全員分用意するとかね。
小さな畑で、何か食材を栽培することでも良い。お弁当の材料に提供すれば良い。
売り物じゃないから、プロになる必要などない。
そこから、新たな好循環が始まる。人が大勢集まればそこに仕事は生まれる。
なにより、そこには明確な役割がある。そして何より楽しいのだ。

一旦、創造する幸せを知ったならば、消費する幸せになど戻れない。
消費する幸せは壊れやすいが、創造する幸せは実に耐久力がある。
さらに、生活コストも安い。何しろ消費しないのだから。
そこまで来れば、優越感に満ちた消費の勝ち組の眼差しは気にならなくなる。
子供を生まなくて何が悪い。
金が稼げなくて何が悪い。
大学行かなくて何が悪い。
本来、幸せは本人が噛みしめるもので、自慢するものでも卑下するものでもない。

自給自足のエコライフが良いと言っているのではない。
消費時代に築いた社会インフラは、我々に新しいチャンスを与えてくれている。
驚くほど低コストの、創造出来る環境も、社会への発信手段も揃っている。
あとは、自分でやってみるだけだ。
どうせ、落ちたのだから、ここらで考え方を変えてみないか?

新たな消費需要の見込めないこの国で、いつまでも成長を前提としたシステムが継続できるはずもない。
800万戸の空き家があるこの国で、住宅価格の下落は避けようもない。
デフレの本番は人口減少が始まるこれからである。
限界を迎えた成長を前提としたシステムを強引に続けようとするなら、結果はいずれハードランディングとなる。
維持しようとするなら、弱者への搾取を強める以外の方法はない。
錬金術を使えば使うほど、金そのものの価値は下落する。
最悪のシナリオは、ハイパーインフレか戦争である。

最悪の事態を想定しても、創造する幸せをもつ人々の方がはるかに有利なのは間違いない。
金の価値は変動するが、その創造価値そのものはあまり変動しない。
自分で出来るものは自分でやる。
どうしても、自分で出来ないものだけ他者から購入(消費)する。
つまり、自分で出来るものが多い人ほど有利ということだ。

自分の強みを生かした生活を試みること。
それがストレングスモデルの基本である。
過度の役割分担を排し、過度の効率化を排する。
考え方次第で、幸せの選択肢は大きく広がる。

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HN:
酔生夢人
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職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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