「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」というマリー・アントワネットの言葉は捏造らしいが、ほぼ永遠に残る名言だろう。つまり、上級国民の下級国民生活への無知と同情心欠如、愚昧さの象徴だが、これを逆転させれば、下級国民の生活の知恵になる。
つまり、我々の生活は自分でも意識しない「実は代替可能な」贅沢品が周囲にあるのではないか、ということだ。
私など、最近のコーヒーの不味さに辟易して、いっそコーヒー中毒をやめようかと思っているが、これは麻薬をやめるより難しい。何であれ常習性のあるものは麻薬的なのである。
しかし、「逆アントワネット」哲学で、「コーヒーが無ければお茶を飲めばいいじゃない」と考えれば、「哲学的に」あきらめることができそうな気もする。さらに、お茶の葉も案外高いので「お茶が無ければ水を飲めばいいじゃない」とも言えるし、水道料金が高いとか薬品などの混入物が不安なら「水道水がダメなら雨水を飲めばいいじゃない」となり、資本主義社会は崩壊するwww
まあ、最後のあたりはもちろん冗談だが、「お米が無ければパスタにすればいいじゃない」は既に多くの家庭でやっているだろう。つまり、米作産業自体が崩壊する危険は目前なのである。
これが「物価高騰を放置する」ことの結果である。
ちなみに、電力料金高騰で多くの家庭が電気代節約をやっていることが、私の早朝散歩の時、常夜灯をつけている家が半減、いや、それ以下になっていることで分かる。
つまり、我々の生活は自分でも意識しない「実は代替可能な」贅沢品が周囲にあるのではないか、ということだ。
私など、最近のコーヒーの不味さに辟易して、いっそコーヒー中毒をやめようかと思っているが、これは麻薬をやめるより難しい。何であれ常習性のあるものは麻薬的なのである。
しかし、「逆アントワネット」哲学で、「コーヒーが無ければお茶を飲めばいいじゃない」と考えれば、「哲学的に」あきらめることができそうな気もする。さらに、お茶の葉も案外高いので「お茶が無ければ水を飲めばいいじゃない」とも言えるし、水道料金が高いとか薬品などの混入物が不安なら「水道水がダメなら雨水を飲めばいいじゃない」となり、資本主義社会は崩壊するwww
まあ、最後のあたりはもちろん冗談だが、「お米が無ければパスタにすればいいじゃない」は既に多くの家庭でやっているだろう。つまり、米作産業自体が崩壊する危険は目前なのである。
これが「物価高騰を放置する」ことの結果である。
ちなみに、電力料金高騰で多くの家庭が電気代節約をやっていることが、私の早朝散歩の時、常夜灯をつけている家が半減、いや、それ以下になっていることで分かる。
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