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「裁判で金儲け」は米国だけの話にしておけ

「逝きし世の面影」より転載。
最高裁まで行ったなら、その間の訴訟費用(弁護士費用など)も結構な金額に上っただろう。訴えた側も訴えられた側も大損である。これが裁判というものだ。
こういう場合は、訴えられた側が、訴えた側に損害賠償を求めるようにすべきではないか。裁判にかかった費用、かかった時間、心労、社会的不名誉など、相手に逆に「1000万円」を請求してもいい。
そもそも、宗純氏が言うように、この事件でボールを蹴った少年の家族を訴えること自体が理不尽そのものであり、それが一審二審では有罪判決を受けたということは狂気の沙汰だ。(日本の司法関係者というものが阿呆であり無責任であることがよく分かる。)罪があるなら、これも宗純氏が言うようにボールが校庭外に出ないようにネットを高く張らなかった学校側にある。訴えた家族側がそれに思い至らなかったとは考えにくいから、この訴訟は「金の取れそうなところから取ろう」という意図ではなかったか、というのは私の邪推か。
そもそも、80歳の爺さんなど、生きていても家族のお荷物以外の何物でもないだろう。まあ、1年半の看護をさせられたことや看護費用がかかったことへの不満はあるにせよ、どうせ近いうちに死ぬはずの存在だったのだから、そのきっかけとなった「サッカーボール」を蹴った少年やその家族から1000万もむしり取ろうというのは頂けない。家族は謝罪したのだから、それで終わりにすべきである
要するにこれは、道をバイクで走っていたら野良猫が横から飛び出して、驚いて転倒して大怪我をしたのと何も変わりはしない。その猫を裁判にかけようという馬鹿はいないだろう。それが飼い猫なら、えたりかしこしと飼い主を裁判にかける人間もいるわけだ。
この事件の教訓は、学校でサッカーなどするな、させるな、ということか。(笑)



(以下引用)



『謝罪と賠償は二つで一つのセット』

小学校校庭でサッカーの練習をしていた少年のけったボールが裁判になり一審でも二審でも少年の親の監督責任が問われ、1000万を超える賠償請求で最高裁まで行ったが逆転で『責任は無い』となる。
この損害賠償で、小学生の当人も親も謝罪の気持ちを表明した事実ですが、これは単に日本人だからですよ。自分の子供に『先ず謝りなさい』と教育するのが日本国なのである。
日本人では相手がエライ剣幕で怒っていれば当然謝罪して丸く収めようとする。
ところが、世界基準では謝罪すれば自動的に『責任を認めた』事になり、それなら損害賠償は当然なのです。
謝罪と賠償は二つで一つのセットだから外国人では日本人のように軽々しくは絶対に謝らない。
また隣の家に遊びに行き自分の不注意で転んで怪我をしたら、莫大な損害賠償を請求して裁判に訴えるのもアメリカでは常識でも、日本人は行わない。
サッカーボールの因果関係は、少年のけったボールはゴールの上を越え、校庭の閉じられた約1mの門扉を越え、幅約2mの側溝の橋をころがって、公道に出た。
そこへ80代の男性が運転するバイクが通りがかり、よろけて転倒した。
骨折した男性は、寝たきりとなり、約1年半弱で死亡した。
小学生のボールと死亡との因果関係は『風が吹けば桶屋が儲かる』ほどではないが、可也低い。
元外科医の渡辺諄一が昔『植物状態での患者の寿命は2年程度だが、これは患者の体力が2年で尽きるのと意味では無くて、看護する家族の体力とか気力が2年程度で尽きるから』との恐るべき裏側を指摘していた。
痴呆で寝たきりの80歳の介護も同じ意味で、最大2年程度だったと考えられるのです。
それに、今回一番違和感が有るのは、もしもボールと死亡に因果関係が有るとして、問われるべきは、
サッカーゴールにボールを蹴った過失も違法性も無い子供では無くて、1.3メートル程度の低いフェンスしかない学校の設備ですよ。
何故損害賠償を学校側の管理責任を問わなかったのかが不思議です。
多分、学校側は謝罪しなかったが、小学生側は謝ったので、それで子供とその親に莫大な額の損害補償を要求したのでしょう。

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