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駄弁撒き散らし授業(講義形式授業)と「書写」中心授業の優劣

最近はお気に入り動画を転載するだけで、それに関する説明や意見すら書かず、他の部分は日本人(バカ国民)を罵倒するだけのブログと化している孔徳秋水氏のブログだが、少し面白い部分があったので、転載する。
秋水氏は学校側(教師)のこの試みを馬鹿にしているが、私は素晴らしい手法だと思っている。なぜなら、「書写」というのは日本の古来からの学習手段で、その効果の高さは昔の日本の教養人(森鴎外や夏目漱石など)の教養水準の高さで示されているからだ。
書写するには、まずその対象となる文章を読むことが必要だ。読めば、その内容を考えるのが自然の成り行きであり、そして書写という行為によって、対象となる文章が無意識の中に刻みこまれる。現代人が多くの事柄を知るとほとんど同時に忘却することと比較して、書写の効能が高いことは理の当然ではないか。
まあ、黒板に教師が汚い字で書いた板書(内容は、虎の巻の一部)を短い時間で書き写させるよりは、はるかに有益な方法だろう。板書事項は「要点」であり、説明抜きだとほとんど無意味なのである。教科書の文章は、ちゃんと一貫性のある文章だ。そこが全然違う。
三流高校は、試みに「講義だけの授業」を廃止して、「書写」に時間の3分の2を使い、残り3分の1を教師への質問に使ってみたらいい。おそらく、それだけで生徒の学力は五割増になるだろう。ちなみに、私は理科や社会科の教科書を真面目に読んだこともない。しかし、「書写」が義務だったら、たぶんまともに読んで、引っかかる部分は考え、そのうちかなりの部分を自分の脳内の血肉にしていただろう。

(以下引用)



とある高校で、赤点生徒の補習の課題が「教科書の丸写し」だった。


 


あまりにも非生産的で教育効果もないので、ちょっと内容を変えてみた。


 


すると、ちょっと変化があったのだ。


 


だが、その試みは「親からの苦情」で潰えた。





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