私は幾つかの本を並行して読む習慣だが、今読んでいるひとつにエラリー・クイーンの「災厄の町」がある。おそらく、下に書いてある「後期クイーン(的)問題」の事例になる作品だと思うが、前半は実に退屈(事件が起こるまでが長い)だが、終盤はなかなか面白い。で、もう8割くらい(390ページ中329ページまで)読んだのだが、事件の真相も真犯人もまだ私には分からない。まあ、あまり考えてもいなかったので、後で推理(妄想)してみる。
ちなみに、私はエラリー・クイーンファンではなく、「Yの悲劇」は大傑作だと思うが、「国名シリーズ」の多くは「トリックのためのトリック」、つまり、無理なトリックが多いと感じるし、描写も雑に思える。そもそもエラリー・クイーンという主人公に私はまったく魅力を感じない。アメリカ的な主人公というのは推理小説になじまない気がする。つまり、考えるより行動しろ、という脳筋がアメリカ人ではないかwww
警察にしても、相手が黒人などならまず犯人(らしき人物)を射殺してから「証拠」らしきもの(射殺の言い訳)を探すか捏造するのではないかwww
なお、単なる娯楽小説でも、時々思わぬ知識が得られて知的利益になる。
この「災厄の町」だと、
・「アメリカンビューティ」は薔薇の品種であること。(映画の「アメリカンビューティ」の中に、女の子が薔薇の花びらをたくさん浮かべたバスタブに入る場面があったと思うが、それと関係があるか。)
・「ローマンホリディ」には「他人の苦しみを見てよろこぶ娯楽」の意味があること。(古代ローマの市民が剣闘士の生死の戦いの観戦を娯楽とした習慣からだろう。映画「ローマの休日」で、マスコミが王族のスキャンダルを追っかけて報道するのも、そのひとつだ。)
など、「どうでもいいような知識」ではあるが、自分でも気づかなかった自分の頭の中のブラックボックスが解消されるのは快感である。
ついでに、引用部分の後に、現段階での私の推理をメモしておく。これは自分自身の楽しみのためである。まあ、競馬の予想を楽しむようなものだ。
(以下引用)
後期クイーン的問題って、わかりやすく言うとどんな問題?
kos********さん
2008/4/1 3:27(編集あり)
平たく言うと、 「作中で探偵が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうか作中では証明できない」、ということ。 これでは読者は消化不良を起こしちゃいますね。 「クイーン」とは、推理作家のエラリー・クイーンのことです。 推理小説における「探偵」は、 犯罪(犯人と被害者の関わり)を外から眺め、事件を解決する、というのが通常のパターンですが、 クイーンの中~後期の作品では、「探偵」込みで謎やトリックが仕掛けられる、という展開が多くなっています。 その「探偵の存在」が、犯罪の動機・手段・結果などに直接関わっているため、 「探偵」なくしては犯罪(ストーリー)そのものが成立しない、という状況・・・ つまり、「探偵」がスーパーマンではなく、渦中の人(当事者)として四苦八苦する、という設定です。 これらのことから、冒頭の問題が浮上したんでしょう。 現代社会においては、ちょっとニュアンスが違いますが、 企業の不祥事を、企業側の人間(チーム)に検証させる(第三者機関に委ねずに)、という感じでしょうか。 。。。「後期クイーン問題」について詳しく書かれてるサイトです^^ http://www.peak.ne.jp/~ktr/Mystery/ellery.html http://rrm.fc2web.com/report/queen.htm
(以上引用)
真犯人はノーマ(ライト家の次女で、ここまで完璧に「真犯人」としか思えないように描写されているジム・ハイトの妻で、毒殺未遂事件の「被害者」)。
犯行目的は、ジムを死刑か重刑にすること。その動機は、ジムへの「復讐」で、そのために、一度は彼女を捨てたジムを快く迎え入れ、結婚して周囲には良妻ぶりを見せていた。
もうひとつの目的、あるいは主目的は、「誤って殺された」とほとんど全員が見做しているジムの「妹」の殺害。この「妹」ローズマリーは、おそらく実際はジムの愛人で、ジムが過去にノーマを捨てた原因のひとつだろう。なお、ジムがしばしば言う「あの女、やっつけてやる」の「あの女」はノーマではなくローズマリーだと思う。喧嘩別れした後も、しつこくジムを追っかけているのだろう。カネもせびっていたのではないか。ジムの恒常的金欠の原因でもあるわけだ。)
犯行のトリックは、泥酔したローズマリーが手にするカクテルのグラスと自分の毒入りグラスをすり替える機会を伺っていたら、ローズマリーの方からノーマのグラスを強奪して飲むという都合の良い偶然があったため、ノーマは犯行の嫌疑の対象にもならなかった。なお、その場は全員が泥酔状態だったため、ノーマが自分の手にしたグラスにこっそり毒を入れることは容易だったのではないか。
推理の根拠は、ノーマが、本に挟まれた「ジムのノーマ殺害意図の証拠の手紙」を、他人に見えるように落として他人の目に触れさせたこと。その後も焼却せず保存し続けたこと。また、その手紙の存在を検察側の人間の前で「うっかり」言ってしまったこと、など。
この手紙はいろいろとおかしな点があり、クイーンも警察も検察もそのおかしなところを何も感じないとしたら低脳だろう。まず、封筒に切手が貼っていないし、宛先の住所も書いていない。つまり、まったく「手紙」の体を為していないわけだ。だが、読者はクイーンがこういうアホなことを言っても、「クイーンが言うのだからそうなのだろう」と読み飛ばすわけである。
「これは三通とも、ミス・ローズマリー・ハイト宛てになっている。でも変ね。住所が町も市も書いてないのは」
「特に変だとは言えない」とエラリーもまゆを寄せながら言った。「変なのはクレヨンを使った点だ」
(馬鹿か。住所の書いていない手紙が、どうやって相手に届くのだ。それを変に思わないほうが変だろう。そもそも、妻の殺害の「犯行予告」を妹への手紙に書く、何の意味があるのか。おそらく、出してもいないわけで、それを残して保存していたら、後で証拠になるだけではないか。ちなみに、クレヨンを使うのはジムの癖で、ノーマはそれを利用してジムを犯人にしようとしたのだろう。筆跡模倣もクレヨンのほうが字が単純化されて楽だと思う。)
まあ、以上の推理がもしも正解だったら、作中の名探偵エラリー・クイーン氏が329ページ時点でそれを推理できないのは、かなり名探偵の評判を落とすことになるだろうwww
なお、私は推理小説は「騙されるために読む」主義なので、基本的に自分で推理したり話の先読みなどはしない読者である。だが、作中のクイーン氏への反感(女の尻を追っかけないで、真面目に探偵業務をしろ、この野郎!)から、対抗してみたわけだ。