お笑いの原則は人間を類型化し、一部の人間像を誇張して笑いものにすることだろうから、繊細な描写の多い文芸映画の理解はできなくて当たり前だろうし、蒼井優も結婚相手に芸術鑑賞能力は求めていなかっただろう。しかし、問題は、そういう鈍感な人間が自分に理解できないものは無価値だと断定することで、現在はお笑い界の人間のその種の言説が社会的影響力を持っている。つまり、馬鹿(お笑いの才能はあるから馬鹿ではないが、無教養な人間)が世論をリードする社会になっているわけだ。
山里亮太は妻との会話で自分に欠如した部分、他より劣った部分を認識できたのだからまだマシなのではないか。
などと言いながら、私も嫌いな映画が多く、アクション映画だろうがSFだろうがホラーだろうが、「自分の好みには合わないだろうな」と予測できるので、世間で大評判の映画もほとんど見ていない。「マッドマックス怒りのデスロード」などもそのひとつで、ネットテレビで無料で見ることができるので見たが、半分ほど我慢して見ただけで途中放棄した。自分の興味の無い映画を見るのは時間の無駄である。
ただ、四十年代五十年代六十年代の昔の映画はだいたい好みである。七十年代が限界か。恋愛映画など大嫌いだったが、昔の名作だとやはり素晴らしい。まあ、アクション映画、SF映画、ホラー映画などは若いころに見るべきだと思う。年を取るとジュースよりはお茶や水のほうが美味く感じるようなものだ。
ただし、若いころでも理解できる優れた「人生映画」「文芸映画」もある。「第三の男」などはまさに「人生映画」だと私は思っている。正義感に溢れた誠実な人間が女性に愛されず、その女性は彼女をただの使い捨ての玩具と思っているとんでもない悪党に心から惚れる、そういう映画である。ちなみに、泣いたり喚いたりの場面はひとつもない。名セリフに溢れ、ユーモアもあり、映像も音楽も素晴らしい。
「人生映画」としては、「野いちご」と「東京物語」と「道」もお勧めだ。その世界に没入できれば、見た人は見る前と見た後では紙一枚分くらい別の人間に変わる、あるいは世界を見る角度が一度くらい変化する、というのが名作である。これは文学でも同じだ。それが教養というものだろう。つまり、単に「知っている」のではなく、知ったことが当人の血肉となっていることだ。
山里亮太は妻との会話で自分に欠如した部分、他より劣った部分を認識できたのだからまだマシなのではないか。
などと言いながら、私も嫌いな映画が多く、アクション映画だろうがSFだろうがホラーだろうが、「自分の好みには合わないだろうな」と予測できるので、世間で大評判の映画もほとんど見ていない。「マッドマックス怒りのデスロード」などもそのひとつで、ネットテレビで無料で見ることができるので見たが、半分ほど我慢して見ただけで途中放棄した。自分の興味の無い映画を見るのは時間の無駄である。
ただ、四十年代五十年代六十年代の昔の映画はだいたい好みである。七十年代が限界か。恋愛映画など大嫌いだったが、昔の名作だとやはり素晴らしい。まあ、アクション映画、SF映画、ホラー映画などは若いころに見るべきだと思う。年を取るとジュースよりはお茶や水のほうが美味く感じるようなものだ。
ただし、若いころでも理解できる優れた「人生映画」「文芸映画」もある。「第三の男」などはまさに「人生映画」だと私は思っている。正義感に溢れた誠実な人間が女性に愛されず、その女性は彼女をただの使い捨ての玩具と思っているとんでもない悪党に心から惚れる、そういう映画である。ちなみに、泣いたり喚いたりの場面はひとつもない。名セリフに溢れ、ユーモアもあり、映像も音楽も素晴らしい。
「人生映画」としては、「野いちご」と「東京物語」と「道」もお勧めだ。その世界に没入できれば、見た人は見る前と見た後では紙一枚分くらい別の人間に変わる、あるいは世界を見る角度が一度くらい変化する、というのが名作である。これは文学でも同じだ。それが教養というものだろう。つまり、単に「知っている」のではなく、知ったことが当人の血肉となっていることだ。
山里亮太 蒼井優との映画デートで弱点発覚「映画を見る人の優劣っていうのがあるのかな?」
PR