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日本語の雑な思想家・活動家たち

ツィッターというのは確か140字という字数制限があったと思う。その中で自分の考えを間違いなく、そして誤解されないように書くのは至難の技だろう。つまり、議論の場としては不適当である。
下の二つのツィートは、誰が何を問題にし、論じているのか、そして二人の発言者の意図(発言趣旨)は何なのか、私にはさっぱり分からない。
ツィートした人は反貧困の活動家で、リツィートした人はフェミニズムの活動家のようで、どちらかといえば二人とも現在の日本社会の在り方に批判的な、大別すれば同じ陣営に属する人たちだと思うが、私の理解では、要氏は藤田氏を批判しているように見える。そして、何を批判しているのか、私には分からない。まあ、藤田氏の発言も曖昧模糊としていると思うのだが、その発言のどこに「本来その属性であってはならない」という考え方(「何が」という主語が無いので意味不明だが)があるのか。そしてそれは「藤田氏」の差別意識なのか、それとも藤田氏が戦っている相手の差別意識なのか、要氏の文章からは分からない。
毎度引用するが、「我、刷毛の影もて馬の影を刷く御者の影を見たり」みたいなものだ。

まあ、要氏の言いたいことを、言葉を補って書けば、「誰かの属性について、『お前はその属性であってはならない』と批判する考え方が、差別と社会的排除の考え方だ」ということかと思う。つまり、主語や目的語が不明瞭な上、「本来その属性であってはならない」の「本来」が文章を分かりにくくしていると思う。だが、そのように言葉を整理しても要氏が誰をなぜ批判しているのか、その文章から理解することは困難だ。
ついでに書けば、藤田氏の文章もかなり分かりにくい。「自己決定の暴力」はかなり舌足らずで、なぜ意味不明の抽象語の羅列で論をまとめようとするのか。「自己決定」自体が暴力なのではなく、「『自己決定』というレッテルを貼ることにより相手を無力化する言語的暴力」ということだろう。「自己決定の暴力」では自己決定が暴力だという意味にしかならない。
最後の一文も引っかかる。「死にたくて死んだ」が平然と容認されるのは当然だと私のような自殺肯定論者は思うが、実際に藤田氏が言いたい(批判したい)のは「自殺した人間は死にたくて死んだのだから何も問題はない。社会に責任はない」とする思想のことだろう。社会に追い込まれて死んだのと当人が死にたくて死んだのは天と地ほども違う。だが、この文ではそのどちらか分からないのである。


(以下引用)


要 友紀子
傘
SWASH
@kanameyukiko
この言い方や考え方、何がまずいか説明しておきたい。 本来その属性であってはならないという考え方が差別と社会的排除の考え方。 そうではなく、どんな属性であっても、その属性を理由にハシゴを外されるようなことがあってはいけない、不当な扱いをされてはいけないというのが正しい考え方と思う。
引用ツイート
藤田孝典
@fujitatakanori
·
風俗嬢は好きでやっている、ホームレスは好きでやっている、好きで生活保護受けている、好きで派遣社員やっている、好きで日本にいる、好きでその生き方を選んでいる… この被差別構造を無視した自己決定の暴力すごい。 そのうち、死にたくて死んだ、というのも平然と容認されていくのでは。恐怖。



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