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生命の「経済的」価値

Keppyとやら称する人物のツィートを小田嶋師がリツィートしたものだが、Keppy氏の考え方は、人間の生命を金銭的(経済的)価値で計る思想で、その中に「時間」も金銭化されている。つまり、実に現代的な経済合理性の前にモラルが踏みにじられているわけだ。この思想で行くと、四十年で死ぬ人間より八十年生きる人間の価値は二倍ある、となりそうである。ところで、モーツアルトは四十前で死んだと思うが、その生命の価値は八十過ぎまで生きている石原慎太郎の半分だろうか。若くして死んだが偉大な業績を残した人間は無数におり、その反対に、周囲に迷惑をかけ通しで八十九十まで生きた人間(政治家に多い)もゴマンといる。
もちろん、偉大な業績など残さなくても、生きることの価値は、当人にとっては計り知れないものだ。要するに、他人の生命の価値を云々する資格など、誰にも無い。それは、他人を殺す権利は誰にも無い、というのと同じである。宗教や法律がどうであれ、自衛のため以外で他の人間を殺す権利は誰にも無い。したがって、最大の悪は戦争であり、人を殺し合いや自殺に追い込むような政治である。生きる権利はあらゆる人権の基盤だ、というのは当たり前の話である。

と私は思っているが、しかし、「自殺」する権利もまたある、とも思っている。ただし、それは周囲の人間を悲しませ、非常な迷惑をかける可能性の高い行為だろうという前提での話だ。そして、難病のために毎日耐え難い苦痛に苛(さいな)まれながら、短い人生で偉大な業績を残した正岡子規や中江兆民を私はこの上なく尊敬している。

(以下引用)

5年を50年に変えればあなたもほぼ間違いなく死ぬ人間ですよ。
引用ツイート
KEPPY
@toujirou_wwww
·
返信先: @tako_ashiさん
じゃあ俺が言うよw 「ほうっておいても5年で死ぬ人間の命を何百万円もかけて延命する意味ありませんよね?」

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酔生夢人
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職業:
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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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