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月と自動車

庶民の貧困化を歌う

   
  毎朝の散歩の道に見し家の
      車がひとつ消えし寂しさ





注釈すれば、この家は、おそらく親しい友人ふたりで経営していた小さな店舗兼住宅で、以前は必ず自動車が2台止まっていたのである。だいぶ前からその一台が見えなくなったということは、経営不振からひとりが辞めた、あるいは首になったのだろう、ということを詠んだ歌である。まあ、喧嘩別れという可能性も無いではないだろうが、長年一緒にやってきた仲間が今更喧嘩別れはしないと思う。今の経済情勢では経営不振の可能性が高い。

これも注釈すれば、私の散歩は夜明け前にやることが多いので周りが真っ暗なため、ここでの「寂しさ」はその背景がある。
ついでに言えば、短歌や俳句は曲りなりにでも古語を使い、初歩的な古文文法に従うほうがいい、と私は思っているので、現代短歌や現代俳句はほとんど鑑賞しない。ひところ、俵万智の短歌がブームになったが、一過性のブームで終わったのは、そこに理由があるかと思う。つまり、現代語を使うなら、特に和歌や俳句を詠む意味はないわけだ。もちろん、現代短歌や現代俳句にも名歌名句はたくさんあるが、それは非常な才能の結果だろう。

なぜ突然短歌などを詠んだのかと言うと、その前に、歩きながら、頭の上の雲間の月(旧暦18日くらいの月か)を考え、「雲隠れにし夜半の月かな」という、和歌の後半を思い出し、その前半が何だったか頭をひねって考えたことが、呼び水になっている。
で、何とかそれらしいのを思い出したのだが、それは

逢ひて見しやそれとも分かぬ間に

だったかと思う。つまり、全体は

   逢ひて見しやそれとも分かぬ間に
         雲隠れにし夜半の月かな

だろうか。そして、これは紫式部の歌だったと記憶するが、あの気難しそうな紫式部にそんな色事があったのかどうか。歌会か何かで出した、フィクションの歌ではないかという気がする。
言うまでもないが、雲隠れした月は、男、恋人の比喩である。

念のために言えば、和歌のほとんどは宮廷人が娯楽として作ったもので、内容は「フィクション」がほとんどだ。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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